大学卒業に向かって
人生は何が起こるか分からない。10月1日、日曜日、私は倉田常務とデイトの日時を決めていないことに気づき、慌ててメールを送った。
*明日、月曜日、時間があるけど、どうですか?
会いたいです。
昼間でも構いません。
都合は如何ですか?
連絡下さい*
すると倉田常務から皮肉を含んだメールが送られて来た。
*先週、貴女からの連絡が無かったので
明日は他の約束が入ってしまいました。
明日は無理です。
ごめんなさい*
私は先週、日時の連絡を怠ったことを反省した。もしかして倉田常務はあの女性、莫雨冰と約束でもしたのでしょうか。彼女はどう見ても、普通の女とは思えない。男を弄ぶ美しい妖花だ。大人しい彼は、妖花の花弁の奥底に潜む毒汁に気づかず、吸い寄せられて行く蜜蜂になるのか。私は何としても、それを阻止してやらねばならない。私は気が気でなかった。
*では火曜日は
大丈夫ですか?*
私は執拗にデイトを迫った。しかし、倉田常務からは直ぐに返事は来なかった。私がイライラしていると、夕方になって、やっと返事が来た。
*明日、帰宅が遅くなりますので、
翌日までに疲労回復するか心配です。
週末の夕方なら大丈夫ですが*
ちょっと意地悪な返信だと感じた。あの雨冰と、明日、付き合って疲労するのが見込まれるので、明後日なら大丈夫だという回答に思えた。先日、真理から川北教授と個人的に付き合っているという話を聞いて以降、どうも物事が思うように進まず、私はイラついた。何で計算通りに行かないのか。倉田常務は、私と別れたいと思っているのかも知れない。私は焦って、早く会いたいと何度も、何度もメールを送ったが、倉田常務は、それ以降、全くメールをくれなかった。更に悪い事が重なった。私の転居先を芳美姉の所にしたことから、いろんな郵送物が芳美姉の所に届いた。その郵便物の中に、『グリーン商事』からの封書があった。私は、その封書を琳美から受け取り、開封して一読した。
『グリーン商事』廃業のお知らせ』
:拝啓、時下、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
この度、『グリーン商事』は10月末日をもって、廃業することになりました。長きにわたり、御愛顧いただきましたが、世界経済不況の影響を受け、業績不振が続き、廃業を余儀なくされましたこと、深くお詫び申し上げます。以上の事情により、来年度の新卒者の採用を取り消しと致します。迷惑をお掛け致しますが、何卒、ご容赦願います。略儀ではありますが、書中をもって、採用取り消しのご通知を申し上げます。
敬具:
その知らせは『グリーン商事』を安全牌と考えていた私にとって、衝撃どころか、心臓が止まるのではないかと思われる程、私の胸を苦しめた。何ということか。大学を卒業しても、私の勤務先が何処にも無い。どうすれば良いのか。私は、衝撃に身震いした。私の蒼白になった顔を見て、琳美が心配した。
「どうかしたの。何かあったの?」
「内定をもらっていた会社、つぶれちゃった」
「ええっ」
琳美は驚き、目を丸くした。信じられないという顔だった。しかし、私はこんなことになるのではないかと、あの林田社長の貧相で、胡散臭い風体から危惧していたので、涙も出なかった。『富岡産業』の夏目課長への怒りの方が増幅した。しかし、他人を恨むのはお門違いに思えた。総ての原因は自分自身の不注意によるものだった。なのに私の不運を知って、琳美の方が、目に涙をいっぱい滲ませた。私は琳美を抱き寄せ、涙を堪えた。
「琳ちゃん。私は大丈夫。私は挫けない。前を向いて歩く。輝く未来は無限大だから・・・」
私はこの苦境に負けてはならないと思った。何としても、成功するまで、この大都会、東京で、生きて行かなければならなかった。このまま就職先が見つからず、『快風』に埋もれる訳には行かなかった。私は簡単に諦める訳には行かなかった。頼りになるのは、斉田医師と倉田常務だった。斉田医師は言えば直ぐに会ってくれた。だが倉田常務は、そうには行かなかった。私は彼に何度も何度もメールを送った。
〇
私の執拗なメール攻撃に、流石の倉田常務も折れて、私と会ってくれることになった。相当、私が困っていると感じてくれたのでしょう。倉田常務の都合で、『スマイルワークス』に出勤する前の11時前に、私たちは新宿で落合った。喫茶店『トマト』で、私は就職が内定にしていた『グリーン商事』が廃業になった事実を、倉田常務に伝えた。それを聞いて、倉田常務は就職先の無くなった私のことを気の毒がった。
「そりゃあ、大変だ。今は就職氷河期。早く、就職先を見付けないと」
「そうなの。非正規雇用も、新卒者を受け入れてくれないから、どうすれば良いのか分からないの。どうしたら良いと思う?」
「そうだな。兎に角、年末まで、就活で、走り回るんだな。じゃあ、行こうか」
「待って。私、今日は倉田さんの事務所を見せてもらいたいです。倉田さんが、どんな所で、どんな仕事をしているか、知りたいんです」
「見たらガッカリするよ。学生のアパート生活みたいなもので、、見せられたものじゃあない」
「でも、見たいの。お願い。連れて行って」
私は倉田常務の手を握り、お願いした。すると倉田常務は渋い顔をしつつも同意した。
「仕方ないなあ。まあ我社の実態を、その目で見れば、働き場所で無いと理解するよ」
「それで良いの」
私は強引に『スマイルワークス』行きを要請した。そして私たちは新宿から地下鉄の電車に乗り、浅草へと移動した。倉田常務は地下鉄の電車を降りて改札を出ると、私を国際通りの『ビューホテル』で食事をしようと案内した。日本語学校時代、劉長虹、黄月亮、孫梨華や西村老人と出かけた街並みが懐かしかった。『富岡産業』の夏目課長のことも思い出し、癪に障った。少し歩き、『ビューホテル』のロビーに入り、27階の中華料理店『唐紅花』に行き、倉田常務は、私に昼食をご馳走してくれた。そこからの東京の眺めは素晴らしかった。また料理も中華料理なのに日本的なところもあり、フランス的なところもあって、とても美味しかった。ゆったりとした食事を済ませると、倉田常務は1階に降り、タクシーを拾った。もしかして鶯谷あたりのホテルに連れて行かれるのではないだろうかと疑ったが、それは私の勝手な想像だった。彼は運転手に、行先を正確に説明し、『スマイルワークス』の事務所に向かった。『スマイル・ワークス』の事務所は隅田川を渡った向島の大通りに面したマンションの5階にあった。エレベーターで5階に行き、『スマイルワークス』と英文で書かれたドアを開けて事務所の部屋に入ると、倉田常務が言っていた通りの小さな事務所だった。前室が会議室兼キッチンで、その奥が事務室になっていた。机が3つ程並んで、パソコンが2台セットされていた。社員は誰もいなかった。私は疑問に思って訊いた。
「他の人たちは出かけているの?」
「今日は私以外、誰も来ない。毎日、出勤するのは私だけで、他の仲間は、時たましか来ない」
「どうして?」
「沢山のお客を持って仕事をしているのは、私だけだから」
私には彼の言っていることが理解出来なかった。皆で協力して、働かなければ、家賃を払うのも大変でしょうに、どうやって利益を得ているのでしょうか。こんな事務所で大丈夫なのか。『グリーン商事』の方が、ましな事務所だった。私は愕然とした。私に事務所を見せた倉田常務は平然として、私に訊いた。
「ところで、愛ちゃん。今、履歴書を持っているかな?」
「はい。コピーなら持ってますけど」
「じゃあ、それを見せてくれ」
私はあらかじめ用意して、バックに入れている履歴書のコピーを彼に差し出した。すると彼は事務所のコピー機で、それをコピーし、細々と各項目を確認し、文章の書き方など、若干の修正をした。また日本企業に就職する場合の住居の事などについても、芳美姉の所を住所にするようアドバイスしてくれた。私は彼が履歴書を修正してくれたので、それに従って履歴書を書き直し、提出すれば、私を採用してくれるのかと思い、自分が将来、希望している中国貿易とアパレル関係の話をした。私は『スマイルワークス』が、私を採用してくれれば、もっと発展し、大きな事務所に移れるなどと、自己PRした。しかし、倉田常務は『スマイルワークス』で採用してくれる素振りは全く見せなかった。倉田常務は私との履歴書など就職の話を終えると、机の椅子に座り、パソコンを使ったりして、幾つかの仕事をこなした。それから私に訊ねた。
「今日は、私と一緒にいて良いのかな」
「はい」
私が、そう答えると、倉田常務は夢中になって事務所仕事に向かった。私は部屋の奥に設置してあるテレビを観て時を過ごした。倉田常務の仕事は1時間半ほどで終わった。倉田常務が仕事を済ませるや、私たちは10階建てのマンションの1階に降り、ビルの前の通りでタクシーを拾った。私たちは向島から鶯谷へ向かった。途中、西村老人と入ったことのある鶯谷の『ブルームーン』の近くを通った。そして鶯谷駅入口で下車。『セリーヌ』というラブホテルに入った。シャワーを浴び、ベットに入るや、激しい愛の奪い合い。彼の私への愛の気持ちが伝わって来る。たまらない。倉田常務は囁いた。
「神は何という悪戯好きなのか。この広い世界の異国の人間同士を、何故、結び付けたりするのか。私たちの出会いは世界人口、何十億分の一の出会いだ。まさに奇跡だ。愛している。私は神に感謝する」
「私も神に感謝してるわ」
私は優しい倉田常務の愛にしがみついた。私たちは強く抱き合う事によって、強い強い繋がりとなって行くのを実感した。
〇
倉田常務は私との関係が深くなっても、私を『スマイルワークス』に入社させる決断が出来ないでいた。友人たちとの共同経営であるから難しいというのが理由だった。その為、私はあちこちの会社に訪問した。倉田常務も私を採用してくれる会社がないか、あちこち探してくれた。私は必死になって都内の会社を歩き回った。しかし私を採用しようとする会社は無かった。W大やM大の学生を採用しても、S大の学生は採用されなかった。不採用を告げられた日などの私は、とても落ち込み憂鬱な気分になって、誰かにやりきれなさをぶつけたくなった。そして倉田常務にメールを入れたりした。
*採用、また断られました。
明日、お会い出来ませんか?
