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cold hands

 

 エフが突拍子も無く変なことを言い出した。


「移動するから準備してね、明日出発、そんな感じだから」


 横暴だ。

 住居の補修も、食料の備蓄も、そもそもみんなのコンディションからして万全には遠く及ばない。

 集落には足を欠いている者だっている、彼らを見捨てるつもりか?

 さすがにこんな話にはみんなブーイングに決まっている。

 

 ……。       


 ここまでなのか?

 彼女の、女王の権威は、こんな無茶さえ黙って頷かせるほどのものなのか?

 『預かる』なんて言って、エフの勝手について行けなければ切り捨てるんじゃないか。

 こんなのは、こんなことは、裏切りだ。


 彼らはお互いの時間を分け合い、尊重し、協調する生き方をするんじゃ無かったのか? それが脅かされたのに、都合が悪くなったら見ないフリを決め込むのか?

 碌でもない。ああ、期待外れだとも。

 この現実世界から恩恵を受けた精神を宿していても、こんなふうに都合の悪いことに蓋をしてその貴重な精神を欺いてしまうのなら、価値など無いに等しい。


 ああ、イライラする。

 どんな口汚い言葉でエフと彼らの欺瞞を罵れば、このネガティブを晴らせるだろう。

 機械の手足は動かせるのに、このざわめくメンタルはどうやったら動かせるのだろうか。

 棒立ちになったまま、オルトはレンズに荷造りに取り掛かる集落の人間たちを映していた。


 ▼


 とにかく何かをしなくてはと思った。


 彼らはみんなエフを無条件に信仰しているから自分の生活を捧げてしまう。理不尽を感じながらも黙って許諾してしまうのなら、それはもう怠慢じゃないか。


 そんな必要は無いのだと目を覚まさせてやろう。

 キミたちの感情はそんなに簡単に誰かに委ねて良いようなものじゃあない。言うべきことは声を上げるべきなのだと、諭してやろう。

 きっとみんな自分がやるべきことに気付く、エフの命令をボイコットする。そうして彼らはもっと豊かな生活を送れるようになる。

 何もかもが上向きになるに違いない。

 外から来たオルトだから出来ることだ、これは使命だ。


 考えがまとまったからオルトは集落中を訪ねて回った。

 いまのオルトは彼らの大部分とそう悪くない関係を築けている。きっとみんなオルトの言葉に耳を傾けて、出て行く必要なんか無いと気付いてくれると信じていた。


 結論で言えば、誰一人としてオルトの言い分に同調する者は現れなかった。


 おざなりに、困った顔で、あるいは『ごめんね』と断りながらも、誰一人として荷造りの手を止めなかった。

 一緒に行く力は無いと判断したのだろう、片足が不自由な老人は準備を進める同居人の傍らでただ静かに腰掛けていた。


 この後に及んで彼らはどうして共存出来るのだろう。

 裏切ろうとしている者と、その仕打ちの受け皿なのに、どうして揃って食卓を囲んで杯を鳴らせるのだ。 


 彼らは互いを大切にする習性を遵守しながら、同時にないがしろにする行為を行う矛盾を達成している。これがコンテンツだったのならこだわる必要も無い、だたのライターの未熟だと判断してタスクキルするだけだったのに。本当に彼らのやることなすことは不条理だ。

 オルトはただ彼らの感情とプライドを守ろうとしているのに、オルトがいくら理屈を説いてもエフに陳情を述べようという意見はとうとう聞いてもらえなかった。

 みんな、そんなにエフに心酔しているのか。こんなことは不健全なのに、どうして誰にも伝わらないのか。


 しつこく聞くとほとんど『いつものことだから』と返ってきた。

 彼らはこれまでもエフに振り回されて、いくつかの拠点 (ポイント)を定期的に移動する生活をしてきたらしい。

 一つ謎が解けた。彼らの生活が貧しく、集落の設備の手入れが不十分なのはこの下らないルールが原因だ。時間も無い、疲労も溜まる。どうせすぐに使わなくなるからと言う考えは妥協を誘発する。

 やっぱり、デメリットばかりの移住生活は止めさせるべきだ。だれも行かないなら、オルトが一人でエフを止めるしかない。

 


[エフ!]

