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魔道具作りの天才と呼ばれた令嬢が恋愛とか関係なしに婚約しようとするお話

掲載日:2024/11/19

「待てーっ!」


 貴族の令嬢たち、子息たちが通う学園。人気のない旧校舎の廊下に令嬢の叫びが響き渡った。

 伯爵令嬢オルジネティア・クラフトゥール。

 髪まで届くしっとりした黒い髪に、怜悧な輝きを放つ瞳の色は蒼。その整った顔立ちは美しいが、服装は少々変わっていた。上はブラウンのシャツ、下はゆったりしたズボンだ。実用重視の作業着といった趣だ。頭の後ろに結った髪も、おしゃれと言うより作業の邪魔にならないためにまとめたという感じだ。貴族令嬢らしからぬその装いが、しかし、オルジネティアにとっての正装だった。

 

 伯爵令嬢オルジネティアは魔道具作りの天才と言われている。彼女の手掛けた魔道具はいくつも商品化され、貴族社会において高い評価を得ている。学生でありながら既に一流の魔道具技師と言って差し支えない才媛だ。

 魔道具の研究を進めるため、オルジネティアは入学後に使われることの少なくなった旧校舎のを研究の場とするべく学園に願い出た。彼女の功績を知る学園は、もろ手を挙げて許可した。のみならず、在学中のほとんどの授業を免除した。

 オルジネティアは学園の中で存分に魔道具の研究ができる環境を手に入れたのだ。旧校舎のすべての部屋を使用しているわけではないが、この旧校舎は彼女の言わば彼女の研究棟だ。オルジネティアはこの場所で、魔道具の研究に打ち込んでいるのである。

 

 そんな才媛が、旧校舎の廊下を走っていた。スカートでは許されない全力疾走だった。

 その前を行くのはモップ。誰が手にしているわけでもないに、高速に床を磨きながら爆走している。

 このモップは彼女の開発した『自律式清掃魔道具』だ。本来は部屋の掃除に使うために開発した魔道具だった。廊下を拭くのは仕様通りだが、使用者の制御を離れて爆走するのは仕様外だ。

 つまりこの魔道具は暴走しているのである。

 

 止めるだけなら攻撃魔法でも使えばいいだろう。しかしそれではせっかく開発した魔道具を破壊することになってしまう。それに、ほとんど使われない旧校舎だからと言って攻撃魔法で損壊させれば、さすがに学園も使用許可を見直すことだろう。

 魔力が尽きるまで放置するという手もある。だが爆走するモップがどんなトラブルを起こすかわからず、目を離すわけにはいかない。万が一旧校舎を出て本校舎まで爆走するなら、その時は攻撃魔法を使ってでも止めなくてはならない。

 だからオルジネティアは走っているのである。

 そんなとき。モップの向かう先、廊下の曲がり角から細身の男子生徒が現れた。


「よけろ! モップに轢かれるぞ!」


 とっさに警告の声を上げた。声を出してから失敗したと思った。この内容ではかえって相手が混乱してしまう。魔法の珍しくないこの王国だが、廊下を爆走するモップを想定できる者などいないだろう。

 しかしその人影は驚くことも逃げることもなかった。まるで投げ渡された花束でも受け取るみたいに。優しく、しかししっかりと魔道具のモップを受け止めた。

 暴走中の魔道具は手の中で暴れたが、男子生徒の手を逃れることはできなかった。細身な見た目と裏腹に、随分と力があるようだ。

 モップが手の中で暴れるのもわずかな間の事だった。すぐにモップの動きは鎮まった。

 オルジネティアは首を傾げた。力で止めたのは分かる。だが暴走はまだしばらくは続くはずだった。暴走していたはずの魔力が今は鎮まっている。その不可思議に眉をひそめた。

 

「これでいいでしょうか、オルジネティア様?」


 細身の男子生徒――男爵子息クオントロッド・インナストローグは、トラブルなどなかったかのような落ち着いた声でそう言った。



 

 男爵子息クオントロッド・インナストローグ。

 グレーの髪に黒の瞳。すっと鼻筋の通った美形だが、その表情にはどこか影があり、気弱な印象が強い。身長はやや高めだが、その身体は細く、どこか頼りなさを感じさせる。

 入学時、彼は学園中の注目を集めた。入学初日の魔力測定で、きわめて高い魔力を有していることがわかったのだ。その魔力量だけなら王国の魔導士のトップ集団、宮廷魔導士以上のものだった。

 そうして期待を集めた彼だったが、その後、魔法の実技演習でその期待は消え去った。クオントロッドの放つ魔法はどれも威力が低かったのだ。

 どれほど高い魔力を有する魔導士でも一度に出せる出力には限界がある。彼の場合、その限界が極端に低かった。出力はせいぜい平民の駆け出し冒険者並。初級魔法程度なら問題なく扱えるが、中級以上の魔法となると発動すらできなかった。

 

 例えるなら、大きな湖を有していながらその水をくみ出すならバケツしか使えないようなものだ。ひとつの家の生活用水をまかなう程度ならそれでもなんとかなるだろう。だが街を支えるにはあまりに足りない。そんな宝の持ち腐れともいえるアンバランスな能力だったのだ。

 加えて彼は内気だった。どこかおどおどとしたところがあり、魔力の出力の低さもその性格のためではないかと囁かれた。

 期待を集めていただけに、周囲の失望も大きかった。入学当時に騒がれたのが嘘のように、今では誰にも注目されない地味な生徒となっていた。

 

 そんなクオントロッドがこの旧校舎に訪れたのは、授業で通達された連絡事項をまとめた書状を渡すためだ。オルジネティアは魔道具の研究のため、授業のほとんどを休んでいる。通知の漏れがないよう、しばしばクオントロッドが連絡役として書状を持ってくるのだ。

 オルジネティアはこれまで彼のことを気にかけたことはなかった。魔力量は高いが出力は低い、地味な生徒。よく書状を持ってきてくれるので顔は知っている。その程度の認識だった。

 いつもは書状を受け取ると、ねぎらいの言葉をかけるだけだった。

 しかし、今日は違った。


「暴走した魔道具を止めてくれて助かった! ぜひお礼がしたい! どうか私の研究室まで来てくれたまえ!」

「い、いえお礼をしてもらうほどのことではありません。今日も書状をお渡しに来ただけで……」

「今日は侍女がいい茶菓子を用意してくれているんだ。せっかくだから紅茶でも飲みながらゆっくり話そうではないか! さあさあ行こう! さあ行こう!」


 オルジネティアは彼の腕を腕をぎゅっと掴むとグイグイ引っ張っていった。

 オルジネティアは伯爵令嬢で、クオントロッドは男爵子息。同じ学園生徒といえど上位貴族からの誘いを断れるはずもない。そうでなくても彼は気弱な性質のクオントロッドはなすがままに引きずられていった。


 


 オルジネティアの研究室は、もともとは旧校舎の中の大会議場だった。だが今、この部屋を見て会議場だと思う者はいないだろう。

 

 壁は四方とも様々な棚で詰め尽くされている。ある棚には分厚い本がぎっしりと詰まっている。別の棚には用途のわからない様々な工具や部品が整然と収められている。その並びに法則性はなく、必要に応じてどんどん物を詰めていったという感じだった。

 部屋の中にはテーブルがいくつかある。あるテーブルには本がうずたかく積み上げられている。別のテーブルでは図面が拡げられ、工具や部品らしきものがいくつも置かれている。

 議論を交わす場という雰囲気はない。乱雑な作業場とでも言った方が相応しい様相だった。

 

 そんな研究室の片隅に二人掛けのテーブルがある。テーブルもイスも高級な作りで、花瓶に花まで飾られている。作業場と呼ぶべき部屋の中、ここだけが貴族の優雅さを主張していた。

 オルジネティアがクオントロッドと共に席に着くと、いつの間にかテーブルの脇に侍女が控えていた。


「客人だ。紅茶と例の茶菓子を出してくれ」


 オルジネティアが指示を出すと、侍女は一礼して部屋を後にした。そしてすぐに紅茶とクッキーを持ってきて、テーブルに並べた。

 紅茶から立ち上る豊かな香りは、時間をかけて丁寧に淹れられなくてはありえないものだ。クオントロッドの来訪があらかじめわかっていたかのような用意のよさだった。

 

 侍女の名はサクルーティナ。出自は男爵家で、オルジネティアが幼かった頃から世話をしてきた専属の侍女である。身の回りの世話だけでなく、魔道具作成の部品の調達や商品化のための諸手続きもこなす有能な侍女だった。

 

 かぐわしい紅茶の香りに、クオントロッドも少しは肩の力が抜けたようだった。

 その頃合いを見計らい、オルジネティアは話を切り出した。


「改めて礼を言わせてもらう。暴走してしまった魔道具を受け止めてくれて、実に助かった。感謝する」


 そう言ってニコリとほほ笑んだ。

 子どものように邪気のない笑みだった。怜悧な令嬢とは思えない温かな笑みを前にして、クオントロッドは頬を赤らめた。

 