相談に乗っていただきたいのですが*
すると彼から不可能のメールが送られて来た。
*明日から1週間、台湾に出張です。
残念ですが再来週、帰って来てから連絡します。
必ず採用してくれる会社があります。
頑張って下さい*
倉田常務のメールはちょっとばかり、私の心を慰めてくれた。そしてもし私が『スマイルワークス』に採用してもらえたら、こんな時、同行して通訳して上げられるのにと思った。
*分かりました。
明日、会おうと思っていたのに
残念です。
台湾出張、楽しんで来て下さい。
日本に戻ったら連絡下さい。
愛してます*
私は彼に愛の言葉を送った。それから別の事を考えた。自分がこれから進むべき道は川北教授の研究室で働きながら、大学院へ進む道か。それとも斉田医師の愛人になって、囲われて暮らす道か。私は悩んだ。どうしたら良いのか、全く分からなくなった。そんな時、私の心は、いい加減になった。絶望の中で、男と交わり、絶望を埋めようと考え、斉田医師に声をかけた。彼は直ぐに応じてくれた。斉田医師は、私を抱きながら、こんなことを言った。
「君は悪女なのに純真に見える」
彼の言う通りかも知れなかった。男たちは私の欲望、私の美貌、私の虚飾、私の微笑、私の清楚さ、私の貧しさ、私の孤愁に振り回されて、てんてこ舞いだった。それぞれに私の不運な身の上を心配し、私を偶像化した。私は、それを良い事に、悩みを忘れる為に、男たちの間を渡り歩いた。斉田医師、川北教授、倉田常務、時には大山社長の相手をした。大山社長は芳美姉を恐れながらも、私をオモチャにした。パンティをはがすと涎を垂らして、卑猥なことを喋った。
「ああ、この谷間の匂いが何とも言えねえな。見せてくれ。見せてくれ。もっと良く見せてくれ」
「駄目よ」
「ちょっとだけで良いんだ。もうちょっと見せてくれ」
「ちょっとだけよ」
「ああ、見れば見る程、綺麗で入れたくなる。俺の物がズンズン太くなるからたまらない」
私は、その大山社長の要望に応えて、大山社長の太くなった物を握って入れようとするが、彼は、それを握ることを許さず、ビンビンになった物を見せ、私をじらした。大山社長は、尚も、割れ目の奥を見たがった。
「もっと股を大きく開いて、もっと良く見せてくれ。そう、そう。開いて、開いて、開いて」
私は何時ものことなので、恥ずかしいとも思わず、大きく開脚して見せてあげた。すると彼は谷間に顔をうずめ、私の花芯をベラベラと舐めて弄んだ。私が歓喜の声を上げると、彼は自分が舐めていた場所に、自分の太くなった物を刺し込んで来て、私に問いかけた。
「どうだ。どうだ。どんな感じだ?」
「そんなこと訊かないで」
「気持良いか?気持ち良いか?」
彼はピストン運動を開始し、同じ質問を繰り返した。その為、私の開花した部分は、スポンスポンになり、大山社長は興奮した。それに伴い、私の開花した部分はイソギンチャクのように彼の物を吸引しようとした。
「良いぞ。良いぞ。深くて深くて堪らねえ。ああっ。ああつ。堪らねえ。行くぞ!行くぞ!愛ちゃん」
大山社長は、そう叫んで、私の股間で欲望を果たした。私は浸透する悦びに身体を痙攣させ、小さな死を幾度か体験した。事を終え、私は困惑した。もしかして自分は、この男から逃げられなくなるのではないと思ったりした。
〇
私は就職口を失い、大学の就職課に行き、進路先指導を受け、新しい就職先を探した。だが中々、採用してくれるような会社が見つからず、事態は深刻化する一方だった。今日も、午前10時からの面接が終わって、担当者から、採用者1名なので、外国人の採用は難しいと言われた。こうなったら、倉田常務に会って、真剣にお願いしなければならないと思った。切羽詰まっている状況を伝え、助けていただこうと、彼に連絡することにした。彼は1週間の台湾出張を終え、今日は日本に帰国している筈であった。私は迷わず電話した。
「お帰りなさい。愛玲です。今、この間行った会社の面接が終わったところなの。ちょつと難しいみたい。これから事務所へ行っても良いですか。誰か一緒ですか」
「はい。仕事がいっぱいたまっているから、夕方でないと」
「じゃあ、何時なら会えますか?」
「夕方、5時半かな。何時もの所に着いたら、電話するよ」
「はい。分かりました。待っています」
私は『スマイルワークス』の事務所に行きたかったのだが、彼の仲間が出社していたので、訪問する訳には行かなかった。私は倉田常務が、事務所から新宿にやって来るまで時間があったので、『京王デパート』や『小田急デパート』の中に陳列されている衣類や化粧品などを眺めて、時間を潰した。5時半ちょっと前に、倉田常務から携帯電話に連絡が入り、何時もの所で合流した。それから喫茶店『トマト』に入り、私は現在の就職活動の進捗状況を説明した。すると倉田常務は感心した。
「まだ、応募している会社が、あるんだね。受かると良いね」
倉田常務は私が応募した会社に採用されることに期待した。まるで父親のように、私の就職の事を心配してくれた。30分程して私たちは喫茶店を出て、『リスト』へと移動した。部屋に入るなり、私は倉田常務に跳び付いた。彼が台湾に出張して会えなかった為、随分、会っていないような気がした。それに加え、生理が近いと感じていた所為かも知れなかった。私は生理が間近いので、一時も早く接触し、抱かれて燃えたかった。そんな私に較べ、倉田常務は冷静だった。彼は出会った頃の彼では無く、私のエクスタシィ・スポットが何処にあるのか充分、分かっていて、その狙い所を、攻めるのを、なるたけ後に伸ばしてじゃれ合った。彼は緩やかに、緩やかに愛戯を繰り返してから、私の中に入って来た。そのテクニックは斉田医師や大山社長のように動物的では無かった。彼は淡々と優しく愛撫を繰り返し、複雑な私の身体と感情を、巧みに同調させ、愛欲の炎を燃え上がらせた。男の味を知ってしまった私の身体は、長く生きて来た老人パワーに翻弄され、燃えた。私は彼に溺愛され、絶叫した。今までと違い、中国語を漏らし喘いだ。出会った頃のような感じ方では無く、全く奔放的に股間を大きく広げ、彼の愛を受け入れ、彼の愛を求めた。私たちの愛の時間は、その為、出会った頃より、ずっと長時間になった。私は、その長い快楽がたまらなく好きだった。2人のたとしえ難い甘美な時間が済んでから、倉田常務は、台湾出張のプレゼント、グッチのスラッシュの香水、スワロースキーのネックレス、花柄の物入れ、カラスミなどを私にくれた。私はプレゼントをもらい、大喜びした。互いに満足して、『リスト』を出ると、外はもう完全に暗くなっていた。2人ともスタミナを使い過ぎた為、空腹を感じていたので、食事をすることにした。
「腹がへったな。何か食べようか?」
「はい」
私たちは新宿駅近くまで行き、『美々卯』に入って、うどんすきを食べた。前菜の後、天麩羅をいただき、その後、土鍋にうどん、野菜、ハマグリ、鶏肉、カキ、海老、豆腐などを入れて、ビールやサワーなどを飲み、煮えるのを待った。ハマグリが口を開いたところで、私は、倉田常務と私の御椀に料理を盛ってうどんすきをいただいた。食べながら私たちは、いろんなことを話した。8時過ぎ、私たちは『美々卯』を出て、新宿駅南口で別れた。彼は急行電車に乗って帰るという。私は幸福感につつまれ、『快風』に行ってから、倉田常務にメールした。
*今日の料理、美味しかったです。
ありがとう。
台湾のお土産もありがとう。
恒力、大好き。
これからも優しくしてね。
就職が決まったら、一緒に大連に
行きましょうね*
すると、急行電車に乗車中の倉田常務が返信を送って来た。
*喜んでもらえて嬉しいです。
人生は、気持ち次第。
君の笑顔は明るい未来を必ず招く。
大連に行けるよう、互いに加油。
幸せになろうね*
彼は、まるで若者のように希望にあふれたメールを送って来た。何というおじさんか。余りにも楽天的だ。株が大暴落しているというのに、大丈夫なのかしら?
〇
その後も、私は就職活動に奔走した。この頃になると大企業は勿論のこと、中小企業の採用受付も無くなり、臨時採用の求人がほとんどとなった。私はどうしたら良いのか途方に暮れた。大学の仲間には、内定していた会社が倒産して、就職先が無くなったなどと言うことが出来なかった。プライドの高い私は、柴田美雪や吉原美智子に、それを知られ、馬鹿にされるのが嫌だった。私は仲間に自分の現状を秘密にし続けた。こうなったら細井真理同様、川北教授のアドバイスに従い、進路を決めるのも良いのかななどと思ったりした。大学院に通いながら川北教授の助手として働きながら力をつけ、2年後に、再度、就職活動を行い、優良企業への入社を目指す。そう考えると、一時、真理のことで恨んでいた川北教授にすがるべきかもしれないと考えるようになった。私は川北教授にメールして、夕方5時、代々木上原の喫茶店『茶望留』で待合せした。川北教授は、倉田常務に似て、時間に正確で、5時丁度に喫茶店にやって来た。川北教授はアメリカンコーヒーを註文してから、私の顔を覗き込んで訊いた。
「決心がついたのかな?」
「まだ迷っています。具体的計算をしてみないと、決心がつきません。お給料をもらっても、それが授業料で消えてしまったなら、私は生活して行けません。お給料は、いくら頂けるのでしょうか?」
「10万円でどうだろう」
「10万円ですか」
「不足かな?」
川北教授は、私が納得が行かないような顔でもしたのでしょうか、ちょっと不安顔になった。そしてテーブルの前の私の手を握って言った。
「時間外の時は、また別に支払うから、どうだろう。大学には予算を申請しているところだ」
川北教授は、真剣な顔をして、私を助手にしようと、口説いた。私は冷静に判断しなければならないと思った。客観的に自分の置かれている位置を検証する必要があった。それに大学院での授業料などのことも計算に入れなければならなかった。私は川北教授に握られている手を引っ込めて答えた。
「今、少し時間を下さい」
「いいよ。いいよ。年末までに、はっきりしてくれれば」
「申し訳ありません」
「私は花のように、または月のように明るい周さんを、側に置いて、仕事をしたいんだ」
川北教授は私に顔を近づけ囁いた。大人の恋には嘘があるのは分かっているが、そう囁かれると嬉しかった。『茶望留』で話し終えてから、川北教授の行きつけの居酒屋に連れて行かれ、おでん料理をご馳走になった。私たちは、ちょっとほろ酔い気分になったところで、代々木上原からタクシーに乗って渋谷に移動した。当然のこと、私は何処に行くのか分かっていた。私たちは以前に利用した道玄坂裏にあるラブホテル『ブルックリン』に行った。私はそこの部屋で川北教授に抱かれながら、こうして女を武器に男たちから小遣いを貰えれば、給料10万円でも、大学院生として2年間過ごせると思った。川北教授が、『茶望留』で、時間外の時は、また別に支払うからと言ったのは、こういう時間のことかも知れなかった。川北教授は私が、そんなことを考えているなどと全く気付かず、自分の欲望に走った。彼のやることは、音楽教師でもないのに、とてもリズミカルだった。愛撫する指使いは繊細で、私の敏感な場所を耐えられなくなる程、可愛がった。彼はその場所を可愛がるばかりで、中々、挿入して来ない。私は私の股間の亀裂から、愛液が溢れ始めているのが分かり、声を漏らした。
「ああっ」
「大きな声を出したら」
「そんな」
「我慢しないで。では入れるよ」
川北教授は、そう予告して、彼の肥大化している物を挿入して来た。私は唇を噛み締めた。川北教授は額に汗をにじませ、突撃を繰り返した。そしてそのピッチを速め、追い込みにかかった。私はその攻撃を受け、気が遠くなるような快感の揺らめきの中に溺れた。なるようになれ。私は、川北教授の術中にはまり、歓喜した。
〇
あっという間に11月になり、西高東低の冬型の気圧配置が冷たい青空を招く。木枯らしが吹いて、枯葉が舞い、就職先が決まっていない私は、侘しくて侘しくて、心細い日々を迎えた。日本の企業もアジアの企業も、アメリカ経済の影響を受け、業績不振に陥り、苦しみもがいていて、来春採用予定の内定取消しをする会社も出始めた。そして4日、アメリカの大統領選挙が行われ、民主党のバラク・オバマが共和党のマケインを破り、史上初のアフリカ系黒人大統領の誕生となった。黒人の男女、ヒスパニック、アジア系マイノリティといった低所得者層の人口増加がオバマに味方して、彼を大統領へと押し上げたといえる。果たして、この選挙結果で、これからのアメリカ経済を立て直せるかは、オバマがどんな手を打つかにかかっているが、その結果は時間を待たなければ分からないことだった。しかし、私の前に横たわっている現実は、暗闇に向かって歩いているみたいに絶望的だった。自分は何の為に日本にやって来たのか。芳美姉のように、日本で成功したいという夢は、どうなるのか。真剣に考えれば、大学院生として、2年間、無駄に過ごす訳にはいかない。詳細に計算したら、、大学院の授業料は月額6万円かかるから、給料の10万円から、6万円を差し引いたら4万円しか残らない。そんな金額では家賃だけで消えてしまう。食事や電気代、水道代、衣服代、電話代の費用はどうするのか。男たちの援助で何とかなるにしても、2年後、日本の景気が好転し、就職出来るとは限らない。そんなことから、私は貿易業界での人脈の多い、倉田常務に、何とかして欲しいと執拗にお願いした。すると倉田常務は、現在、千葉の『幕張メッセ』で展示会が開催されているので同行する気があるかと訊いて来た。私は訳が分からず同行すると返事した。私は約束の当日、新宿駅の南口で倉田常務と待合せした。霧雨の煙る日だった。私たちは霧雨の中で合流すると、新宿駅から中央線の快速電車に乗り、東京駅に行き、そこで京葉線電車に乗り換え、海浜幕張駅に向かった。その車内で倉田常務が私に言った。
