be me
通りを振り返る。
[えっと彼は、確か――]
たった今すれ違ったのは昨日木登りをしていた個体、違う、『人』だったか。それとも水汲みに連れ立った『人』だったか。
オルトには彼らの見分けの判断がつかなかった、その能力は電脳では必要が無かった。なにせ、見た目なんてものは自由に被れるものだったのだから。
メンタルの判別はタグを見れば良かった。それだけで名前とID、その他必要な情報を取得できる。コミュニケーションを取る際もライフアシストが情報を提示してサポートしてくれる。判別のためにメンタルのリソースを割くタイミングは、皆無だった。
オルトは集落に棲まう彼らに大小程度の差異しか見付けられない。雌雄さえも見分けられない。彼らを識りたいと思いながら、オルトは彼らの個人を認めることさえできない。
いい加減に分かった。
電脳社会はメンタルの尊重を謳いながらも、思考の過程を省略してしまう。現実を生きる彼らとは真逆だ彼らは数時間毎のインターバルを必要とする、非常に限られた時間を生きているのにも関わらずその時間を他者のために割く、だから貴重な自分の時間を与えた誰かのことを愛することが出来るのだろう。
彼らを理解したいのなら、まずは彼らの時間幅 (クロック数)に同期する必要がある。彼らの価値観に共感しなければならない。
『お前は、ソレをみんなに言えるわけ?』
そのしたり顔を引っ叩いて、『もちろん言えるさ』と答えてやるには必要なことだ。
このメンタルが不正アクセスによる虚実に踊らされているだけなのか、それを確認するためにも。
フラットに戻ればこんな不確実な状態は切り捨てるべきだと、染み付いたリテラシーが訴える。
危険すぎる、メンタルが影響を受けているのならば、極端な話、彼らへの興味さえも操作されている可能性がある。いっそ全てを捨てて終わるのも選択肢だ。
『死』がどうした。彼らにとってそれが重要な意味があろうとも、オルトにとってはそうでは無い。この現実でどれだけの屈辱を舐めた、不自由を呑んだ? 終わりにする言いわけには困らない。
オルトが死を選んだのなら、きっとエフはまた嗤うだろう。
『やっぱり幼稚ね』なんて言って。
それは、腹に据えかねる。
ふと気が付く、この現実でオルトが唯一個人と認識できる存在は彼女だけだ。あのサイボーグの腕は分かりやすいシンボルだ。
だから、彼女との接触はオルトのメンタルに大きな影響を及ぼしているのか?
すごい、すごいぞ!
メンタルが彼女に執着をしている。
個人の認識を獲得しようとした試みはやはり正解だ、既にこの様な変化をメンタルにもたらしている。この発見はオルトが自力で獲得したもので間違いない。きっと、おそらく、そう……。
足踏みしていては得られるものも得られない、この能力は伸ばすべきだ。
▼
オルトが個人の認識を意識するようになってからコミュニティに明確な変化がおきた。
それは、これまでオルトを煙たがっていた『大人』が少しずつだが接触をするようになったことだ。
彼らは自分の名前を間違えられるのを嫌う。曖昧な識別のまま、間違った呼称を発声したときの彼らの形相と言ったら。舌打ちなんてアピール、今時のコンテンツでは使われないからいったい、なにごとかと思った。
そのかわり、きちんと観察して彼らの特徴を記憶し名前を呼べるようになると、驚いた顔をして舌打ちをしなくなった。当然だが、全員と良好なコミュニケーションをとれる関係にはなれていない。彼らのアイデンティティは条件 (フラグ)を成立させれば同じリアクションをアウトプットするような単一な出来をしていない。
無視されるなんて可愛いモノ、目の前でドアを閉められたり、死角からけりを入れられたり、名前を呼ぶことで対応がより攻撃的になった大人もいる。彼らはエフが許可を出せば飛び上がって喜び、オルトを解体しはじめるだろう。
その変化さえも歓迎するところだ、遠巻きにされるよりもよっぽど良い。
必要なのは刺激だ。彼らの内包するエントロピーを正しく受け取るためには、彼らの発露する感情に最も近い場所に居るべきだ。対象になることは最も効果的と言える。その要素はなにもポジティブにこだわる必要は無い。
「でも選り好みしてるよね、お前。友好的な対応をしてくれる相手の話ばかりしてるけど?」
そんなことは無いったらない。
ウォーリアのメンテナンスが出来るのはエフだけだ。活動を継続するには彼女の元へ通わなくてはならない。そうすると、ぎーこぎーこと弄くられながら根掘り葉掘りとほじくられる。
無視を決め込むのも彼女に弱みを見せているようで、どこか癪な気がして、ついオルトも素直に答えてしまっていた。
それでさっきみたいな『イヤミ』を吐かれているのだから、余計に釈然としない。
「いいんじゃない? その方が本来だよ。優しくされたらもっと優しくされたい。この世界は無秩序だよ、好きなだけ差別をしなよ」
[差別? ボクがそんなくだらないことするはず無いだろう?]
