eyes of live
ノイズ音に紛れて音が聞こえる。
「……ん、……れ?」
ぎちりぎちり
金属の音だ、コンテンツで何度が体験した。これはエンジニアの奏でる仕事の音だ。工具を使って螺旋を回し、鉛を嗅ぎながらコードを繋ぐ、火と鉄の音。
「あ、……い感じ。なら、……して」
ジジ、ジジジジジッ
ノイズが酷くなった。耳から頭の中に砂を詰められてシェイクされているみたいだ。
煩い、うるさい。
「あれ……じゃ、ない?……なら」
ッ、ジ、ジ、ツツ
繋がった。
映像情報取得。どこだ、ここは?
てっきり自分のルームで目が覚めると思っていたのに、なんというかここは、汚い、不潔だ。
茶色のカーテン、オイル汚れの目立つ黒い床。
マニアなレイアウトにしているらしいが、どうせミリタリー系のコンテンツにお熱になっているだけだ、この手のメンタルは新しい趣味を見つけるとすぐに部屋を模様替えする。
どういう経緯でこんな場所にステイしているのか判らないが、さっさとお暇しよう。
knock knock
「もっしもーし」
あれ? コマンドもタブも無い、入力が出来ない。出来るのは木偶の坊の役だ。
「聞こえているよね? 出力の方がダメ?」
knock knock knock
コールもないし、アシストの呼び出しも無理だって? もはやホラーじゃないか。
「ハローハロー、プリーズプリーズ」
knock knock knock knock
鬱陶しいな。
許可していないのにどうして他者のメンタルのアクション信号が反映される? ここはプライベートネットではないのか?
そう言えばミッションエリアを離脱した覚えが無い。いつもならミッション終了後に自動でプライベートルームに戻るはずだが、今回はまだアースウォーリアの中らしい。
「入ってますかー」
[うるさいな]
「聞こえてるじゃない」
アイカメラに碧眼がアップになっていた。
察するにレンズを掴まれている。そういうムービー演出だな。面倒だ、スキップさせてくれ。このゲームはこんなに面倒だったのかよ。
「改めてハロー、殺戮人形さん」
あれ、待てこいつ、あのイレギュラーモンスターのサイボーグだ。ああムカつく、それで特殊演出のカットが挟まれたのか。うざいな、こんな茶番に付き合うくらいならさっさとシミュレーションに入りたいのに。
やっぱりこちらからの操作は受け付けないか。
いくらコンテンツのクオリティの追求のためだとしてもやり過ぎだ。どうせ沈静プログラムを切って一時的なハイテンションに任せてプログラムした演出だろう。少し考えればバッシングの材料になるのが分かりきっているというのに。
こんな制作側の自己満足にユーザーを付き合わせる運営には思い知らせてやらなければ気が済まない。
「ねえトークしようよ。そのために何時間使ったと思う? 昨日から寝てないの。ほらクマ、ちゃんと見えてる? こんなに分厚いの。お前のせいよ?」
無視しているとサイボーグはまた乱暴にヘッドを叩き始めた。
最悪だ。答えなければフラグが立たない、オート進行すらできないタイプ。
knock knock knock knock knock!
「ハローハロー入ってますかー、聞いてるんでしょう? もっしもーし……」
[うっるさいな! こっちは考えてるんだ!]
言ってから気付いた。
なんで叫んだ、なんでこんなにメンタルが昂ぶっている。こんなふうに振り回されるメンタルは無様そのもので見苦しいというのに。
どうして治まらない? 沈静プログラムはどうした?
くそ、チクショウ、クソッたれめ!
せめてウォーリアを操作させろよ、そしたらこのムカつくモンスターをぶん殴ってぶち殺すのに!
