chaos alone
地上世界でどれほどの時間を過ごしただろう。
たくさんの痛みを呑み下して、その度に立ち上がって奮起した。
魂を感じ、生きることを識った。
クラウドホエールを見かける頻度が増えているのは、いよいよ地上人類のコミュニティが少なくなってきた証拠だ。
オルトも戦闘に参加するようになったが、地上の人間は減り続けている。
エフはもうオルトが戦うと言いだしてもダメだとは言わなくなった。アースウォーリアを終わらせると啖呵を切るつもりでいたのに肩透かしを食らってしまった。
高位ランカーらしきウォーリアにも遭遇している。アイツらを抑えることはエフかオルトにしかできない。なんとか凌いではいるが、戦闘の度にオルトの機械の躰は損壊した。
機械の躰の最大のアドバンテージは致命攻撃への耐性だ。この躰は胸部のCPUを破壊されない限りは存続が可能だ。
脚を撃ち抜かれ、腕を引きちぎられ、ヘッドを潰滅させられた。
その度にエフに修理されて存続している。オルトの地上での在り方は肉体に依存する彼らに比べればずっとイージープレイだ。もしもオルトが宿るこの躰が肉と骨と血で構成されていたのなら、とっくの昔に終わっている。『まっとう』なんて、とてもではなかっただろう。
オルトが助け損ねた、彼らのように。
脚を撃たれて、腕を捥がれ、頭を砕かれる。
それは、この地上世界の常識であればいずれも致命傷に他ならない。
かろうじて生き延びることが出来るとしても、延長に待ち受ける末路は既定している。
電脳では七面倒な手続きをしない限り『死』は訪れない。しかし、この地上世界の『死』とは簡単に引き寄せることが出来るものだ。言い換えれば、簡単に押しつけられるのである。
それを考えると、マザーAIの悠長さは不自然だ。
『アースウォーリア』の武装はいずれもワンマン運用の武装に限られている。その程度の威力の武装しかウォーリアには実装されていないのだ。
電脳を掌握する演算能力を有するマザーAIならば、より効果的な武装を開発することも可能だろう。そもそもマザーAIが本気で地上人類を絶滅させようと考えているのならば、交戦状態が成立することがおかしいのだ。
今はその理由が分かる。
必要が無いからだ。
マザーAIは地上人類を殲滅する道具は旧時代の武器だけで充分だと判断し、開発のコストの方こそを惜しんだ。そして、その演算結果はやはり正しい。時間は要するが、そのリスクは注視するべきポイントでは無い。最終的に地上人類を絶滅出来ればいいわけで、その目的は着実に達成に向かっている。
一方で、それを阻むことを目論んでいるオルトはどうだ。まだとっかかりすらも見つけられない。
まさか電脳にアクセスして対決するわけにもいかない。勝てるわけが無い、演算能力が違いすぎる。一つのクエリの実行だって許しては貰えないだろう。
では現実からの直接攻撃はどうか。これも無理だ。マザーAIのメインCPUは宇宙にある。高度三六〇〇〇キロメートルの静止軌道から地上を見下ろす人工衛星を攻撃する術は今の地上には残っていない。出来たとしてもやらない。マザーAIを壊すのは電脳社会の破壊と同義だ。別にオルトは一二〇億を超える電脳の人間を皆殺しにしたいわけでは無い。
もう、猶予は無いというのに、間に合うのだろうか。
メンタルが、かりかりと焦燥するばかりで、まるで進展はない。ただただ、日々を募らせるごとに地上人類の終末の気配ばかり大きくなっていた。
マザーAIの計画通りに事態が進行した結果、地上世界で最後まで立っているであろう一人は間違いなくエフだ。この間、上位ランカーとおぼしきウォーリアの三体に囲まれても返り討ちにしていた姿を観たときに改めてそう思った。
かぶと割でヘッド諸共にCPUを割き、蹴撃を主体とした格闘で小手先を粉砕、極めつけはあの左腕による『電脳干渉 (クラック)』。アレが出たらもうどうしようも無い、強制的に電子系統を遮断して行動不能に追い込まれてしまうのだから。
オルトの見立てでは、あのランキング『一位』と矛を交えてもエフはへし折って叩き潰す。それほどにエフのアビュリティは突出している。
エフを殺せるプレイヤーは現れない。だが、エフ以外の人類は、弱い。
忘れてはいけないのが、いまのこの地上世界とは、マザーAIへの抵抗に敗北した後の世界だと言うことだ。
彼らはみんな敗北し、抵抗を諦めた。そして滅びを受け入れ、エフに導かれて、ならせめてと『生きる』ことだけは手放さなかったのだ。
彼らの戦う力は乏しい。
エフの左腕のように、義手に生身と遜色ないスムーズな動作をさせるために必要な『バイオモデムコネクタ』はとても希少なものらしく、とっくの昔に失われてしまっている。ほかにもただでさえ稀少だった旧時代のテクノロジーは戦場に立つ者を優先して、あらかた消費され尽くしてしまった。
戦う力を持っていた者から死んでいった結果がこの世界の現状で、その法則を唯一無視しているイレギャラーがエフである。
とは言え、例え『バイオモデムコネクタ』が残っていたとしてもエフの左腕のデヴァイスのレヴェルを再現することは不可能だろう。
自分の脳を増設したCPUでハッキングだと? 改めて考えても狂ってるとしか思えない。負担とか考える前に、そもそも現象が成立していることがおかしいのだ。人間の身体は脳から下る命令で全身を制御するように出来ていると言うのに。
本来を無視した異物を許容できる脳と、体内を流れる生体電気を敏感に察知するセンス。
なによりも一歩間違えば全身不随のリスクを勘定にすら上げない、その精神。
もうオルトも気付いていた。
彼女は自分の命に無神経なのだ。
以前彼女が言った言葉の意味。
エフが自分を『程度の低い』と評したのは、彼女が自分の『生きる』に執着できないからではないのか?