「そ、そんな大したことはしていません。ただ言われた通りに魔道具を止めただけです」

「いや、実に見事だった。あのモップの損傷も覚悟していた。だが君は無傷で止めてくれた。なかなかできることではない。いったいどんな方法で止めたんだ?」

「本当に大したことはしていないのです。モップを止めるのには身体強化の魔法を使いました。僕は魔法の出力はイマイチですが、そういうことは得意なんです」

「ほう……」


 オルジネティアは感嘆の息を吐いた。身体強化の魔法は主に戦闘に際して筋力や肉体の耐久度を上げる魔法だ。

 あのモップを受け止めた動きは、そうした強化魔法にありがちが動きの荒さと言うものが無かった。ただ強化して力づくで抑えたなら、モップは壊れていたかもしれない。あんな突然の事態に対してそこまで精密なコントロールを成し遂げるとは、なかなかの技量だ。


「だが、力で押さえつけただけではああもすぐにはモップは鎮まらなかったはずだ。他にも何かしたのではないか?」


 オルジネティアが彼を招いたのはこれが本題だった。あの魔道具は暴走していた。ただ力で抑え込んだだけなら暴走はしばらく続いたはずだ。だが魔道具の中で荒れ狂っていた魔力は、すぐに鎮まってしまった。


「はい……魔力がだいぶ乱れていたようなので、僕の魔力を流し込んで同調させ、流れを静かにしました」


 オルジネティアは思わず息を呑んだ。

 初めて触れた魔道具に対し、魔力の乱れを正確に感じ取とは恐るべき感覚の鋭さだ。その上、外部から魔力を流して鎮めるなどオルジネティアすら難しい。その繊細かつ高度な魔力操作の技量は非凡と言うほかない。


 それなのにクオントロッドはそれを誇る様子もない。それはオルジネティアにとっては許せないことだった。優れた才能は正しく示し、人類の発展に貢献すべきなのだ。

 

「君は実に面白い人物のようだ。魔道具の研究のため、どうかこの私、伯爵令嬢オルジネティア・クラフトゥールに君のことを調べさせてはもらえないだろうか」

「調べるって……一体何をなさるおつもりですか?」

「なに、そう怯えることはない。ちょっとした魔法の試験だ。君の能力を知りたいんだ」

「オルジネティア様の頼みとあれば、もちろんお聞きします。でも僕なんか調べても、きっとつまらないですよ……」

「つまらないかどうかは私が決める。君はただ、言われるままに力を示してくれればいい」


 そうして、魔法の試験を始めた。試験そのものは大したものではない。的に向かっての攻撃魔法を投射するという、学園の授業でもよく行われるものだ。

 彼は評判通り、魔法の出力は低かった。膨大な魔力量があるのに、攻撃魔法なら初級魔法が限界で、その威力は並程度だった。

 だがそれだけではクオントロッドの実力を測ることはできない。オルジネティアは様々な条件を課した。

 

 まずは10連続の魔法の発射を試した。同じ威力の魔法を連続して撃つと言うのは負担がかかるし威力も安定しないものだ。何より、精度が悪くなる。普通の学園生徒なら10発のうち3発程度が中心に当たればいい方だ。だがクオントロッドは何発試しても正確に的の中心を射抜いた。

 

「指2本分の太さの炎の矢を放ってくれ。その次は、太さはそのままで長さだけ3倍にしてみてくれ」


 細かな指示を出せば、クオントロッドはその言葉通りに正確に魔法を放った。学園の生徒の中でもこれほどの技量を持つ者はいないだろう。

 なにより驚くべきは魔力のロスの少なさだ。威力を絞るのに集中すると、その分だけ魔力を余計に消耗する。だがクオントロッドにはそれがない。まるで一流の家具職人が一ミリの狂いもなく同じサイズの部品を削りだすように、正確に魔法を放つのだ。


「素晴らしい! 君はたいした才能の持ち主だ!」

「いえ、そんなことはありませんよ……」


 笑顔で絶賛するオルジネティアに対し、クオントロッドは浮かない顔で謙遜する。


 この王国に於いて、魔法はまず威力が重視される。魔力の強さは貴族の血筋に大きく影響され、威力の高さはそのわかりやすい指標となるからだ。入学して間もない頃、周囲に失望されたことがトラウマになっているのだ。

 だがオルジネティアは彼の憂鬱そうな態度を気にした風もなく、決然と告げた。

 

「よし決めた! 君には私の助手になってもらう!」

「え!? じょ、助手ですって!? 僕がオルジネティア様の研究を手伝うなんて無理です! たった今、大した魔法が使えないのはご覧になったでしょう? 魔道具の開発なんて無理です!」

「なぜそう思う?」

「だって、魔道具を開発するには、魔力の出力が重要なのでしょう?」

「そうだな、それが200年前の魔王軍との戦争の頃からできた常識だ」


 200年前の魔王軍との戦争。当時の王国の人々は、強大な魔王軍に対抗するために、様々な魔道具を開発した。

 魔法が使えない者は魔道具で力を補い、魔法を扱える者はより魔道具を活用してより強力な魔法を行使して、強大な魔王軍に立ち向かった。


 魔王討伐後、王国は平和を取り戻した。兵器としての魔道具が必要で無くなったわけではないが、その需要は下がっていった。

 その後、魔道具は貴族の立場を支える物となっていった。社交の場でその身を輝かせる装飾具。領地の重要地点を魔物から護る魔法の障壁。謀殺から身を守る防具。様々な魔道具が開発されていった。


「魔道具は未だに200年前の戦争で培われた基礎技術に基づいて作られている。威力ばかりを追い求めていたせいで、大きな魔力があることを前提に設計されている。その開発には当然、魔力の出力の高さが要求される」


 話が続くうちにクオントロッドはうなだれていった。

 王国では魔法の出力の高さが重要視される。魔道具も例外ではない。

 だから高い魔力を持つクオントロッドは入学時に期待を集め、出力の低さを知られてからは失望されたのだ。


「実にくだらないことだな!」


 オルジネティアの快活な声に、クオントロッドは驚き顔を上げた。


「大きな魔力で効果の高い魔道具を作る……そんなことばかり200年も続けていれば、技術の進歩も滞る。私が天才などと評価されているのは、魔力運用の効率化によって魔道具の製造コストを下げたことだ。それは所詮は小手先の技で、技術革新と呼ぶには程遠い。だが、今研究している物は違う」

「いったいあなたは何を研究しているのですか? 僕に助手になれって、どういうことなんですか?」


 クオントロッドが焦れたように問いかける。オルジネティアはとびっきりの笑顔で、自分の取り組む研究を告げた。


「私が今研究しているのは、平民向けの『一般生活用魔道具』だ」

「平民向けの、魔道具ですって……?」

「魔道具は原則として貴族が使用することを前提としている。高度な技術で作られた魔道具は高価だ。それに魔道具の動力源は魔力だ。機能させるには大きな魔力を注ぐか、あるいは高価な『魔石』を定期的に交換しなくてはならない。どちらも平民が使うには難しいものだ。だがこの世に生きる人間は、大なり小なり魔力を帯びている。平民でも例外ではない。そんな平民でも無理なく使える、生活の役に立つ魔道具を作るつもりなのだ!」

「え……じゃああのモップって……?」

「その通り! さきほど暴走してしまったモップもその一つだ。他にもアイディアはいくつあるんだ。洗濯物を入れるだけで自動的に洗浄する洗い桶。包丁を置くだけで自動研磨してくれる包丁置き。中にいれれば食器を乾かす乾燥台。平民たちの日々の生活を便利にするような魔道具――それが『一般生活用魔道具』だ」


 クオントロッドの顔に困惑の表情を浮かんだ。


「わかりません。平民でも扱える魔道具を作って、技術革新なんてできるものなのですか……?」

「できるさ! 想像してみたまえ! 平民が扱える魔道具が広まればどうなるか! 王国の誰もが魔道具を当たり前に使い、魔道具についてあれこれ意見を出し合うようになる。きっと私ですら思いもよらない新しい発想がいくつも生まれることだろう。それがどれほど魔道具の可能性を拡げることだろうか。私は既存の魔道具の概念を壊し、新しい可能性を切り開きたいんだ!」


 自身に満ち溢れたオルジネティアの言葉に、クオントロッドは震えた。

 オルジネティアの目指しているのは、ただ新しい魔道具を開発するということではない。その在り方を変えようとしている。それは確かに革新と呼ぶべき劇的な変化だ。


「だから、君の力が欲しい。平民の扱える小さな魔力で動く魔道具を開発するためには、最大出力が小さくて細かな調整の効く君の魔力がうってつけだ。君はこの研究の助手になるべきなんだ!」


 オルジネティアは立ち上がると、クオントロッドに向け手を差し出した。


「この手を取れ。協力しろ。君の力が必要なんだ」

「本当に、僕なんかがお役に立てるのですか……?」

「ああ、存分に役立ててやる!」


 クオントロッドの瞳の奥に炎が見えた。

 オルジネティアはそういう目が好きだ。

 これは新しい発見をしたときの目だ。未知の可能性を見出した時の目だ。いつだって、こういう目をした者が未来を切り開くのだ。

 

「どうか協力させて下さい!」

「ああ、よろしく頼む!」


 二人はがっちりと手を握り合った。




 オルジネティアはクオントロッドという助手を迎えて研究に邁進した。

 オルジネティアはその功績から授業を免除されていたが、クオントロッドは授業に出なければならない。日中、オルジネティアは設計を練り、放課後にクオントロッドと魔道具の制作と動作実験を行った。

 クオントロッドは見立て通り……いや、見立て以上に有能な助手となった。

 魔道具の研究課程において、何度も動作実験しなくてはならない。クオントロッドはそれをこなした。出力こそ低いものの、内包する魔力そのものは高い。魔力を無駄に消費することもない。加えて長時間の単調作業に耐える忍耐力も有していた。

