dream after dream
「ハローハロー」
覗き込む角度で彼女はオルトを見上げてヘッドをノックしてきた。
「入ってますかー」
knock knock
「プリーズプリーズ」
きっと彼女は返事が返ってくるまで粘着を止めない。
いつもどんなときでも彼女は自分のやり方を変えたことは無いのだから。
[もういい、もう、ほうっといてよ]
「ほら死んでない」
彼女は振り返って遠巻きにこちらを見ていた大人に言った。彼がエフを連れてきたのだろう。
礼なんて言わない、お節介め。
もう関わってくれなくて良い、価値はどうやったって得られないんだ。
子供を虐める、気に入らなければ自分の勝手で癇癪を上げて叫き、石をぶつけてくる。ここにいる人類はオルトが守りたかった人類では無い。オルトが守りたかった人達はもう絶滅していた。この都市に残っているのは、魂を腐らせた水底の澱だ。いまはちゃんとしている彼らもすぐに汚染されることだろう。
掬ったところで自分の手が汚れるだけ、何一つだって得られるものはない。
億劫だ。全部どうでも良い。
もはや一歩を踏むことさえ気怠いからこうしているのに、話しかけないでくれ。
そんなオルトを見留め、あろうことはエフはこう言った。
「うん、良い感じ」
よく出来たねと、褒めそやすような口ぶりで。
なにを、言うんだ。
「なんにも! 良くなんて、無い……」
メンタルが膨らんで、それなのに空虚だ。
諦めたんだ。
進み方分からないどころか、観ることさえ止めたんだ。
[ボクは見限ったんだぞ。やっと見つけたボクの価値の在処だったのに、それなのに、ボクはもう、彼らを救ってやりたいって思って、いないんだ」
この地上で苦しみ、失って、悩んで慟哭して、その末に手に入れた願いだったのに、オルトは諦めてしまった。
あの子の『死』と引き換えた、かけがえのないものだったはずなのに。
[ボクはもうまっとうできないんだ]
あとは終わりを残すだけ、それならこのみっともない都市に埋もれて最後の点滅を終えたって構わないじゃないか。
それを許してくれないなら、キミはマシにしてくれるのか?
「ねえエフ、また外へ出て、あっちこっち行かない? 二人で]
もしも叶うなら。たった一人だけ、まだ眩しいキミとなら。
こんな残骸しか転がっていない場所なんて放り捨てて。キミと二人なら全てが終わるその瞬間だって、きっと少しは素敵に迎えられる。
「それはダメ」
メンタルは冷えて硬直した。
だろうね、そうだろうとも。キミからしたら気まぐれで拾っただけのガラクタなんだ。最期の時のパートナーになんて選ぶはずがない。
[じゃあボクはここでいい、ここがボクの終わりの景色だ。ボクはここで終わる]
「クラック」
機械の躰に張り詰めていた電子の糸が消失する。
普段は無意識 (ノーコントロール)で行われている姿勢の自動補正が無くなったせいで、地面からヘッドまでの二メートル程度の視界がぐらぐらと揺れる。
気分が悪い。
オルトの意思はこの粗末な機械の躰にインストールされているだけ。電脳からやってきたオルトはもともとは躰なんて持っていなかったはずなのに、意思の表現能力を簒奪されることがこんなにも心許ない。
オルトのコントロールを奪ったエフは右上腕部を掴んで引き摺り始めた。扱い方はまるきりスクラップを処理するジャンク屋だ。
躰の駆動音が無いのに集音装置は機能しているから、破片がプレートに跳ねる音が五月蠅い。
からから、がたんがたん
引っ掻き音にメンタルまで削られていくようだ。
[どこ行くのさ]
「修理。お前、壊れているから」
[やめてよ、キミが普段やりたがらない無駄なことだ]
「ダメ」
[ダメじゃ無い。もう良いんだ。どうしてボクのことをキミが決めるのさ]
「わたしがお前を預かっているから、お前が価値を見失っているから」
価値、価値、価値!
さんざんそいつに振り回された。
濃密な情報量のこの地上世界に目が眩んで、不確かな情報源 (ソース)を信じて錯綜し、やっと手に入れたそれらしいものだって無くなった。
[ボクはガラクタだよ。魂なんて無い、何の使い道も無いクズだ]
がたん
突然手を離され、オルトのレンズが黒ずんだ地面を拡大する。
次いで、右と左でそれぞれ質の異なる音を拾う。
「それがお前の答え?」
ヘッドを両手で持ち上げて彼女が問うた。
それが、お前の『生きた』結論なのか?
