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「なぁアカツキ、お前、妖怪って見た事あるか?」
僕が十二になったある日、若様が不意にそんな事を問うてきた。
ちなみに赤月というのが僕の名前だ。
なんでも僕が生まれた天の両眼の夜、二つの月が血を流してるみたいに赤かったから、そんな名前を付けたらしい。
流石に血を流してるみたいにっていうのは大袈裟だと思うけれど、それにしても不吉な日に生まれたんだなぁって、まるで他人事のように思う。
「ないですけど……、あぁ、大蜘蛛様との契約ですか? 駄目ですよ。大蜘蛛様を妖怪だなんて言っちゃ。でも、長の家は大変ですね」
大蜘蛛様というのは里の守り神とされる存在で、元々はこの辺り一帯を支配する大妖怪だ。
里を興した忍びが大蜘蛛様と契約し、ここに里を築く事を許されたという。
噂によると、大蜘蛛様は上半身はとても美しい人の女性で、下半身が蜘蛛の姿をしていて、代々の頭領から受け取った精を使って子蜘蛛を増やす代わりに里の存続と、頭領が子蜘蛛を口寄せして使役する権利を与えているんだとか。
僕も一応は男だからちょっと羨ましい気もするけれど、それが頭領の家系の義務だと考えると、……やっぱりあんまり羨ましくないな。
口寄せは少し憧れるけれど、呼び寄せた子蜘蛛が自分の精や、或いは父親の精から生まれたのかって考えると、流石にゾッとする。
若様もその辺りを、少し怖がっているらしい。
でも僕の立場で、頭領の家系の義務を否定できる筈がないのだ。
何しろ頭領や若様がその義務を果たしてくれなければ、この里は存続できないのだから。
単に里がなくなるだけなら、野外での生存技術やらも叩き込まれてるので、忍びの技も使えばどこでも生きていけるとは思うけれど、里の存続を許さない大蜘蛛様が、忍び達をここから追い出して終わりにしてくれるとは限らないし。
若様には納得して義務を果たして貰いたい。
確か十三になった辺りで、若様は大蜘蛛様にお目通りするって話だった。
「でも大蜘蛛様はとてもお奇麗だって話ですし、代々の頭領がお世話になった守り神ですから、若様にもきっとお優しくしてくれますよ」
大妖怪が守り神とされているってケースは、珍しくはあっても他に例がないってくらいに稀な訳ではない。
そもそも妖怪というと悪しき存在ってイメージはあるが、別にそういう訳でもないからだ。
肉体から発するエネルギーにマイナスの属性を付加させたものが陰気、妖怪を生み、その力の源になるというのは以前にも述べたが、別にそれを発するは人のみに非ず。
忍術の説明の時はわかり易く肉体といったが、より正しく言うなら気や陰気の元となるエネルギーは、全ての命から発せられてるという。
動物や植物や、その他目に見えぬ微生物も、それらのエネルギーを発してて、それらにプラスの属性が付加されれば気となって、集まれば神獣やら聖獣と呼ばれるものが生まれ、マイナスの属性が付加されれば陰気となって、集まれば妖怪が生まれる。
そしてこのプラスとマイナスの属性は、正と負とはいうけれど、聖と邪、善きと悪しきって意味じゃない。
昼間が明るく、夜が暗くとも、別に昼間が正義で夜が悪にはならぬように、それは善いとか悪いとか、人の理屈は及ばぬものだ。
但し昼間の明るさは、人が活動するのに都合がいいから、昼を善きもののように思いがちになるだけである。
妖怪もそれと同じで、陰気から生まれたからといって別に邪悪な存在という訳ではなかった。
尤も、人よりも強い力を持って誕生する事の多い妖怪が、人という存在を目にした時にどう振舞うかといえば、それは人にとって都合が悪い場合が多いけれども。
ただ人の発する陰気を受けて誕生した妖怪は、善し悪しは別として人に興味を持ち易いとされる。
大蜘蛛様は上半身が人の、美しい女性の姿をしてるというから、恐らく人の陰気を受けて誕生した妖怪なんだろう。
だからこそ、こうやって忍びの里の守り神なんて真似もやってくれているのだ。
若君様に優しくしてくれるだろうって僕の希望的観測も、全く根拠のない当てずっぽうじゃない。
「アカツキって、本当に口が上手いよな。父上がよくアカツキを頼りにせよって言ってる理由がよくわかるよ」
ちょっと不満げに僕を睨みながらも、若様はそんな言葉を口にした。
それはまた、随分と過剰な評価を受けてるなって、恐ろしく思う。
若様は頭領から後継者としての教育は受けているが、それでも十二という年齢だけあって、割と考えは読み易い。
例えば今は、自分の悩みを僕に言い当てられた上にはぐらかされて、ちょっと不満に思ってる。
尤も僕の立場からして否定的な事が言えないのもわかってるから、特に責めてきたりはしないけれど。
年相応な部分はあるが、高い教育を受けてるだけあって周囲を見る目を持ち、己の立場もわかってる若様は、僕からすると付き合い易い人だった。
しかし頭領は違う。
長として里の忍びを指揮する頭領は、その考えを読み取る隙が全くない。
別に極端に情け容赦のない性格をしてる訳じゃないと思うけれど、他者に甘さを見せるような事は全くない人物だ。
正直、頭領に褒められてるって聞いても、嬉しくないどころか怖さが勝る。
頭領は里の為になるとあれば、躊躇いなく里の忍びを使い捨てにするだろうし、使い捨てられるかもしれない忍びの中には、僕も含まれているから。
僕にとっては大蜘蛛様という理外の存在よりも、頭領の方がよほどに恐ろしい。
そして何時かはその使い捨てにされるかもしれないという恐怖から、里から逃れたいと、僕は密かに思ってる。
もし僕に前世の記憶がなければ、こんな事は考えもしなかったんだろうけれども……。