 

 またクオントロッドは勉強熱心だった。最初こそ授業で習う程度の知識しかなかったが、学習意欲は高く熱心に取り組んだ。オルジネティアのように斬新な発想で魔道具を設計する卓越した思考力はない。しかしその堅実な働きぶりはそれとはまた違った価値のあるものだった。

 

 また、彼は魔力感知に優れていた。魔道具の内部の魔力の動きを触れただけで詳細に把握することができ、外部からある程度はコントロールすることすらできた。暴走したモップをすぐさま鎮めたのもその能力によるものだった。

 

 クオントロッドが加わった結果、『一般生活用魔道具』の研究速度は著しく増した。オルジネティアの当初の計画では、在学中に基礎技術を固める程度で終わるはずだった。だがこのペースなら、いくつかは商品化までこぎつけそうだった。

 




「クオントロッド殿。今日はこの辺で終わりにしよう」


 旧校舎の研究室の中。作業に没頭していたクオントロッドは、オルジネティアはに声をかけられてようやく顔を上げた。


「いえ、僕はまだまだできます」

「外を見ろ、すっかり夜も更けている」


 窓の外を見れ星空が広がっている。既に月もだいぶ高く上がってきている。


「でも、まだやりたいんです」


 クオントロッドの目は燃えていた。


「僕は今まで魔力の使い道がわかりませんでした。自分は何の役にも立たないと思っていました。でもオルジネティア様が正しい使い方を示してくれました! それに報いたいのです!」

「その熱意は素晴らしい。だが、無理は良くない。君ほどの有用な人物が、無理をして体を壊すなど看過できない損失だ。今日は終わりにしろ。これは伯爵令嬢としての命令だ」

「……承知しました。それでは終わりにいたしましょう」


 研究中に爵位は持ちだしたくなかったが、クオントロッドはこうでも言わないと作業を続けてしまう。

 困ったものだと、オルジネティアは内心で苦笑した。

 

「今日もありがとうございました!」


 片付けを終えると、クオントロッドは退室した。

 オルジネティアはいつものテーブルに着きそれを見送った。


「熱心なお方ですね」


 サクルーティナが紅茶を淹れてくれた。

 それを口にしながらオルジネティアはホッと息を吐いた。


「そうだな。あれほど役に立ってくれるとは思わなかった。魔力の出力重視の学園の教育では、あの才能も埋もれたままだったかもしれない。だが、『一般生活用魔道具』が完成すれば、私の名と共に彼の有能さも伝わることだろう」

「素晴らしいことですね」

「しかしそうなると……他の魔道具工房から引き抜かれてしまうかもしれない。今から対策をしておいた方がいいかもしれないな」


 クオントロッドの能力は『一般生活用魔道具』の開発に向いていると思っていた。だがそれだけにとどまらない。確かにあの魔力の出力の低さは、通常の魔道具の開発や設計には向かない。しかし魔道具の製造過程の中にある、細かな調整においては高い適性を発揮する。

 地道な作業を苦とせず、作業中の魔力切れもほとんどない。彼の能力が知られれば、王国にいくつもある魔道具工房から引き手数多となることだろう。

 悩む主に対し、侍女サクルーティナは提案した。


「それなら婚約などはいかがでしょう?」

「なに、婚約だと?」

「はい。婚約は貴族をつなぎとめる最も強力な契約の一つです。クラフトゥール伯爵家の派閥に属する貴族と婚約を結んでいただければ、他の貴族に奪われる心配はまずなくなるでしょう。必要ならばすぐに手配いたします」

「婚約かあ……」


 オルジネティアは不満げな顔をする。

 彼女は婚約と言うものにあまりいい印象を持っていなかった。

 伯爵家の令嬢にして魔道具作りの天才といわれたオルジネティアは、当然多くの縁談が来ている。だがその全てを突っぱねていた。

 大半の者が彼女の功績を利用しようしていた。そんな相手と結婚したら、上位貴族として指示を出す立場となることを強いられ、魔道具開発の現場に出すことは許されないだろう。オルジネティアは自分の手で魔道具を作りたいのだ。

 

 彼女が現場で研究することを推奨する縁談相手もいる。だがその手の者は、兵器開発を望ぶ軍関係者だ。最近、魔王軍に動きがあるとのうわさがあり、軍備を整えようとする者は少なくないのだ。

 そうした相手と結婚すれば魔道具の研究を続けられる。だが『一般生活用魔道具』の開発を続けることは難しくなるだろう。

 

 オルジネティアは貴族令嬢だ。いつまでもわがままは言っていられない。いずれは結婚しなければならないだろう。そのことを思うと憂鬱だった。

 それに、クオントロッドが誰かと婚約すると言うのがなんだか面白くない。

 

「待てよ。婚約というのなら、私とクオントロッド殿が婚約すればいいじゃないか。私が伯爵、彼は男爵子息で爵位が下だ。婿入りさせればこちらに文句は言えないだろう。魔道具の研究をいくらでもやれる。文句を言われるどころか、彼なら手伝ってくれるだろう。おお、面倒なことが一気に片付くではないか!」

「お待ちくださいお嬢様! クオントロッド様自身の能力とお人柄には問題ありませんが、彼の家、インナストローグ男爵家には少々問題があるのです」


 盛り上がるオルジネティアを押しとどめると、サクルーティナは研究室の一角から分厚いファイルを持ってきた。


「見覚えのない資料があると思っていたが、お前の物だったのか」

「はい。学園で婚約相手になりうる貴族子息の情報はきちんとつかんでおくように、伯爵様から言いつけられていますもので……」


 そのファイルには様々な貴族の家に関する情報が綴られていた。

 めくるうち、インナストローグ男爵家の近況を記したページに行きついた。

 男爵としては広めの領地を持っている。だがここ数年は雨量が減って農作物の収穫が減っている。領民は貧困にあえぎ、男爵家はだいぶ傾いてきているようだった。

 

「残念ですが、インナストローグ男爵家との婚約はお勧めできません。この資料に記された通り、没落の危機に瀕しています。彼の男爵家との婚姻は、伯爵家に大きな負担を強いることになるでしょう」

「ふうむ……」


 唸りながら、オルジネティアは資料を眺める。落ち目の貴族を救うのは、何らかの利益を得るためだ。例えば高貴な血筋を引いていれば、落ちぶれた家とも婚姻を結ぶ理由になる。

 だがインナストローグ男爵家はそういう要素は見当たらない。まさか「結婚後も研究してもらうから」などという、オルジネティアの都合だけで貴族同士の結婚が許されるはずもない。

 だが資料を眺めるうちに、オルジネティアには閃くものがあった。


「凶作の原因は雨量の低下か……いや待て。これは逆にアリだ。実に都合がいい。クオントロッド殿は能力ばかりでなく領地まで私にとって都合がよいのだな。これは天の配剤としか思えない!」




 今は『一般生活用魔道具』の開発に情熱を注ぐオルジネティアだったが、それだけを専門にしてきたわけではない。彼女が天才と謳われるようになったのは従来型の高い魔力を前提とした魔道具をいくつも開発したからだ。

 そんな彼女の魔道具開発の中で、未完成のまま放置されたものがいくつかある。

 

 その一つに『精霊誘導式・気候操作魔道具』というものがあった。

 

 一言で言えば、気候を操作できる魔道具だ。地脈の力を動力源として、大気中の精霊を誘導することで、一定範囲内の地域の気候を少しずつ変えていくというものだ。

 その変化は緩やかで即効性はない。だが一年あたり5パーセント前後の雨量を調整できるという極めて効果の大きいものだ。理論上は草木のろくに生えていない荒地を、5年程度ほどかけて農作可能な土地に変えることが可能だ。

 サイズは家一軒ほど。魔道具と言うより魔導施設とでも呼ぶべき代物だ。対象の地域の広さによってはこれを複数設置する。


 設計は完成した。小規模な実験を行い、実現性も証明された。しかし、実用には至っていない。実際に使用するとなると様々な検証が必要になる。雨量の変化による自然環境への影響や、地脈の変動による出力の変化など、長期的に経過を観察しなければならなかった。

 当時のオルジネティアは種々様々な魔道具の開発を同時進行させており、ひとつの魔道具に時間を取られるわけにはいかなかったため、実験の成功後にこの魔道具の開発は凍結となった。

 

 オルジネティアはこの魔道具を復活させた。雨量の減少にあえぐインナストローグ男爵領を試験の場として選んだのだ。

 試験の場とする以上、途中で男爵家が潰れては困る。10年はクラフトゥール伯爵家から融資して支援することとした。

 魔道具の制作と設置については人を手配した。そちらに時間を取られては『一般生活用魔道具』の研究ができなくなる。魔道具作りの天才として有名なオルジネティアの名を出せば、人を集めるのはそれほど難しいことではなかった。

 

 オルジネティアの父は娘の行動を止めなかった。魔道具の研究にかけては止めようとしても止まるオルジネティアではない。そして今までそうやっていくつもの功績を打ち立ててきたからだ。

 インナストローグ男爵はこの提案に飛びついた。彼には選択の余地が無かったのである。

 有能な侍女・サクルーティナのサポートもあり、様々な諸手続きは迅速に処理された。開始してわずか2ヶ月で、この計画は開始された。

 

 

 

