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steal rain


 その日は不快な音から始まった。

 

 ごおう、ごおう

 

 往けども緑と野生ばかりのこの世界には調和しない音だ。


 ごおう、ごおうん


 鉄 (くろがね)が空気を回し質量を主張する迷惑に、自然界が唸っているかのようだった。


『クラウドホエール』


 鉄兵 (ウォーリア)を運搬する飛行要塞。胴長の黒光りする巨体が雲海に影を投影する様はまさしく名前の通り、巨鯨を想起させる。


 暁星さえ消え入らないような時間に叩き起こされたコミュニティは意外ことに静かだった。

 動揺していないわけではない、誰しもが唇を巻いて噛み、拳を握って頭上を見上げていたから。

 戦いの予感が張り詰めていた。

 あの巨鯨は脅威で憎むべき敵だと、コミュニティの総意がレンズに浮かび上がらんばかりだった。


 同じ感覚をオルトもまた共有していた。オルトもあの鯨が産んだ卵からこの世界へ降り立ったというのに、その事実を否定するように、アイツこそが悪いとメンタルを昂ぶらせている。自分の姿を見下ろせば、そんな責任転嫁は利かないのは明白なのに。

 こちら側にいたいと、そんな希望がこのようなメンタルを構成しているのかもしれない。


 現実世界を経験したオルトのメンタルがこのコミュニティに愛着を感じ、失われることに恐怖を覚えることを学習してしまったからだ。

 アイツらはこの現実世界を台無しにする弊害だ、薄っぺらいメンタルの快楽のためにこちらを食い物にする害悪だ。到底許すことはできない。

 強く、そのようなメンタルをオルトは演算していた。

 頭上の巨鯨は空に輪を描きながら、徐々に高度を下げ始めた。


「うん、目標はわたし達だ。しょうがないね」

 エフが荷を下ろし、ウォーミングアップに左手の五指を開いて閉じた。

[戦うの?]

「うん、そんな感じ」

 碧眼は相も変わらず事実をそのままと受け入れ、相貌も淡泊なまま。ぶら下げたキューショナーの感触を確かめるように調整し、彼女は鉄の巨鯨を見上げたのである。

 その後ろで、同じようにコミュニティの何人かが武器を確かめ始めた。


[エフ以外も戦うの?]

「やりたい人だけがやればいいよ。わたしはみんなを預かっているから戦うけど」

 コミュニティがにわかに活気づく。

 言葉を交わし、ハグをして、そして、恐怖の上から塗った笑顔で準備を始めていた。エフは何も言わないのに、彼らは自ら死線へと志願している。

 まただ。また、彼らは『死』へ自ら近づこうとしている。

 メンタルの裏側が、薄ら寒くなる。


[無茶だ。みんな疲れているのに。まとも戦えるはずが無い]

「やり方はみんなが自分で決めたら良いよ。わたしやお前じゃ無くて自分で決める。それでやっと意味がある」

 だから、いちいち抽象的なんだ。

 物事の判断はもっとも重要な一点を最初に定めるべきだ。

 生きるんだろう? 一人でも多くをエフはより遠くへと連れて行くのだろう? では、そのための選択をするべきではないのか。

 エフがやらないのなら……


[ボクもやるよ]

「ダメ。お前は分かっていないから」

 分かっていないだと?

[キミより分かってる。一人でも多くを生き残らせる。みんなの命を守る。それで、そうやって――」

「黙って」

 メンタルが冷えていくような気がした。


「ダメって言った。お前はダメ、まだ『まっとう』できないもの」

 どうしてそんなことを言うんだ。

 キミはさっき、コミュニティの自殺願望に『自分で決めることだ』と言ったじゃないか。どうして一人だけ特別扱いなんかするんだ。


 メンタルが沸騰する。

 ボクは、ただ、キミ達と共有したいんだ。

 メンタルがいかに及ばないとしても、彼らと同じように利他に懸命に自己をすり減らしても誰かの為に、そういう行動にロジックも無く付き合いたい。

 彼らに一人でも多く生きて欲しい。

 この願望は不純か? 足りないのか?


[ボクにだって出来ることはあるだろうに!]

