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渦潮の里から浮雲の里に戻ってくると、若様の顔色が酷く悪かった。
疑問に思って、どうにか話を聞き出すと、何でも僕が里を離れてる間に、小一が裏切って三猿忍軍に通じていることが分かった為、若様が処断したという。
……あぁ、恐れていた時が遂に来たのか。
今は三猿忍軍や舶来衆との戦いが続いてるから、来るとしたらもっと後だと思っていたのに。
僕は、小一とは一度しか任務を共にしていないけれど、彼が内通を計るような忍びでない事くらいはわかる。
どちらかというと、僕の方がよっぽど、自分の為なら浮雲の里を裏切れるだろう。
若様も、小一の人柄はよく信頼していたようで、だからこそ今はショックを受けてた。
恐らくだけれど、三猿忍軍に通じていたというのはうその話で、小一は犠牲にされたのだ。
彼は若様に信頼されていたから、その教育の為に、或いは試練として、裏切りの汚名を着せられて、死ぬ事になったのだと僕は思う。
もしかすると、その役割は僕が担う予定だったのかもしれない。
若様と年齢が同じで、親しくしている僕は、その役割に選ばれる可能性は高かった。
しかしここ最近、敵の忍術を解析、再現したり、舶来衆の幹部が海外の妖怪であるという情報を持ち帰ったりと、手柄を幾つも立てたから、使い捨ての教材とするには惜しいと判断されたのだろう。
または既に高等忍術を学んでる僕をターゲットにした場合、若様が返り討ちにあうかもしれないと考えたのか。
いずれにしても、僕は自分を対象に、そうした処断が行われるのではないかと想像して、警戒をしていた。
何故なら、若様と頭領の性格があまりにも、親子と思えぬ程に違う為、頭領には、そうなるに至った何かがあるんじゃないかと感じたから。
最初は、大蜘蛛様との接触が、その変貌の切っ掛けではないのかと考えていたが、しかしお目通りの後も若様には特に変化がなかった。
そうなると、残る可能性としては、里の頭領となる、後継者への教育が最も怪しいだろう。
すると、側近候補として信頼させた忍びを、後継者の手で裏切り者として処断させるというのは、如何にもありそうに思える。
そこで裏切り者を処断できないようでは、若様には後継者の見込み無しとして、或いは小一と諸共に、頭領に始末されていたのかもしれない。
「小一とは、一度しか任務を共にしていませんが、彼が裏切りを働くとは思えません。何か裏があるのでしょう。ですが、その裏を調べる事は、今の若様には許されないと、僕は思います」
僕に言えるのは、これくらいだ。
若様もいずれ、答えを得るだろう。
その時に彼がどうなって、どういった行動を取るのかは、僕にはわからない。
「……小一は、追手が俺だと知ると、驚いたように動きを止めて、何も抵抗せずに斬られたんだ。一体、何がどうなってる? 言え、言ってくれ。その裏とはなんだ?」
若様はそう問いかて来るけれど、僕は黙って首を横に振る。
口にできる言葉は、もう残ってない。
以前、若様は頭領に、アカツキを、つまり僕を頼りにするようにって言われてたらしい。
恐らくその時は、僕が小一の代わりに処断を受ける予定だったのだ。
その対象が自分から逸れた事は幸いだけれど、けれどもそれを素直に喜ぶ気には、ならなかった。
久しぶりに思うけれど、本当に忍びは碌でもない。
だが僕もまた、その忍びの一人である。
或いは僕がその立場だったのかもしれないのだから、小一の死について思うところは幾つもある。
されど小一の死に激高し、この里をひっくり返そうと思う程、僕と小一の関係は近くはないから。
僕にとっての関心は、若様がこの件でどう変化するかだ。
いや、今回の事は始まりで、これから若様は、こうした後継者としての教育を幾度も受ける事になるのだろう。
できる限り、若様には大きく変わって欲しくはないが、それで若様が後継者として失格の烙印を押されても困る。
どうすればいいんだろうか。
自分が生き延びるだけなら、これまで通りに手柄を立てて、使い捨てるには惜しいと思わせればよいのだとわかった。
しかし自分のみならず、若様の事までどうにかしようとする力は、今の僕には足りてない。
そもそも僕と若様は育ってきた環境が違い、考え方が違い、……故に望む幸せの形が違う。
僕は若様がどうなれば幸せなのか、それを理解してる訳じゃなかった。
彼を救うのは彼自身でしかなく、僕はほんの少しそれの手伝いがしたい。
だけど僕の力は大きく環境を変えるにはあまりに微力で、せめて他に、味方になってくれる誰かがいればいいんだけれど……。
ふと、思い当たったのは、この里の守り神でもある大妖、大蜘蛛様だ。
もし彼女が、頭領よりも今の若様を気に入ってくれれば、若様は今のままでいられるかもしれない。
考えの読めない妖怪に頼るのはリスクの高い行為ではあるが、里の重鎮、上忍や頭領の思惑を超えるには、それくらいの思い切った手が必要だろう。
尤も、今の僕には大蜘蛛様と面会する手段がなかった。
伝手といえば他ならぬ若様自身がそうだけれど、まだ下忍に過ぎない僕が大蜘蛛様に面会するのは、幾ら若様のとりなしがあっても難しい。
ならば、やはり今の僕がするべきは、より多くの手柄を立てて早く中忍になる事か。
若様が頭領となって、側近候補として中忍になるのではなく、それより先に実力で、中忍に相応しいと誰からも認められれば、若様が変わってしまう前に、大蜘蛛様に会える可能性は十分にある。