「万一、就職先が見つからなかった場合、私の仕事を手伝ってもらうかも知れないので、私が販売している機械に、どんな種類の物があるか、勉強の為、案内します」
私は、その言葉を聞いて、元気になった。私は訳が分からず、彼と会いたい一心で、同行することを決めたが、彼には彼の計算があったのだ。心根の優しい彼が、私のことを真剣に考えていてくれるのだと思うと、涙が出そうになった。倉田常務は私が考えていた以上の業界の有名人らしく、電車内で数人に挨拶されたり、声をかけられたりした。海浜幕張駅に到着するや私たちは混雑する改札口を出て、駅前ビルで和食の昼食を済ませた。それから沢山の人たちの後をゾロゾロと歩いて、『幕張メッセ』に向かい、午後1時、展示会場に入った。展示会場内は幾つものブースに見た事の無い機械が沢山、展示され、それを見学する人たちが溢れんばかりだった。その混雑の中を私は倉田常務に連れられ、国内メーカーや商社の展示ブース、海外のメーカーや商社の展示ブースを見て回った。倉田常務は沢山の人に声をかけられ、談笑し、私を『スマイルワークス』の通訳だと紹介してくれた。私は彼の顔の広さにびっくりした。また中国や台湾の機械メーカーとの対応は私がスラスラ通訳して、とてもスムーズだった。会場を一回りすると、倉田常務がカタログ類を入れる為に持参した手提げ袋はサンプルやカタログ類でいっぱいになった。とても重そうなので、私は台湾メーカーから布袋をいただき、その半分を布袋に詰め替え,持ち運んだ。3時間程かけて展示会を見終えて会場から出るや、私は倉田常務に訊ねた。
「事務所へ帰りますか?」
「そうだな」
流石の倉田常務も疲れたのでしょう。カタログ類を置きに事務所に行きたいと、素直に頷いた。私たちは幕張駅から錦糸町に出て、そこからタクシーに乗り換え、5時半過ぎに、『スマイルワークス』の事務所に到着した。倉田常務の仲間は、もう帰って事務所にいなかった。私は重い荷物を事務所のテーブルの上に置き、ホッとした。倉田常務は荷物を、自分の机の下に置くとパソコンに向かい、メールを確認したり、机の書類のチェックをした。それらの仕事が済むと、私たちは事務所を出て、タクシーを拾い、鶯谷の『シャルム』に移動した。2人だけの空間を得て、倉田常務はやっと落着けたみたいだった。私たちはゆっくり休憩した。展示会場への往復、展示会場内での巡回で足の裏が痛かったので、2人でバスタブに浸かり、疲れをとった。彼はバスルームの中で彼の将来の夢を語り、私も彼に自分の将来を語った。そしてバスルームから出ると、倉田常務は急にパワーを漲らせ、私に挑んで来た。バスルームでは、柔らかそうだった肉棒が、ずっしりとした重量感のある二つの肉塊の間から大砲のように勇ましく突き出ているのを私は目にした。それを見て、私は興奮し、彼を受け入れ蕩け喘いだ。
「もっと。もっと。もっと。もっと!」
私に煽られ、倉田常務は、ギンギン攻め込んで来た。私は愛器を鳴らし、防戦した。たまらない。私は狂乱し、身体が痺れ、恍惚の中で、防戦の力を失い、失神した。
〇
私の頼りは、倉田常務だった。彼には持家があり、年金が支給されていて、定年後の生活は悠々自適の筈なのに、自分の仲間と会社を立上げ、まだ事業を拡大しようとしていた。幕張の展示場で会った『帝国機械』の彼の後輩が、噂していた。
「倉田さんは老いて尚、益々、盛んな怪物だよ」
私には、その意味するところは、先輩に対する称賛だけでは無いように思われた。多分、想像するに、仕事に対して、今も、意欲旺盛であり、女に対しても盛んであるということみたいだった。考えてみれば、私と倉田常務の付合いは、驚く程、深くなり、互いの存在が、もう無くてはならないもののようになっていた。夫婦になることは出来ないが、他人では無くなっていた。互いに生まれた時代が合致しなかっただけの運命と諦めるしか仕方なかった。彼はある時、溜息をついて言った。
「こんな老人と美女を結び付けるなんて、神も罪なことをするものだ」
それを聞いて、私は胸が痛み、そう思えば思う程、倉田常務のことが愛しくなり、彼に寄り添って生きたくなった。彼も同様かも知れなかった。彼は私の採用を決めてもらおうと、自ら得意先に訪問し、採用窓口と交渉した。ある時など、私を神田にある商社『ジェィ商事』に連れて行った。倉田常務と親しい中山社長と井村取締役に私の履歴書を提出し、採用の依頼をした。2人は私の履歴書を見て、いろんなことを質問して来た。私は倉田常務が傍にいた為、思うように回答出来なかった。中山社長は厳しかった。
「日本に来て、5年以上にもなるのに、日本語がうまくないね。日本人との付合い範囲が狭すぎるみたいだね。中国人としか付合っていないのじゃあないの」
「学校では日本人の友達と一緒ですが、家では中国人の親戚と一緒ですので・・」
私は中山社長の厳しい追及に緊張して、その後の言葉が続かなかった。中山社長は思った事をズバズバ言う人だった。
「倉田常務から優秀だと聞いていたけど、日本語がまだまだだね。倉田常務の家に、ホームスティしたらどうなの」
それは私が、もっと日本語が上手にならないと採用出来ないという口ぶりだった。井村取締役の反応は、ニコニコしているだけで不明確だった。私の紹介の後、倉田常務は、中山社長と、機械設備の引合の話などをして、打合せを終了させた。私たちは『ジェイ商事』を出ると、神田駅まで戻り、そこから地下鉄の電車に乗り、浅草駅まで行き、言問橋を渡り、『スマイルワークス』の事務所に行った。この日は倉田常務だけの出勤日だった。事務所に入ると、倉田常務はパソコンに向かい、メールの確認をしたり、中山社長への礼状や、翌日の仕事の準備をした。私は倉田常務の隣りの椅子に座り、考えた。この椅子に座って仕事が出来れば何と仕合せなことか。それは叶いそうも無い夢だった。一仕事、終えると、倉田常務は私に言った。
「中山社長は、中国との仕事も出て来そうなので、愛ちゃんの採用を検討してみると言ったけど、多分、無理だね。今日は、大事な時間を潰させてしまってごめんね」
「何を言ってるの。私を採用してもらう為に、連れて行ってくれたのでしょう。倉田さんが謝られる事なんかないわ」
「でも」
「それより、日本語の勉強に行きましょう」
私は、中山社長の言葉を皮肉って、倉田常務をからかった。倉田常務は笑って頷いた。私たちは事務所から出ると、マンションの下でタクシーを拾い、鶯谷の『シャルム』へ行き、部屋に入った。それからの会話は総て日本語のみで話すことにした。私は中山社長の私に対する蔑視の態度が、まだ頭にあって、中山社長と親しい倉田常務なのに、つい不平を口してしまった。
「今日の中山社長、私、嫌いだわ。あの社長とお友達なの?」
「まあね。でも彼の言うことは正論だ。外国人が日本企業に就職するということは、そう生易しいものではない。社員とのコミニケーションを深める為には、言葉が重要だ。言葉で心が通じ合わなければ、仕事は上手く行かない」
私には、倉田常務に、そう言われショックだった。倉田常務から、中山社長と似たような言葉が出るとは予想していなかった。私は正常心を失った。何故か報復感が湧き上がり、私の方から彼をベットに誘い込んだ。私は今日の鬱憤を晴らすべく、彼の腹上で乱れまくった。彼はそれを分かっていて、老体なのに、それに応じて、下から腰を突き上げ、反撃した。真実を語らぬ男と嘘をつく女が、真裸になって、ベットの上で、己の欲望を曝け出した。欲望は決して嘘をつかない。互いに激しく求め合う。これこそが男と女の真実の姿、愛なのかも知れない。私は倉田常務と激しく燃え合った。信じられない程の極限の悦びをいっぱい堪能した。倉田常務の言葉ではないが、神は何てことを私たちにさせるのでしょうか。
〇
倉田常務以外にも、私の就職について心配してくれている人がいた。それは中国から機械を輸入した時の『日輪商事』の担当者、中道剛係長だった。彼は倉田常務が私のことを自分の上司に採用依頼しているのを知っていて、私に声をかけて来た。彼は親切心をこめて私に提案して来た。
「まだ就職探しをしているみたいだけど、紹介して上げようか?」
「はい。お願いします」
私は藁をも掴む思いで、中道係長の言葉に乗った。彼が言うには、彼の友人が、就職紹介業をやっているので、その友人に私を紹介してくれるというのだ。私は翌日の夕方、中道係長たちと会う約束をした。そして翌日午後、私は渋谷のA大学で日本語の検定試験を受けた。先日、神田の『ジェイ商事』の中山社長に日本語が下手だと言われたが、この検定試験で1級免状をもらい彼の鼻を明かして上げたかった。日本語検定の問題は、3段階に分かれていた。1段階目は、文字及び単語をどれだけ知っているかのテストだった。2段階目は聞き取りが出来るか、内容を把握出来るかの聴解のテストだった。3段階目が、文法,読解のテストだった。私は以上の3段階の試験を受けて、自信を持った。日本に5年以上滞在し、大学で勉強していることもあってか、それ程、難しい問題とは思わずに試験を終えることが出来た。以上の試験は午後4時に終了した。その後、私は渋谷駅近くへ移動し、喫茶店で時間調整した。夕方6時に喫茶店を出て、渋谷駅西口のハチ公前に行き、中道係長と合流した。彼は友人と一緒に私を待っていた。その友人はニッコリ笑うと、自己紹介した。
「伊藤省三です」
彼は積極的に自己紹介すると、名刺を差し出した。『未来ビジョン人材センター』の係長という名刺だった。ちょっと長ったらしい変わった社名だと思った。まず私たちは喫茶店『ルノアール』に入り、コーヒーを註文してから、私が伊藤係長に写真付き履歴書を渡した。それから自己PRし、中道係長が勤めているような貿易会社に入社したいと話した。
「分かった。数社に話してみます。もっと早く言ってくれれば、良い会社に紹介して上げられたのに」
伊藤係長の言葉は、優良企業に就職するのは、もう無理だなという言い方だった。仕方なかった。私の就職先探しの話が終わると、中道係長と伊藤係長は私をカラオケに誘った。
「食事をしながらカラオケしようと思うけど、どうかな?」
「はい。少しの時間なら」
私は私の為に、2人が渋谷まで来てくれたので、断る訳にはいかなかった。結果、道玄坂近くのカラオケ店に連れて行かれた。中道係長と伊藤係長と私の3人は、ピザやフライドポテトなどを頼み、ビールやコーラを飲みながら、各人、好きな歌を唄った。そのうち伊藤係長が、私にデュエット曲をリクエストしたので、私は、それに付き合った。カラオケを唄いながら伊藤係長が、私の胸をチラリと覗き込んだので、私は咄嗟に身体の向きを変更して唄った。気の所為では無く、彼の視線は私のことを強く女として意識していた。中道係長が次にデュエッ曲をリクエストして来た。その曲は『今夜は離さない』という曲だった。かって通訳の仕事で御世話になった中道係長であったが、私は彼の青臭い雰囲気が嫌いだった。彼はデュエット曲を唄いながら、私の腰に手を回して来た。私が腰をくねらせると、更に手をお尻に回した。私は逃げ回りながら、何とかデュエット曲を唄い終えた。すると今度は中道係長に加えて、伊藤係長が私に抱き着いて来た。私は危険を感じた。このまま彼らといたらレイプされるのは確実だった。私は中道係長を睨みつけて叫んだ。
「止めてっ!森岡課長に言うわよ」
私の怒号に、中道課長が一瞬、たじろいだ。その間隙を逃さず、私は自分のバックやコートを抱きかかえ、カラオケルームから逃げ出した。悔しかった。悔しくて悔しくて、涙が溢れ出た。簡単に身体を許す女と、男たちに見下されていたのかと思うと情無かった。これでは『富岡商事』の夏目課長の時と同じように、弄ばれて捨てられるだけのことだ。男女平等の時代だなんていうが、日本は中国以上に男女差別があり、女にとって茨の世界だと感じた。
〇
11月の暦を剥がし、12月の暦を開けて、私は溜息をついた。今年も残るところ、1ヶ月しかない。就職先はまだ決まっていない。大学を卒業してからも日本に居残る為には、どうすれば良いのか。八方塞がりに私の心は、暗くなる一方だった。日本に居残るには川北教授の助けを借り、大学院に進むか、倉田常務に泣きついて、格好だけの『スマイルワークス』の社員にしてもらうかのいずれにしか方法が無かった。芳美姉の経営する風俗店『快風』の仕事で、在留許可が出る筈など無かった。芳美姉が許してくれるなら、『大山不動産』の社員として採用してもらうのも一つの方法かもしれなかった。私はいろいろ考えた挙句、お人好しの倉田常務にすがるしかないと思った。私は月曜日から、倉田常務にメールを送った。すると彼から、こんな返事のメールが入った。
*今週は仕事が入っていて多忙ですが、
何とかします。
明日の火曜日か、木曜日にしませんか?