どうでも良いことだと思っている。
あれだけ『生きる』をオルトに教えて来た彼女が、自分自身にそれを期待していない。
彼女がこの世界のどの人間とも似つかないユニークな根拠はここにあった。あれだけたくさんの人間の魂を預かり、導き続けた彼女が自身に魂の存在を見いだしていない。
皮肉にもならないじゃないか。
彼女の偏執的な奉仕とは、コンプレックスの裏返しなのだ。
そんな彼女がこの世界で最後の一人として眺める世界は、どんなふうに映るだろう。
オルトはいまでもこの世界の情報量に震え、生命と魂の予感にオルトのメンタルはレゾナンスして歓喜を産み出す。
彼女にそれが出来るのか?
自身に生命を見いださず、他者のソレを通してのみ擬似的な『実感』を得ている彼女は、たったの一人になった世界に何を見つけることが出来るだろう。
ここに来て初めて思ってしまった。
本当に彼女は『最強』なのか?
すっと、霜付くような、メンタルの冷え。
この世界の人類は確かにエフの存在を頼りにして依存しているが、同時に彼女も自分に集まってきた『生命』に依存していた。
また一つ、アースウォーリアを終わらせなければならない理由が出来た。
エフを一人きりには出来ない。
エフは最後の一人になることは出来る。だが、そうなったら終わるのだ。彼女は最後の一人になったその瞬間に自分を諦める。迷い、路を失い、行き場所を失う。
それは、あまりにも寂しいではないか。
[エフ……]
きっとキミは気付いていないだろう。
自分に価値を持たないキミは考えもしないだろうけれど、
[ボクはキミにだって憧れたんだ]
その気持ちは、君の最強を疑った今だって変わらない。
キミだって殺させやしない。
▼
コミュニティは過去に無い規模になった。
エフにどんな心変わりがあったのかは分からないが、以前のようにポイントを巡る生活はもうしていない。そのおかげで生活は安定し始めていた。生き残りや継続能力を失ったコミュニティの合流を繰り返し、コミュニティの構成人数は日に日に増えている。
感覚的な判断だが、コミュニティの雰囲気が猥雑になった。
エフを中心にみんなで一つの音楽を演っているような統一感とでもいうのか、そう言ったものが薄くなっている気がする。
エフにしたって距離が遠い。
以前は周囲が一方的にエフに畏まっていたが、いまは、彼女自身も一歩を退いている気がする。
まるで、もうこのコミュニティはエフのコミュニティでは無くなったかのようだった。
コミュニティが駐留している場所は古代文明の遺跡だ。ハニカム構造の外観の似たような建物がひたすらに連続しているシンプルな景観は効率だけを求めた結果である。
電脳社会が発達するにほどに現実はこだわりを失った。オリジナリティやアイデンティティの様な嗜好は電脳で表現されるようになったからだ。
部屋をまるごと換装可能な住居形態『コクーンレジデント』が主流になり、部品も規格もインフラ整備も一本化した。技術も経験も必要が無いから、マシナリー技術による管理への移行は容易だったようだ。
現実はただの肉体の置き場所になったのだ。
現代の地上人類の祖先になった少数派 (マイノリティ)を除いて、とっくに人類は疲弊し、不平と不満を挨拶代わりにする現実を見限っていたのだろう。
不完全なのだから必ず欠点が露わになる、消費し続ける在り方だから奪い合う。
人間という種は、あるいはその肉体は、誰かを探さずにはいられないというのに。
本当は安心が欲しいのに、その期待を裏切り傷つけられる。共感することで相手を認め、自分を認め、そこに心を落ち着かせたいのに、痛みが伴う。それに辟易して、克服を望んだからかつての人類は電脳に移譲し、完全を求めたのかもしれない。
この遺跡はまるで置いてかれてしまった想いの残影だ。忘れないでと、みっともないくらいに縋り着かれているかのように感じた。
このコミュニティでオルトが直面した戸惑いは、そんな遺跡の淀んだ空気が誘ったのだろうか。