魂を見通す赤い瞳がレンズの奥に潜んだオルトを捕捉する。
見たければ見れば良い、見つけられるものなら見つけてくれ。この叩けばよく音が鳴る、隙間だらけの機械の躰のどこかに魂の可能性があるのなら、それを引っ張ってきて見せつけてくれよ。
さあ、どうぞ?
メンタルまで差し出したオルトに、エフは小さく首を傾いでから質疑を続けた。
「『生命』がもっとも大切にしなければならないもの、分かる?」
[魂]
「ノー」
[仲間]
「ノー」
[意思、信念、想い]
「ノー」
彼女はオルトの回答を全て否定した。
[……分からない]
そら、証明できた。
結局オルトはこの世界でなにも見つけられていなかったのだ。
いま挙げたものはオルトがこの地上世界を観察し続けた中で一際に憧れた人間の力だ。電脳では有り得ない理屈を超えることさえ可能な超能力。
この力よりも価値ある物が人にはまだあるとエフは言っているのに、さっぱりだ。
「『命』に決まっているでしょう。『生命』なんだから」
そんな文字の羅列をザルで浚ったらいくらでも拾えそうなありふれた回答を、彼女は目を細めて眩しそうに告げたのだ。
[キミが、それを言うのか?]
なんだこれ、ぐちゃぐちゃだ。メンタルが、もう、分からない。
縋るように、吐き出すように、オルトはメンタルの訴えをそのまま音にした。
[なら、ボクの観てきた世界はなんなんだよ。ボクの憧れたキミ達は何だったんだよ!」
死を恐れず、囚われず、思いをやり遂げることこそが『生きる』と言うことではなかったのか? 他でもない目の前にいるエフがそのやり方へみんなを導いてきたのだ。
[ボクを騙したのか? みんなを騙したのか?]
だったら、ほんとうに全部じゃ無いか。
この世界では編集 (エディット)も加工 (リタッチ)も受け付けないはずだったのに、全部がフィクションになってしまう。
処理の仕方が分からないメンタルを助けてもらいたくて、レンズの向こうに彼女に訴える。
「騙さないよ、わたしは『命』を利用したの」
覗いた赤い瞳の奥に燻る不気味を観た気がした。
「最も重要だから、何よりも代えがたい物だからこそ、使い切る瞬間に、人は大きく心を動かす」
『まっとうする』とはその一瞬を目指すこと。
『命』を燃やし尽くしてもやり遂げようとするとき、人はロジックを超越し、意思の力でそれを為す。
「本来は一生の内に必要なシチュエーションに遭遇した、ごく希な人だけが気付くこと。だけど、わたしは必要を強要して、『まっとう』を演出した」
無理な移動を繰り返し、戦闘指揮が皆無のほったらかしの交戦。失うために過ごす退廃の生活。オルトがいくら訴えても聞かないはずだ。失うことこそが目的だったのだから。
「みんな命を惜しんでいたよ。誰一人死んだって良いなんて思っていなかった。わたしのやっていたことはより多くの死ぬタイミングを提供し続けること。魂を預かるのだってそう、いざそのときに最後の一押しになるから」
彼女が目指したのはマザーAIによるものではなく、人類が自らの手で終わりを迎える結末。
エフは地上人類のために血を流し、骨を砕いて邁進を続けた。あえてその道を選び続けることで、後ろに続く者達に痛みを強要した。彼女が見続けていた到達とは、救済ではなく、別のカタチの滅びだった。
命の痛みを理解しながら、むしろそれを利用して悲鳴を物ともせずに肩で風を切る。死なないはずだ、彼女は死を食い物にする存在、『英雄』では無く『死神』だったのだから。
騙されただと? とんでもない。彼女は最初から言っていた、『ちゃんと死ねるといいね』と。
[ボクが一人で盛り上がってバカをやっていただけだったんだね]
オルトは信じていたのだ。
マザーAIがどれだけ強大でもこちらにはエフがいる。
オルトが彼女を支えられる存在になれれば、きっと地上人類を救うことだって出来る。オルトはエフの能力を妄信していた。
ホントに、バカだ。何を観てきたんだよ。
今度こそ、決定打だ。
[どうにもなるもんか。ボクの負けだ]
勝負すらできていなかった。
救いたい人はもういない。信じていた彼女も同じ場所を見ていなかった。
必定の滅びを、実感を伴って隣に感じる。