木曜日は貴女の誕生日になりますが*
彼は私の誕生日を、はっきりと記憶していた。私の履歴書に書いてあったのを記憶していたからでは無く、自分の誕生日と数日違いだったからに相違ない。私は嬉しくなり、直ぐに返信した。
*私の誕生日、覚えてくれていてありがとう。
では木曜日にしましょう。
午前でも大丈夫ですか。
11時とか12時とか。
ゆっくりしたいし、
ビザの申請についても
相談したいです*
私には倉田常務に相談したいことが沢山あった。日本に居残る為には、何としても在留許可を取得せねばならなかった。彼は木曜日の午前11時、『スマイルワークス』の事務所に来るようメールして来たが、当日になって、待合せ場所を、地下鉄浅草駅の改札口に変更して来た。私は地下鉄丸の内線の電車に乗り、赤坂見附で銀座線の電車に乗り換え、浅草駅に行った。改札口を出ると、倉田常務が笑顔で待っていた。私は改札口で倉田常務と合流すると地上に出て、東橋を渡りビール会社の本社ビルの中にあるレストランに連れて行ってもらい、そこで蟹料理の昼食を御馳走になった。私たちは、素知らぬ人たちの視線など気にせず、窓際の席でゆっくりと昼食を楽しんだ。その後、私たちは『スマイルワークス』の事務所まで歩いて行くことにした。途中、墨田川の河畔に牛島公園という公園を通った。楓や紅葉や銀杏の黄色が美しかった。私は庭園の池に泳ぐ、カモメや都鳥を眺めながら、倉田常務に言った。
「倉田さん。私の就職決まったわ」
「えっ。それって本当?」
「はい。『スマイル・ワークス』よ」
私が、そう答えると、倉田常務は私を採用することを決心したのか、私を見詰めて、ニッコリと笑った。
「それは良かったね」
私は倉田常務が観念したと悟った。行く手では牛島神社の鳥居と社殿が待っていた。私たちは牛島神社に参拝した。黄色い銀杏の葉が、境内一面に散乱して、私たちの繋がりを祝福してくれているようだった。午後2時、私たちは『スマイルワークス』の事務所へ行き、ビザの申請についての対策を相談した。結局、倉田常務に『スマイルワークス』の採用内定の偽書類を作成してもらい、ビザを申請することにした。それから彼は私の誕生祝として、ガラス細工のバラの花をプレゼントしてくれた。私は彼の誕生日にはちょっと早いがあらかじめ準備しておいた毛糸のチョッキを持参していたので、それをプレゼントした。ブラックにグリーンの格子模様の入ったチョッキは落着いた雰囲気のデザインだが、Lサイズなので、彼に合うか、ちょっと心配だった。しかし彼に着てもらうと、ぴったりなので、彼は大喜び。私はその姿を見て安心した。それから私は事務所の机に座り、翻訳やコピー整理の仕事を手伝った。『スマイル・ワークス』には、私が手伝える仕事が結構あった。倉田常務の仕事が終わるや、私たちは事務所のあるマンション前で、タクシーに乗り、何時もの『シャルム』に移動した。そこで、ゆっくり休憩した。倉田常務は私に確認した。
「大事な誕生日だというのに、私なんかと一緒で問題無いのかな?」
「問題無いわ。倉田さん以外に、誰も祝ってくれる人がいないから。それに倉田さんのこと、とても好きだから。私、仕合せよ」
私は本心でも無いことを口にした。嘘をつく女と真実を語らぬ男との戯れ。私は夢中になって突撃を繰り返して来る彼を、股間を広げ、全身で受け止め面白がった。彼に翻弄され倒錯し、愛玩してもらい、歓喜した。私は彼に採用内定の書類を貰い、嬉しくて嬉しくて、何度も絶頂に達した。私は彼の前で、驚く程、欲望に忠実になっていた。欲望の無い快楽など、この世に存在しない。私たちは長時間たっぷり、愛の交換を楽しんだ。私は卒業後の事は、倉田常務に託すことに決めた。『スマイルワークス』という小さな会社で、どうなるかは分からないが、日本に居残る為には、この会社を利用する以外、方法が無いように思えた。
〇
私は在留許可を取得する為、奔走した。新宿2丁目にある行政書士事務所に行き、入国管理局に提出する書類は、何と何が必要なのか教えてもらった。中でも重要なのは倉田常務から提出してもらう書類だった。『スマイルワークス』の社長でも無い彼が、どのようにして代表者印を捺印した書類を提出してくれるかが問題だった。彼の会社の重役たちは、事業拡大など考えていなかった。ましてや外国人の新人採用など大反対だった。だから倉田常務が、偽書類を作成し、どう対処してくれるか、心配で心配でならなかった。私は行政書士事務所からいただいた必要書類について、倉田常務に連絡した。すると彼は台湾に出張する前に、それらを準備してくれるとメールして来た。そして彼が台湾に出張する2日前、私は彼と新宿で会った。喫茶店『トマト』に入り、倉田常務から提出書類を示され、その準備をした。雇用契約書、採用内定書、現在会社履歴書、定款、輸出入取引証明書など各2部をテーブルに並べ、彼は私に雇用契約書や覚書の乙の部分に捺印をさせた。また規則に違反しないよう、念押しをした。当然のことなので、私は規則を遵守することを約束し、その書類にサインし、押印して、倉田常務に渡した。この日、倉田常務が私の為に取り揃えた書類は、代表者や役員の許可を得ずに、提供してくれたものであることは言うまでもないことであった。私は、それら書類を手にして一安心して、コーヒーを飲みながら、自分たちの将来について、あれやこれや話し合った。私は在留の目途がつき、嬉しくてたまらなかった。ルンルン気分になり、久しぶりに彼と一緒に『エミール』に行った。私は私の在留の為に、仲間を裏切り、秘密の書類を作成し、私に協力してくれた倉田常務に、たっぷりサービスをしてやらなければと思った。アメリカのサブプライムローンから始まった世界不況の中で、日本での就職口が見つからず、もがいている私を、倉田常務は危険を犯して助けてくれる決心をしてくれたのだ。私は部屋に入るなり、彼に跳び付いて尋ねた。
「どうして私にこんなに親切にしてくれるの?」
「苦学生の君に卒業するまで協力してやると約束したから」
「卒業した後は?」
「経営者と従業員の関係だ。今のように甘くは無いよ」
彼は笑って答えた。私は彼の懐の深さに感心し、彼に対し、何でもして上げたくなった。私がセーターを脱ぐと、彼は背広を脱ぎ、ハンガーに掛けた。それから互いに下着を脱ぎ、2人でバスルームに入った。私たちは2人でシャワーを浴び、私がバスタオルで身体をくるみ、先にベットインした。続いて倉田常務がバスルーから出て来て、私の横に寝ころんだ。柔らかな布団の上に並んで横たわり、ゆっくり相手を愛撫し合いながら、再び、いろんなことを喋り合った。大学を卒業するまでの話。入社してからの仕事の話。愛の話と愛の囁き。愛の接吻。愛の触れ合い。愛の交換。次第に繋がりを求めて、互いに興奮し、愛の追求が深くなって行く。互いの歓喜が高まって来ると、もうたまらない。私たちは密着した。完全に繋がっているのを感じ、私の愛器が呼吸する。今にも蜜が溶け出しそう。彼のみなぎるパワーは愛器を攻め立てる。私は悶絶しそうになり、悲鳴を上げた。
「ヘンリーの意地悪!」
私は恥ずかしい程に濡れて、彼を迎え入れた。すると倉田常務は腕立てした状態で彼の身体の下腹部にいっぱい蓄積している愛の証しを、私の愛器の奥へと、注ぎ込んで来た。ああっ、恍惚の世界。私たちは自分たちにどんな未来が待っているかも知らず、夢と欲望を追った。互いの夢と欲望を叶える為には、どうしても、今、抱き合っている相手が共に必要だった。私は倉田常務を強く強く抱きしめた。この人を逃がしたくない。この人は私の夢。夢がある限り、私は仕合せになれる。希望を決して失わず、この人について行って見よう。それは一見、無謀ともいえる生き方かも知れないが、今はこの道しかない。私たちは上下逆転、もつれて乱れ合った。それにしても私たちの関係は異常といえた。信じられなかった。倉田常務は今後、どのようにして『スマイルワークス』の社長や仲間たちに、私の採用の許可を取るのでしょう。反対されるでしょうに、どのように仲間たちを説得するのでしょうか。私は抱き合っている彼のこれからの苦労を思うと、何故か涙が溢れそうになって、彼の胸に縋り付いた。
〇
私は翌週の月曜日、自分が用意する卒業見込み証明書、在学証明書、成績証明書、外国人登録記載事項証明書、在留資格変更申請書などを取り揃え、倉田常務に準備して貰った書類と合わせて、行政書士事務所へ行き、在留許可申請の手続きをお願いした。すると行政書士事務所の鴨川所長は微笑んだ。
「就職が決まって良かったですね。日本に留学して日本の企業に就職出来るなんて優秀ですね。直ぐに手続きをして上げましょう」
鴨川所長は快く在留許可申請の仕事を引き受けてくれた。私には信じ難いことであった。1ヶ月前まで就職が決まらず、悩んでいたのに、こうして在留許可申請が出来るということは、全く倉田常務のお陰だった。あの日、上野のクラブ『紅薔薇』で彼と出会っていなかったなら、私の人生はどうなっていたのでしょう。私が在留許可申請をしたことを知ると、芳美姉は、とても喜んでくれた。琳美も私が日本に残って、今のまま生活すると分かると、嬉しさの余り私に跳び付いて来た。
「ああ、良かった。愛ちゃんが中国に帰るなら、私も中国に帰ろうと思っていたのよ」
「まあっ、そんなことまで考えてたの」
「だって、そうでしょう。年齢を離れた人たちとの毎日は苦痛よ」
琳美の言っていることが分からない訳ではなかった。厳しい躾をする芳美姉。一見、大人しそうであるが、突然、凄みを見せる大山社長。この2人との生活は思春期の琳美には辛い事に違いなかった。私は琳美に訊いた。
「もし、中国に帰るとなったら、早川君のことは、どうするのよ」
「彼のこと、考えると可哀想だし、悩んだわ。でも私は異邦人だから」
「異邦人?」
「そう。結局は私、中国人なの」
琳美は哀しそうな顔をした。彼女の悩みは家族内のことだけでは無いみたいだった。彼女が純愛と欲望の狭間で逡巡しているのが分かった。私は琳美にアドバイスした。
「琳ちゃん。そう悩むことは無いわ。人生には正解が無いの。どれが正しいか分からないの。だから今は、与えられた学業に専念すれば良いの。私だって中国人なのに、何とか就職先が見つかったのだから」
「恋人の方は?」
「まだ見つからないわ」
「でも付き合っている人いるわよね」
「まあね」
私は琳美の追及をかわそうとしたが、彼女は誤魔化されなかった。
「あのお医者さんとはどうなっているの?」
「どうにもなっていないわ。あの人、奥さんがいるから」
「恋愛って、ままならないのね」
琳美にこんなことを言われるとは、全く予想外だった。果たして琳美は、私と斉田医師のことを、どの程度、知っているのかしら。琳美は私に疑問を抱きながら、自分と早川新治の事を告白した。
「私、早川君のお母さんに嫌われているの。でも、好かれるように努力するわ。仕合せになりたいの」
