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iron cage


 電脳世界では、肉体の欠損なんてものはただの表現に過ぎない。

 重要なのはメンタルだけだ。

 脳天に風穴が空いても臓物が横腹からはみ出ようとも、それはジョーク以上の意味を持たない。その場限りで終わる話なのだ。


『だから?』と彼女は言った。

「お前はみんなに言えるわけ? ぶっ殺しまくったけれどホントに死ぬとは思わなかったんだ。ごめーんね? ってさ」

 ウケるね、なんて。


 オルトが彼女に抱く心象は笑顔だ。戦闘中も笑っていた、この集落で覚醒してからも彼女は笑顔を絶やさなかった。オルトを痛めつけるための機能を追加したときも、集落の連中の発散のための生け贄にしたときもだ。

 その笑顔には退廃を感じるなんて、自身を持って言えるほど自惚れてはいない。どうしてこんなことになっているのかさえオルトは分っていないのだから。


[ボクは、どうしたらいい?]

「何もしなくていいよ。もうお前の役目は終わったから」

[役目?]

 「そっ」と頷き、彼女はヘッドを持ち上げて目線を合わせた。


「もともとわたしはどうでも良かったのよ。この左手でクラッキングして情報を抜き取ったらぽいっていうのが最初だったの。でもそれだけで産廃にするのもって思って、試しにみんなのオモチャを作ったら思ったより盛り上がってくれてさ、だからみんなが飽きたら片付けるの」

 コイツは何なんだ?

 異質という印象だった。彼女は人間だ、振る舞いにはコマンドとは違う『リアル』の感情を感じる。彼女がオルトに対してマイナスの激情を露わにしていたのは確かだと思う。ただ一方でオルトに対して石を投げた彼らとはまた違う、まるでフィルターを通して案内されたかのような感情の『違和感』が彼女にはある。


 クスクスクス

 そうだ、この笑いだ。

 暗い、覗けない程の深淵から響くような、その声。


「選んで良いよ。そのガラクタのカラダで生きてみる? それとも死ぬ?」

 死ぬ、だと?

 脅しているつもりか? その程度のことがなんだというのだ。手続きと承諾のサインをして、電脳に無数に蔓延るメンタルの内の只の一つが消える。コンテンツの供給でも辟易の堂々巡りを抜けられなくなったメンタルの『終わり方』 (ターミネーション)。


 彼らはその程度のことに憤り、嘆き、石を投げた。そして、オルトもその程度で発露した彼らの感情に圧倒され、怯えた。

「お前はいま電脳社会から隔離されてスタンドアローンになっている。電脳へフィードバックはされない。いつもみたいにゲームオーバーになったらベッドでおはようにはならないってこと。……消えるの、無くなるんだよ。この瞬間のお前はね」


 だからそれが何だというのだ。死ぬことなんて何でも無い、意義も意味も無いただの結果だ。なんでも大袈裟にして自分を可哀想にしたがる『感傷持ち (ロマンチスト)』だけが儀式にしたがる。

 じゃあ、『生きる』はどうだ?

 少なくとオルトの続けてきた『生きる』とは意味の異なるものが待っているはずだ。

 まるで味の薄いスープを口に運び続けるようなこれまでとは違う、この世界――現実は鮮烈なのだから。

[……生きてみてもいい?]

 答えると、彼女は「へぇ」と意外そうに瞠目した。

「はじめてよ? お前以外はみーんな『たくさんだ、終わりにしてくれ』って言ったもの」


 やはりか。

 彼女は初めてでは無いんだ。オルトの前に、いくつものメンタルに同じ扱いをしてきたんだ。そして、最期には乞わせて死を与えた。


「お前たちって幼稚よね。わたしのとこにいる一番小さい子でも唾を呑んで飢えを耐え、大人の歩幅に合わせて歩くのに。お前たちはすぐに叫く、泣く、楽しいことばかりを見て楽になるためなら死さえ欲しがる。おまえたちは程度の低い魂をしているものだって思っていたんだ」

 でもお前は生きることを選んだ。


 碧眼はレンズを、その奥に潜むメンタルを覗き込むように、

「わたしはエフ。名乗って良いよ、お人形さん。あるよね、名前?」

[……オルト]

「そう、じゃあオルト。お前は今からわたしが預かるね」

[預かる?]

「ここにいるみーんなわたしが預かっているんだ。お前もその内の一人になる」


 メンタルを人に委ねると言うことか?

 なんだそれ、あり得ないぞ、承諾できるものか。リソースの奪い合いで疲弊した旧世界を思い出せ。他者への侵略が平然と行われたおぞましい結果がそれだ。

 そんな地獄に墜ちるのか? 真の平等を実現した電脳社会のメンタルであるオルトが? 


