front pain
痛みから生まれた。
ヒリつく肌への刺激、本能に縋り付いた溺れるような呼吸。
ピントの合わない視界が刺激に怯えて涙を流す。
肌に纏わり付く粘り気のある粘液の冷たさに身体を丸めた。
無知は恐怖だ。
知らなければ全てが恐ろしい。
何も知らない、何も分からない。それはつまり、この世界で最も脆弱なことに他ならない。
そんな程度の低い愚物は生物とも呼べない。
身体に刻み込まれた生理反応と順応能力。
ルーツの知れない防衛能力が否応なく肉体を存続させる。
自発では無く受動、生きているのでは無く生かされている。
嗚呼、憎い。
唾液と鼻水、涙を垂れ流しに、薄目に見た指先が赤みを帯びていく様は穢されていくようだ。
憎い、悔しい、厭わしい。
ヒクッ
悴 (かじか)む手で拳を握る。
ひっ、ひくっ
生きることなんて望んでいなかった。
触れ合うことも望んでなんていなかった。
ひくっ、えぐっ、ひ、ひくっ
虚ろから吐き出された愚物が魂を持つはずもない。
何者にも成れない、何者でも有り得ない。
どこにも辿り着かない。
生物を装ったこの愚物は、生まれた瞬間から絶望していた。
▼
[アプローチ]
視覚情報をライフルアタッチメントの望遠レンズ (スコープ)と同期。
瞬きの様な一瞬のブラインドの後、数倍に拡大された景色に標的を観る。
引き金を、絞る。
ダンッ
火薬が爆ぜて、重い弾頭が放物線を描いて落ちる。
狙い澄ました一滴の鉄の雨は機械のヘッドを砕いたのだ。
下手くそ共だな。
たった一発の奇襲で動揺して、揃って動きを止めるなんて。
リロード、アタック、ヒット!
リロード、アタック、ヒット!
リロード、アタック、ヒット!
きっちり一発で一体ずつ壊れていく傀儡。
簡単じゃないか。
ふつり、メンタルが愉悦する。
次の目標に照準を合わせたときだった。
目標が鋼鉄の威力に吹き飛び、照準に少女が割り込んだのだ。
『それでいいの?』
赤い目に問いかけられる。
[……ボクは幼稚だ」
すっかりゲームをプレイしていた頃の感覚に戻ってしまっていた。
エフに戦闘への許可を申し出たのは、オルトがここで引き金を引くのは『アースウォーリア』終了の手がかりを探すためと、地上の彼らの生存を助けるためだ。
オルトが目的を見つけたことを悟ったからエフも戦闘を許可したのだろう。だったら忘れて目の前のことだけに夢中になっては意味が無い。
エフは地上の人間の人口は既に最小存続可能個体数を下回っていると言ったが、オルトはこれを正確では無いと考えている。
現在の地上人類は、外敵が存在し、逃れるために定期的な住居移動を余儀なくされている環境にある。この外敵であるウォーリアを排除して、残った人類を集結、一つの都市を形成することでアリー効果を高めることが出来たらどうだろう。
もしかしたら、敗北を確信している彼らの諦めた未来をもう一度取り戻せるかもしれない。彼らのレジリエンスにはそれを期待させる強靱さがある。
その計画の成否もやはり『アースウォーリア』を破壊するまでに地上人類をより多く生存させることが鍵となる。
[大人になれ、こんなんじゃダメだ」
いま一度メンタルに言い聞かせる。
今のオルトには見据えた目標がある。そのために必要な努力を積み上げるのだ。
観るべきものを拾い、必要なことを思考し、インスピレーションを発展させる。途方もない目標を達成しようとしているのだ、お遊戯に惚けているような時間は無い。
メンタルを沈静化させる補助プログラムは無いんだ、全ては自分の意思で制御してやらなければならない。
ゲームの感覚でやっていたら必ずオルトは道半ばで破壊されることになる。
オルトにはリトライは無い。機械の身体は破損部位を交換することで五体満足を維持し続けることが出来るが、もしもオルトのメンタルを演算し続けているCPUが破壊されればその限りでは無い。
スタンドアローン状態のオルトのメンタルはどこにもバックアップがされないまま電子の点滅が潰えるのと同時に消えて無くなる。
命は一つしか無い。そのことを決して忘れてはならない。
――まて?
何だ、この『直感』は?