 勇み足で家屋に踏み入ると、いつも通りガラクタが散らばっていた。

 リーダーの肩書きをひけらかし、みんなを一方的に巻き込んでおいて自分はこの有様。やっぱりイエスマンしかいない環境は両立場にとっても碌な結果を生まない。


「どうしたの?」

[どうしたもこうしたもあるか! キミなにを考え――]

 振り返った彼女を見てぎょっとする。

 左腕が外れていた。

 義手だと分かっていても、在るべきものが在るべき場所に無いということは、自分のことでなくとも心許無く感じる。


 エフは床に置いた義手を器用に足で抑え、工具で螺旋を回していた。

 ここは電脳じゃ無い、彼女の腕はファッションじゃあない。それは当たり前で理解だってしていた。だけど、むざむざと見せつけられたその光景は、オルトの憐憫の情を一層に引き出した。


[手伝うよ]

 そう申し出ると、エフは首を傾げてから「じゃあ持ってて」と腕を渡してきた。

 信頼されているのか、それとも侮られているのか。エフの力そのものであるこの左腕をよくも委ねられるものだ。オルトがこの腕を持って逃走し、川にでも沈めてみろ。彼女ははたしてその威勢を維持出来るだろうか。


[……]

 だまって作業を続けるエフに、オルトは遠慮してしまっていた。言いたいこともちゃんと言えないなんて、自立したメンタルらしくも無い。

[足、普通なんだね]

 戦闘時に聞いた異音と加速能力から推察するに、てっきり足も機械に接ぎ替えしているものとばかり思っていたが、彼女の足は見る限り生身だ。


「ちゃんとイジってるよ。骨とか腱とか、関節部はだいたい耐久性の高い有機人工物だから」

[そうなの?]

「そうしないと、『リミッター』を外す度に動けなくなるでしょう?」

 エフは工具で自分の頭をこつんと叩いた。


 戦慄を覚える。

 合点がいった。

[自分の脳をハッキングしてるってこと?]

 人間の思考構造は非常に緻密だ。その演算は自然由来とは思えない情報量を扱っている。それは肉体に格納されていた頃から変わらない。

 それほどの演算を行うために発達した人の脳は肉体で活動するのには過剰な操作処理が可能だったらしい。このことからも、人の精神が肉体よりも発達してることが示唆され、精神こそが人間を人間たらしめており、電脳へ移譲したメンタルはより『本質』を抽出した知能生命体と言える。


 だが、彼女は現実に生きる人間だ。身体に依存している彼女の本能は肉体を保存しようと機能しているはずだ。それは彼女が生きるために設定されている『制限 (リミット)』である。意図的に解除して、身体を酷使するなんて無茶苦茶だ。


 電脳はそこに棲まうメンタルの為に存在するが、現実はそうではない。太古から連綿と続く支配者の無いルールが残酷に敷かれ、人間は特別では無く、その他森羅万象と同列の順位付けで扱われる。

 メンタルがプロトコルを逸脱出来ないのと同様に、この世界の全ては物理に管理されなければならない。人間が与えられた領分を逸脱してまで世界を侵犯するなど歪に決まっている。必ず本来消費する以上の代償を強いられるだろう。

 例えば、身体の耐久性、『寿命』とか。


[どうしてそこまでするんだ?]

「必要だから」

 なるほど、シンプルな回答だ。

[必要ならなんでもやるの?]

「やる。やらない理由がないならね」

 淀まない。

 主張自体は正しい、必要なことだからやる、合理的だ。メンタルならば『らしい』回答だ。

 

 でもキミは『人間』だろうに!


 ダメだ。すっきりさせるために来たのに一層にメンタルが落ち着かない。

 なんで、叱りつけに来た相手にこんなふうに煩わされるのだ。


[……へえ、必要ならなんでもやるんだ。じゃあ、その左腕も自分で切り落としたとか?]

 自分の身体を傷つける機能を平気で使う気狂いとはいえ、そこまでやるなんて思っちゃいない。

 ただ言わせたかっただけだ。

 『そんなことするわけ無いでしょう』って、エフの口から白状させたかっただけだ。


 ああ、だけど彼女は、作業の手すら止めないで、

 

「切り落としたよ」


 言って欲しくなかったんだ、そんな事実は。


 いくらレンズの縮尺を変えても彼女の表情の変化は一つとして見付けられない。そんなことをしなくても、彼女が嘘など吐いていないことはわかりきっていた。

「ん、おしまい」

 オルトから腕を受け取ると、彼女はさっさと取り付けてしまった。

 仕上げに頸にソケットを差し込んだエフは指を開いて閉じ、順番に折って開いての動作確認をしてからオルトに向いた。


「ありがとね、手伝ってくれて」

[べつに……]

 うれしくない、ずっとメンタルがざわつくんだ。それに、『痛い』?

