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さて、いよいよ妖怪退治となる訳だが、退治の為にはどこに隠れているともわからない化け猫を見付け出す必要がある。
高僧やら陰陽師なら、化け猫を炙り出したり、居所を突き止める術が使えたりするのかもしれないけれど、僕らにそんな器用な手段は使えない。
故に僕らが化け猫を探し出す方法は、囮を使って襲われる事だった。
化け物退治といえばこれってくらいの、古式ゆかしい方法である。
つまり定番になるくらいに、効果的な手段だ。
化け猫が食い殺す理由が怨嗟からの復讐であっても、単に人を餌と見做してるだけであっても、宿場や色街で無差別に人を襲っている事には変わりない。
しかし武芸者に追い払われたり、怯えた人々が家に籠ったり、旅人が宿場に寄り付かなくなった為、化け猫が人を狩り難くなっているのは確かだった。
そんな状況で成人男性よりも身体の小さな僕や、少女である茜が一人で歩いていれば、化け猫の目には格好の獲物として映るだろう。
妖怪は生まれた時から人よりも強い力を持っているが、そんな彼らも生まれながらにして経験を持ち合わせるという事はあり得ないのだ。
まぁ、僕のように前世の記憶、なんてものを持ってる妖怪がいれば話は変わるが、流石にそこまでは考えても仕方ない。
今回の化け猫は、武芸者とやり合った事で人の中にも妖怪を倒しうる力を持つ者がいると知り、警戒心を高めてはいるだろうが、けれども武芸者と同等の力を持ちながら、それを隠す忍者という存在はまだ知らなかった。
だからチャンスは一度きり。
化け猫がこれ以上の経験や知識を得る前に、確実に始末しなきゃならない。
仮に囮役となった僕か茜のどちらかが、化け猫に食い殺されたとしても。
二つの月が空高くに輝く頃、僕と茜はバラバラに、色街の通りを一人で歩く。
もちろん本当に一人って訳じゃなくて、僕には吉次が、茜には六座が、それぞれ遠くから見張りに付いてる。
けれど化け猫に気取られない程に距離をあけて潜んでいるから、もし僕や茜が襲われても、瞬時に駆け付けるという訳にはいかないだろう。
つまり僅かな時間であっても、僕か茜のどちらかは、化け猫と一人で対峙しなきゃならない。
命の危険は、十分にあった。
……僕は、何時使い捨てにされるともしれない忍びの里から、いずれは抜け出そうと考えているけれど、それは死が怖いからっていう訳じゃない。
いや、別にこの世界は碌でもないと儚んで死にたいとかでもなくて、恐らく死への恐怖は他人よりも薄いだろう。
何故なら、僕に前世の記憶があるって事は、間違いなく一度は死を経験してて、それでも今がある。
ならば死しても次があると、希望はあると考える事ができた。
また次の生でも同じように記憶を保てるとは、流石に思っちゃいないけれど、無となって消えてしまうんじゃないなら十分だろう。
尤もそれは、自分の意思で道を選び、自分の行動の結果、命を落としてしまうなら仕方ないと思えるだけだ。
誰かの意思で僕の命を使い捨てにされて、それに納得できるわけじゃない。
だから僕は忍びの里を抜けたいと思ってて、今は囮を務める事にも納得してるから、危険を甘受し、命を懸けられる。
今日の月は三日月で、二つの月が欠けた部分を向け合うように空で輝く。
この世界の夜は、月が二つある分だけ、人工の光がなくても少し明るい。
忍びとして、夜目が利くように訓練も受けているから、流石に昼間と同じようにとはいかずとも、活動に全く支障がないくらいには周囲が見えてた。
そして不意に、にゃぁぉと猫の鳴く声がする。
こっちにきたか。
いざ妖怪との実戦となれば流石に緊張するし、幾らかは怖い。
何しろ僕は、今から反撃も回避もせずに化け猫の一撃受けねばならないのだ。
おびき寄せるだけじゃなく、死なぬ程度に傷を負う。
ここまでが僕の囮としての役割である。
どうしてそこまでするのかと言えば、化け猫が忍びの怖さを知って逃げに移ろうとする際に、手負いの獲物がいれば、ほんの僅かでも欲目を出して躊躇う可能性が出るからだ。
人を食う事に執着心を持っていれば、獲物が流す血は、化け猫を惹き付ける蜜となる。
目の前に出てきた小さく可愛らしい猫が、みるみるうちに虎よりも大きく、牙を剥き出した凶悪な面相になるのを目の当たりにして、僕の身体は少し震えた。
納得して囮の役割をしているけれど、納得しててもそりゃあ傷を受ければ当然痛いし、痛いのは嫌だし怖い。
あの大きな牙か、同じく大きな爪のどちらかを受けねばならぬのかと思えば、身体が震えるのも当然だろう。
だが恐れはしても竦んではいけない。
これから僕は、血を流す程度の傷は負っても命を保てるように、化け猫の攻撃を見切り、最適な形で攻撃を受ける必要がある。
それは単に回避するよりも余程に難しく、動きを見切れねば死ぬし、動きを見切れても竦んだ身体が動かなかったら、やっぱり死ぬ。
納得して状況での死は、仕方ないと思うのだけれど、こんなところで死んでしまうと、僕の、赤月の人生はあまりにもつまらないものになってしまう。
できれば僕は、精一杯に生きて、間際に己の人生を振り返り、満足して死にたかった。
それができれば、仮に次の生を受けて再び記憶を保てたとしても、それを振り返った時に、前世の妄執に囚われずに済むから。
ただ今回、一つ自分を褒めるとするなら、振り下ろされる化け猫の爪を我が身に受けても、こちらじゃなくて茜の方に行けばいいのにって考えは、ちらりとも頭を過らなかった事だ。
化け猫の動きは素早く、爪の一撃は鋭かったが、僕はその攻撃を見切り、全力で回避したくなる本能を理性で押さえ付けて、一歩だけスッと後ろに下がって、目測の狂った攻撃を我が身に受けて、生き残る。
胸を斜めに割かれた三条の爪痕は、派手に血をしぶかせたけれど、心臓には届かず、肺も割かれず、僕は完璧な形で囮の役割を果たし終えた。
では、反撃だ。
僕は胸の痛みを堪えて、指を口に当ててピュイと強く吹く。