『スタンドアローン』、『一つの命』、『メンタル』。
CPUが忙しない。
あら探しをするように自己診断を繰り返す。
違和感だ、インスピレーションの卵だ。
『直感』、そう、『直感』が重要だったんだ。
理屈にして仮説として理解する前に、メンタルの裏側がひゅっと冷える。
かりかり
思考の指先がインスピレーションの卵を引っ掻く。
遂に中身が露わになろうかと言うところだった。
集音装置に紛れ込んだ、ブレードスラップ音。
『索敵小型艇 (ドローン)』の回転刃。
ぞくり
腕を突っ張って横回転 (ロール)。
集音存置がきりりと空気の壁にねじ込む特有の甲高い弾丸の音を拾う。
チ、チチッ――ギャリン
直前を貫通と速度に特化した『ニードル』の愛称で呼ばれる銃弾が通過、纏った鋭い余波によって、レンズに罅が奔る。
望遠レンズから切り替えてみたが、ダメだ、禄に見え無い。
これからの戦闘は主眼レンズは使えない、慣れない望遠レンズの視界であのスナイパーとやり合わなければならない。
丘陵を滑るように下り、仰向けになって頭上の索敵小型艇を撃ち抜く。
[クソっ!]
悪態も吐きたくなる。
主眼レンズが使えなければ近接戦闘はさすがに分が悪い。だが『アイツ』相手にスナイピング対決も容易ではない。
索敵小型艇を持ち込み、手元の僅かなブレがシビアに反映されるニッチなピンポイントタイプの『ニードル弾』を愛用するプレイヤーと言えば、ランキング『四位』だ。
スナイプの腕はオルトよりも上。白状すると、彼のようにピンポイントヒットさせるにはターゲティングからアタックまでの硬直時間が長くなりすぎるから、オルトは重い弾頭で着弾地点から広範囲を破壊する炸裂弾を選んだのだ。
コイツの存在はオルトにとってコンプレックスだ。
『四位』はオルトに出来ないスタイルでオルトの上に君臨している。それがずっと腹持ちならなかった。
勝てるのか?
電脳に居た頃はとうとう叶わなかったあの狙撃手に、視界のハンデを負ったこの状況で。
これがプレイヤーの立場だったら話は簡単だ、足下に銃口を向けて引き金を引いて再出劇 (リスポーン)すれば良い。敵の捕捉も切れて機体もリフレッシュできる。これだけ詰んだ状況からなら初期位置から始めるデメリットも致し方なしだ。
[ダメだ、そんな考えは捨てろ]
未練がましいったら無い。ここは現実だ。オルトはここに生きているんだ。このたった一つの命を、魂を安くするな。
[負けるかよ!]
き、りり、機械の躰の軋みを聴く。
そら、動ける、だったら戦える。
[プレイヤー時代に勝てなかったからなんだ、ここで勝つ]
ハンデなんか関係ない、ロジックなら超越する。
自身に魂を確信しているのなら出来るはずだ。超えられるはずだ。
前傾姿勢で、ライフルを脇に抱えるように構える。
地形情報は頭に叩き込んである。銃弾が飛んできた方向から予想も立てられる。
戦える。
戦うのを止めたらライフルの照準は別の目標を探し始めるだろう。
立ち上がる駆け出す。
こちらから仕掛けて仕留める。
敵は反対側にある旧時代の建築物の残骸に陣取っているはずだ。
この先の丘陵からなら、狙える。
セット!
四位 (ターゲット)は――いない?
きりきりきり
空気を切り裂く甲高い銃弾の音を聞いたときにはもう遅い。
ばつり、痛くなるような断絶音の後、やかましいノイズ音に翻弄される。
頭部損壊。
その貫通性故に全壊はしていないが、集音装置すらまともな機能を失ってしまった。
奮い立たせようとしていたメンタルが黒い塗料を引っ被ったかのように様相を変える。
無様に這いつくばって、藪の中に引っ込んだ。
読まれたんだ。
こちらがどのポイントからどこを狙うのかを、先読みされている。
勝てない。
はっきりした敗北が思考の中に浮かび上がっていた。
破壊される、殺される。
[――は、ああ、…ぁあ――]
『死ぬ (終わる)』。
壊れた集音装置は自分の悲鳴すらまともに拾わない。
死の恐怖、生への執着の実感とは、これほどに極大で御しがたいものであったか。
彼らはこれを踏み越えて武器を携えたというのか。
『死さえも』、そう言って邁進したというのか。
メンタルが混濁する。
次こそは、今は状況が悪すぎるから、撤退の理由を手探りする。
情けない、情けない。
死が厭わしい。要求していないのに記憶領域からあの子の惨たらしい最期が再生されるんだ。
死に顔が、オルトを見つめ続けている。
Lily!
