第88話 アイドルだった私、想いを言葉に乗せて
え? ルナウ??
舞台を降りたルナウが向かった先は、祖父であるハーベス・キディ公爵のところ。
「お爺様、よろしければ、一曲」
そう言って手を差し伸べたのだ。
おいおいおいおい! そこは別にダンスしなくてもいいんじゃないのっ? 感謝なりなんなり、ただお話するだけでいいんじゃないかなぁっ?
私の心配を他所に、なんとキディ公爵ってば、ルナウの手を取っちゃったよ!
「孫とダンスを踊ることになろうとはな。しかも男同士で」
石みたいだったキディ公爵、ルナウと組んで踊り出した!
あれ? でもこのダンス見たことないな?
「まぁ、伝統のロギッサを!」
「まさかこんな場所で見られるなんてっ」
「素晴らしい!」
ロギッサ? 客席からの声を聴き首を傾げている私に、スイ、と寄ってきたのはアイリーン。
「王家伝統のダンスです。尊敬し合う男性同士が特別な場で踊るレアなものですのよ。こんな、一介の社交パーティーで見られるようなものではありませんわ」
ほぇぇ、そうなんだ。
気付けば観客の多くがキディ公爵とルナウのダンスに見入っている。
「お爺様、今まで私の好き放題を許してくださりありがとうございます」
「……」
「あなたから見たら、私は自由奔放な出来損ないの孫だったことでしょう。でも、」
踊りながら入り口付近に視線を移す。そこに姿を現したのは、
「ミズーリ!」
キディ公爵の娘、ミズーリ・タルマンだ。約束通り、この地に出向いてくれたのだ。
「伯母には伯母の人生がございます。どうか無茶なことはおっしゃいませんよう」
「なんだ、それは」
口出しをするルナウに、心底驚いているようだった。
「私は身を固めようと思います」
「なにっ?」
今までどんなに口煩く言おうともその気にならなかった縁談話を、本人から聞こうとは思ってもいなかったキディ公爵が動きを止めた。
「但し、相手は私が決めます。私の結婚相手ですのでね。それに、今日の明日というわけにはいきません。しかし、私には目標が出来ました」
「目標?」
「ええ。リーシャのおかげで多くを知ることが出来ました。何の目的もなくただ生きる毎日にはおさらばですよ」
ふふ、と笑ってミズーリに手を伸ばす。
ミズーリは一度小さく肩を竦めると、つかつかとキディ公爵の方へと歩み寄る。
「お父様、お久しぶりです」
深々とカーテシーをし、そのまま公爵の手を取り、ダンスを始めた。
「あなたは私を手元に置きたいと考えておいでのようですね」
皮肉めいた微笑みを浮かべ、言う。
「あの矍鑠としていたお父様が、今更娘を頼ろうなどとは、お年を召しましたのね?」
「……なんだそれはっ」
久しぶりに見る娘は、随分毒舌になっていた。それだけ強くなった、ということなのか。
「私、王都に《《戻る》》つもりはありませんの。でもね」
ミズーリが一呼吸置いて、続けた。
「たまにはこうして、遊びに来るくらいのことはできるかもしれませんわ」
「……ミズーリ、」
いくつになっても、父は父であり、娘は娘なのだ。ある程度の距離感を保ちながら、ゆっくりと過ごせばそれでいい。年老いた父の顔を見て、ミズーリはそんな風に思ったのである。
ジャオは目の前にいる令嬢に手を差し伸べた。
「失礼を承知で、レイラ様」
名を呼ばれ、驚いた顔をするレイラ。隣にいるバーナム第二皇太子の姉である。
「踊っていただけませんか?」
まさかの出来事に、バーナムが口を出す。
「おい、ジャオ! 近衛の分際で姉上にダンスの誘いだとっ?」
王家騎士団副団長、ジャオ・デラスタ。王家の人間から絶対的信用を得ている人物とはいえ、王家の人間にダンスを申し込むなど、頭がおかしくなったとしか思えない愚行である。
と、そこへルナウが顔を出す。
「バーナム様、今日は私の顔に免じて許していただけませんか? 一夜の夢。今日の舞踏会は、僭越ながら『大切な人に想いを伝える』そんな空間にしたいのです」
「ルナウ……」
バーナムが眉を寄せる。
「私、お受けします」
バーナムがなにかを言うより先にレイラがジャオの手を取った。お忍びでこの場に来たのは、ジャオに誘われたからだ。気落ちしている自分を気にして、ジャオが誘ってくれたのだと思っていたが、まさかダンスに誘われるとは思ってもいなかった。千載一遇のチャンスということになるのかもしれない。
「姉上!」
バーナムが止めるのも聞かず、レイラはジャオの手を取りフロアへと出る。
「まさかあなたとダンスを踊れる日が来るだなんてね」
くす、と笑いながらステップを踏むレイラ。
「それは私もです。まさかこんな日が来るだなんて思ってもみませんでした」
複雑な思いではある。だが、言わなければいけない。それがどんなに酷い言葉だとしても。
「レイラ様、ご婚約、おめでとうございます」
「っ!」
レイラの顔が一瞬にして曇る。
「……あなたが、それを言うの?」
震える声で聞き返すレイラに、ジャオは笑顔のまま告げる。
「ええ。そのためにこの舞踏会にお誘いしたのですから」
縁談の話が来てから、レイラはずっとふさぎ込んでいた。いつまでも返事を留め置けるわけではない。国王もやきもきしていたことだろう。ジャオは、その背中を押さなければと思っていた。
「……酷いのね」
「ええ、酷いですね」
そのまましばらく、ダンスを続ける。ジャオは王室騎士団に入ってからずっと、レイラの護衛をメインにしてきた。彼女の成長を間近で見つめながら、レイラへの特別な思いが芽生えていた。しかし、だからと言って何が出来ようか? 相手は王室の、第一皇女だ。
そしてレイラもまた、強く優しいジャオを心から頼りにし、生きてきた。愚痴をこぼしても笑顔で受け止め、時に厳しい助言すらしてくる青年に、特別な思いを抱き始めたのはいつだったのだろう? しかし、この想いが叶うことなど、ない。
「私を攫って逃げてはくれないのね」
レイラがポツリと口にする。
「国家反逆罪ですよ、それは」
「どこか遠くに逃げて、二人で暮らせばいいじゃない」
「国王陛下がお嘆きになります」
「泣かせておけばいいのよ」
「酷いお人だ」
くすくす、と笑い合う。
「お相手は隣国の王室の方でしたね」
「ええ。つまらなそうな人よ」
「……寂しくなります」
そう思うなら、手放さないでくれたらいい。
レイラはそんな言葉をぐっと飲み込む。
「たとえどこに行ったとしても、レイラ様の笑顔は人々を照らし、民の心に光を灯します。私が補償いたしますよ」
「……ジャオ」
「あなたの手を握り、ひと時の夢だとしてもこうして見つめ合うことが出来た。私は幸せ者です」
ジャオは優しく微笑むと、レイラを引き寄せた。
……もうすぐ、曲が終わる。