「いいねえ、あらぶってる。そう良い感じ、じゃあそんな感じでよろしくね、案山子さん (スクエアクロウ)」
クスクスクス
嘲りの最後にリップを落として、サイボーグはレンズを下へ向けた。
最悪だと思った。
このサイボーグ型モンスターのデザイナーの変態度は底が知れない。
ウォーリアの操作が出来ないはずだ、身体が無いのだから。
このサイボーグはオルトが操作するウォーリアの頭部と切開された胸部のメインコンピュータ周りを除いて全て分解して取り外していたのだ。
道理であんな回りくどい仕留め方をするはずだ、あれはウォーリアを回収するためのムービングだったのだから。あの戦闘でオルトは脅威判定すら引き出せていなかった。
最上位ランカーが戦ってだぞ。
正体が見えてきた。
このサイボーグは隊列での戦闘が前提で設計されているのだ。
戻ったら知り合いのメンタルからメンバーを選出しなければ。
「ねえねえねえ、どうしてお前達のお人形に本来備わってない音声出力のインターフェースをわざわざ取り付けてやったと思う?」
あ、そういえばアースウォーリアの作戦中はプレイヤー同士が意思疎通をするための回線が無い。セオリーはあれど、プレイヤーは基本的に自己判断でゲームを進行していかなければならない。これでレイドをしなければならなのか、ハンドサインと陣形のミーティングも必要だな。
「なんとか言えってば」
[ッ! あ、く、かっ!]
なんだ、これ!
こんなものは知らない。
「教えてあげるね、それは『痛み』。アンタ達が現実に置いていったモノの一つだ」
『痛み』だって? コマンドパターンで体験するソレとは圧倒的にメンタルへのストレスが違う。
[どうして、こんなことをボクに――]
「どうして? ウケるね、ほんとにワンパターンなんだもん、案山子共って」
躙るように足下のペダルが踏みつけられる。
[かは、ああぁああ!]
クスクスクス
ソイツは唇を下弦の形にして嘲弄したのである。
[な、なんで、なん、どうしてボクがこんな!]
許されるものかこんなこと。これはメンタルの尊重を踏みにじる行為だ、冒涜だ。この電脳社会において、これほどにメンタルを軽んじる行為が許されるはずが無い。
それも、こんな娯楽用のコンテンツでなんて、クソ、クソ、クソッ!
「自分で考えなよ、いくらでも。アンタ達って時間に頓着しないんでしょう? そりゃそうだよね。イヤなことは全部切り捨てたんだから」
いつからアースウォーリアは旧時代信奉者のセミナー会場に変わったんだ。遊びにきて説教なんてされたらたまったモノじゃない。クソ! 絶対に運営を許さない。奴らのメンタルには最も重い罰が下るべきだ。
[おい運営! セキュリティーコール! こんな過激なことは許さないぞ! 今すぐボクのメンタルを解放しろ! ……が、あああ!」
また『痛み』だ。
メンタルがバラバラになるような、思考の一切が放棄され塗りつぶされるような、鮮烈。
「おしゃべりになってきたね。良い感じ、そうそう良い感じ。そうやって、いっぱい『苦しい』をアピールしてね? 頼んだよ」
サイボーグはそれはそれは社交的な笑みを浮かべた。
笑顔は友好的な接触を期待しているアピールアクションである。シェイクハンドと同じ。
だけれど、まったくリソースを提示することは出来ないが、この笑顔には圧倒的な否定の意思を感じた。
心底から、この笑顔はオルトを拒絶している。
そう『直感』したのだ。
▼
その経験はオルトのメンタルが記憶している限りで、最低最悪そのものだった。
無限の時間を使って数多くのコンテンツを視聴あるいは体験してきた。今はその全てにチープなコメディだと失笑を向けられるだろう。
サイボーグはコンパクトになった機体を脇に抱えて屋外へ運んだ。丁寧な運搬だったとは言えない。ブラケットが緩んだままだったから歩調に合わせてヘッドがガクガク揺れた。ペダルが怖かったからオルトは口を噤んでいた。絶対にこんな目に遭わせた誰かに思い知らせてやると心の中で呪詛を唱え続けていた。
雑音も酷かった。
ここは集落なのだろう。
奇声染みた甲高い声やしゃがれ声、野太い声に恫喝するような乱暴な声。金属をぶつけ合う音だって聞こえた。
この場所には配慮が無い。
どんな趣味をしていたって他人にそれを押しつけるべきでは無い。聞きやすい音域に調律した声で会話し、公共エリアで作業をする時はSEをオフにする。電脳社会ではこんなことは教わるまでもないパブリックマナーだ。
ここまでの無法地帯は例えコンテンツでも敬遠される。
こんな場所からは一刻も早く離脱したい。
揺れるヘッドに合わせて視界が揺れる回数に比例して、逃げ出したい願望ばかりが肥大化した。
メンタルが制御できないということは、こんなにも自己を不安定にさせるのか。
どれほど歩いただろう。
一秒毎を噛み締めた経験もかつて無い。
メンタルに優劣は存在しない、あってはならない。真の平等こそが電脳社会の基本理念だ。
知識だって望んだ瞬間に与えられる。
ではなぜ、この状況を理解できないのだろう。
集落の外れまで来たサイボーグは、地面に突き立てた一本杭にウォーリアのヘッドを引っ掛けた。
オルトを『案山子』呼ばわりした理由がようやく分かった。
手と脚を捥いだ動けないウォーリアを吊して晒し者にする、この体たらくは端から見ればなるほど、案山子そのものだ。
これから何をされるのかと恐々と身構えていたオルトを余所に、サイボーグは後ろ目もくれずに去っていた。
本当の最悪は、ここからだった。
アレが居なくなって一息付けると思ったが、硬質音に邪魔された。
石だ。
集落の住人達がオルトを囲んでモノを投げつけ始めたのだ。
ウォーリアはアンドロイドだ、鉄とプラグとガラスの無機質体だ。
痛みは、無い。痛くはない。
彼らはみんなして滑稽だ、こんなことに何の意味がある?