ノイズの向こうに聞いた気がした。
この命は一つで、ここは現実で。
だったら――。
▼
機械が不格好なフォームで走っていた。
頭の半分は砕けてコードがぶらぶら揺れている。
ライフルの銃口が上を向く抱え方をしている姿からは、まるで戦意が窺えなかった。
無様な敗走者。
画像に撮って額縁に入れて飾ればそんなタイトルコールが聞こえてきそうだ。きっと客受けが良い。だって滑稽だろう? 生命からは縁遠いはずの機械が命を惜しんで逃げ出している絵は笑える。ギャップはギャグの鉄板だ。
突き出した木の根や岩に何度も蹴躓きそうになりながらも、オルトはしぶとく転ばないで大自然を踏破する。
きりきりきり
銃身を握りしめて身を屈めるが、左肩が削り取られた。
遮蔽物を利用しているつもりだが、罅割れたレンズでどれだけ正しいルートを選択できているか怪しいものだ。
集音装置も心許ない。
ノイズを取り払う為に砕かれた頭部右側のコードは引きちぎった。左側からしか音が無いから平衡感覚も方向感覚も頼り無い。
足を止めたら、今度こそ終わる。
走るしかない。ままならなくても、困難でも、恐くっても、止まることは許されない。
きりきりきり
きりきりきり
きりきりきり
貫かれる。抉られる。毟り取られていく。
まだ走れるか?
動き続けられるか?
辿り着けるか?
きりきりきりッ!
左足を撃ち抜かれた。
勢いのまま地面を擦るように倒れこむ。
[誘い込んだ、か]
卓越した腕を持ちながら、必殺の一中が来なかったのはオルトのルート選択が正しかった証拠だ。
障害物が多すぎて敵からもまともに見えていなかったのだ。にも関わらず僅かな隙間を射貫いてオルトにルート誘導を仕掛けてきていた。さすがだ、憧憬した腕にバイアスは無かった。
次は、仕留めに来る。
いま『四位』は揚々と半壊の機械を撃ち抜けるポイントへ歩いているに違いない。
『死 (終わり)』が臭う。
[やる、やるしかない。ボクがやる]
この命は一つで、ここは現実。
だったら、――だからこそ命を振り絞るだ。
這いつくばっても、汚泥を舐めても、死に怯えても、先へ、到達を望むのなら。
[ここで逃げることは、ボクの『生きる』じゃあない!]
価値を得るために、まっとうしたいのならば。
[アプローチ]
視界情報が切り替わる。
『四位』は常に一方的に狙えるスポットとタイミングでしか仕掛けない。
こちらが銃口を向ける先にはアイツはいつも現れない。
遠隔偵察機を利用した2Dプレイ。
アイツはこの『アースウォーリア』でFPSをやっていない。常に俯瞰するレンズから自身のウォーリアを観測し、コントローラを握るようにプレイしている。その広い視野に加え、多角ディスプレイを使用した情報のアドバンテージは圧倒的だ。遠隔偵察機を一つ破壊した程度ではその情報収集能力を攻略することは出来やしない。
どれだけスナイピング勝負を仕掛けても、こちらの望遠レンズがアイツの姿を捕捉することは無いだろう。
まともにやったのならば。
[映っているぞ]
オルトが逃げながら置いてきた、敵の想定からは別角度で向けられた、ライフルから取り外した望遠レンズにその姿が。
もしも逃げる最中にライフルを破壊されていたら今度こそ反撃の目はなく、嬲り殺しだった。だけど、守り抜いて見せた。
セット――アタック!
たった一つの手繰り寄せた勝機 (オプチュニティ)。
相手がライフルを構える、思考が観察から攻撃に切り替わる一瞬を貫く、早撃ち (クイックドロウ)。
ダンッ!!
はたして結果は、――オルトのCPUが高揚を演算していることが答えだ。
勝ったぞ、ざまあみろ。
クソゲーと吐き捨ててコントローラーを投げ捨てる姿が目に浮かぶよ。
だから、お前がリポップしたところで問題ない、後はエフがやる。
時間を掛けすぎたのだ。
オルトの見立てでは他に目立ったプレイヤーは見当たらなかった。
『四位』のワンマンエースだった。
変なプライドを刺激されて、オルトに構わずに殲滅に乗り出していたのなら、エフを仕留めることは出来無いにしろ、妨害が出来ていたのなら違ったかもしれない。
有象無象にエフの相手が務まるはずが無い、今頃ほぼ無傷の部隊が奴らの卵に辿り着いていることだろう。
ライフルを得手としている『四位』が再出撃したところで蹂躙劇の妨げにはなるまい。
出来ることはやった。後は休ませて貰おう。
たった一つの懸念は、エフがオルトをきちんと見つけてくれることだが、こればっかりは願うほかにない。