メンタルが凪いでいく、演算を自主的に捨てていく。きっとこれは『死』に近い処理だ。
クスクスクス
彼女が笑う。
オルトが描いていた愚かな独りよがりの青写真の破綻を嘲っているのだ。
「それこそバカだね。お前は勝ったんだよ。わたしの思惑を倒したんだから」
[……]
まだ揶揄いが足らないのだろうか。
「わたしは速やかな死を願った。敗北を受け入れて諦念しきったみんなを追い込んで、今際の輝きの陶酔こそを唯一の贅沢だと嘯いて突き落とすやり方をした」
起伏の無い口調は事実を事実のままにした、時計盤の様な報告。
マザーAIによる駆除から全てを守り切ることはできない。いや、とっくに全て奪われ尽くされた後だった。
そんな世界でエフは取捨選択をして、ゼロから拾ったものが『尊厳』だった。それしか無かったのだから、他の一切を捨てた、それだけのこと。
殺される前に死んでと希う願い、はたまたは呪い。
きっと正義なんて無い、それすらもエフは捨てた。
そんなことを実行出来てしまう、『異常者』。知った気になって彼女に同情したこともあったが、やはり彼女はオルトには到底理解し難い存在なのだろう。
だからもう騙されない。
レンズに映る彼女が胎の底に飼う絶望を垣間見た気がしたなんてことはきっと、錯覚だ。彼女の貌に虚勢を張る子供のような、おぼつかなさを感じたなんてことはあるわけがない。
ぱちり
赤い目が閉じて、彼女の本質を覆い隠した。
「わたしは死に方を与えることしかできなかった。だからわたしの後ろに従いてきた人はがむしゃらに進む以外を選ぶことが出来なかった」
「だけど」、と。
赤い目を細く開き、人の温もりのある親指でレンズを優しく拭いながら、
「お前は変えたんだよ」
[…ボク?]
彼女は繰り返した。
「お前が変えてみせたんだよ。どうにもならない結末を拒絶して叫んだお前という『生命』の願いに、この都市に残った人たちは共感している」
エフがこの遺跡を離れなかったのは、もはやだれからも望まれなかったからだ。
「みんなはもうわたしの後ろには従いて来ないよ。この場所に留まって生存するための生活を続けることを選ぶ」
[……ボクは石を投げられた]
「変化は恐ろしいものよ。突然取り戻した『命』の欲求に戸惑うことは仕方がないこと。心をかき乱したお前を怖がるのも当然。今はまだ、ね」
言わば揺れ戻し。
これまでが従順すぎたのだ。意思が集合した場所こそがコミュニティなのに、人々は深い諦念故に統率されすぎていた。
新たな場所へ舵を切るのなら、そこには波が立つ。
この不和こそが、人々が必定の未来を疑った証拠であった。
「必ず立ち上がる。みんなはもう『生き延びる未来』を向いているから」
『まっとう』ではない、『生き続ける』という望み。
はたして、その未来は誰を追い掛けて見つけたのだったか。
終末の涅槃を覚まさせるほどに、『生命』を示したのは、いったい、誰だったのか。
エフがオルトに向けた眼差しは、この地上世界でずっとオルトが周囲に向け続けた彩 (いろ)をしていた。
「おめでとう。お前は『生命 (いのち)』を手に入れたんだよ」
こころが、強く跳ねた。
[ボクが、ボクに……]
熱い。
CPUの過剰演算?
違う、ここに魂があるからだ。オルトという唯一無二がこの機械の中に脈動しているからだ。
この心は、とても言葉には出来ない。
ああ、だから人は言葉では無い感情の伝え方を識っているのか。
「ちゃんと直してあげる。お前はちゃんと立っていなくちゃね」
背中を観ている人たちがいるからだ。
オルトを追い掛けて願いを持った彼らのために、オルトには導となる義務がある。
[ボクが、みんなを未来へ連れて行く]
口にした言葉の意味の、なんて重みのあることだろう。
不安だった。
それ以上に、進まなくてはと思った。
「お前に『生命』がある限り必ずタイミングが来る。本当に強い想いをこの世界は無視できないようになっているもの。そう、絶対に」
なにを迷信めいたことを言いたいところだが、意外なことに、エフの言葉には根拠 (ソース)があった。
文明を築き上げ、記録し続けた歴史の中で、人は理屈を超えて引き寄せた願いが起こす超常の現象に名前をつけている。
すなわちは、『奇蹟』と。