「ふふん。有能な貴族子息を手に入れるのに、婚約だけとは限らない。インナストローグ男爵家の存続は『精霊誘導式・気候操作魔道具』の成否にかかっている。まさか他の貴族からの引き抜きに、クオントロッド殿が応じることはありないだろう」

「クオントロッド様が有能なのは理解していますが、これはいささか大げさではないでしょうか」

「うむ。少々張り切り過ぎた。まさか王家からの支援も受けられるとは思わなかったな。クオントロッド殿を確保するのが目的だったが、なんだかこっちの方がメインみたいになってしまった……」


 状況も落ち着き、ようやく旧校舎の研究室に戻ってこられた。久しぶりの研究室でオルジネティアとサクルーティナはこれまでのことについて話し合っていた。

 サクルーティナの指摘通り、当初の想定より大事になってしまった。

 

 『精霊誘導式・気候操作魔道具』については王家も注目していたらしく、こちらが動き出したら向こうから声をかけてきた。インナストローグ男爵家には、王家からも援助金が出ることになった。王家はこの実験に初期から関わる腹積もりのようだった。

 

 この実験が成功すれば、これまで農作に向かなかった土地を農地にできる。それによって得られる利益は計り知れない。王家が興味を持つのも当然だ。

 これはインナストローグ男爵家にとってはいいことだ。10年程度は存続が保証されたことになる。

 もし『精霊誘導式・気候操作魔道具』が想定通り機能しなければ、男爵家は今度こそ没落することになるかもしれない。だが10年もの猶予ができたのだ。そこは自力で立ち直ってもらうしかない。もっとも、オルジネティアは失敗するつもりはなかった。

 

 

 

 そうしたことを相談していると、ドアのノックが響いた。

 いつの間にか放課後になっていた。クオントロッドがやってきたらしい。

 入室を促すと、やはりクオントロッドだった。彼はオルジネティアの姿を認めると、真っ直ぐに歩み寄って来る。その様子からすると、彼は男爵家が支援を受けることを既に知っていると思われた。

 感謝の言葉でも述べるつもりだろうか。オルジネティアは席を立ち、余裕をもってその歩みを迎える。魔道具作りの天才と謳われた彼女は、賞賛の言葉を受けること慣れている。彼がどんな感謝の言葉を並べ立てるか、お手並み拝見しようという心持ちだった。

 だがその余裕は霧散した。いきなり両手を取られた。大きな手にぎゅっと握られた。細身で弱気な印象の強いクオントロッドだったが、その手の力強さはやはり男性であることを実感させられた。そのことを意識すると鼓動が早まった。

 

「オルジネティア様。あなたのおかげで父も領民も救われました。本当にありがとうございます……!」


 技術や功績への賛辞は慣れていた。だがそれは、社交の場での礼儀に基づいた、形式ばった言葉だった。

 こんなにも間近でまっすぐで、熱のこもった感謝の言葉を受けるのは初めてだった。

 胸が温かくなった。動悸が早くなった。彼の笑顔が間近にある。自分に向けられている。そのことにひどく落ち着かないものを覚えた。

 

「く、クオントロッド殿! 嬉しいのは分かるが、令嬢の手を断りもなく握るのは不作法ではないだろうか!」


 顔を背けながらそう言うと、クオントロッドはぱっと手を離して頭を下げた。

 

「す、すみませんでした! 嬉しくってつい……」

「ふん、まあいい。だが勘違いしないでほしい。君の家の領地がたまたま実験に適していたのだ。私は自分の実験のために君の家の領地を利用しようというだけのことだ。そこまで感謝してもらうことでもない!」


 オルジネティアはそう嘯いた。まさか助手を確保するためにこんな大仕掛けをしたとは言えない。

 クオントロッドはその言葉に素直にうなずいだ。「大丈夫、僕は分かってます」とでも言いたげな顔をしていた。

 なんだかイラっとした。

 

「さあ研究を続けるぞ! クオントロッド殿、さっさと準備に取り掛かりたまえ!」

「わ、わかりました!」


 鋭く指示を出すと、クオントロッドは慌てて研究室から出ていった。別室から器具や材料を持ってくるためだ。

 オルジネティアは深々とため息を吐いた。

 手にはまだ握られた感触と熱さが残っていた。動悸はなかなか治まってくれなかった。




「今日はどうするかな……」


 学園に戻って一週間も過ぎたころ。その放課後。

 研究室で侍女サクルーティナの出してくれた紅茶を口にしながらそうつぶやいた。

 いつもならクオントロッドが来る時間だが、今日は用事があるとかで来ないことになっている。

 魔道具の設計の見直し、実験結果の精査、明日以降の実験計画の検討などなど……彼がいなくてもできることはいくらでもある。だがオルジネティアはどうにも気が進まなかった。

 

「私も今日は休むことにするかな……」


 クオントロッドのおかげで研究は予定よりずっと早く進んでいる。焦る必要はない。休息も大事だ。


「それでしたらお嬢様、相談したいことがあります」

「なんだ、改まって?」

「クオントロッド様との婚約はどうされますか?」

「ぶふっ!?」


 級に予想外のことを言われて、オルジネティアはむせた。

 

「お嬢様、大丈夫ですか?」

「お、お前がいきなり妙な話をするからだろう!?」

「クオントロッド様と婚約すると言い出したのはお嬢様ではありませんか」

「あ、あれは……クオントロッド殿を助手として確保するためだ。でもそれは既に伯爵家から支援をしたことで解決済みだ。婚約までして縛り付ける必要はないだろう」

「でもそれではお父上は納得されません」

「なぜそこでお父様のことが出てくるのだ?」


 キョトンとするオルジネティアに対し、サクルーティナは軽くため息を吐いてから説明を始めた。


「クオントロッド様に研究を手伝っていただいている件は既に報告済みです。そして、実験にかこつけてインナストローグ男爵家へ支援したとなれば、これはもう婚約の下準備にしか見えません。縁談をよせつけない娘がようやく婚約のために動いてくれたと、お父上はお喜びです。既に式場の選定まで始めています」

「くっ、お父様め、なんて勘違いを……!」


 憤慨するオルジネティアに対して、サクルーティナは落ち着いた声音で語りかける。


「よろしいではないですか。今回のことで男爵家の没落はひとまず回避されました。クオントロッド殿は実によく働いてくれています。あの方を婿として迎え入れれば、お嬢様は今まで以上に研究に邁進できるでしょう。婚約相手としては理想的ではないでしょうか」


 サクルーティナの言葉に誤りはない。クオントロッドは確かに有能な助手だ。爵位も下の相手で、婿として迎え入れればこれまで通り助手として働いてくれるだろう。だから彼と婚約することを考えた。

 何の問題もないはずなのに、なぜか受け入れがたいものがある。

 

「お嬢様?」

「今日は気分が乗らない。学園寮に帰って休む。あと片付けは任せる」


 一方的にそう告げると、オルジネティアはそそくさと研究室をあとにした。

 

 

 

 歩きながらオルジネティアは考える。自分にとって一番大事なのは魔道具の研究だ。クオントロッドとの婚約はそのために役立つことだ。婚約すれば父から婚約しろと催促されることはなくなるし、釣り書きに目を通すのに時間を取られることもなくなる。

 自分にとって悪いことはなにもない。それなのに抵抗があるということは、原因は他にあるに違いない。オルジネティアは更に思考を巡らせた。

 

 そこで気づく。自分の都合を考えるばかりで、クオントロッドの意向を確認していない。今は熱心に手伝ってくれているが、将来も魔道具の研究に従事したいと考えているとは限らない。無理矢理従わせるのでは、彼も能力を十分に発揮できなくなることだろう。

 

 今後のことを少し相談してみるべきかもしれない。それで彼が魔道具の研究に身を捧げたいと言うのなら、婚約するのも悪くないだろう。

 オルジネティアはそう結論付けた。胸の中でもやもやしていたことに区切りがついてなんだかすっきりした気分になった。

 考えながら歩くうちに、気づけば校門近くまで来ていた。

 そして、校門の脇でたたずむクオントロッドの姿が目に入った。


「!」

 

 オルジネティアは思わず、校門脇に立ち並ぶ並木の陰に隠れてしまった。別に身を隠す理由などないはずなのに、なぜかそうしてしまった。

 木の陰から彼の様子をうかがう。クオントロッドは学生服ではなく、目立たない平民の服を纏っていた。どうやらこれから街へ繰り出すらしい。学園の生徒が平民に扮して街に行くのは珍しくない。

 どうやら誰かとの待ち合わせのようだった。このまま隠れているのもなんだか具合が悪い。挨拶くらいするのが自然だろうか。それとも用事があると言っていたのだから、声をかけない方がいいのだろうか。そんなことを思い悩むうちに、オルジネティアの脇を誰かが通り過ぎていった。

 赤毛のかわいらしい令嬢だ。クオントロッドの下に行くと、親し気な様子で彼に話しかけた。そして二人は連れ立って街へと向かった。


 オルジネティアは二人がどこに行くのかどうにも気になった。不作法なことだと思いつつも、二人の後をつけていった。

 念のため、気配消しの魔道具を使った。うっとおしい人目を避けるために常備していたものだが、尾行のために使うことになるとは思わなかった。

 

 研究室でのクオントロッドはいつも熱心で真剣な顔をしていた。赤毛の令嬢と話す彼の顔は、リラックスして楽し気で、それは研究室で見られないものだった。そのことに妙に落ち着かない気持ちになった。

