39
振り向けばそこにいたのは、いや、そこら一面が、苔塗れになっていた。
一体、何時の間に現れたんだ。
僕だって仮にも忍びだから、自分の感覚には自信がある。
だけど、全く物音等はしなかったのに……。
しかし幸い、現れた苔、妖怪は僕を奇襲してこなかったどころか、そもそも攻撃してくる様子も全くない。
これなら、お互いに落ち着いて話ができそうだ。
……いや、できるか?
発声器官もないのに、どうやって?
そもそも人の言葉を理解できるだけの知能があるのかどうかも、わからない。
妖怪だったらある程度の知能はあると思うが、見た目が単なる苔な為、どうしてもそれを疑ってしまう。
なのに、言葉を交わせそうにないなって思ったばかりだけれど、何故だか不思議と、僕にはその苔が喜んでいるのがわかった。
理屈も何もなしに、その苔の感じてる喜びが、僕にまで伝わってくる。
すると不思議と、妖怪ではあっても見た目は単なる苔のそれが、僕には可愛く思えてくる。
なんでだろう?
以前、契約を交わした妖怪とは、精神的な繋がりが生まれる事もあるって、教わった覚えはあった。
そして確かに、僕が苔の妖怪の話を聞いた時に試したかったのは、その契約だ。
でも今は何の契約も交わしてない状態である筈なのに、どうして僕と苔の間に、感情が伝わる繋がりがあるのか。
この苔を生み出したのが僕であるというのも、少しは関係してそうだけれど、決定的じゃないと思う。
その縁で契約が結べる事を期待してはいたけれど、切っ掛けの一つになればいいなって程度の話でしかない。
ならば何時、僕とこの苔の間に繋がりが生まれたのだろう?
……少し、考えて、これじゃないかと思い当たったのは、サンドラとの戦いから逃れて地中に潜ってた時、負った傷口に苔が纏わりついてた事だった。
あの時、こいつは僕の血を吸ったんじゃないだろうか。
より正しくは血に含まれる生命力、気や陰気の源を。
そこから発生した陰気が、僕の忍術で作られたって縁もあって核となり、苔の妖怪が発生する切っ掛けとなった。
物凄く突飛な想像だけれど、そうであると考えると、色々と納得も行く。
この想像があっているか否かはさておき、事実としてあるのは、僕と苔の妖怪には既に幾らかの繋がりがあって、向こうが僕に友好的であるって事だ。
ならば無理に戦う必要はないだろうし、より強い繋がりを作る契約を試す余地は十分にある。
「苔玉、迎えに来たよ。一緒に外に行こう」
まずは名前を付けて、その存在をこちらに近い物であると決め付け、引き寄せていく。
妖怪に虚言は通じぬ場合が多々あるから、特に僕と苔の間には繋がりがあって、向こうの感情が伝わるように、僕の感情も伝わってる可能性もあるから、本当に思ってる事のみを口にする。
まぁ、特に嘘を言う必要がないというのもあるが。
契約をしたい、連れて行きたい。
このままここにいて六山の国の銀山開発を邪魔し続けるなら退治をせざる得なくなるし、仮に僕がそれをせずとも別の忍びか武芸者が来るだろう。
僕がそう言えば、苔の妖怪、苔玉は喜びと怯えの感情を発する。
その意味は、僕の名付けは歓迎していて、誘いも嬉しいが、外は怖いってところだろうか。
あぁ、外を見ようといってみたら、六山の国の人々に怯えられて騒ぎ立てられ、どうやらそれが怖かったらしい。
それ以降は、怖い人々が銀山の中に入ってこないよう、威嚇をしに行ってた様子。
なんというか、妖怪の割に随分と繊細だなって思ってしまうけれど、……だけどそんなものなのか。
人は妖怪を恐れるが、妖怪だって人間を恐れる事だってあるのだろう。
何しろ人の数は妖怪よりもずっと多くて、その中には妖怪を討ち滅ぼせるような、忍びや武芸者、高僧や妖術師も混じるのだから。
「大丈夫。外が怖いのは、知らないからだ。確かに外には怖い事もあるけれど、知って対処すればどうにかなる。そして知らずにここに籠っていたら、怖い何かがやって来ても対処ができずに、何もしないままに終わってしまう」
僕が付いてるからとは、まだ言えない。
だって、苔玉が外に行く事を拒否するなら、僕がその怖いものにならなきゃいけないのだ。
些細な拘りかもしれないけれど、信頼を深めるような言葉を吐くのは、その信頼を裏切らずに済むようになってから。
実際、僕はもう、この苔玉に情が湧き始めてしまってる。
忍びであるのだからと自分に言い聞かせれば、その情を無視する事は可能だろうけれど、それでも絶対に心は痛む。
僕は、自分の指の腹を切歯で傷付け、苔玉に向かって手を伸ばす。
苔玉は、少し迷ってはいたようだったけれど、やがて滲んだ僕の血に吸い寄せられるように集まって、集まって集まって、僕の掌の上で本当に丸い苔の玉になる。
かなりの量の苔が圧縮してる筈なのに、不思議とちっとも重くない。
そして苔玉が再び僕の血を吸って、僕の誘いを了承した事で、元々あった繋がりが、より強く結ばれたって感覚があった。
つまり、契約はここに成立したのだ。




