sinners whereabouts
意識が覚醒した場所は、電脳上のプライベートルームだった。
特別な趣味を持たないオルトはルームのレイアウトにこだわることも、メンタルアバターに凝ることもなかった。内装はデフォルトの設定通りのシンプルなルームだ。
そんな面倒で意味の無いことをわざわざやりたがるやつらはバカだとさえ考えていた。他者を受け入れるつもりが無かったオルトのメンタルは、自分のやり方だけが正しかったのだ。
ディレクトリ処理、メモリの効率化。
湖水の霧が晴れるように、記憶が明瞭になる。
追憶する。
地上で過ごした『オルト』の、濃密でリアルな感傷。
痛くて、苦しくて、悩み抜いて、本気で他者を想った。
このメモリは『オルト』という個人を昇華させた、大切な構成だ。
本当に、ほんとうに、大切な思い出。
――だったら、『こっち』はなんだ?
どろりと纏わり付くような、執着。
ただひたすらの執念と我欲。
頂点に立ちたい。
全てを下したい。
もっとポイントを獲得出来るムービングを磨かなくては。
モンスターを狩って狩って、狩りつくして、ポイントを手に入れなくてはならない。
研究と考察、そして実行。
達成してみたらなんてことは無かった。
次は、どうしようか。
そうだ、あのサイボーグ型モンスターがいた。
圧倒的で一方的な力を見せ付けた、あのイレギュラーモンスター。
そうだ、アレを狩ろう。
どうやったら勝てるかな?
まずはウォーリア (プレイアバター)をいま以上に上手に使えるようにならないと。
ならば、鍛えよう。
惜しまず消費しよう、浪費しよう、どうせ時間なんて大した価値は無い。
それだけでは足りない。
手数が必要だ。
最上位ランカー共では我が強くて使い勝手が悪い。上位、いや中位で十分だ。アイツらは自分で上に行く方法が分からないから寄生プレイも喜んでやる。こちらで仕込んでルールを守るBOTにするにはうってつけだ。
さあ、準備は整った。
来い、来い、来い――来た。
そして、手に持ったライフルでターゲットを照準に入れて、撃った。
――嘘だ、そんなことがあるわけが……。
かりかりかり
アプリケーション操作でメッセージ履歴を呼び出す。
がりがりがり
『EARTH WARRIOR』のメッセージタグを開く。
ばり、ばりりり
そうか、そういうことかよ。
懸念していた『卵』の正体は、『そういうこと』だったのだ。
『戦績ランキング1位:オルト』
メンタルのバックアップ。
オルトがエフによって鹵獲されたあの作戦で、電脳との接続が切断されてスタンドアローンになったウォーリアの中にいたオルトは地上に残された。しかし、接続が切断されてゲームが終了したタイミングで、サーバー側に同期していたメンタルは電脳に戻されていたのだ。
『アースウォーリア』はゲームだ。そして、メンタルはウォーリアに間借りしたプレイヤー。
ゲームが切断されたプレイヤーが生活に戻るのは当然のことだ。
こんな当然の理屈に気づかない方がおかしい。
気づきながら、オルトは目を背けていた。
シンパシーへの拒絶も、同族嫌悪も、駄々をこねる子供のような、オルトの逃避の結果だった。
『卵』はアイディアを閉じ込めていたのでは無い、内側にいたのはオルトの方だ。受け入れられない事実を見ないようにするために、自分で殻に籠もった。だからこそ、どうしても気付くことが出来なかった。オルトの弱さが気付かせなかった。
あれだけ目の敵にしていた天敵。
絶対に殺さなくてはならない宿敵。
その正体は誰でも無い、オルトだった。
Lilyと呼んでくれたあの子を殺したのは、オルトだった。
守りたかった地上の人々を、もっとも殺したのは、オルトだった。
「ああ、あああ、うああ……」
こんなことが、こんな業を、どうやって受け止めたら良い?
「あああ、うがあああアアァ――」
死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね、死ね、死ねよ、オルトォッ!