 おかしい、また、メンタルの不具合だ。痛みの要因なんてどこにも無い、ましてや、この身体は痛覚を伴わないウォーリア (機械)なのだから。

 だから、これは、このメンタルに作用するコマンドは、きっと『失望』だ。


 エフはコミュニケートを失ったオルトを横目でチラリと見やってから戻し、今度は逆側に流した。

 一泊。

 下弦の軌跡で眼球を回し、もう一度視線をオルトへと戻す。


「あ、そうそう、切り落とした左手はどうしたと思う?」

[えっ?]

 どうしてそんなことを態々聞く? どんな意図を持っているのだろう。

[どうしたって言うのさ?]

 観念して尋ねると、彼女は唇端を吊り上げて言ったのだ。

「食べちゃった」

「……はあ?」

 がうがうなんて擬音を付けて、指でジェスチャーする。

 本気か? 最悪だ、悪趣味すぎる。

 『直感』とはまた異なる、イヤ感覚を覚える。


 クスクスクス

「じゃあね、わたしは寝るから」

 毛布をひっかぶって転がる彼女はまるでそこら辺に転がるガラクタみたいだった。


 棒立ちになったオルトは彼女の小さな寝息が聞こえた頃になってようやく、巡った思考を結ぶことが出来た。

[揶揄ったんだ]

 だからクスクスってやったんだ。


[こんの!]

 バカにして!

 蹴飛ばしてやろうかと思ったが、止めた。ここでそんなことをしたってどうせ彼女は嗤うだけだ。また『幼稚』だと言われるだけだ。

[陰険なヤツ]

 小さく上下する毛布の塊が、悪態に返事を返すことはなかった。


 結局オルトはなにもしないで踵を返した。

 家屋を離れてから思い出した。エフのところには抗議のために行ったのだったか。結局なんにもしていないではないか。

[ボクは、何をやっているんだ]

 なにをしたいんだ。

 なにが、出来るというのだろう。


 エフの理屈が正しいのなら、オルトは間違っているのだろうか。

[そんなこと、ない]

 現在の環境で、集落で抱える人間を一人でも多く救うためにはオルトの考えが最善だ。放蕩なんて止めて定住し、壊れた居を直して備蓄を増やす。


 エフは住人の目の下の隈や、痩せぎすで浮いた肋を見ても何も思わないのだろうか。そんな彼らに無理強いをすることさえもエフにとって『必要なこと』だと言うのだろうか。

 みんなを守り、健やかな生活を送れるような方針を執る。それがリーダーであるエフの役目だろうに、どうして台無しにするような選択を強行するのか。

 どう考えてみたってエフのやり方は冷酷だ、弱い者から切り捨てるような方法なのにそれを否定しようとしているのはオルトだけだ。


 オルトだけが違うから同調できないのだろうか。


 空を見上げる。

 霞が掛かった月は初めて見上げた日と比べると、随分と痩せてしまっている。

 現実世界は絶えず変化せずにはいられないらしい。にもかかわらず、環境は不親切そのもので、FP (ファーストパーソン)固定で観たものを観たとおりにしか残せない。しかも人間が備えている記憶媒体に保存した情報は劣化しやすく、容易く失われてしまう。彼らは時間の概念が形骸化するほどの永遠を可能にした電脳社会のメンタルとは違い、蛍火のようにか細い一瞬を辿って生きているのだ。


 電脳を基準にしたオルトの視点では彼らは理不尽なハンデを背負わされた儚い存在だ。だが彼らの在り方はその印象を大きく裏切る。

 そんなことが出来る理由は、やはり彼らが強い『精神』を備える存在だからだろう。


 いや、逆なのか?

 彼らの強力な精神とは、もしかしたら、その克己心によって培われるのではないのか。


 だったらオルトが彼らと同じ感情に辿り着ける訳がない。

 メンタルは不満や苦痛の一切と隔離されている、叛逆の芽は電脳には発生しない。闘争は不完全な知性の起こす癇癪のようなものと見下しているメンタルが、どうやって克己心を手に入れられる?

 同調できるはずがない。 

 オルトは彼らのことを分かった気になってエフに会いに行ったが、同じ生き方が出来ないオルトが代表面なんて、バカみたいだ。


 違うんだ、間違っているんだよ。

 隔たっているんだ。

 

 ギィ、ギギィ

 この腕が、この身体が螺旋巻きだから。

 この『魂』が薄っぺらいコマンドで育くまれたために、乏しい情報量しか蓄積していないから。

 この手が、肉を纏っていないから。

 

 触感機能を搭載していないこの粗末な身体でなにをと思う。ただ、夜気にあてられた鉄板にギア、ボルトや螺旋は、冷えてぎこちない気がしたのだ。



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