私は、純心な琳美の事を羨ましく思った。私にもそんな時代があったが、それは昔のことだ。
〇
クリスマスが近づいた数日前、工藤正雄から、今年も食事をしようというメールガ入った。私は特別に誰とも約束していなかったので、直ぐに了解した。今年、彼が予約したレストランは渋谷の『デコ』という名の店だった。ディナーセットを註文し、シャンパンで聖夜を祝った。何処から情報を仕入れたのか正雄が私に訊いた。
「新しい部屋の住み心地はどう?」
「親戚のマンションを出て、今迄より、狭くなったから大変なの。でも卒業までだから、我慢するわ」
「そうだな。あと少しだから我慢してくれ。来年になったら、広くて日当たりの良い部屋を探すから」
「本当に家を出て部屋探しするの?」
「約束だから」
正雄は真剣だった。私は正雄が余りにも真剣なので、たじろいだ。彼の私を見詰めるきりっとした表情は誠実そうな中にシャープさを含んでいて、何故か怖い気がした。不道徳な日常に慣れ親しんでいる私にとって、誠実な彼と向き合うことは、ちょっと苦手だった。しかし彼のように逞しく誠実な人間性を持った日本人男性と結ばれることは、私が来日した時に描いた夢の一つでもあった。私の心は揺らいだ。そんな私の動揺を知らず、正雄は私のグラスと自分のグラスに赤ワインを注いでから言った。
「これ、クリスマスプレゼント」
彼が差し出したのはディオールの口紅だった。私はバーバリーの財布をプレゼントした。その財布は私が付き合っている男たちへのプレゼントとして、数個、まとめ買いした物の一つだった。正雄は、その財布を受け取ると大喜びした。
「ありがとう。2人の将来の為に、沢山、この中にお金を貯めないとね」
彼は、そう言って苦笑いした。正雄は就職したら、私と結婚しようと真剣に考えていた。私は迷った。これから就職してお金を蓄めようとする若い工藤正雄と結婚すべきか、それとも既に高収入を得ている中年の斉田医師と結婚すべきか。結婚生活を比較すれば正雄とは節約第一の生活になるであろうし、斉田医師とは裕福な生活になるでしょう。いずれを選ぶか、来年になったら決めなければならないことだった。『デコ』での食事は1時間ちょっとで終わった。私たちは満腹になった後、原宿まで歩くことにした。私は彼が何を考え、何処へ行こうとしているのか分からなかった。ラブホテルなら方向が違う。しばらく歩いてから、彼が何を考えているのか予感を覚えた。代々木公園の脇の暗がりを通った時、彼は妙に改まって、私に訊いた。
「キスしても良い?」
私は何も答えず、彼を見詰めた。その私の瞳を確認して、彼は囁いた。
「星のような瞳だ」
そして大きな身体で、私を抱きしめた。私が目を瞑ると、彼は私の唇に唇を重ねて来た。私は全く身動き出来ないまま、彼の為すに任せた。私は彼に抱かれながら、男の生態、危険な誘惑を予想した。しかし、私の予想は裏切られた。正雄はキッスしただけで満足した。私たちは、キッスで愛を確かめ合ってから、代々木公園から原宿駅まで歩いた。そこで私は地下鉄千代田線で帰る彼と別れた。
〇
1年があっという間に過ぎて、残りわずかとなった。世間は不況、リストラ、賃金カット、採用中止、派遣解雇、倒産、窃盗、殺人、自殺など、暗い話ばかりだが、、私は何とか『スマイル・ワークス』に採用してもらうことになり、明るい気持ちで越年出来る状況にまで漕ぎつけた。私は、この感謝の気持ちを伝えようと、倉田常務にメールを送り、会いたいと伝えたが、彼は応じてくれなかった。台湾から帰国してからお客様との忘年会、会社の納会があるなどして、私と会う時間が取れないということだった。それでも執拗にメールを送ると、28日の日曜日に会ってくれると約束してくれた。約束の日の午後2時、新宿駅東口改札口で私たちは合流した。まず『ルミネ』の7階にある韓国料理店『妻家房』で食事。倉田常務は食事をしながら、私に対し、中国の天津の機械の件や台湾との機械の契約の件で御世話になったと礼を言った。そして今年の成果が来年の商売に繋がれば良いのだがと希望を語った。私は4月に入社したら、期待に沿えるように頑張ると、自分の抱負を話した。食事は3時前に終わった。私たちは、まだ話すことがいっぱいあったので、『リスト』に移動し、休憩することにした。部屋に入ってから、プレゼントを交感した。倉田常務は私にグッチのペンダントをプレゼントしてくれた。私はバーバリィの財布のプレゼントを渡しながら、倉田常務に感謝した。
「お陰様で、在留ビザ延長の許可が取れたわ」
私は行政書士事務所宛てに届いた許可用受取り用ハガキを、倉田常務に見せた。倉田常務は、卒業したら直ぐに在留ビザ延長許可証を入管に受取りに来るようにという文章が書かれているのを見て、ホッとした顔をした。
「本当に良かったね」
彼の言う通り、本当に良かったと思う。私はどう言って彼に感謝したら良いのか分からず、ソフアに並んで座っている倉田常務に、キッスし、彼にしがみついた。すると温厚で優しい倉田常務は私の誘いに応じ、私を抱き上げ、ベットに運んだ。そして、そのまま私をベットに横たえ、上から私を覗き込んだ。その倉田常務の笑顔は、まるで優しい月のような明るい存在感をもって、私を安らかな気持ちにさせてくれた。
「愛しています」
言葉にすると、身体の奥に温かな愛情が広がって行くのが分かった。私が彼の仕事の手助けを真面目にして来たことを、彼は認めているに違いない。私たちは夢中になって互いを求め合い、愛し合った。私は彼が望むことを何でもしてあげた。彼は私を充分に堪能して果てた。そして午後4時、私たちは『リスト』を出て、喫茶店『ルノアール』に行って、コーヒーを飲んだ。私は新しい光を見つけて、越年出来る喜びを語った。そして彼に訊いた。
「新年、何日頃、会えるかしら」
「そうだな。中頃かな。新年会や客先への挨拶があって、月初めは忙しいんだ」
「私は18日、中国に帰って、旧正月、親戚回りしないといけないの」
「じゃあ、君が中国へ帰る18日のちょっと前に会おう」
「そんな頃でないと会えないの?」
「兎に角、1月になったら連絡するよ」
倉田常務は、そう言って微笑した。余裕たっぷりの態度だった。彼はこれから私と別れて、妻がいる自宅へと帰って行くのだ。そう思うと、私は、ふと泣き出したいような気持になった。別れるというのは、寂しくて辛いものだ。でもこの喫茶店で、何時までもコーヒーを飲んではいられない。私たちは『ルノアール』を出て、歌舞伎町から『思い出横丁』の脇を通り、駅前のデパート前で別れた。彼はコートの襟を立て、小田急線の改札口の方へと去って行った。来年1月の中頃まで、彼と会えなくなるのかと思うと、何故か哀しくなった。私は年末の雑踏の中、『快風』へと向かった。
〇
新年、平成21年(2009年)の元日は、例年のように芳美姉と大山社長の住むマンションで、『快風』の仲間たちと一緒に迎えた。お節料理をいただき、ボーナス代わりのお年玉をいただき、それから、皆で明治神宮に初詣に出かけた。人混みの中、神前にて、家族の健康と来福を祈ると、身も心も引き締まった。この4月から社会人になるのだと思うと、その希望に胸が躍った。明治神宮での参拝を終えてから、芳美姉夫婦と別れ、私は琳美や長虹、月麗、桃園、香薇らと一緒に、カラオケ店に行き、それぞれ好きな歌を唄った。日本に来てからの年月が長いこともあって、皆、日本語が上手になり、感情を込めて唄うようになっていた。世界が百年に一度の経済危機に直面しているというのに、日本で暮らす私たちは、のんびりしたもので、陽気そのものだった。久しぶりに会った劉長虹がカラオケの合間に、私に言った。
「愛ちゃん。就職が決まって、本当に良かったわね。漸く私たちの仲間入りね」
「4年間は長かったわ」
すると、それを聞いていた琳美が口を挟んだ。
「羨ましいわ。私はまだ先が長いわ。これから大学の受験をして、大学で4年間、勉強し続けなければならないのよ」
最年少の琳美が、大学入試という難関があり、大変だとぼやいたから、私は言ってやった。
「私も琳ちゃんの年頃には、自分の目標が定まらず、悩んだものだわ。でも日本に来てからは実力をつける為、日本社会を幅広く学ぶことが大事だと知ったわ。琳ちゃんは私より、若い時から、日本に来たのだから、何もかもうまく行くわよ」
「そうよ。そうよ。琳ちゃんには、これから楽しいことが、いっぱいやって来るわ」
「私たちにもね」
月麗の言う通りだと思った。中国を脱け出し、平和な日本で生活している私たちにも明るい未来が、展開するような気がした。私たちはカラオケ店内で昼食を済ませ、午後1時過ぎに解散した。その後、私は新宿駅東口で工藤正雄と待ち合わせし、花園神社に初詣に出かけた。沢山の行列に並び、寒風にガタガタ震えながら、石段を登り、漸く神前に辿り着くと、私たちは、2人並んで鈴を鳴らし、お賽銭を投げ、2礼2拍手1礼した。私は『スマイル・ワークス』に入社し、活躍出来るようにと祈った。正雄が何を祈ったのかは分からない。私との結婚のことか。私たちは神前での祈願を済ませてから白衣の女神子が差し出す御神酒をいただいて、その後、2人でお守りを買った。
「おみくじを引かない?」
私がそう訊くと、彼は首を横に振った。
「俺はおみくじは引かない。それを引くと、1年が、そこに書かれた内容で決められてしまうような、気になってしまうから。これからの1年は自分で切り開いて行くもの。年初からおみくじに左右されたくないんだ」
「分かったわ。私も引かない」
私たちは花園神社での初詣を終えると歌舞伎町の『リマ』という喫茶店に入った。そこで自分たちの今後について語り合った。私は4月から出勤する会社が、ちっぽけな会社なので、何時、解雇されるか分からないから、そのつもりでいて欲しいと話した。結婚についても、貯金しなければならないので、3年程度、待てないかと確認した。すると彼は答えた。
「君が急がないのなら、俺は構わない。3年でも4年でも待つよ。但しマンションの部屋は借りるよ」
私には答えようが無かった。部屋を借りるのは正雄の勝手だ。自宅から脱け出し、独立したい気持ちは分かるが、私は彼と同棲するつもりは無かった。彼と一緒に暮らせれば、家賃等、節約出来るかも知れないが、その分、束縛されることは確実だった。そういった同棲生活は自由を求める独身の私の生き方に反する事だった。それに斉田医師がマンションの部屋を探しているし。
〇
正月の5日、倉田常務は『スマイル・ワークス』に初出勤し、仲間たちと初顔合わせをして多忙な1日であったに違いなかった。その席で、私の採用の事を社長や重役たちに話してくれたでしょうか。そんなことを思いながら、私は夜になって倉田常務にメールを送った。
*こんばんは。
もう寝ちゃったかな?
今日から仕事でしたね。
忙しかったですか?