―― メンタルに異常値が検出されました、メンタルを沈静化します ――
頭の中に平然と割り込むシステムメッセージ。地上で過ごす前は当たり前に受け入れていた自分以外の思考、補助プログラム。
「やめろ! ボクから奪うな! これはボクのだ。この想いも、感情も、ボクのものだ」
―― メンタルの沈静化プロセスを中断します ――
「おねがいだから、ボクから取り上げないでくれ……」
大切な人達から貰った、大切な心なんだ。
▼
地上で過ごした日々は夢幻だったのかもしれない、ふと、そんなことを考えるようになった。
時間を経てもメモリに書き込みした内容は損なわれることは無いが、不思議なもので、実感というものは風化しやすいらしい。
あれだけ地上世界の情報を処理して、その質感を実感してきたにも関わらず、置き場所を電脳に移した精神は、容易にこちらを現実だと認識するようになった。
きっと電脳で再び途方もない時間を消費することで、あれはよく出来たコンテンツの体験だったと自分を騙すことが出来るようになるだろう。
そうやって、自分の侵した罪を正当化していくのだ。
CPUの状態をウォッチングしている感情モジュールが、手軽につまめるインスタントな感情のコマンドのいくつかを提案してくる。
そんなものに頼らなくても、オルトはきちんと心の痛みを覚えていたのに。
いつか、地上の人々から貰ったこの心も無くなってしまうのだろうか。この締め付けられる愛おしい苦悶を嘘にしてしまうのだろうか。
そう考えると、焦燥と悲哀に包まれて、『例の手続き』を意識するようになった。
永遠に存在が可能な電脳社会に棲まうメンタルが、唯一存在を終わらせることが可能な手段。
『自殺 (ターミネーション)』申請。
地上で過ごした体験はとても濃密で鮮やかだった。
オルトが体験してきた全てのコンテンツ、いや、オルトが存在した全ての時間と比較したって、地上で過ごした体験に勝ることは無い。でなければ、オルトが電脳で過ごし続けたメモリと統合した後も、地上世界で獲得した人格を保っていられる理屈が合わない。
だったら、この体験がまだ鮮度を持っていて、この記憶を自分の全てであると思える、もっとも完成しているオルトである内に終わらせてしまうことが正しいことでは無いのだろうか。
まだ『死』に対して価値を持っていられる内に。
そう思うのに、『生きて』とオルトに望んだ彼女の姿がちらついてしまう。
エフはあの場で相対していた敵が、分裂したオルトのメンタルだったことに気付いていたのだろう。
上書きが成功したのは、エフの精神力も然る者ながら、それぞれの機械兵に憑依 (ドロッピング)していたメンタルのバイタルデータが同じだったからだ。
コンテンツを利用するとき、メンタルは個別管理している個人の構成をコピーして、利用するコンテンツが存在するサーバーにアップロードをする。そして、コンテンツの終了時にサーバーから再び個別管理の構成へとダウンロードが行われて、コンテンツでの体験を取得する。
このとき、バイタルデータがIDとして機能し、構成に問題なく組み込まれるように処理が行われ、バイタルデータが構成と一致しない場合は、ダウンロード時に適宜削除や隔離が行われていたことだろう。
メモリの上書き時にエフの脳を経由し、彼女の過去を垣間見たオルトはエフが研究施設の資料を読んで、電脳の仕組みを理解したことを知っていた。あの場で彼女がメンタルの上書きが可能だと判断するには、上書き元と上書き先のメンタルが同一であることを確信している必要がある。
「適わないよ、ほんと」
きっと地上人類は生き延びたはずだ、なんたってエフがいるのだから。
「キミがボクの魂を預かったままでいてくれたら良かったのに」
そしたら躊躇いなく手続きに踏み込めた。
だって、キミの元にこそ、ボクは居たいのだから。
「ボクの罪は、一体何処へやればいいのさ」
風化させてしまうまで抱え続けていれば良いのだろうか。その時にはオルトはもう元の幼稚な薄っぺらい電脳のデータに戻っていることだろう。考えるだけでぞっとしない、だからこそ、罰には相応しいのかもしれない。
この完全完璧の知的生命体の果ての楽園で、触れ合う尊さを忘れて存在し続けるのだ。きっと、オルトはもう何一つこの電脳にあるものに満足することが出来ないというのに。