 街へ着くと二人はアクセサリーショップに入っていった。

 恋愛には疎いオルジネティアだったが、さすがにどういことなのかわかった。これはデートというやつなのだろう。

 それ以上の確認は必要ない。オルジネティアはそう判断し、その場を立ち去った。

 

 クオントロッドに付き合っている令嬢がいた。今日はデートのために研究を休んだ。何一つ特別なことのない当たり前のことだ。それなのにどうにも気分が重くなる。それがなぜなのかわからない。

 考えをめぐらすうちに恐るべきことに気づいた。オルジネティアはクオントロッドを助手として引き込んだ。留めるために彼の男爵家に支援する手はずを整えた。父はそのことを婚約の準備と考えた。

 だがそれは、父に限ったことだろうか。他の者も同じように考えるのではないだろうか。それはクオントロッドの恋路を邪魔してしまうことになるのではないだろうか。

 

「これでは恋愛小説に出てくる悪役ではないか……」


 恋とは縁遠い研究生活を送ってきたオルジネティアだったが、少しは恋愛小説と言うものを読んでいたことがあった。化粧に関する魔道具を作るときに、流行を知るための勉強として人気のある恋愛小説を何冊か読んだのだ。

 恋愛小説なら、家の立場と資産を使って男を縛り付けようとする自分は、悪役だ。愛の力で打ち倒されるべき障害物だ。

 まさか自分がそんな立場に陥るとは思わなかった。そのことがこんなにも気持ちを暗くさせるのだと思った。

 

 

 

 翌日の放課後。クオントロッドは研究室にやって来た。いつもやる気に満ちている彼だが、今日はいつも以上に機嫌がよさそうに見えた。やはり想い人との逢瀬は楽しかったのだろう。

 サクルーティナには用事を言いつけて席を外させている。二人きりで話したかった。

 深く息を吸い、覚悟を決める。そしてオルジネティアは話を切り出した。


「クオントロッド殿。研究に取り掛かる前に相談したいことがある」

「はい、なんでしょう?」

「良く働いてくれるからと少々君に頼り過ぎた。今後は毎日来なくていい。週2日程度来てもらえれば十分だ」


 オルジネティアが考えたのは、まずは接触の機会を減らすことだった。彼が有能だからと言っていろいろと頼り過ぎた。毎日来てしまっていては想い人と過ごす時間も取れないだろう。

 かと言っていきなり関係を断つのも不自然だ。そういのは周囲に余計な憶測を招いて自体がこじれることも有り得る。

 だから徐々に関係を薄くしていくつもりだった。

 

「いえ、僕は全然大丈夫です! どんどん使ってください!」


 クオントロッドはこちらの意図を汲まずにそう返してきた。まったく悪意が感じられないところに逆にイラっとする。


「研究ばかりでは息がつまるだろう? 君だってもっと放課後は遊びたいはずだ」

「自分の魔力の正しい使い方がわかって嬉しいんです。魔道具の研究より楽しいことなんて、ほかにありません!」

「むむ、殊勝な心掛けだ……だが、君は学生だ。交友関係を疎かにしてはいけない。学園での交友関係は、将来の貴族社会でも意外と役に立つものだぞ?」

「我が男爵家は困窮していました。その上に魔力の出力の低い僕のことを相手してくれる人なんてほとんどいませんでした……」


 クオントロッドは暗く沈んだ声を出した。


「す、すまない。配慮が足りなかった」

「気にしないでください。オルジネティア様はそんな僕に目をかけてくださいました。男爵家に支援までしていださいました。もっとお役に立ちたいんです。オルジネティア様から『ちゃんと授業に出るべきだ』と言われていなかったら、ずっと研究にお付き合いしていたいぐらいです。どうかお気になさらず、僕のことを使ってください」


 遠ざけようとすればするほどクオントロッドはぐいぐい迫って来る。オルジネティアはもう耐えられなくなった。

 

「だがそれでは、君の恋愛を邪魔することになる!」

「え!? れ、恋愛ってなんのことですか?」

「とぼけるんじゃない! 私は見たんだ! 昨日、君が赤毛の令嬢と仲睦まじく街へ繰り出すのを見てしまったんだ! 本当は想い人ともっとイチャイチャしたいんだろう! わかってるんだ!」


 言ってしまった。昨日の事には触れないようにうまくやろうとしていたのに、失敗してしまった。


「……見ていたんですか」

「ああ、偶然見てしまった……」

「想い人なんてとんでもない。僕にはお付き合いしている女性はいません」

「なんだと? 昨日の令嬢はなんだ? 遊びの関係だとでも言うつもりか?」

「彼女は僕の従妹です」

「い、従妹!?」

「ええ。オルジネティア様へのプレゼントを選ぶのに、相談に乗ってもらっていただけなんです」


 そう言ってクオントロッドはリボンのつけられた小箱を取り出した。

 

「うわあああああ!」


 オルジネティアは叫びながら両手で顔を覆った。恋愛小説における悪役ではなかった。彼女の行いは「想い人を愛するあまり女性関係を疑ってしまうヒロイン」そのものだった。

 かつてこれほどの恥ずかしさを味わったことはなかった。穴があったら入りたい気分だった。掘削用の魔道具を開発したことはあったが、この学園にはない。こんなことなら用意しておけばよかった。穴を掘りたい。そしてその中に入ってじっとしていたい。


「すまない、私はなんてバカな勘違いをしてしまったんだ! ちょっと調べればすぐわかるはずの事だったのに……!」

「間違いは誰にでもあります。気になさらないでください」


 例えば侍女のサクルーティナに命じて調べさせればこんな恥は書かずに済んだだろう。彼女なら調べるまでもなく、赤毛の令嬢がクオントロッドの従妹だとすぐにわかったことだろう。

 なぜかクオントロッドのことになるとどうにも調子が狂う。

 それからしばらくの間、オルジネティアは恥ずかしさに震えていたが、クオントロッドに宥められてどうにか立ち直った。


 落ち着いたところで改めてクオントロッドからプレゼントを受け取った。

 箱を開くと、花を形どったかわいらしい髪留めが入っていた。

 

「この髪飾りは……髪に潤いをもたらす魔道具だな」

「さすが、よくご存じですね。今、女性の間で人気だと聞きました」

「知っていて当然だ。私が開発した魔道具の中でも高い評価を受けているものだ」

「え!? オルジネティア様の開発したものだったんですか!?」

「髪の手入れに時間をとられるのが面倒に思えて開発したものだ。できたはいいが、サクルーティナから『髪の手入れで手を抜こうなんて、乙女として許されることではありません!』と叱られて、結局あまり使ったことはなかったがな……」


 クオントロッドは肩を落とした。


「それじゃあプレゼントされてもあまり嬉しくないですね……」

「そんなことはない。私が作ったのはあくまで機能部分だけだ。それも随分前に売り払った。このデザインは初めて見る。なかなかいいセンスをしてるじゃないか」


 オルジネティアはそう言いながら、髪留めをつけてみた。


「どうだ? 似合う……だろうか?」


 問いかけるがクオントロッドは答えない。ただぼおっとオルジネティアのことを見ていた。

 

「なぜ黙っているんだ。そんなに似合わないか?」

「そ、そんなことありません! あまりに素敵だったので、つい言葉を失っただけです!」

「な、なんだと……!? ふふん、君も世辞がうまいじゃないか。たかが髪留めひとつ付けただけで、そんなに変わるものか」

「そうですね。オルジネティア様はいつだってかわいらしくて素敵です……」


 魔道具でいくつもの功績を打ち立ててきたオルジネティアは、まず功績を褒められ、社交辞令として外見を褒められることが多かった。自分の外見は貴族令嬢としては並程度だと思っていた。

 だから、こんなに素直に外見を褒められるのは初めてだった。


 気恥ずかしくなり俯いてしまう。クオントロッドも顔を真っ赤にしていた。

 なんとも言えない甘酸っぱい空気だった。

 

 その空気のせいか、婚約のことが頭を占めた。

 サクルーティナは最初、クオントロッドの男爵家が困窮しているから婚約相手に相応しくないと言った。

 だがそれは支援することで解決した。『精霊誘導式・気候操作魔道具』が上手く機能すればきっと男爵家は持ち直すことだろう。オルジネティアの父も婚約に乗り気だ。

 そしてなにより。クオントロッドには今、付き合っている女性もいないようだ。

 

 何の障害もない。ならば、今なら大丈夫なのではないだろうか。この空気の中なら、言ってしまってもいいのではないだろうか。

 オルジネティアは口を開こうとしたとき。

 

 突然異様な魔力を感じた。

 

 いつの間にか。部屋の入口の所に、それはいた。

 頭からすっぽりフードを被った小男のように見えた。

 その外見だけなら、下町の路地裏で暮らす貧民のようだ。だがそのフードの奥からは、禍々しい赤い光が漏れている。人の瞳の輝きとは思えない不吉な輝きだだ。なによりその身に纏う凶悪かつ強大なその魔力では、人間では持ちえないものだ。


 オルジネティアは確信した。こいつは魔族だ。それも中級以上の強力な魔族だ。

 ここは貴族の通う学園だ。生徒の安全のため、二重三重の強固な結界が張り巡らされている。高位の魔族であろうと容易く侵入はできない。結界を突破できたとしても、その存在はすぐに周囲に知られることになる。

