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頼然家は田所の町と、周辺の六ヵ村を領有する有力武将だ。
豊安の国は土地が豊かで生産される食料が多い為、養える人口が多く、田畑を継げずに村を追い出される三男等も荷運びの労働にありつけたり、兵として召し抱えられるので賊が少ない。
武将である頼然家だけでも、わざわざ招集を掛けずとも、二百から三百の兵を即座に動かせるとの事だった。
つまり僕の前世の記憶、知識でいうところの、常備兵というやつである。
常備兵の強みは季節を問わずに動かせる事と、鍛えられた練度の高さ。
それから仕える主である頼然家への忠誠心か。
彼らは頼然家に仕える事で、生活の糧のみならず社会的な立場も全てを手に入れている。
そうした兵が頼然家の屋敷を見張っているので、赤ん坊を攫う今回の任務は中々に困難が予想された。
田所の町に入った僕らは、まずは宿屋に入って夜を待ち、町に人の気配が消えたところで抜け出して、現地の草に接触を図る。
もちろん草といっても植物の話ではなくて、浮雲の里を出て各地に住み着き、情報収集をしたり里の忍びの活動を援助する役割を担う者だ。
草は、基本的には下忍の中でも 忍びとしての技量に劣る者が選ばれる事の多いとされるけれど、……本当ならば僕が最もやりたかった役割だった。
何故なら、外に住めばその分だけ世情に詳しくなれるし、里を抜けて逃げるにしても、格段に難易度が下がるだろう。
ただ、そう、僕が草の存在を知ったのは、若様の側近に選ばれた後の話で、それまでは出来が悪ければ始末されるかもしれないって考えていたから、わざと自分の能力を低く見せるような真似はしなかったのだ。
それに草は、里の忍びと違って忍術を教わる事はできないから、……まぁ、必ずしも僕の選択が間違いだったって訳ではないんだろうけれど。
さて田所の町の草は、長くこの町で大工をしており、修繕の為に頼然家の屋敷にも幾度も立ち入った事があるそうなので、屋敷の間取りも熟知している。
草は、世話になった領主の情報を売るという行為に関して、幾らかの抵抗感もある様子だったが、それでも浮雲の里には逆らえる筈もない。
里には草を取り纏める役目の中忍もいて、居所は完全に把握されてるし、今の生活を捨てて逃げるには、彼はこの町に長く暮らし過ぎてた。
何も知らぬ妻を娶り、子を成し、更には領主に屋敷の修繕を任されるような大工になって弟子まで取っているとなれば、それ等を守る為に長い物には巻かれるしかないのだ。
長く外の世界に生きてはいても、里で生まれた以上、腕の立つ忍びが如何に恐ろしい存在なのかは十分に知っている筈だから。
六座に促されて草が口にした情報は、全てが僕らの任務の助けになるものだった。
頼然家の屋敷で生活する人々の様子、間取り、屋根裏に侵入できる場所、抜け道の有無等を確認した僕らは、すぐに行動に移る。
といっても実際に頼然家の屋敷に侵入するのは、最も腕の立つ中忍の六座のみで、僕と茜はそのサポートだ。
吉次は赤ん坊を置きに行く先、親族の屋敷を調べに向かう。
薄っすらと空に光が差し始める頃、田所の町は霧に包まれた。
もちろんそれは自然に発生した霧じゃなくて、僕と茜が水行の忍術を使って出した霧である。
水遁、霧隠れ。
視界を奪う霧を出すこの術は、隠れ潜む事を得意とする忍びにとって使い勝手の良い術だ。
この霧に乗じて、六座は頼然家の屋敷に侵入をする。
尤も頼然家の屋敷やその周辺だけが霧に包まれると怪しいから、僕と茜は手分けをして、田所の町の全体が霧に包まれるように術を使う。
そうすれば親族の家を担当する吉次の手助けにもなるからと。
単に霧を出すだけの霧隠れは、決して難易度の高い忍術ではないけれど、二人掛かりとはいえ町の全てをすっぽりと包む程の広範囲に使うとなれば、術の行使に掛かる負担は小さくない。
しかし茜はそれを見事に果たして見せた。
術を使い終えて合流した茜の顔を見る限り、流石に消耗はしていたが、限界はまだ遠い様子だったので、彼女の忍術の腕はやはり見事だと言わざるを得ないだろう。
僕が言うのも何だけれど、下忍の中でこれだけの忍術が扱える者は、そう多くはない筈だ。
霧を出し終えたら、僕と茜は宿に戻り、声色を六座や吉次に寄せて話をしたりして、二人の不在を誤魔化して過ごす。
後はもう、実際に頼然家の屋敷に侵入した六座と、親族の屋敷を担当する吉次の手並みを期待するより他にない。
明日の早朝、僕と茜がもう一度霧を出したなら、六座は頼然家の屋敷から赤子を攫って脱出し、吉次の助けを得て親族の屋敷にその子を置き去る。
その後は何食わぬ顔で、この町から立ち去る予定だった。
もちろん、僕と茜はともかく六座や吉次の役割は、口で言う程に簡単じゃない。
でも二人なら、恐らく問題なくそれを果たすだろう。
中忍の六座は当然として、長く忍びとして生き延びてる吉次も、僕が想像もできないくらいに修羅場を潜り抜けてきてる筈だし、腕も確かだから。