「そう、でも分かっていない」

 こつん

 レンズをエフの右手の指が弾く。

「振り返って、もう一度観てみて」

 促されて翻った機械のレンズが映すのは、武器を掲げ、只管に前方を睨む軍勢から立ち上がる兵士ども。


 その眼は語る。

 『死』さえも、と。


「よく観て、感じないとダメ」

 エフの両手が後ろからウォーリアの頭部を挟んで、レンズを背けることを許さなかった。

「お前はまだ、ちゃんと死ねない」


 ただ、ただ、意思を頼りに突き進んだ先にこそ、それは得られる。


「だからお前はダメ。よく見て、魂で実感して、お前はお前の据える場所を探求する義務がある。魂の安らぐ瞬間を目指さなくてはならない」

 目を向けることさえ出来ていないお前は、幼稚だと。


[言ってる意味が、分からないよ]

「だから、考えるんでしょ?」

 メンタルがしぼんでいくようだった。

 あれほど溢れていた自身や、昂ぶりはこんなにも簡単に霧散する程度のものだったのだ。エフにはオルトの虚飾がよく見えていたのだろう。


 オルトには『死』を予感しながらその場所へ自ら飛び込もうとする彼らの魂の機微は依然理解できない。きっと彼らは仲間を思って決断した。オルトも彼らを案じて参加を表明したが、はたして、オルトに彼らのような必死さがあっただろうか。エフにソレを見透かされた。

 まだまだオルトは舞台の上でスポットライトを追い掛ける素人役者だ、観るべきものすら分かっていない。


[ボクにだって分からないのに、どうしてキミは、そんなにも容易く……]

 嫉妬、やりきれなさ、ない交ぜになって沈む。

 メンタルがぐるりぐるり、淀んでいく。

「きっと、見つかるよ」

 どんな根拠を持ってか、エフは言ってから微笑んだのだ。


 ▼


 ごおう、ごおうん

 

 クラウドホエールは、森林の拓けた見晴らしの良い位置に卵を落とした。

 枝を折り、幹を破って我が物顔で降りた卵は、衝撃吸収目的の合成気体を亀裂から排出して自然を汚染し、上半身と下半身で逆回転しながら展開する。


 ギチ、ギィキキ

 折りたたみスロープが伸びて乱暴に地面を叩いた。


 だん、だん、だん、だん

 隊列を組んだ機械仕掛けの殺し屋どもが武器を携え、虐殺を目的に参上する。

 彼らはただ愉悦のために殺しをやる、無自覚で無邪気なシリアルキラーだ。遊戯 (ゲーム)なのだから楽しんで何が悪い。彼らを叱責するのはお門違いだ。彼らにとってこの現実世界はよく出来たコンテンツなのだから。

 エフが鹵獲したウォーリアに責任を追求せず、集落のオモチャとして提供しただけなのはそこまでの能力をメンタルに対して甚だ期待していなかったからだ。

 これから始まろうとしているのは、戦争ではない。お互いがお互いをまともに見やりもしないクセに最も残忍な、恣意的発散だ。

 

 くわぁん


 遠方よりオルトが聞いたのは鋼が鉄を殴ってかち上げる音だったか。集音装置が収拾した音は、次に発せられた銃声で上書きされた。

 降り始めた雨の様に、断続的な銃声の間隔が狭まっていく。

 ちくちくと、啄まれるようにメンタルは銃声に反応していた。

 銃弾が奪うであろう彼らの死に感応し、オルトのメンタルは竦んでいる。


 エフに奪われてしまったミュート機能が使えたらと思わずにはいられない。死に行く彼らを無視して歩かなくてはいけないのに、機械の脚は歩調を鈍らせていた。

 いっそ自分のことなら良かったのだ。

 この機械の躰がバラバラになってCPUを破壊される方が、いくらか良い。オルト自身の『終了』ならメンタルが疼くことも無い。


 メンタルは肉体には依存しない。『終了』に怯えることも、振り回されることも無い。メンタルの『終了』なんて、『ちゃんと死ぬ』なんてこだわる理由が無い。

 オルトが居るべきは戦場 (あちら)だった。惜しくも無い自分を大事にして逃がして貰う必要なんてない。

 やはり戻ろう、優先すべきはオルト (メンタル)よりもこの世界で育まれた彼らだ。


 Lily?


 脚を抱えるように、引き留められる。

 この子はリタイアしかけたが、大人に助けられて持ち直した子供だ。この子をおぶった大人はエフと一緒に行ってしまった。『一人でやれるな』と、この子の頭を撫でつけて、無責任に死に場所へ行ってしまった。


 この子なら止められたのだろうか。

 大人が尋ねたとき、この子が唇を引き結んで頷いたりしなければ、あの大人はこの子のために生き残る選択をしたのだろうか。

 オルトの言葉が届かなくっても『人間同士』ならば。

 ねえ、キミはどうしてボクじゃ無くて彼に同じことをしてあげなかったんだい?

 こんな無機質な鉄板に縋るんじゃ無くて、柔らかくて体温のある肉体にこそ想いと熱を伝えるべきだったんだ。

 ボクなんかにじゃあなくて。


 Lily!


 ドウンッ!