「やなの? じゃあ、死ぬ?」

[生きるよ」

 即答していた。

「じゃあ、そういうことで」

 連れてきたときと同じように彼女は、エフはガラクタを脇に抱えた。違うのは歪みと螺旋の緩みが酷くなったせいでガクガクが増したことだ。

 きっとこの機械仕掛けと同じでメンタルもおかしくなっている。根拠も不明なまま目先の目的だけで行動しているのだから。とても正常で理性的なメンタルの行いとは思えない。

 『生きる』とは目的を実行し続けることだ。だから、メンタルにはコンテンツが必要なのだ。漫然と在るだけでは、思考は供給されない。


「ちゃんと死ねるといいね」

 こつんこつんと、エフの機械仕掛けの左指の先が、ウォーリアのメインCPUを奏でた。

 なぜ『死ぬ』ことをそんなにも大事そうに言うのだろう。そこにいったい、どんな価値を見ているのだろう。

 分からない、何も識らない。

 ならば、それを『目的』に設定しよう、意義と意味と価値を彼女から捜そう。

 それが、ここでオルトがするべき『生きる』だ。


 ▼  


 エフはウォーリアのパーツが散乱する屋内で、自分で外したであろう部品を取り付けていった。

 その間、胡座をかいて砕けた態度のオルトと会話をした。機械とは言え、手足を取り付けながら虫の食感を話をするのは、なかなかに猟奇的な気がした。


 コンテンツを参考にすれば捕虜になった者と言えば厳重な監視と嫌がらせに晒されるのが様式美なのだが、あれはウソかもしれない。

 エフはオルトを制限しなかった。それどころか、集落の連中に『改造した試験機』だと紹介して馴染ませようとさえした。いや、そんな意図があったのかも定かでは無い。彼女は面白がっているだけではないのだろうか。


 集落の連中は戸惑っていた。昨日まで石を投げていた対象と次の日は仲良くしろと言うのだから。だが、予想に反して彼らはエフに従った。『預かっている』と言う言葉に嘘偽はなく、彼女は確かに女王だった。



 機械の身体で『彼ら』に混じって暮らしてよくよく理解したことがある。

 肉体は『不潔』だ。

 口を開けば唾液を飛ばし、動けば分泌物を体中から噴き出す。身体から剥離した皮膚の破片を部屋中だけに留まらず、髪や衣服にこびりつかせる。

 あとはあれ、排泄。あれこそ最悪だ、グロテスクにも程がある。どんなコンテンツからもそんな表現は排除されていた。汚い、最低だ、劣悪だ、最悪だ。


 肉体は『不便』だ。

 簡単に損傷する、個体によって差異が生じる。その残酷さは決定的な差別を視覚化する。

 欠損なんてしてみろ、あらゆることに丁寧なエビデンスを要求される現実世界では自分の面倒さえままならなくなる。この集落にはそう言う身体障害持ちが少なくない。

 だから彼らはお互いを手足の代わりにして助け合った。彼らは自分の時間を誰かのために使うことを日常にしていて、そのことを喜びにしているようだ。隣り合い、身体を触れ合わせるとき、彼らはよく笑顔になる。

 その笑顔は小さい個体限定だが、オルトにも向けられるようになった。

 理由はこれ、胸部プレートに乱雑に描かれたアートだ。


 Lily! Lily!


 まるでそう言う啼き方をする動物のようにはしたなく、小さい個体がオルトを指す。

 エフが工具を使って刻んだアートがすっかりオルトのシンボルとなって定着してしまったのだ。

 まあ、彼らがこちらのことをなんと呼ぼうとも構わない。それでオルトのメンタルに何かしらの変容を及ぼすわけでも無い。彼らとの接触は歓迎するところだ。原始的な彼らの例に倣えば、彼らの『生きる』が理解出来るかもしれない。


 彼らの生態には辟易することばかりだが、経験することには確かに意味があった。

 例えば、彼らは夕暮れの時間には指を組んで膝を着く。

 コンテンツで信徒のキャラクターが偶像に捧げるソレのようだった。あのシーンには歓喜のコマンドが設定されていることが多い。奇を衒う作品だと反抗心や沈痛が設定されていたりもする。


 彼らの祈りには、正直何も感じなかった。はっきり言って落胆した。存在の定かでは無い代物をありがたがって崇拝するなんてコメディにしたってもう少しやりようがあるだろうに。

 旧時代の脆弱なメンタルらしいと言えばらしいが、オルトが期待したのは、この鮮烈な世界を食らって存在する彼らが秘めた、コマンドでは到底再現できない激情だ。こんな安っぽい寸劇ならコマンドで十分だ。この程度がオルトが『生きる』ための経験値を得る糧になるはずも無い。


