第五話 それは呪いのように
「はぁっ、はぁっ。」
どれくらい走った?
これだけ離れれば...。
「奏。」
「んぅ...私...。」
「よかった。」
「無事だ。俺たち。」
奏を腕から降ろす。
「慶喜さんのところへ戻ろう。」
「は...はいっ。」
考えうる全力で走った。
それぐらい、あの吸血鬼はやばいってことだ。
「慶喜さん!!」
「おぉ、無事でよかった二人とも。」
「さっきの吸血鬼は...。」
「逃がしたよ。儂としたことが。」
嘘だろ。慶喜さんでも逃がすのか。
「二人とも儂と一緒に調査をしよう。」
「奏くんは予想以上に敵にとって重要らしい。」
「はい...。」
「気にやむ必要はない。そもそも、支配種の吸血鬼は課長クラスじゃないと戦えない。」
「それに、君は悪くないよ。奏くん。」
優しい笑顔で俺たちを慰めると、
慶喜さんは調査のコツなどを教えてくれた。
「よし終わり...ってあぁ慶喜さんはトーマと一緒だったのか。」
「うん、色々あったからね。」
ことの顛末を話すと全員驚いたようで、
「慶喜さんに倒せなかったら誰が倒せるの...?」
と、哲学的な疑問を抱くやつもいた。
「はぁ...」
しばらくして任務も終わり、そろそろ寝ようかと自分のベッドに腰を掛ける。
初任務とは思えない壮絶なものだった。
「強く、なんなきゃな。」
だめだろ。
なんでこういうときばっかり。
『トーマは強くなるよ。お母さんみたいにね。』
自分の息遣いだけが部屋に響く。耳障りなくらいに響く。
そうだ。強くならなければ。母さんみたいに。
.......ピンポーン。
インターホンの音がうるさい沈黙を破った。
誰か来たらしい。
「はいはい。どなたで...えっ」
「こっ、こんばんはっ。トーマさん。」
「...おう、こんばんは。奏、どうかしたか?」
「...ごめんなさい。お話があって、ちょっとお部屋に上がらせていただいてもいいですか?」
「ああ、構わないよ。」
意外な来客には驚いたが対応する。
気軽に部屋にあげようとするものの、女の子の来客ということで
変なものが置いていないか心配になってきた。
一瞬待ってもらえばよかった。
「どうぞ。」
「おじゃまします。」
律儀にぺこり、とお辞儀をしてから入る奏に小さく笑いつつもリビングへ案内した。
「それで話しって...」
「...うぁ」
たずねようとしたとき、俺にもたれ掛かるように
奏が体勢を崩した。まさか、
「奏。」
「はい...」
伏し目がちだった彼女の瞳を見ると、
その瞳はあの夜と同じように誘引されてしまいそうな紅い輝きを放っていた。
「ごめんなさい...その、我慢できなくて...」
「大丈夫だ。とにかく血を飲もう。」
申し訳なさそうにしている彼女の頭を撫で、落ち着かせると
彼女を支えながらキッチンへ向かった。
「よし。」
キッチンからナイフを取り出し、指を切り奏に差し出した。
「ありぁとうございます...」
呂律もおかしくなり始めた奏は、必死に俺の親指をしゃぶり始めた。
彼女が魔力不足か火照っているためか一段といけない絵面になっている気がする。
本来、吸血鬼であれば魔力不足となった場合、凶暴になったり、肉体のリミッターが
外れたりするのだが、混血なせいで曖昧になっているらしい。
「ぷは...」
血を飲み終わったらしい彼女は、俺の手から離れた。
「ごめんなさい...私...」
「いいってことよ。」
「でも...私、迷惑ばっかかけてしまって...」
「今日も、なにもできなくて...」
あの吸血鬼とのことをいっているのだろうか。
不運ではあったが特に気にすることでもないだろう。
「別に気にすることないって。あれはしょうがないことだし。」
「それに...俺も逃げることしかできなかった。」
「でも!...でも...」
奏が言葉につまる。俺のフォローをしてくれようとしたのだろう。
「俺は弱いよ。だから強くなんなきゃいけないって思ってる。」
「とりあえず、前向かなきゃ始まんないだろ?」
笑顔で言葉を掛けると、奏の表情も柔らかくなった。
「...はい!、私も頑張ります。」
眩しいくらいの笑顔で意気込んだ。
「じゃ、明日シュミレーションルームにでもいってみるか。休みだし。」
「そうですねっ。私もやってみたいです。」
シュミレーションルームとは戦闘訓練室とも呼ばれ、各課に配置されている部屋だ。
魔術により、簡易的な空間を作りだし、中でルールを設定することもできる。
あくまで肉体のコピーを送り出すだけなので、実戦に近い訓練ができる。
「じゃ、今日も遅いし早く寝なきゃだな。」
「はい。今日は色々とありがとうございました。」
律儀にお辞儀をした奏を連れ、玄関へ向かう。
「おじゃましました。」
「気を付けて帰れよ。」
「ふふっ、お部屋近くですけどね。」
「あ、確かに。」
らしくない言葉を言ったせいでボロが出たらしい。
「あっ、あと...」
扉を閉めかけた奏が動きを止める。
「...おやすみなさい。トーマさん。」
「....っああ、おやすみ、奏。」
彼女のあどけない微笑みと共に放たれた言葉にドキッとしてしまったが、
なんとか普通に返すことができた。本当に気が抜けない。
「...さて、寝るかな。」
自室に戻りベッドに寝転がる。
初任務は大惨事だったが案外いい日だったかもしれない。
明日が楽しみだと思いながら、俺は目を閉じた。