会いたいです。
時間がとれるようになったら
連絡してくださいね。
寒いので身体に気を付けて下さい。
風邪をひかないようにね。
おやすみなさい*
すると直ぐに倉田常務から返信メールが届いた。
*こんばんは。
今日は会社で仲間との初顔合わせ。
年賀状整理。客先への挨拶などで
忙しかったです。
私も会いたいです。
旧正月、中国に帰国する前に
1度、会っておきたいです*
そのメールには会いたいと書いているが、具体的デートの日時は記されて無かった。私が、がっかりした顔をしていると、桃園が、私をからかった。
「また男にメールしているの。真面目な男性を惑わせては駄目よ」
「そんなことしてないわ。桃ちゃんこそ、男性を惑わせているのじゃないの」
「私の場合は、お客様が店から離れないようにしているだけ。ニコニコしながら男を騙す、詐欺師よ。期待を持たせるだけ。あくまでもサービスよ」
「でも、好きな人、いるんでしょう」
「いないわ。男たちは女の容姿や年齢、国籍、学歴などといった属性で、女を判別するの。私、美人で無いから駄目よ」
「そんなことないわ。桃ちゃん、可愛いじゃない」
彼女は自分が可愛い事は分かっていた。まさに桃の花が咲いたように明るく可愛かった。欠点といえば、身長が低いだけだった。
「愛ちゃんとは違うわ。私は小さくてお人形よ。色気が無いの」
「色気?」
「そう。愛ちゃんには色気があるの。その色気に真面目な男たちは弱いの」
「そうかしら」
「愛ちゃんは言い寄る男の数が多過ぎて迷っているのでしょう。適当に整理しないと駄目よ」
言われてみれば、その通りかも知れなかった。日本に来てから次から次へと男を替えて止まらなくなっているのは事実かもしれない。桃園の言うように、後片付けしなければならないと思う。行き当たりばったりの男女の生き方は良くない。この流転の行為を正常に取り戻すには、どうすれば良いのか。私は桃園に訊いた。
「整理するって、どのように?」
「付き合う相手を結婚対象者だけにするのよ。浮気をしたくなっても、1人にしぼるの」
「1人に」
桃園は私と同じ年齢なのに、まるで指導者のようだった。明確な自分の人生設計を持っていて、それを私に見習わせようと、指導した。私にとって桃園のいう理想的結婚対象者とは誰なのか。それは言うまでも無く、同じ大学で机を並べ、信頼出来る工藤正雄だった。しかし私には工藤正雄以外にも、適任者がいるような気がした。桃園は、私の表情から、それを察した。
「愛ちゃん。その顔、1人に絞れないみたいね。でも1人にしないと駄目。男への愛は1人に集中させなければ駄目よ」
私は、そう言う桃園に反論した。
「桃ちゃん。私の考えは矛盾しているかもしれないけど、私の中で、愛は平気で両立しているの」
私の発言を聞いて、桃園は呆れ返った。でも、このことは事実だった。私は自分勝手で欲張りだったから、2人の男と結婚の話を進めていた。工藤正雄か。斉田医師か。どうすれば良いのか。それは他人の考えによって決められるものでは無かった。自分の道は自分で決めなければならない。どうすしたら良いの。
〇
私は人生の伴侶の選択について逡巡していた。誠実な工藤正雄か。高収入を得ている斉田博美医師か。2人には、それぞれ素晴らしい男性的魅力があった。そのいずれかを選ぶことは悩みだった。その選択は、まだ木の枝になっている青臭い果実と、既に枝からもがれて駕籠の中で熟成している甘い果実との比較のようなもので、どちらにすべきか私は迷った。精神的には純真さの残る精悍な工藤正雄と思うのだが、肉体的には若干、獰猛で、激しいパワーのある斉田医師に情欲が湧いた。私には斉田医師の本心を確かめる必要があった。彼は本当に私のことを真剣に考えていてくれているのか。具体的に何時、離婚するのか。子供はどうするのか。確認することが沢山あった。その機会は、直ぐにやって来た。雨の日であるのに、会いたいと、斉田医師がメールして来た。雨なので、違う日にしてもらいたかったが、種々、確認したいことがあったので、彼と約束の焼肉店『吉林坊』に出かけた。私は合流すると、焼き肉を食べながら、就職先が決まったことを報告した。すると斉田医師はとても喜んだ。
「それはそれは、お目出とう。じゃあ、就職先決定を祝って乾杯しよう」
斉田医師は眞露のグラスを突き出し、私に乾杯を求めた。私は、それに合わせて、グラスをガチンコした。乾杯を終えて、焼き肉を口にしてから、斉田医師が言った。
「今日は、ゆっくり、これからのことを話し合おう」
彼の言葉に私は微笑した。彼は私の就職が決まらなかったなら、愛人として私の面倒をみると約束していたが、その約束が不用となり、ホッとしたみたいだった。でも私との愛の住処を探すことについては実行する意欲を示した。
「君と暮らす部屋については、ほぼ決めているから安心して」
「本当ですか」
「うん」
私は、それを聞いて困惑した。工藤正雄も部屋探しをすると言っていた。何故、男たちは、愛の住処を築こうとするのか。私を手放したくないという気持ちは分かるが、その前にはっきりした態度を示して欲しかった。それで私は斉田医師に質問した。
「離婚のこと、本心なの?」
「考えてるよ。でも時間がかかる事だから、そんなに煽らないでくれよ」
「信じて良いのね」
「うん。そろそろ次に行こう」
私たちは、次に話す言葉が無くなって、『吉林坊』から『ハレルヤ』に場所を移した。ホテルの部屋に入り、シャワーを浴び、ベットに腰掛け、私は斉田医師の診断を受けた。彼は先ず眼球を確かめた後、指先を滑らかにすべらせ、上半身からスタートし、少しずつ少しずつ時間を掛けて、私の内奥へと入って来て、欲望と理性をごちゃまぜに行動した。それを受けて私の肉体の悪魔は燃え上がった。どうなっているのでしょうか、私の肉体は?まるで卑猥な魔法使いの思うままに自由自在に操られているみたい。私は、それに逆らおうとするが、私の肉体はいうことをきかない。股を大きく広げ、谷間の奥の花びらが貝のように開く。
「自然に逆らっては駄目だよ」
斉田医師の囁きは、私をトロトロにさせた。突き当たて来る太い物は、狂おしい程に、私を凌辱した。私は乱れに乱れた。男との逢瀬。男との攻防。これがたまらない。斉田医師の珍行動は、毎回、異なり、微笑ましい。どんなにいじくり回しても、何も出て来ないのに、探求したがるのは男の習性みたいだ。何を見つけたのか、斉田医師の息遣いが急に荒く早くなった。そして次の瞬間、彼は私の愛器の中にとろりとした濃いものを放出していた。私は斉田医師にしがみついて言った。
「結婚したら、毎日、こんなことが出来るのよね」
「そうだね。その為に、早く部屋の契約をしよう」
斉田医師は本当に私と一緒になろうと考えているようだった。離婚には大金が必要だが、その工面は出来ているらしかった。私の気持ちは斉田医師と頻繁に快楽を味わうことによって、生真面目な工藤正雄より、斉田医師の方に明確に傾き始めていた。
〇
一方、倉田常務から何時まで待っても、デートの日時の連絡が入って来なかったので、私はしびれを切らし、こちらからメールを送った。
*今日、午前中、卒業論文を提出する為、
大学に行きます。
午後4時過ぎなら時間がありますので
お会いしませんか*
すると直ぐに了解の返信が戻って来た。私は安堵した。返事をもらうまで、採用取り消し、あるいは『グリーン商事』のような廃業になったりしたのではないかと心配していた。倉田常務の勤める『スマイル・ワークス』は、あの『グリーン商事』と似ているところがあって、倉田常務だけが孤軍奮闘している感じだった。そんな会社が本当に私のことを採用してくれたのか心配だった。私の在留許可取得の為に協力してくれただけのことかも知れなかった。だから私は不安でならなかった。私はそれを再確認する為、4時半、新宿駅東口で倉田常務と合流した。私たちは喫茶店には寄らず、直接、『リスト』に行き、いろんなことを話し合うことにした。部屋に入り、まず確認されたことは、帰国の件だった。
「確認しておきたいんだけど、中国に行って、何時、帰って来るの?」
「18日の飛行機で大連経由で帰り、30日にまた戻つて来ます」
私は正確な日程を、倉田常務に報告した。それから台湾企業への文章を、この場で作成して欲しいと依頼を受けた。それは台湾の取引先へのバックマージンの要求に関する文章の作成だった。その金額の多さに、私はびっくりした。私は倉田常務の具体的仕事の内容を知り、彼の実力の凄さを再認識した。私は彼が日本文で作成した文章を中国文に翻訳した。その後、私の方から質問した。
「4月1日から、本当に働かせていただけるのね」
「そうするよう手続きをしているから、心配しなくて良いよ」
彼は、そう言って私の額にキッスした。その後、私たちはバスルームのバスタブにゆつくりと浸かり、互いの肌を触れ合った。倉田常務の肌はマシュマロのようにツルツルして、母親の肌のようで、早く、そのフワフワに早く抱かれたかった。バスルームから出て、ベットに移動すると、彼は今年初めての性行為が不安だと言ったが、いざ本番になると、彼は私の要求に優しく応じた。何時も感じる事であるが、彼の女性への憧憬は、奥ゆかしくその行為にも人柄が滲み出ていて、愛しくてならなかった。彼は私の豊満な肉体を興奮させ、燃え上がらせる為に夢中になつて愛技を尽くした。その愛技に私はもだえ、上になった彼の腰を力強く引き寄せ、瞳を妖美に輝かせ、もっと、もっととねだった。すると彼の太く燃えた物は、まるでウナギのように穴を探し、私の股間の裂け目に頭を突っ込み、愛器の奥に吸引され、強い力でしっかりと緊縮された。すると彼はその心地良さに、極上の美酒を味わい、酩酊し、幻想的な快楽に酔い、クライマックスに達しそうになった。私はもっと長く楽しみたいのに、彼はうっとりとして、夢見心地。私も、その表情につられ、純度の高い幸福感に満たされ、彼と一緒に行こうと願うと同時に、彼と一緒に行ってしまった。私の愛器は彼の物を包み込んだまま、ヒックヒックと悦びの痙攣を起こし、彼を離そうとしなかった。私たちは上気し、繋がったまま悦びに抱かれ、身体を寄せ合い、ベットの上で、深い眠りに落ちた。どうなってしまうのか?私と、この老人との関係。私たちの未来。私たちの人生は?私には自分のやっていることが、全く分からなくなっていた。日本で生きて行く為とはいえ、こんなことで良いのか。桃園に1人に絞るべきだと忠告されたが、今の私は、余りにも常識外れの多重生活を重ねていた。心の赴くままに異性を彷徨い、彼らに依存する生き方は、果たして許されることなのか。でも言えることは、今、私と抱き合って寝ている倉田常務は、私と出会い、私と共に仕合せだと感じていることは確かだ。私は何も、自己軽蔑や事故嫌悪に陥ることはない。
〇
1月18日、日曜日。私は芳美姉と琳美と3人で中国に帰る為、新宿駅から成田エクスプレスに乗って成田空港へと向かった。その特急列車に乗っている時、倉田常務からメールが入った。
*もう、成田ですか?