 背後で爆音が登り、土と木片が煙に混じって巻き上がる。

 オルトは目の前の子供を抱えていた。かつんこつんと、その背を石や飛んできた破片が打った。

 思考を伴わない行動だった。そんなことが出来たことに、オルト自身が驚いていた。

 まさか、マニピュレート系統の暴走?

 違う、なぜなら遅れて自覚したオルトのメンタルはこの子供を被害から庇わなくてはと考えていたから。

 奇妙な感覚だ、思考から身体への伝達シークエンスが逆行するだなんて。                


 Lily! Lily!


 腕の中で悲鳴が上がる。

 熟考している場合じゃ無い、この子を生かさなければ、走らなければ。


 先ほどの爆発は雷轟砲 (インパルスカノン)で間違いないだろう。

 『アースウォーリア』で装備可能な、プレイヤーからはかなり不評な重火器だ。規模が大きく火力もあるが、携行弾数はたったの二発。ウォーリアの積載容量を軽く上回る重量級武器となるため、ああやって開幕そうそうぶっ放すのがセオリーというよりも、それ以外のやりようが無い。なによりも、巻き上がった土煙によってフィールドの視界が塞がれることがクソ武器たる一番の所以だ。


 素人がスペックに騙されて装備して、退避が間に合わず誘爆して自滅なんてことがままある。

 今回は一発しか爆ぜていない。もう一発来る。

 その前に離れる必要がある。

 警戒しながらオルトは子供を抱えて走った。

 いいぞ、爆発に竦んでいた逃げる組のコミュニティも我に返って先を急ぎ始めている。

 走れ、走れ!


 ドウンッッ!!

 

 再び響く重低音、さっきよりも近い。隙間だらけの機械の体躯がカタカタ鳴る。

 

 Lily!


 オルトの肩越しに何を見たのだろう、そんなに揺れた発声をして。

 考えたくも無い、オルトがいまやるべきは逃げること、走ることだけだ。

 止まるな、オルトが止まればこの子は死ぬ。

 この子は生きることを望んでいる。戦いに巻き込まれ、理不尽に搾取されていいはずがないのだ。

 遊びで奪われて良いはずが、あるわけがないのだ。


 立て、立ち上がれ!

 駆動しろ、走れ!

 硬い土を踏み、緑をかき分けて、オルトは鬱蒼とした森に紛れるように走り続けた。オーバーヒートしたかのように、胸に格納されているCPUが熱を持った気がした。

 この原動力に無限を錯覚すらした。


 Lily!

 

 分かってる、ボクがキミを遠くへ連れて行くから。

[ッ!!]

 言葉を失った。それほどに凄惨だった。

 右前方を併走していた一人の頭部が、突然吹き飛んだのだ。


 銃撃!


 その場に伏せる。

 すぐに警戒を張り上げて指示を飛ばしたが、ダメだ、遅れた人間は次々と的にかけられていく。

 高威力の炸裂弾。

 弾頭が重いから沈みやすく当てるにはコツが必要だ。その見返りに威力は申し分なく、頭じゃ無くても当たった時点で致命傷を与えられる。オルトもよく使用していたからその脅威をよく理解していた。

 この狙撃手は、上手い。

 これほどに精確に当てられるヤツは上位ランカーでも限られている。

 誰だ? 四位か八位、二位も使えるかもしれない。

 なんにしろ、厄介だ。

 敵がこっちまで来たと云うことは、エフはやられたのだろうか?

 あのエフが? そんなわけが無い、エフにはあの左手がある、たとえ一位だってそう簡単には出し抜けまい。


 だったら、だったら――

[まさかッ!]

 そう言うシナリオだったのか?

 周囲を確認する。

 みんな伏せているにも関わらず、炸裂弾は闇雲に周囲を攻撃している。


[そういう、ことか!]

 だとしたらまずい、何分立ち止まった? もっと遠くへ逃げなければ。

 だが、立ち上がれば撃たれる、下手に動いて位置を気取らせてもまずい。

 オルトには何が出来る?

 レンズには不安そうな子供が震えながら唇を噛んでいた。決して泣くまいと堪えていた。

 気高い魂を燃やしていた。


 なら、そうとも、オルトがやるのだ。


[ボクが行ったら走れ、振り返っちゃダメだ]

 困ったことに首を振って駄々をこねられてしまった。

 だからオルトは頭を手を置いて言ってやった。

[一人でやれるな]と。

 真似ごとでしか無い。所詮は『分かっていない』オルトの言葉だ。けれども、いまこの場で行かないで何を『まっとう』できるだろう。

 渋っていたけれど、小さな手はオルトを掴んでいた手を緩めてくれた。


 よし、行こう。

 銃撃を三発数え終わった直後にオルトは射手の方向へ踵を返し、飛び出したのだ。

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