 それなのに、騒ぎ一つ起こさず、前触れひとつ見せずに。この研究室にそいつはいた。


「……勇者の因子を見つけた。排除する」


 その魔族は聞くだけで気分が沈むような、薄暗い闇のような声でつぶやいた。

 そしてどこからか剣を取り出した。血に濡れたように紅い片刃の剣だった。あれに斬られたら、きっと血を流すだけでは済まない……そう確信させる不吉な色の剣だった。

 あの剣を振るわせてはいけない。オルジネティアはすぐさま動いた。


「消火設備、緊急発動! 氷結モードで最大出力!」


 オルジネティアは研究室に設置していた消火用の魔道具を発動させた。実験の失敗時、火災となった時のための消火用魔道具だ。天井に複数設置してある。通常動作では水を散布するのみだが、水では容易に消せない火災に対応するために氷結の魔法を放つこともできる。

 魔力によって魔道具を操作し、本来は部屋全体に放たれるはずの氷の弾を魔族に集中させる。

 あくまで消火用だ。攻撃魔法としては威力は低い。おそらく効かないだろう。だが目くらましにはなるはずだ。

 

 オルジネティアはかつてはいくつもの魔道具の兵器を作ってきたが、学園内にそんなものを持ち込むことはできない。しかし彼女には、開発の過程で編み出した独自の魔法があった。

 呪文を詠唱し作り上げたのは水銀でできた槍だった。

 

侵食銀槍(シルバー・イーター)


 魔力によって低温で固められ、先端を極限まで研ぎ澄ました水銀の槍を高速で打ち出す。

 貫通に特化したその槍は、城の壁すら貫く威力を持つ。そして皮膚内に入ってしまえば、水銀は液化して肉体を破壊しながら広がる。それに耐えたとしても、水銀自体の毒性が対象を死に至らしめる。

 かつて魔道具の兵器を研究する過程で編み出した、残酷な致死性の魔法だ。実験以外で使ったことはない。この突如現れた魔族に対して、手加減などできないとオルジネティアは直感し、あえてこの魔法を選んだのだ。

 

 無数の氷の弾に撃たれ視界を阻まれた中、高速に迫る水銀の槍を阻む手段は無いかと思われた。

 だが、槍は魔族の身体に届かなかった。あの血に濡れたような剣が、槍を切り裂き霧散させたのである。

 

「そんなっ……!」


 並の剣なら砕く貫通力のはずだっただ。並の剣士なら反応すらできない速度のはずだった。しかしこの魔族は容易く迎撃してみせた。その剣の鋭さも技量の高さも恐るべき水準だ。

 

 魔族は続けて剣を振るった。その刀身を濡らす血が、刃となってオルジネティアのもとに迫る。

 防御魔法は間に合わない。血の刃は幅広く、しかも斜めに迫って来る。身を低くしても左右に身をかわしてもよけきれそうもない。

 間近に迫った死の恐怖に身が震える。その時、彼女の前に立つ者があった。


「クオントロッド殿!?」


 あれほどの魔族が放った血の刃だ。たとえ彼が身を挺して防ごうとしても、二人まとめて斬られてしまうに違いない。それでも、彼の方が先に死ぬ。オルジネティアは絶望に顔を青くした。

 だが、予想した結果にはならなかった。

 だがクオントロッドが腕を振った。ただそれだけで、血の刃は霧散した。

 

「!?」


 あれほどの魔族が放った攻撃だ。並の威力ではなかったはずだ。強大な魔力を持っていても、低い出力でしか魔法を出せないクオントロッドがどうやって防いだのか。

 再び魔族が血の刃を放つ。しかしクオントロッドは、先ほど同様にただ手を振っただけで、血の刃を消し飛ばしてしまった。まるで虫でも払っているかのように簡単に、あの魔族の攻撃を無効化している。

 クオントロッドの手に異様に魔力が集中している。それで血の刃を消しているのだろう。それがどういうことなのか理解した時、オルジネティアは歯噛みした。

 

「私としたことが、こんな簡単なことを見落としていたなんて……!」


 クオントロッドは宮廷魔導士に匹敵するほどの強大な魔力を持っていながら、その出力は低い。しかし魔力を感知する能力は高く、極めて精密に魔力を操作することができる。

 『一般生活用魔道具』の研究にとても向いた能力だった。あまりの適性に注目するあまり、簡単なことを見落としていた。

 暴走する魔道具のモップを止めた時、彼は身体強化魔法を使っていた。実に見事な制御だった。

 魔力の出力が低い。だがそれが、「魔力を外に出すことが苦手」なだけだったとしたらどうか。体内にある魔力を運用する分には、その制限が無いのではないか。

 強大な魔力を、まったくのロスなく精密に、身体の強化に使えるとしたら。それはいかなる刃すら通さぬ防御力と、ジャイアントすら凌ぐ剛力をもたらす。

 

 魔族はいくつもの血の刃を放ったが、ひとつも通用しなかった。

 初めて魔族が慄くのが見えた。傍から見ているオルジネティアからしても驚きの光景だ。対する魔族としては、その衝撃はより大きなものだろう。

 戦闘の最中、生まれた間。クオントロッドは叫んだ。

 

「よくもこの人を傷つけようとしたな!」


 彼は今まで見せたことのないな険しい顔をしていた。


「いくつもの魔道具を生み出してきた凄い人だ! 僕に生き方を示してくれた素晴らしい人だ! お前はその人を傷つけようとした! 絶対に! 絶対に許さない!」


 クオントロッドは一歩踏み出した。その機先を制するように魔族は再び血の刃を放つ。クオントロッドは先ほどまでと同様に手を振るって消し飛ばした。

 だがそれは目くらましだった。魔族は一瞬で間合いを詰め、赤く塗れる幅広の刃を振るった。

 卓越から技巧から放たれる致死の一撃。あの剣はオルジネティアの魔法すらたやすく斬り裂く魔力を秘めている。

 

「避けてっ!」


 オルジネティアは思わず叫んだ。だがしかし、彼女の心配は杞憂に終わった。

 クオントロッドはその剣を無造作につかむと、まるでパンでもちぎるみたいに、あっさりと折ってしまったのだ。


「消えろ」


 クオントロッドは拳を撃ち込んだ。恐るべき魔力がこもった一撃だった。

 魔族は折れた剣で防ごうとした。全くの無意味だった。放たれた拳は剣を消滅させ、そのまま魔族の上半身を消し飛ばした。後に残った下半身も、霞となって消えた。

 

 

 

 魔族を倒した後、戻ってきた侍女のサクルーティナに命じて学園を守護している騎士団に来てもらった。そして状況について説明した。

 事情聴取を終えた後、二人は王都内の騎士団の中央駐屯所に招かれた。そこで騎士団長に直接報告することになった。

 

 現在の王国の騎士団長は代々王国の軍を預かる侯爵家の人間だ。

 いかに二人が貴族とは言え、騎士団長が直々に報告を求めるとはただごとではない。

 入室前には、騎士団長の部屋で交わした会話を口外しないよう誓約書に署名させられた。正式な魔法の誓約書だ。違えれば致死の呪いがかかる厳重なものだった。


 そうして招かれた騎士団長の部屋で、オルジネティアとクオントロッドは二人して報告した。

 突如現れた魔族の事、そしてクオントロッドが撃退したことを嘘偽りなく語った。その報告の終わりにオルジネティアは意を決して問いかけた。

 

「あの魔族はいったい何だったのですか?」

 

 騎士団長の前ということで、オルジネティアは令嬢らしい言葉遣いで問いかけた。

 騎士団の対応は実に落ち着いたものだった。この報告するまでの流れは実にスムーズなものだった。王国内に突如強力な魔物が現れたという異常事態を前に、ほとんど混乱が無かった。

 騎士団長はあの魔物について知っていると、オルジネティアは確信していた。

 騎士団長は重苦しく口を開いた。

 

「あなたたちの前に現れたのは魔王軍から放たれた刺客だ。同じような事件は過去に数件報告されている」


 そうして騎士団長が語り始めたのは、魔王軍のおそるべき戦略だった。

 200年前、この王国に魔王率いる魔王軍が襲い掛かってきた。王国軍が必死に侵略を押しとどめ、王国より突如現れた勇者が魔王を討ち取った。

 魔王は死に際に呪いの言葉を残した。

 

「我は必ず甦る! その時を覚えていろ、人間どもめ! 次は勇者が力をつける前に、その芽を摘んでくれようぞ!」


 その言葉と共に魔王は特殊な呪いを残した。

 「勇者は魔物に立ち向かう」。その因果を呪いによって歪曲して「勇者は魔物に立ち向かう。したがって、魔物が勇者の前にいるのは当然である」ということにした。この概念を利用し、魔王軍は勇者となりうる者に対し、転送魔法で刺客を送り込むことができるようになったのだ。

 

 勇者が魔物に立ち向かうことを誰もが望んでいる。国民が勇者の伝説を愛すれば愛するほど「勇者は魔物に立ち向かう」という概念は強くなる。それを利用した歪曲の呪いは強くなる。

 その呪いは王国に根付いたもので、どんな結界でも阻むことはできなかった。

 厳重な結界の張られた学園内に突如として魔族が現れたのはそういうことだったのだ。

 

「魔王軍が魔物を送り込むことができるなんて、大変なことではないですか! どうして秘密にしているのですか!?」

「魔物を送り込む先は『勇者になりうる者』という限定的なものだ。また、君たちの件も含め、魔王軍の刺客は全て撃退されている。そして現時点で同じ人間に刺客が再度送り込まれたことはない。このことを国民に知らせれば国内に混乱を招くことになるだろう。魔王軍の狙いはそうやって国力を削ぐことかもしれない。だから口外しないよう契約書に署名してもらったのだ」


