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浮雲の里に戻った僕は、すぐにサンドラを討つ為の準備を開始した。
といっても、準備の大半に僕の手は必要ない。
銀製の武器等の物品の用意は里の鍛冶師の仕事になるし、情報に関しては引き続き俗楽の花から届けられる筈だ。
討伐隊の編成、人員の手配も、全て僕が一から選んで声を掛けて回る訳じゃなく、希望する人数や能力を頭領に伝えれば、人員の選出自体は里のシステムに則って行われる。
しかし、人も物も、必要な分だけ使っていいという頭領の許可は、本当に有難い。
銀は柔らかい金属で武器には向かず、しかも貨幣に使われる程に高価だ。
なのでこれまではそれが有用だと訴えても、精々自分で使う分の苦無を一本用意するのがやっとだったけれど、頭領が許可を出したとなれば話は別である。
里の鍛冶師達は首を傾げながらも、なるべく銀の純度を高くして、しかしギリギリ武器としての用を成す硬度の合金で、武器を量産してくれるだろう。
そんな物、サンドラとの戦いでくらいしか使い道なんてないから、実に贅沢な話だけれども。
あぁ、いや、舶来衆のボスであるラドゥが推測通り吸血鬼だとしたら、もしかするとそちらにも銀の武器は効果があるかもしれない。
人狼に対する銀、程に劇的ではないにしても、吸血鬼にも銀って有効だったような気がする。
尤もラドゥの相手をするのは都から派遣される法衆だろうから、僕らの出番はないと思うが。
では要望を出せば僕は何もしなくていいのかといえば、もちろんそんな事はない。
人、物、情報、全てが勝手に揃うとしても、サンドラを倒す為の切り札は、僕が用意する必要がある。
だからという訳ではないんだけれど、僕はその切り札の様子を伺いに、里を囲む森にある、池の一つにやってきた。
そう、大蜘蛛様から苔玉を棲ませる許可を貰った池だ。
大蜘蛛様に許可を貰った後、頭領に付き添って都に行く事になったし、都から帰った後もすぐに上忍を止める為に静馬の国に向かったから、苔玉は池に棲ませたきり、ほったらかしにしてしまってる。
だから少しだけ、ちゃんと池に棲んでてくれるか、拗ねてやしないか心配してたけれど、僕が池のほとりに立てば、すぐに喜びの感情が押し寄せるように伝わってきた。
「苔玉」
名を呼べば、池を囲む岩にびっしりと生えてた苔、水底に生えて小さな魚に齧られてた苔も、全てが僕の手の上に集まってきて玉の形になる。
前より、ほんの僅かに重さが増してるから、どうやらこの池に棲ませてからの時間で、少し成長したらしい。
僕の掌の上で、コロコロと転がる苔玉。
この苔玉が、僕のサンドラに対する、前回の戦いでは伏せていた切り札だった。
まぁ、この単なる苔の集まりにしか見えない姿からはわかり難いんだけれど、生まれと相性的に、苔玉はサンドラの天敵となる資質を秘めてる。
というのも、苔玉が発生できたのは、あの坑道に陰気が溜まり易かったからというのもあるだろうが、それ以上に僕との戦いで傷付いたサンドラが陰気を撒き散らしたからだろう。
つまり生まれからして、苔玉はサンドラを喰って誕生してると言えた。
更に苔玉は、僕が属性変換で生み出した銀も喰っており、自らの一部を銀へ変じさせる事もできる。
しかもその銀は、一度サンドラを傷付けた銀なのだ。
もちろん生まれて然程に時間が経たぬ苔玉に、独力でサンドラを倒せるだけの力、知能、戦闘経験はないけれど、そこは僕が補えばいい。
感情が伝わる程の繋がりがある苔玉とは、訓練をすれば口で指示を出すよりもずっと早く、まるで僕が忍術を使うのと変わらぬ速度で、力を使わせる事もできる筈。
そう、今日、僕がここに来たのは、苔玉と戦闘で連携する訓練をする為だった。
「苔玉、行くよ」
僕は苔玉にそう声を掛けて、して欲しい変化を強く頭に思い浮かべながら、頭上に苔玉を軽く放る。
すると次の瞬間、銀色に変化した苔玉から突き出した無数の棘が、森の木々を突き刺し、幾つかは貫く。
OK、これは完璧だ。
思ったよりもすんなりと、僕の指示は苔玉に伝わった。
僕は苔玉に喜びと、称賛の感情を強く向ける。
すると苔玉からも、嬉しそうな感情が返ってきた。
元に戻って落ちて来た苔玉を、掌で受け止める。
さて、簡単な指示は、もう既に出せる事がわかったけれど、残念ながらこのままじゃサンドラとの戦いには使えない。
何故なら、戦場には僕と苔玉、サンドラ以外にも、多くの忍びがいるだろうから、あんな風に僕以外には無差別の全方位攻撃、なんて真似をすると大量に味方も殺してしまう。
故に次は、苔玉に攻撃の方向、タイミング、狙って良い物と駄目な物等、細かく条件付けをした指示を伝えられるように訓練だ。
僕の指示が曖昧だったり、逆に細かすぎて複雑になると、困惑の感情を返してくる苔玉に、少し申し訳なくはなってしまうが、戦いの場に苔玉を連れて行くなら、これができなきゃどうしようもないから。
まぁ、他の準備が整うまでにも、時間は幾らか余裕があるから、焦らず、少しずつ、連携を磨いていけばいい。