 忍耐だ、判断にはまだ早い。見切りを付けて最低と屈辱を耐えてこの世界とオサラバするにはまだ、オルトのメンタルは諦め切れていない、『生きる』と囁いている。この期待が無くなるまでは『死』を受け入れられない。バースデーに死ぬこだわりがあってもバースデーの目前で『死ぬ』ヤツがあるだろうか。


 まだまだ、この世界を識らなければならない、彼らを理解しなければならない。

 所詮、今の段階でオルトと一緒に居たがるのは、この世界でも未熟な小さい個体ばかりだ。彼らと馴染み、いずれはより長い時間この世界に馴染んだ大きい個体と関われるようになってからが本番だ。今は前段階、忍耐だ。



「ねえねえねえ、どうして祈るか、お前に分かる?」

 とある夕暮れに呆れた目で辟易していたオルトに、いつの間にか忍び寄っていたエフが言ったのだった。


[意味なんてないよ、アレはままならない現実を消化できない精神の縋り付く様だ。意味なんて無い。ただの弱さ、原始的で不安定な自己を確立できない可哀想なメンタルの児戯だよ]

 クスクスクス

 エフは笑った。


 いい加減に分かってきた。

 この嘲弄は、オルトの『不足』を見下しているのだ。

 あなたはなんにもわかっていないのね、と。


 彼女は今現在、最もオルトのメンタルに影響を与える存在だ。こうして虚仮にされているとあからさまに分かると、ふつりとしたざわめきが自覚できる。

[だってそうだろう! メンタルがしっかりしていれば、何かに縋って安定を提供して貰おうなんて考えない!]

 クスクス

「またソレ、お前の幼稚なところ」

 よくも言う。

[なら何があるというんだ。あの行為によって彼らはどんな利益を獲得出来る?」

「それはお前が考えるべきことだよ」

 この詐欺師め。

 詭弁と思わせで期待を持たせ、こちらを弄んで楽しむ性悪。


 まて、そうか、『詐欺』か。

[キミ、その左手でボクのメンタルになにか仕込んだろ?」


 おかしいと思ったのだ。

 エフと彼らが実在する人間というのは納得できる。この世界も現実だろう。だがオルトを困らせるこの不可解な消化不良はどうだ? 


 だっておかしいだろう。電脳ではこんなことはあり得なかった。自分のメンタルを制御できない、そんな迂闊なことがこんなにも立て続けに発生することなんてあるか?

 全部仕組まれたかと考えるべだ。

 この、人を嘲笑して高見の見物を決め込む性悪に。


 あの左手は脊髄に直結 (ダイレクトプラグ)することで自身の脳をCPUに使った疑似コンピュータの側面を持つ。

 電脳を管理するマザーAIによって電脳の秩序を乱す犯罪、特に不正アクセス (クラック)は厳重な取り締りにより根絶された。しかしこの現実世界はマザーAIの庇護の外側にある。さらにローカルに引きずり込みさえすれば、システムやメンタルにアクセス出来る彼女の独壇場だ。

 メンタルがダウンしている間に何かを仕込まれたとしたか思えない。

 そうでなければ、この不自然なメンタルの挙動や原始的な彼らに、『恐怖』したなど、あり得るはずが無かったのだ。


 クスクスクス

 見透かしたように、エフは嗤う。

「気持ちは分かるけど弱さは認めなくちゃ。お前が考えているほど悪いものではないよ、ソレは。心は揺れて動いて、大きく育つ」

[ポエムか、分かりやすいね。そうやって言葉を煙に巻いて言及を逃れようとするんだ]

 卑怯者め!


「死んだ仲間に報告しているんだよ、今日も生きていますって」


[それがなんだ、なんだ?]

 なんで、ざわめくんだ。

 トリックは暴いた。全てはペテンだ。オルトのメンタルは本当は安定して然るべきなのに。


「墓が無いんだ。ううん、墓を作らないの。キリが無いし余裕もない、そんな時間も準備できないから。だから太陽に祈る。壊されないモノなら何だって良いんだけどね」

[葬式、なんて、それこそ脆弱なメンタルの自己満足の典型さ。肉体への執着故に、その終点に意味を持たせたがるんだ。実質には只の浪費にも関わらず、特別な名前を与えるなんて面倒をしてさ]


 エフはいま一度投げかける。

「お前は、ソレをみんなに言えるわけ?」


 卑怯だ、その言葉は。

 オカルトだが、呪術めいている。

 その言葉を投げ掛けられる度に身体が硬直し、メンタルがズクズクと、疼き始める。


[必要ない]

「あら、そう」


 偽物なのか?

 本当にこのメンタルの揺らぎはオルトの内側から萌えるものではなく、偽造された錯覚に過ぎないモノなのか。


 クスクスクス

 真実はイジワルな笑顔 (ペルソナ)に隠れて見つけ出せそうに無い。



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