「エフ、キミはどうしたらボクの死を承認してくれるのかな?」
キミを想い続けるこの気持ちさえ、いずれ風化していくのだろう。
沈んでいく。
オルトのメンタルは全てを拒絶するように、メンタルを休めるためのなにも存在しないブラインドスペースに閉じこもっていた。
堂々巡りの自問と贖罪を延々と数え、地上世界で過ごした記憶にみっともなく縋り付く。
まだ大丈夫、心はまだちゃんとある。
底の無い黒い海にどこまでも沈んでいく。
自身が融け出すような感覚は『死』に似ていて、しかし、まったくと言っていいほど、なにも無かった。
微睡むオルトのメンタルを揺り起こしたのは、一つの通知だった。
INCOMING MESSAGE
『EARTH WARRIOR』運営が作戦に『戦績ランキング1位:オルト』を招集しています。
作戦に参加して栄光を手にしましょう! (コマンドパターン:興奮)
受信したメッセージを確認した瞬間、憤りとやるせなさに苛まれた。それから、安堵だ。
作戦が継続しているということは、前回の戦いを地上人類は生き延びたと言うことになる。
彼らは勝ったのだ。未曾有の大包囲から生き延びて未来を自らの手で掴み取った。
誇らしかった、泣きたくなるくらい嬉しかった、彼らを心の底から尊敬した。そう思えたのは、オルトが彼らのことを本当に仲間だと思っているからだ。そのことに気が付いたとき、陰鬱が晴れていくのが分かった。
罪を忘れたわけではない、その罪に行方が必要だというのならば、それは、オルトが呑むべきだ。だが、そこで終わるべきでは無い、そこで『終了』してはならない。
罪を呑んだからこそ、為すべきことがあるはずだ。
どくん、どくん
魂を感じる。
いま再び、オルトは願いを抱く。
そうだ、まだ叶えていない。
オルトが願ったのは彼らの未来だ、マザーAIの虐殺を終わらせることだ。その願いは依然として果たされてはいない。
「わかったよ、この『生命』の使い方」
勝負をしよう、オルトがいま持っている全てを掛けた最後の大勝負。
オルトにしか出来ないやり方で、『まっとう』してやる。
今度こそ『アースウォーリア』を終わらせる、ただでとは言わない、それに見合う『価値』をくれてやろう。
「よし、……やるぞ」
テキストに了承を返す。
いざ、地上へ。
▼
電脳世界の開闢以来、数多くのコンテンツが生み出されたが、その中でも偉業とも言えるほどのシェアを記録した憑依体験型疑似戦争体験型ゲーム『アースウォーリア』。
その幕引きは唐突に訪れる。
原因となったのは、『最後の作戦』で一人のプレイヤーが行った最低最悪のプレイングだ。
前回の作戦に引き続き、大規模参加の殲滅戦と銘打った『最後の作戦』に参加したそのプレイヤーは、作戦が開始されるなりフレンドリーファイアを始めた。
それ自体はこのゲームではそう珍しいことではなかった。
異常だったのは、このプレイヤーの鎮圧が出来なかったことだ。卓越した操作スキルとムービングを前に参加プレイヤーは次々と破壊され、結局、この作戦に参加した全てのプレイヤーが一ポイントも獲得することが出来ないままゲームオーバーになった。
いくら実力者とは言え、たった一人に全てのプレイヤーが壊滅されただと? メアリー・スーでもあるまいし、こんな馬鹿げた顛末には他者に無関心な電脳のメンタル達も流石に鬱憤を爆発させた。
マザーAIの庇護のもとにある電脳社会でコードの改竄なんて出来るはずが無い。では、あのプレイヤーだけが優遇されていたのではないのか。
大量のバッシングに晒された『アースウォーリア』はサービスの提供が困難になったのだと言われている。
以降長い間、ユーザー達に招集メッセージは届かなくなり、最後に届いたメッセージは『アースウォーリア』のサービス終了の通知だった。
『アースウォーリア』を終了に追い込んだプレイヤーが本当に優遇措置を受け取っていたのか、どうしてこのような奇行に走ったのかについては憶測が飛び交ったが、それもほんの一時のことだ。電脳では誘惑にことかかないのだから。
確かな真実として言えることがあるとすれば、『アースウォーリア』というコンテンツはこの当時ランキング一位だったプレイヤーによって終了 (ディスコンテニュード)したということだ。