[……め、ろ、]
品性の無いコンテンツでしか聞かないような罵りを叫んだりして、その顔を是非映像にして見せてやりたい。
イケてる顔でしょ? なんてアイロニーを添えて。
「……め、てく……]
知性体ならもっと理性的であるべきだ。直情によって誰かのメンタルを貶めるために躍起になるなんて、そんなくだらないことは――
[やめて、ください」
くそ、くそ、くそ。
くそぉ、最悪だ……。
▼
時間が経った。
長い時間だったと思う、とても、とても密度のある、途方もない時間だった。
アースウォーリアの前にはどんなコンテンツに夢中になっていたか思い出せない。
考えてみればいつもそうだった気がする。いくつものコンテンツに時間を使ってきたけれど、その夢中は一過性のもので、終わった端から熱が無くなっていく。まるで穴の開いたコップ。空っぽにならないように、注ぎ続けていた。
だけど、この集落で過ごした、どろりとした粘度の高い時間は流れていかない。
『――――』
指を指して叫ぶんだ。
『――――』
涙を流して糾弾するのだ。
『――――』
彼らは石を投げつけてくる。『痛み』は無いのに、[やめて]を懇願し続けた。
『――――』
彼らはペダルを踏む。
昼夜を問わず、罵りながら彼らは『痛み』を寄越してきた。[やめてください]と懇願し続けた。
『――――』
違う、何を言っているんだ。
『――――』
違うったら、ボクはそんなんじゃない。
『――――』
[やめてください]
▼
集落の住民の暴力によってヘッドを杭に留めていた金具は曲がってしまい、オルトは案山子さえやれなくなって捨て置かれていた。
住民は一先ずの気は済んだのか、深夜には現れなくなった。太陽が昇れば、また叱責されることになるだろう。
夜は静かだ。
もちろん電脳で得られる自分以外の一切を排除した完璧な静寂には遠く及ばない。
葉の擦れる音、獣が草を踏む音、この世界は音が絶えない。
こんなに騒がしいのだから、自分だけに集中することは出来そうにない。
この世界は孤独を許してはくれない。
だけどこの世界は美しい。この世界のあらゆる要素がメンタルを刺激する。
特に、月が好きだ。
夜に降る月光の美しさは、何ものにも変えられない。
そうとも、こんな奇跡を人間が創り出せるはずが無いんだ。
「ハローハロー、お加減はどう?」
上から声が降った。
サイボーグ……彼女だ。
ずいぶんと久しぶりだ。杭に引っ掛けてから、彼女はただの一度もオルトの前に姿を見せなかったから。
[ひとつ、おしえてほしい]
月光を被った彼女はオルトの前にしゃがんで頬杖をついて言った。
「なあに?」
[……きみたちは、『人間』なの?]
出力した音声はか細かった。電脳でこんな聞き取りにくい声でコミュニケーションをすれば白い目で見られる。
でもね、メンタルが渦巻くんだ。淀んで、ぐるぐるぐるぐると。
彼女はくすりと笑った。前ときよりも小さめで、目を細めていた。
「そうだよ、『人殺し』競争の六等賞さん」
『人殺し』
ペダルを踏まれるよりもずっと深いところまで『痛み』を感じた気がした。