差別は人が備える本来の性質を歪める劣悪な行為だ。それによって、歴史上、どれだけの凄惨な出来事が起きたことか。そんな行為を肯定するなんて、やはり彼女はなんというか、箍が外れている。
エフは電脳のメンタルとも、この集落の人間とも異なる在り方をしている。まるで無機と有機を合わせ持つ彼女の身体のように、一本筋の通ったロジックの中にそれだけでは完結しない『ゆらぎ』がある。彼女はとてもアシンメトリーな存在の仕方をしている。
[エフは差別を推奨するけれど、キミは平等に振る舞っているように見えるよ? だれにでも平等にそっけない]
彼女は女王だ。
この集落に彼女に服従しない人間はいない。子供も大人も、オルトに対して唾を吐く彼だってエフにはお辞儀をする。彼女の態度は一貫している。誰を相手にしてもうっすら笑顔を浮かべて片手を上げて返すだけだ。
彼女は孤独だ。
つい最近集落に棲み着き、しかも彼らとは正反対の機械の躰を駆るオルトでさえも子供に交じって仕事を手伝ったり、目的の為にタスクを共有するのに、いつ見てもエフはスタンドプレーだ。
オルトはエフの激情を体験している。電脳のメンタルが持ち得ない、苛烈なまでの感情は彼女がこの剥き出しの世界の恩恵を受けて育まれた人間である証左に他ならない。
だが、彼女の集落の人間に対する愛情はどこか空々しい気がする。
エフと他の人間達とのやりとりは、まるで電脳社会での定型文の交換を想起させた。
エフは、集落の人間のことなど、どうでも良いのではのではないのか?
クスクスクス
「ならわたしのマネっこはしないようにね」
揶揄うようにエフは言った。
これに関しては言われなくともだ、というよりもそうする他に無い。
他の人間はアクションへのレスポンスがある程度予想が立ち、感情の理解に繋がる。しかし、オルトはエフの感情の質を分析できずにいる。彼女がウォーリアの手足を外したとき、痛めつける目的で広場に置いていったとき、集落での自由を与えたとき、彼女がどんな気持ちを根拠にオルトに関わったのか、まるで解らない。
彼女を例外と考えなければ、他の人間から得た観察結果を全て疑わなければならなくなる。そんなことになったらお手上げ、オルトに彼らを理解することは到底無理だ、諦めるしかない。
[そう言えば、どうしてここは人数が増えたり減ったりするんだい?]
人の見分けが出来るようになったから気付いたことだ。
この集落に棲まう人間の数は一定では無い、昨日見たはずの人間がいつの間にか消えていたり、その人が居たはずの場所に全く知らない人間が寝ている場面にも遭遇した。
「別のコミュニティから人が合流したり『終わり』の人が出て行くからね。まあ、どこの誰だろうとここにいる間はわたしが預かるよ」
[出て行ってどうするのさ?]
彼らは一人では生きられない。集落ではあらゆるモノが不足しているから共有資産が数多くある。生活に必須な品が個人所有であることはまず無い。生活自体も集落全体が協力して成り立っている状況から独立して生きることが可能だとは思えない。
「わからないの?」
質問で返される、考えてみろと言うことか。
……。
出て行く理由の方なら簡単だ、一つしか無い。
リーダーの横暴に耐えかねたのだ。
オルトには他人に服従するという感覚がいまいち理解しかねた、忌避感すらある。現実世界の人間がより強い感情を備えているというのなら、それは顕著になるのが自然ではないのか。
なら、出て行った彼らがやることは……、
[健全な生活をするんだ。誰かに抑圧されない自分の意思を優先できる生き方を。おあいにく様、預かるなんて言ってたけど、彼らはキミを拒絶したんだ]
意趣返しにはっきり言ってやった。
するとエフはきょとんとした顔で、瞠目したのだ。
クスクスクス
「ダメな感じ、うん、これじゃあダメダメ」
また見透かした顔をして。
鼻持ちならないな、そんなにも機械の左手が自慢か。彼女はオルトのメンタルをすっかり掌握しているつもりのようだ。
「教えておいてあげる。わたしがみんなを預かるのは『まっとう』させるため。この行き詰まった現実でも、せめて意味を持つことが出来るように。出て行ったのはね、わたしが預かる必要がなくなったから」
[だから拒絶されたんだろ? なにがダメなんだよ、ズバリだろう?]