 オルジネティアはそれ以上の追求はやめることにした。強固な結界で身を固めても、呪いによって送り込まれる魔王軍の刺客を防ぐことはできない――その事実に耐えられる者は少ないだろう。騎士団長の言う通り、下手に知らせれば多くの国民が恐慌に陥ることだろう。

 

「この件は内密にしなくてはならないため、君たちを表立って護衛することはできない。だが、王国は君たちを見捨てたりはしない。何かおかしなことがあれば騎士団に報告してくれ。我々は必ず力になる」

「ひとつ、お聞きしてもいいでしょうか?」

「答えられることなら答えよう」

「魔王軍が刺客を送ってきているということは……魔王が復活しつつあるということなのですか?」

「正確な予測は立っていない。魔法省の分析によれば30年後の可能性が高いとのことだ」


 その質問で騎士団長への報告は終わりとなった。

 



 騎士団長への報告後、オルジネティアはまずこれからの対策を自分の中でまとめた。

 まず旧校舎の研究室に防衛用の魔道具を設置することだ。魔王軍の刺客が再度送られてきたことはないというが、それで安心できるはずもない。騎士団に口添えしてもらえば学園側も許可してくれることだろう。

 

 次に考えたのは魔王軍の刺客が送り込まれた理由だ。まず間違いなく、クオントロッドを狙ってのことだ。彼は弱気なところはあるものの、あの身体強化魔法がある。物理的な攻撃力だけなら伝説の勇者にも匹敵するだろう。魔王軍が勇者の因子とみなしたのも納得がいく。

 だが、なぜあの時、あの場所だったのだろうか。クオントロッドを狙うだけならわざわざオルジネティアと二人きりを狙う必要などない。

 

 オルジネティアの明晰な頭脳は、その理由を考え出していた。

 30年後に復活すると予想される魔王。勇者となりうる能力を持ったクオントロッド。そして婚約を告げようとしたこと。

 そこから導き出される答えは、「オルジネティアとクオントロッドの間に生まれた子供が勇者になる」ということだ。クオントロッドの資質を受け継いだ子供は勇者になりうる。オルジネティアはその能力を更に強化する魔道具を開発するだろう。30年後ならちょうどその子は成熟し、先代の勇者にも引けを取らない比類ない強さを備えていることだろう。

 だから魔王軍は、オルジネティアが婚約を心の中で決めた時点で、魔王軍は勇者となりうる因子を察知して刺客を送り込んできたに違いない。

 

「魔王から王国を守るためと言うのなら仕方ない。今度こそ、婚約を申し込もう」


 オルジネティアは決意を固めた。

 

 

 

 魔族の刺客の襲撃から一か月が過ぎた。実家への報告や諸々の手続きに研究室の修繕も終わり、ようやく研究を再開できるようになった。

 

 放課後になってやってきたクオントロッドを迎えて、二人していつものテーブルに着く。

 サクルーティナに紅茶を淹れてもらった後は、今回も席を外してもらった。二人きりで話すべきことだと思ったのだ。

 だが、オルジネティアは話を切り出せなかった。いつもは元気にやって来るクオントロッドが、どこか暗い陰を纏っているのだ。

 

「そういえば、クオントロッド殿の身体強化魔法は実に見事だった。入学時にあれを見せていれば、周囲に失望されなかったのではないだろうか」


 気まずい空気の中、口をついて出たのはもう一つの疑問だった。

 クオントロッドは優れた能力を持っていながら、オルジネティアが研究に誘うまで誰もその才能に気づかなかった。あの日、魔道具が暴走していなかったら、オルジネティアも見過ごしていたかもしれない。そうしたら彼の才能は埋もれていたことになる。

 その問いかけに、クオントロッドは暗い陰を濃くした。


「そんなことはできません。あれは僕にとって忌まわしい力だったのです」

「忌まわしいだと?」

「子供の頃、男爵邸に魔物の襲撃があったんです。その襲撃に備えて兵も揃えていました。魔物も大半は低級なものでした。でも、その数は予想以上に多かった。その時、僕はみんなを助けようと思って、手加減せずに全力で戦いました」

「君の身体強化魔法なら大活躍だったのだろう?」


 クオントロッドは口元をゆがめた。彼には似合わない皮肉気な笑みだった。


「ええ、大活躍しました。ゴブリンやコボルト程度なら、手や足を振るうだけで紙細工のように砕けました。必死になって魔物をどんどん倒して……気がついたら、周りは更地になっていました。まともな形をした死体は一つもなかった。屋敷を守っていた兵たちは震えあがっていた。両親さえも恐怖の目で僕を見ていた……あの日以来、身体強化魔法を全力で使うのはやめたんです……」


 その気持ちは悲しみはオルジネティアにも少し理解できた。魔道具作りの天才として名を馳せた彼女は、その技術の凄まじさゆえに恐怖の目を向けられることも少なくなかった。

 だがオルジネティアはそうした目を気にしなかった。むしろ恐怖の目を向けられることこそ、自分の技術の高さの証明だと誇ることにした。クオントロッドは優しい男だ。きっとそういうふうに割り切ることはできなかったのだろう。

 だが、彼は暗い過去をばかり見ている。それであの時のことを見落としている。オルジネティアは彼の見落としを正すべく口を開いた。

 

「君は立派だ」

「……え?」

「話からすればろくに戦ったこともないのだろう? それなのにあの時、私の前に出た。あれは力があるならできるということではない。勇気が無くてはできないことだ」

「そんなこと、ありません……」

「過去のトラウマがあるのに、私を守るために力を振るってくれた。それは素晴らしいことだ。誇るべきことだ。私は、そんな君に……」


 婚約を申し込もうと思っている……そう続けようとした。

 だがその前にクオントロッドが言葉を遮った。

 

「やめてください! オルジネティア様は巻き込まれただけです! 僕がこんな力を持っていたせいで、大切な恩人を傷つけることになったたかもしれなかったんです!」

「おい待て、それはおそらく違ってだな……」

「あなたを傷つけたくないんです! だから今日は、お別れを告げに来ました! あなたをこれ以上巻き込まないために、僕はもうここへは来ない方がいいんです!」


 クオントロッドは立ち上がると、オルジネティアに背を向けた。


「さようなら、オルジネティア様……」


 背中越しに別れを告げ、出口に向けて歩き出した。このままこの部屋から立ち去ろうとしている。

 このまま行かせたら、二度とここには来ないのだろう。それが確信できた。

 そんなことは認められなかった。

 オルジネティアは猛然と立ち上がると、クオントロッドの肩につかみかかった。そして無理矢理こちらに向かせ、両手で彼の襟元をつかみ、叫んだ。


「逃げるな!」


 クオントロッドは驚きに目を見開いた。オルジネティアは構わずまくしたてた。


「何が巻き込みたくない、だ! 君はただ問題から目をそらして逃げようとしているだけだ! 魔王は復活する! 君が逃げたところで魔王軍の追求は変わらない! 知らない場所で君が傷ついたら、私がどう思うか考えないのか!? そういうのはつらいものなんだぞ!」

「それでも、あなたが巻き込まれるよりはいい!」

「この魔道具作りの天才と謳われたオルジネティア・クラフトゥールを巻き込みたくないだと!? ちょっと強いからと言っていい気になるな! この私を甘く見るな! 先日は不覚を取ったが、戦闘用の魔道具さえ揃えておけば、あの程度の魔族など軽く倒せたのだ!」


 オルジネティアはクオントロッドの目を睨みつける。その鋭さはまるで獲物を狩ろうとする肉食獣のように獰猛だった。

 

「私の魔道具なら、君だって倒せる! 身体強化魔法による腕力と防御力は確かに恐るべきものだが、物理的に強いだけだ! 幻術や神経毒、精神系の魔法など、君を攻略する糸口などいくらでもある!」


 クオントロッドの身がすくむ。話からすれば彼は身体強化魔法で戦った経験は少ない。自分の力を恐れるばかりの彼には、弱点があるという発想すらなかったのだろう。だがその反応からすれば、心当たりはあるようだ。彼は強い。だが決して、無敵ではないのだ。

 

 クオントロッドがひるんだ隙に、オルジネティアは襟元を乱暴に振り払った。クオントロッドは体勢を崩し、床に座り込んでしまう。

 オルジネティアは人差し指を突きつけ、更に言い募った。


「この臆病者め! 魔王軍が怖いと言うのなら、この研究室の隅で膝を抱えて座っていろ! この私が君を守ってやる!」


 その言葉を最後にオルジネティアは口を閉じた。

 オルジネティアは荒い息を吐きながら、クオントロッドの目を睨みつける。

 二人はしばらく見つめ合った。

 先に目をそらしたのはクオントロッドだった。


「……オルジネティア様、あなたはメチャクチャですよ……」


 クオントロッドは観念したようにため息を吐いた。

 その姿を見て、オルジネティアも少し熱くなりすぎたと自覚する。だが間違ったことを言ったつもりはない。それに仕方のないことだった。


「君があまりに情けない姿を見せるのがいけないんだ。それでは困るんだ。だって私が婚約を申し込むと決めたのは、魔族に立ち向かった勇敢な君なんだ……」

「え、婚約……?」


 クオントロッドが驚きのあまり口をぽかんと開けた。

 ぽろりと婚約と言う言葉が出てしまった。でも、最初からそのつもりだったのだ。

 オルジネティアはもう開き直ることにした。

 