気を付けて行ってらっしゃい。
お父さん、お母さんによろしく。
帰りを待っています*
彼は、もと営業マンだけあって、斉田医師や工藤正雄と異なり、他人への細かい配慮が巧みだった。私は芳美姉たちが目の前にいるので電車内では返信することが出来ず、空港に着いてから、短文の返事を送った。
*今から出発。
行って来ます*
文章の後ろにハートマークを3つ程付けて送った。私たちは、出国ゲートを通ってから、免税店でお酒や御菓子、化粧品などの土産物を買ってから、大連行きの中華航空機に搭乗し、10時半、成田を離陸し、故国へと向かった。韓国の上空を飛び、大連空港に午後1時過ぎに到着すると、何時ものように赫有林と葉樹林が、車で、私たち3人を出迎えに来ていた。私たちは、その車に乗り、営口市の外れにある私の家に行き、私の両親たちに歓迎された。芳美姉と琳美は、私の家で、1時間程、喋ってから、自分たちのマンションへ、樹林たちと一緒に帰って行った。それと入れ替わる様に祖母の楊優婷と叔母の周彩華が一緒にやって来た。優婷は、私を見るなり言った。
「お帰り。益々、美人になったね」
「日本は空気が綺麗だから」
「就職、決まったんだってね。良かったわね。おめでとう」
両親をはじめ、皆が私の大学卒業と就職の決定を喜んでくれた。日本での6年間は、希望に向かっての喜びでもあったが、辛い事が数えきれない程、沢山、あった。尋ねられても答えられないことも、沢山、経験した。しかし、牛庄村で畑仕事を手伝っていた幼い時代とは、全く別世界が未来に広がっていた。私は実現するか分からない希望を皆に話した。その話の途中に、姉の春麗が幼い愛琴を抱いて、高安偉と現れ、私の話を聞いてくれたが、私のことを羨ましいなどと、ちっとも感じていないみたいだった。高安偉との充実した日々の暮らしの中で、愛する人と一緒にいられる仕合せは、何物にも代え難い喜びであるに相違なかった。私は結婚する前に、まだまだ日本で学ばなければならないことが沢山あった。貿易実務、商法や会計業務、経営分析など、『スマイル・ワークス』で、これらを身に付け、一時も早く自立し、芳美姉を越えたかった。私の将来の夢を聞いて、家族全員が喜んでくれた。
〇
4日後、私は牛庄村へ行く芳美姉と琳美を見送り、中学時代の友達、張玉麗、程冰々、劉安莉らと営口市内のレストランで、昔話に興じた。またお互いの現況を報告し合った。皆、結婚適齢期ということで、恋人の話をした。私は学友の工藤正雄からプロポーズされたが、自分の仕事への夢があるので、結婚を決めかねていると話した。懐かしい仲間たちとの食事会は、いろんなことが思い出されてとても楽しかった。更に、その翌日、私が帰国したことを何処から聞きつけたのか、『瀋陽増富油墨有限公司』の女子寮で一緒だった金蘭々が、鞍山から訪ねて来た。2人とも再会し、跳び上がって喜んだ。蘭々は真っ先に、私に伝えた。
「私も日本へ行けることになったのよ」
「えっ、本当なの」
「本当よ。結婚するの」
「結婚?」
私はびっくりした。蘭々との再会を喜ぶと共に彼女の結婚を祝福した。蘭々の説明によると、1年前、大連の日本人結婚相談所に資料を提出したら、日本から花嫁探しの団体がやって来て、見合いをすることになったという。蘭々は私と一緒に瀋陽の会社に就職していた時、私と一緒に日本語の勉強をしていたので、それが役立ったらしい。20人程のメンバーの中から3人と面談し、性格の優しそうな男を選んだという。営口市内の中華料理店での蘭々との話は、まるで瀋陽の女子寮にいた時のように盛り上がった。蘭々の相手になる人は埼玉県に住んでいて、農業協同組合の職員だという。その為、その相手の人の家族に会う為、来月、東京へ行くことになったと蘭々は嬉々と語った。
「良かったわねえ。東京に来たら、必ず連絡してよ。住所と電話番号を教えるから」
「勿論よ。彼のこと紹介するわ」
蘭々は一方的に自分のことを話し、私のことを、余り聞かなかった。私は来月、大学を卒業し、4月から東京にある小さな貿易会社で働くことになっていると、簡単に説明した。そして、自分の東京の住所とマンションの部屋の電話番号、携帯電話の番号を紙にメモ書きして蘭々に渡した。蘭々の話によれば、その後の『瀋陽増富油墨有限公司』は日本の『太陽製版有限公司』と協力し合って、業績が向上し、工場を拡大して、李増富社長は社員、4千人をかかえる大社長になられたという。勿論、陰の権力者は、妻の高彩虹に変わりない。蘭々と付き合っていた製造部長は、他の公司に引き抜かれて、彼に可愛がられていた蘭々は周囲から冷たくされ、2年前に鞍山の実家に帰って、農業を手伝っていたという。私は蘭々の話を聞いて、彼女が日本に移住して来ることに期待した。その日、蘭々は私の家に1泊した。私は久しぶりに彼女と同じベットで眠り、瀋陽時代を懐かしんだ。翌朝、私は蘭々と一緒に朝食を済ませてから、営口の駅で、鞍山に帰る蘭々を見送った。
「この次は東京で会いましょう」
「その日を楽しみに」
6年間経っても、私たちの友情は全く変わっていなかった。私は日本で、蘭々と再び会えるのだと思うと、別れなのに嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
〇
日曜日、私は牛庄村の芳美姉の実家であり、母の実家でもある葉家に年末年始の挨拶に、母、紅梅と一緒に出掛けた。母の兄である葉家の主人、葉基明はじめ、祖母の関玉梅、叔母の雪姫、従兄の樹林、それに芳美姉と琳美が、私たちを歓迎してくれた。そこで私は祖母や叔母たちから、いろんなことを質問された。私はお陰様で来月、大学を卒業し、日本は就職難の時代であるが、何とか小さな貿易会社に就職することになったと説明した。すると玉梅が私をじっと見詰めて、質問した。
「そうすると、愛。お前はこれから日本で本格的に働くことにしたのね」
「はい」
祖母、玉梅の質問に私は、はっきりと答えた。私の就職先が、ちっぽけな会社であることを芳美姉から既に聞いていた玉梅にとって、これから先、可愛い孫の私が、どんな覚悟で、生きて行くのか、確認したいらしかった。もし日本での生活が苦しくなったら、直ぐに中国に戻って来いという考えみたいだった。
「玉祖母ちゃん。心配しないで。私、頑張って大学を卒業出来ることになり、日本の貿易会社で活躍してみせるから」
「そうよ。玉祖母ちゃん。安心して。私が傍についているんだから」
私の言葉に芳美姉が付け加えた。更に琳美が言った。
「玉祖母ちゃん。私も愛ちゃんに勉強を教えてもらっているの。愛ちゃんは頭が良いから大丈夫よ」
それを聞いて祖母の玉梅はニッコリと笑った。
「そうだね。年寄りが心配することは無いわね」
葉家での会話は女性中心となり、伯父の葉基明や従兄の樹林が口出しする余裕が無かった。そこへ赫家の有林がやって来た。母の紅梅が有林に気づくと礼を言った。
「この間は、大連空港まで愛たちを迎えに行ってくれて有難う」
それに合わせ、私も芳美姉も琳美も、一緒に有難うの礼を言った。有林が加わったことにより、主人の基明も気が楽になったのか、叔母の雪姫に酒の準備をさせた。そして男たちは酒を飲み始めた。普段、大人しい基明は、私の父、志良と同じで、酒が入ると気が大きくなり、思っていることを口にした。
「有林。愛のことは諦めろ。愛は日本で暮らす。だからお前は、別の女を探せ」
「分かってます」
「本当に分かっているのか」
「はい。分かっています」
有林は樹林と一緒に基明の話し相手になり、酒を飲んだ。私たちは、いろんな話を終えると、祖母、玉梅の指示に従い大晦日の年越しの餃子作りをした。年越しの料理も作った。私は男たちの会話を素知らぬふりして聞きながら、葉家の料理を手伝った。年越しの料理が出来上がると、皆で、年越しの料理をいただいた。男たちは浴びる程、酒を飲んだが有林は酔いつぶれなかった。彼は魔除けの爆竹を鳴らす前に、赫家に帰った。その帰りがけ、葉家の庭先で、私に囁いた。
「明後日、昼、港で待っている」
私は彼の誘いに同意した。母たちは麻雀に夢中で、私たちのことなど気づかなかった。牛庄村の星空は美しかった。
〇
正月、私と母、紅梅は新年の朝食を葉家でいただいた。餃子や年糯や昨夜の肉料理などを美味しくいただき、正午過ぎ、営口へ戻った。そして、その翌日、私は赫有林と2人きりで営口の街でデートした。誰もが将来、結婚するでしょうと思っていた私たちでしたが、過ぎ去った月日は2人の心を変えていた。営口の港の見えるレストラン『梅香閣』で私たちは話し合った。有林が私に確認した。
「どうしても日本で暮らすのか?」
「そうよ。最初から言っていたでしょう。私のことなんか待ってないで、好きな人を見つけて、結婚しなさいって」
「うん、分かっているよ。でも何故、中国を侵略した、あんな野蛮な国に憧れるのか理解出来ないから」
「それは日本に行ってみなければ理解出来ないことよ。中国人の70%の人が、日本のことを軍国主義国家と思っているけど、それは全くの誤解よ。日本は軍隊を持たず、立派な平和主義国家よ」
「違う。日本には政府の上に天皇がいるではないか。お前は洗脳されているんだ」
「それは貴男たちの方よ」
私たちの会話は話し合ったというより、口論に近かった。私は有林を説得しきれなかった。何故なら、私たち中国人は、生まれた時から、中国共産党によって、党の権益を維持させる為に反日精神を植え付けられて来たからだ。それに較べ、今の日本人はドイツや、中国や韓国のように、国が分断されることも無く、アメリカが仕組んだ天皇制維持により、新憲法の下、一つに纏まり、反戦、平和運動を植え込まれて来た。このことは、大勢の国民が亡くなった戦争の恨みを、日本人に忘れさせ、アメリカやイギリスを憎ませない為のアメリカの方策だった。あんなにも残酷な沖縄攻撃や東京大空襲、広島、長崎の原爆投下に遭遇しながら、日本人は反米運動など、一部の人たちを除いて、全く考えず、ひたすら中国をはじめとするアジアの国々に頭を下げ続けて来た。そして60年以上も戦争をせず、敗戦国なのに戦勝国以上の経済発展を成功させ、世界に誇る経済大国となった。その豊かさ、技術力、文化、清潔感は、芳美姉から教えてもらっていた通りであった。従って考えの異なる有林と私は別れなければならなかった。『梅光閣』での食事を終えた後、私たちは以前、入ったことのある『ロイヤルガーデン』に行き、休憩した。有林は私を諦めきれない風だった。燃え盛る思いを、驚く程、荒々しく、私にぶつけて来た。私は、そんな有林のことを想うと、最高の気分にさせて上げたかった。
「あああっ、感覚可以」
私が鼻にかかった声を漏らすと、彼は湧き上がって来る歓喜に堪えきれず、興奮し、私への恨みを、威勢よく撒き散らした。私は、その恨みの総てを顔を歪ませて受け入れた。ホテルを出ると大雪になっていた。
〇
旧正月での中国滞在の日々は今日で最後となった。優しい家族や親戚の人たちと、また離れ離れになるのだと思うと、ちょっと辛かった。私は両親が準備してくれた土産物をスーツケースに納めるのに一苦労した。午前8時半、芳美姉と琳美の他、葉基明夫婦を乗せて、営口の家にやって来た。そのマイクロバスに、私は両親と共に乗せてもらい、大連空港へ向かった。行きの運転は樹林が行い、帰りの運転は有林が行うという。社内での会話は、葉家と周家の両親夫婦が加わったので大賑わい。時間のことなど忘れてしまって、あっという間の午前11時、大連国際空港に到着した。私たち東京行きメンバーを見送る両家の両親や有林たちと出国ゲートで笑顔で別れて、出国手続きを済ませた。そして3人になると、日本へ戻るのだという気持ちに、胸が膨らんだ。免税店で買い物をしてから、機内に搭乗すると、旧正月を中国で済ませた人たちで満席だった。成田行きの中華航空機は定刻、靄で烟った大連国際空港を、猛スピードで離陸、上昇し、天空に浮上した。それからは琳美たちと並んで、快適な空の旅。3人とも旧正月疲れか、1時間程すると、機内では余り話をしなかった。飛行すること3時間。午後4時半過ぎに成田国際空港に着陸すると、何故か仕合せな気持ちになった。日本で待っていてくれる人たちが、沢山いると思ったからでしょうか。身体の調子が跳びはねたい程、元気になった。6年前に、日本にやって来た時のような不安など、微塵も無かった。入国検査を済ませ、沢山の荷物を持って到着ゲートを出ると、大山社長と陳桃園が私たちを待っていた。私たちの荷物が多いのが分かっていて、車で出迎えに来てくれていたのだ。私たちは成田国際空港から、新宿まで、大山社長の運転する車で帰った。先ずは大山社長の、マンションまで行き、芳美姉と琳美と私の荷物を車から降ろし、マンションの駐車場で、大山社長夫婦と琳美と別れた。私は桃園に私の荷物の半分を持ってもらい、2人で自分たちのマンションに帰った。部屋に入るや、私は桃園と2週間の出来事を報告し合った。私は両親はじめ祖母たちが皆元気で、彼らに大学卒業と就職決定を喜んでもらったことを桃園に話した。また有林や蘭々の話もした。桃園は旧正月の間、『快風』の仲間とカラオケに行ったり、餃子パーティをしたなどと話した。また芳美姉の留守中の大山社長の事について、何か喋ろうとしたが、途中で、全く口をつぐんでしまった。私は桃園が止めた話の追及をしようとは思わなかった。早朝からの移動だったので、疲れが溜まり、桃園と話しているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。