これまでのエフのコミュニティは歩けなくなった者から脱落させる反面で、子供やけが人、弱い者の生活を優先し支合ってきた。本質には仲間への尊重があった。
だから、子供に打つかって転ばせたのに、見向きもしないで素通りしていく男を見たときはショックだったし、許せなかった。
その男は閉鎖的で、頂戴はするクセをして仕事もしないし、オルトがコミュニケートを試みてもぎょろりとした目で睨んで鼻息を荒くするばかりだった。かと言って石の裏に張り付く虫のように、引きこもる訳でも無く、コミュニティを練り歩いている姿を度々目撃する。
オルトには彼が優しさを搾取しているように思えてならなかった。
彼を見ているとメンタルがチクリチクリと痺れる。
できるだけ遠くにやっておきたいと思ってしまう。
イヤな感じだった。
その予感が正解だったことを間もなくに思い知った。
彼と同じような挙動をする人たちがコミュニティで増え始めたのだ。
きっと彼に共感してしまったのだ。
環境や周囲に晒されて魂を成長させる地上人類の特別な力は、おなじ人類にこそ大きく作用し、同時に自らも与えることができる。オルトが魂を成長させることが出来たのも、関わってきた強い人たちに充てられたからだ。とりわけエフと、死なせてしまったあの子に。
その力が悪く働いている。
まるで病原体のように、あの男の悪い感情が周囲に伝染して、『生きる』強さを侵している。
大切な仲間を想い祈っていた太陽を避け、屋内に引きこもり、膝を抱える者さえ居る。
最悪だ、最低だ。
レジリエンスが失われていく。彼らはマザーAIより先に、この病気に蝕まれて絶滅する。
こんな脆弱さは、オルトの信じた人類らしくもない。
だから、オルトは彼らを叱責した。
そうしないと、彼らは『生きる』ことが出来ないと思ったから。
そして、――石を投げつけられた。
目まぐるしい地上世界を記録し続けたメモリの奥底の記憶が蘇る。電脳から切り離されスタンドアローン状態でエフに起動させられたあの夜とよく似ていた。
仕事をしろ、精一杯生きろ、そう言ったオルトのことを彼や彼に伝染した人達は血走った目で睨め付けてきたのだ。
何が分かる、と。
機械仕掛けごときに、点滅する心臓しか持たないお前には何も分かりやしない、と。
メンタルが綻んだ。ぼろぼろと崩れていくみたいだった。
痛かった。
ペダルは無いのに、彼らの投げる石がプレートを叩く度にCPUの端っこまでが震え怯えた。
とても、とても、痛かったんだ。
手に入れたと思っていたかけがえの無い魂の存在が、おぼろげになる。
所詮は彼らの言うように、点滅だったのかもしれない。観察と学習結果による模倣、端子間をやりとりするパターンによる再現。
シンプルな量産部品で似姿を人に寄せただけのイミテーション。
この粗末な機械仕掛け『ウォーリア』こそが『オルト』の正体そのものであるかのようだった。
鉄の手で触れてメンタルを揺さぶり手に入れた感触は、授けてくれた彼らによって否定されてしまった。
なにもかもかが、虚像に移ろう。
くわん、くわん
プレートを叩く石がCPUに反響する。
思い上がっていた。
彼らと同じになったつもりでいた。
実際は違う。
オルトのルーツはこの地上には無くて、この身体は容れ物だ。
下手くそな贋作人形が、どうしてオリジナルと仲良しこよしになれる?
LILY LILY!
もう居なくなってしまった彼らが描いてくれた胸のペイントはとっくにかすれて見る影も無い。もう誰一人も、オルトのことをそんな風には呼んでくれないのだ。
レンズは敵意で濁った彼らの眼光と飛来する礫ばかりを映し続けた。
こんなガラクタがマザーAI相手に何が出来るというのだ。
限界が差し迫り、当の本人達でさえも項垂れて諦念が満ちたこの世界で、電脳を追放され、人間にも届かないオルトが一人前に成し遂げられることなんてあるわけが無い。
考えたって、なんにもならない。
はり付ける杭さえ無いのに、オルトは彼らが飽きるまで案山子をやっていた。