「ああそうだ! 婚約だ! 君に婚約を申し込む! 男爵家に支援することを決めたのも、君のことが欲しかったらだ! 君のことが欲しい! 欲しくて欲しくてたまらないのだ! さあ、諦めて私の物になれ!」


 クオントロッドはしばらくは目を見開き固まっていた。やがてその顔が見る見る赤くなった。

 オルジネティアがその変化に怪訝な顔をして見ていると、クオントロッドは突然、自分の顔を殴った。

 

「うわあああ!? 一体何をしているんだ君は!?」

「あまりの情けなさに、自分を殴らずにはいられなかったのです」


 クオントロッドはさっぱりした顔で答えた。

 そして床から立ち上がると、正面からオルジネティアに向き直った。

 

「僕が間違っていました。あなたがそこまで僕のことを愛してくださると言うのなら、もう何も怖くありません! この身が尽きるまで、あなたのおそばに仕えさせていただきます!」


 クオントロッドは先ほどの弱気が嘘のように、実に堂々と宣言した。

 オルジネティアはその姿に一瞬見とれた。だがすぐに、その宣言に含まれる言葉に気づいた。


「……ちょっと待ってくれ。『私のことを愛してくださる』とはどういうことだ。なんでそういうことになるんだ?」

「僕のことが欲しいと、あんなにも情熱的に求めてくださったじゃないですか。僕も覚悟を決めました。あなたの愛に応えるために……」

「違う違う! この私が男女の浮ついた感情で動くものか! 君の持つたぐいまれな才能が欲しいと言っただけだ!」


 クオントロッドが再び固まった。やがて震えだした。

 

「先ほどのお言葉は、愛の告白ではなかったのですか?」

「助手として君が欲しいと言っただけのつもりだった」


 二人はしばし見つめ合った。ひどくいたたたまれない空気が場を満たした。

 クオントロッドは部屋の隅に行き、床に腰を下ろすと膝を抱えた。

 そして。


「うわあああああああ!」


 叫んだ。

 

 

 


 オルジネティアは研究室のテーブルで紅茶を前にしていた。ちらちらと向ける視線の先では、未だクオントロッドは部屋の隅で壁に向かって膝を抱えている。


「とにかくテーブルに来てくれないか? ほら、サクルーティナが紅茶を淹れてくれたんだ。いい香りだぞ?」


 オルジネティアの前には二つのティーカップがある。どちらも湯気を立て、かぐわしい香りを放っている。

 つい先ほど、侍女のサクルーティナが淹れてくれたものだ。彼女は紅茶を出したらすぐに退室した。部屋の隅にいるクオントロッドについて問うこともなかった。空気の読める侍女なのだ。


「……すまなかった。その、なんだ。正直に言うと、私には恋とか愛とかよくわからないんだ。愛しているだなんて言えない。でもそれは、別に君のことが嫌いなわけではないんだ。そのことはわかって欲しい」


 そう言われてクオントロッドは立ち上がった。

 無言のまま歩いてくると、オルジネティアの前に座った。

 オルジネティアがこわごわと様子を窺っていると、クオントロッドは大きく息を吐いた。


「オルジネティア様は悪くないです。勝手に勘違いして盛り上がってしまった僕が悪かったんです」

「そ、そうか。それで……もう逃げたいなんて言わないよな?」

「ええ、逃げません。頭が冷えました」

「そうか……」


 そうしてオルジネティアとクオントロッドは紅茶を口にした。

 オルジネティアがほっと一息つくと、同じタイミングでクオントロッドも息を吐いた。

 二人顔を見合わせて苦笑した。ようやく穏やかな空気になった。

 そうすると、オルジネティアは確かめずにはいられなくなった。


「それで……その、なんだ。婚約の申し込みは受けてくれるだろうか?」

「この流れでまだ言うのですか……」


 クオントロッドは飽きれた顔を見せた。つい先ほど勘違いによって恥ずかしい思いをしたばかりだ。触れてほしくはないのだろう。だがオルジネティアとしては、今日はそのために来たのだ。確認せずに終わるわけにはいかなかった。それはなんと言うか、耐えられないと思ったのだ。

 

「そもそもなぜ僕の意志を確認するんですか? あなたは伯爵令嬢で、僕は男爵令息です。その上、家には支援をしてもらっています。ただ婚約すると告げれば、それで決まってしまう話じゃないですか」

「いや、君に無理強いはしたくない。君が嫌だと言えば……婚約は諦める……」


 目をそらしながらオルジネティアはそう言った。クオントロッドは怪訝そうな顔をして彼女を見た。つい先ほどまであれほど自信に満ち溢れた令嬢が、今はしおらしい。

 魔王軍に対抗するため、婚約して勇者の子を儲ける……そういう大義名分で婚約を申し込むことを決意した。だがそれを口にする気にはなれなかった。

 オルジネティアも自分らしくないとわかっている。クオントロッドが弱気になって逃げると言うのなら、首に縄をつけてでも引き留めようと今でも思っている。だが、先ほど自分の言葉で落ち込む彼の姿を見た。もし自分のことを嫌いになって離れていくなら……きっと止められないと思った。

 クオントロッドに嫌われることを恐れている。そんなことに言動を縛られることがあるなんて、考えたこともなかった。そのことをごまかすようにオルジネティアはまくしたてた。


「いや、でも君にとっても悪い話ではないと思うんだ。結婚したらきっと楽しいぞ。同じベッドで起きて、朝から魔道具の設計について話ができる。日中はずっと一緒に魔道具の研究ができるし、夜になればベッドの中でその日やった実験について語り合いながら眠るんだ。なんて素晴らしいんだろう。素敵な結婚生活だとは思わないか?」


 そういってクオントロッドの方を見ると、なぜだか彼はテーブルに突っ伏して身もだえしていた。耳まで赤くなっている。なぜそうなったかわからず、オルジネティアは目をぱちくりさせた。

 しばらく見ているとクオントロッドはどうにか立ち直った。まだ顔は赤い。ゴホンと咳払いすると口を開いた。


「……あなたが恋愛について理解していないことはよくわかりました。でも、そういうことを他の人に言ってはいけませんよ。絶対、誤解されますからね」


 まるで子供を叱る親のような口調だった。オルジネティアもなんだかイラっとして言い返した。


「何を言っているんだ? 他の誰かにこんなことを言うはずがないだろう。私がこんなことを言うのは君だけだ。君とずっといっしょにいたいと言っているんだ!」


 オルジネティアがそう返すと、いきなりクオントロッドは立ち上がった。

 

「オルジネティア様、ちょっと立ってください」

「え、なぜだ?」

「いいからちょっと立ってください」


 意図は分からなかったが、クオントロッドはひどく切羽詰まった顔をしている。

 どうやら何かあるようなので、ひとまずオルジネティアは立ち上がった。


「これでいいのか……って、うわああ!?」


 いきなり手を引かれると、抱きしめられてしまった。


「と、突然何をするんだ!」

「婚約をお受けします」

「え? ああ、それは良かった……それで、どうして私を抱きしめているんだ?」

「婚約者を抱きしめるなんて当たり前の事じゃないですか」

「え? ええ!? そうか? そういうものなのか……?」


 何か違うような気もする。結婚前の令嬢を抱きしめるなら、事前に相手の同意を得るのがマナーだ。本来なら、彼の無礼をとがめてさっさと身を離すべきだ。

 男女の仲に疎いオルジネティアもそのくらいのことは分かっている。それなのに、言葉が出ない。

 クオントロッドは想像したよりがっしりしていた。華奢に見えてやはり男性なのだと実感した。抱きしめられると小柄なオルジネティアはすっぽりとその腕の中に収まってしまう。そのことが何故だか嬉しく思える。

 もう少しこのままでいたい……そんなことを考えてしまっている自分に、オルジネティアは戸惑った。

 その混乱を納める間もなく、クオントロッドが再び言葉を紡いだ。


「オルジネティア様」

「な、な、なにかな!?」

「あなたのことが、大好きです」


 オルジネティアの恋がいつ始まったのかは本人ですらわからない。彼女はそう言うことには疎く、まともに考えたこともなかったからだ。出会った時か、共に魔道具の研究を進めていた時か、あるいは魔族から守ってもらった時かもしれない。

 だがその恋心を自覚した時なら明白だ。

 まさに今、抱きしめられ愛を囁かれたこの瞬間。オルジネティアはようやく、自分がクオントロッドに恋していると自覚したのである。

 

 しかしそれが分かったのは後になってからだ。なぜならこの時のオルジネティアは、初めての抱擁と愛の言葉にすっかりとろけてしまい、それどころではなかったのだ。



終わり

婚約破棄のお話を主に書いてきたので、試しに「婚約破棄のない婚約のお話」を書こうと思いました。

これは斬新な話になると思いました。でも「婚約破棄のない婚約のお話」は「ただの婚約のお話」であり、斬新でも何でもありませんでした。

それではいまいちなので色々と足していったらこういうお話になりました。

最近、ちょっと暗めの話になりがちでしたが、明るめの話になってよかったです。


2024/11/21

 誤字指摘ありがとうございました! 読み返して気になった細かなところもあちこち修正しました。

 

2026/1/14

 誤字指摘ありがとうございました! 修正しました!

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