エフは首を振って、『ノー』を示した。
「わたしたちは文明を持っていない。かつての名残に縋り付いてはいるけれど、技術を伝導するものも引き継ぐ者もいないこの世界の人間は種としての意味をとっくに失ってしまったんだよ。なら、自己証明は自分で自分に与えるしかない。わたしがみんなを預かるのはそれを助けるため、そのわたしのもとから出て行くってことは、もう分かるでしょう?」
このところで集落で目撃する、聞き分けない子供に言い聞かせるような口ぶりだった。
[その『意味』を見付けたから出て行ったと?]
エフは『イエス』だと、頷いたのだ。
それから、
「だからお前も意味を探求しなくてはならない、だって、お前もわたしが預かった一人なんだから」
そんなことを言った。
彼らの感情の理解についてとっかかりが見つかったところだというのに、また訳の分からないことをふっかけられてしまった。
現実世界の人間はたびたび言葉を装飾したがる。電脳のコミュニケーションではあり得ない、そんなメッセージは誰にも相手にされない。そもそも意図的に誤解を演出することにどんな意味があるのだろう。
分からない。
エフの言うことは特に。
自分が無知であることを思い知る日が来るなど、思いもよらなかった。
「出来るよね? なんて言ったって、お前はわたし達を理解しようとしているんだから」
[必要なら、探すよ、言われなくたって]
不安? それとも反感? あるいはない交ぜになって生まれた別の何か?
いや、生まれているのだろうか? これも錯覚で本当はなんにも持ってないまま、電脳でコンテンツを貪っていたままの、何一つ変わらないままのメンタルなのでは……。
変わりたいのか?
そんなことを思い始めたのはいつからだ?
憧れたのはこの現実の世界だ、鮮烈でエネルギーに溢れているこの世界。
コマンドでは手に入らない情報を理解しようとしたが、別に彼らと同じになりたかった訳では無かったはずだ。しかし、変わることを願ったと言うことは、オルトは抱いたのだ、劣等感を。
肉体に依存する限り純粋な知性は成立しない。知性体がその精神を維持するための媒体に過ぎない肉体からの要求に左右されるなんてチグハグだ。だから電脳社会のメンタルこそが知性体の最上なのだ。ロジックすら必要の無い事実。
あり得ない、知性体でありながら彼らのように思考することもままならない存在に落ちぶれることを望んだなんて、メンタルとしてあり得るはずが無い。
メンテナンスを終えても動き出さないオルトを認め、エフは右手の指でアイカメラを弾いた。
「良い感じ、うん、そうだよ、それが大事」
がんばってね。なんて、言いながらエフは高見の見物を決め込んでいた。
腹いせだったのだろうか、彼女の顔にいつも張り付いている微笑をレンズに映していたら、こんなことを尋ねていた。
[エフも、自分の意味を探しているのか?]
「わたし?」
ぞくりと、その微笑からは『直感』を得たのだ。
「無いよ。わたしは意味を持たない、わたしはわたしという程度の低い『生物』を認めない」
酷薄だった、残忍だった。碧眼は闇を呑んで淀んでいた。
己自身に向けたその瞳にこそ、かつてオルトと銃と剣を交えた時以上の敵意を宿していた。
[エフ?]
「……だからお前はちゃんとわたしのところから出ていってね?」
その言葉がオルトには酷く耳障りに聞こえて、立ち上がって隅の陰で布きれに包まる彼女を黙って見送っていた。
目的さえ達成したらキミみたいな自分勝手なヤツのところはすぐにでも出て行ってやる。常々そう思っていたはずなのに、どうしてオルトのメンタルは彼女の言葉をさっさと処理し終えてしまわないのだ。嘘だとこじつけられる何かを探すように繰り返しているのだろう。
いったい、オルトのメンタルは何になろうとしているのだろうか。
ままならない。
みっともない。
ああ、なんともだらしのない精神なのだろう。