〇
日本に戻ってから、倉田常務と斉田医師に同文のメールを送った。
*帰国しました。
御土産をお渡ししたいのですが
何時、会えますか?*
すると直ぐに倉田常務からメールが入った。
*お帰りなさい。月曜日の夕方ならOKです*
続いて斉田医師から同じようなメールが入った。私は就職のこともあるので、倉田常務とのデートを優先した。月曜日の午後4時、何時もの場所で倉田常務と合流した。そのまま『リスト』に行き、部屋に入ってから高級鉄観音茶と携帯電話用ストラップを、中国土産として渡した。
「このストラップを付けると、お金が貯まるのよ」
私は、そう言って、彼の携帯電話に宝石付きのストラップを取付けてやった。すると倉田常務は、とても喜んだ。私は大連や営口は雪が降ったりして寒かったと話した。また家族の者が『スマイル・ワークス』に入社が決まったことを、とても喜んでくれたと伝えた。そんな私の話を聞きながら、珍しく彼の視線が私の身体に纏わりついているのに気付いた。御無沙汰していたからでしょう。私は彼の反応を確認した。
「私、ちょっと痩せちゃった。体重50キロ。細くなったでしょう」
「セーターを着たままじゃあ、分からないよ」
彼は私の裸の容姿を早く確認したいらしかった。私はそこでセーターを脱ぎ、腰のあたりを彼に示した。すると彼は私に近づいて言った。
「確かに細そりして、まるで白魚のようだ。抱きしめたくなる」
彼は、そう言い終わると私の長い黒髪を掻き分け、まずはキッスした。それから私の全身を、まるで斉田医師のように上から下へと優しく触れて確かめた。もしかして彼は、私が中国で男と楽しんで来たのではないかと疑っているのかも知れなかった。私は有林のことを思い出した。他の男のことを考えながら倉田常務に愛撫され、私の肉体は燃え上がった。久しぶりに会った彼は、私が久しぶりに会えて、発情していると感じたらしく、早くも股間の物を、はちきれそうに勃起させていた。私たちは直ぐに離れ、急いで真裸になり、ベットに入った。そして再び抱き合い、互いに欲しいものを求め合い、乱れ合った。私のよがり声が隣室に聞こえるのではないかと、倉田常務が心配したが、私はホテルの部屋は防音室になっているから心配無いと気にせず、声を上げた。
「ああっ、感じる。とても硬いわ。ああっ。熱くて溶かされてしまいそう」
私は彼の激しい攻めの連続に甘美な時空にただよい、失神に近い絶頂に達した。なのに彼は私の快感に気づきながらも、膨張を保ち続け、私が左右に首を振るまで腰を動かし、私が気絶しそうになると同時に私の中に発射を行った。私はそれを静かに受け入れた。私たちは攻防戦を終えると結合を解き、ベットに仰向けになって並び、しばらくの間、耽美な恍惚の夢を見続けた。それから、今後の肝心な話をした。卒業のこと、入社のこと、景気ののこと、4月からのこと、保険のこと、仕事のことなど。倉田常務からの話はあれやこれや沢山あって、全部を覚えられずに、『リスト』を出た。4月までに、まだ充分、時間があるので、分からないことは、また次の時に、ゆっくりと教えて貰えば良いと思った。外に出ると肌に触れる風は、まだ冷たかったが、何処か春の気配が感じられた。春が早く来て欲しいような、来て欲しくないような、複雑な気持ちで、私は歌舞伎町から新宿駅まで、倉田常務と歩き、西口で、倉田常務と別れた。
〇
翌日、私は斉田医師と会った。まずは、『吉林坊』に行き、焼き肉を食べた。酒を飲み、焼き肉を食べながら、いろんなことを訊かれた。中国での両親や家族が、どうであったか。大学を卒業したら、中国に帰れと言われなかったか。就職したら、今のアルバイトはどうするのか。子供は好きか。彼氏とは別れるのかなどなど。私は、その都度、質問に答えた。だが、彼氏の話の時はどう話したら良いのか戸惑った。私が答えずにいると、斉田医師は笑って言った。
「隠さなくても良いんだ。美人の女子大生なら、彼氏がいて当然。嫉妬はしないよ」
「本当かしら」
「本当だとも」
「じゃあ、話すわ。今回、中国に帰って、はっきり彼氏に別れを言って来たわ。だから、私の恋人は先生だけよ」
私は、それから中国に帰って、有林と日中間の政治のことで口論になったことや、別々の生き方をすることなどを話し合ったと説明した。しかし、斉田医師は私を信用していなかった。
「中国の彼氏のことは良く分かった。日本の大学の彼氏とは、どうなっているのか、それを聞きたい」
「そんな人はいないわよ。疑り深いのね」
「疑っている訳ではない。君と結婚する為に、確かめているだけだ」
「安心して。私の彼氏は先生、1人だけよ」
私は斉田医師に嘘をついた。生きる為には嘘も許されると思った。それは異国で戸惑い生きる者を救う悪魔の導きの言葉だった。だが斉田医師は私を信じなかった。大学生の恋人がいるに違いないと疑っていた。
「でもクラスに1人くらいはいるんだろう。好きな男が」
「そうねえ。グループ交際している男子学生はいるけど、個人的には付き合う時間が無いわ。アルバイトで忙しいから」
私は、これ以上、斉田医師に追求されると困るので、次に行こうと合図した。斉田医師は直ぐに了解した。私たちは『吉林坊』から、何時もの暗い路地を通って『ハレルヤ』に行った。部屋に入ると、彼は医師に戻り、私を診察した。
「少し痩せたね。中国の正月で、美味しいものを沢山いただいたんじゃあなかったの?」
「沢山いただいたわ。でも中国の恋人と別れて、数日、泣き明かしたから」
「そんなに好きだったの」
「好きだったけど、先生の方が好きだから、彼を傷つけてしまって辛くって。彼のことを思うと、心が押し潰され、どうしようもない罪悪感に襲われて、眠れないの」
「可哀想に・・」
私の説明に斉田医師は目を潤ませ、私の上半身から愛撫を開始した。私の身体は彼の動物的な愛技に対し、たまらなく敏感に反応した。キッスされ、乳房を揉まれ、乳首を吸われ、その手が下半身に達した時には、自分の腰や両脚の辺りが、ヒックヒックし始め、全身が火照り、痙攣を起こしそうになった。頭がボーッとして、狂い出しそうだった。そんな私を確かめてから、斉田医師は騎乗し、途轍もなく大きく膨張した物を私の中に挿入して来た。私は斉田医師と連結し、その悦びに震え、迫り来るオルガスムスに、恥ずかしさなど打ち捨て、あられもなく喘ぎ、愉悦に乱れまくった。何という狂態。野獣のような斉田医師の行為の数々に、私の肉体は、制御不可能になっていた。
〇
2月初め大学のキャンパスに行くと、もう卒業試験が目前に迫っていた。私は今年になってから、卒業に向けての勉強をしていたので、どの教科もクリア出来る自信あった。純子や真理は不安らしかったが、大学側は就職先の決まっている学生を留年させることは無かった。卒業試験は数日で終わり、私は無事、全教科をクリアすることが出来た。私たちは仲間と共に卒業出来ることを喜び合った。リーダー格の渡辺純子が、喫茶店『ピッコロ』で提案した。
「私たち、卒業してからも、時々、会いましょうね」
誰も異論は無かった。それに普段、もの静かな川添可憐が一言、付け加えた。
「それは良いのだけれど、就職したら誰もが忙しくなると思うの。時々、会うのはその時の都合で出欠するのは構わないけど、年4回、必ず会うことにしましょう」
「春夏秋冬ね」
「それは良い考えね。ついでに、この集まりに名前を付けましょうよ」
すると細井真理が提案した。
「皆でゲラゲラ笑って喋り合うから『ゲラゲラ会』って、どうかしら?」
その真理の提案に可憐が渋い顔をした。それに気づいた真理が可憐に素早く訊ねた。
「不満そうね。下品かしら。何か良い名前ある?」
「私、昼顔の花が好きなの、蔓に繋がって、皆で明るく笑って咲いているでしょう。だから『昼顏会』って名前にしたらどうかしら?」
可憐が答えると、今度は純子が首を傾げた。
「確かに良い名前ね。でも私たち、夜に食事会をすることもあるから、昼顔は?」
「では『微笑会』は?」
「それは良いわね。それにしましょう」
純子が可憐の提案に賛成し、私たちのグループ名は、あっとという間に『微笑会』と決まった。青春の4年間を共に過ごした貴重な友とのOB会は、こうして誕生することになった。私たちは、卒業してからの抱負を喋り合い、その後、カラオケ店に行って、歌い放題に唄って別れた。そして私が新宿に到着し、マンションに向かって歩いていると、川北教授から携帯電話に電話が入った。
「川北です。これから、会えませんか?}
せっぱ詰まった口調だった。私はハッとした。重要なことを忘れていた。就職先が決まり、川北教授の手伝いが出来なくなった事を説明していなかった。また、ここで彼との関係を断ち切る必要があるとも思った。私は直ぐに川北教授の要請に同意した。私は新宿駅に引き返し、急いで電車に乗り、渋谷駅で下車し、川北教授の指定する渋谷の喫茶店『鈴懸』に行った。川北教授はコーヒーを飲みながら、私を待っていた。
「こんばんわ」
私が声をかけると、川北教授は笑顔を見せた。
「やぁ、来てくれて有難う。突然、無理を言って申し訳なかったね」
「こちらこそ、ご無沙汰してしまって」
「就職、決まったんだってね。細井さんから聞いたよ」
「申し訳ありません。もっと早く先生のお知らせしなければいけなかったのに。中国に帰省していたものですから」
私は、こう答えて川北教授から激しい叱責の言葉を浴びせられることを覚悟した。だが予想に反して、川北教授は大人しかった。
「そうだね。もっと早く知らせて貰えば、君の代わりを見つけられたのに」
「申し訳ありません」
私は川北教授に迷惑を掛けてしまったことを後悔した。しかし川北教授は怒りもせず、私が就職する『スマイル・ワークス』について、種々、質問し、その後、就職祝いだと言って、レストラン『つばめ』で御馳走してくれた。酒の入った川北教授は、ほろ酔い気分になり、恥ずかし気も無く私に言った。
「君が自立し、美しく咲き誇るのが私の願いです」
私は、その言葉に涙が出そうになった。何と優しい先生か。私はアドバイスに従わず、『スマイル・ワークス』に入社することを決めたのが良かったか、悪かったのか分からなかった。ただ私の為に、大学に助手事務員の席を申請してくれた川北教授に、申し訳ないことをしてしまったという気持ちでいっぱいだった。
「先生が努力して下さったのに、それを裏切るような顔の立たないことをしてしまって、本当に申し訳ありません」
すると川北教授は、私に顔を近づけて、小さな声で言った。
「顔など立たなくなったって良いよ。あっちの方が立てば・・・」
川北教授はニンマリと笑った。私への誘いだった。ここで断り切れないのが、私のいけない性格だった。親友、細井真理の相手だというのに、迷惑を掛けた詫びの意味も含めて、彼と一緒にラブホテル『ブルックリン』に行くことに同意した。ホテルに入ると、川北教授は、飢えた狼になって私にむさぼりついて来た。大学の先生は助平よと、真理が言っていたが、川北教授は、教授らしからぬ卑猥な事を言って、私を弄んだ。私は彼のなすに任せた。そして彼との、こうした行為は、今日で最後にしたいと思った。
〇
私が現在、成すべきことは、確実に『スマイル・ワークス』に入社することだった。新聞やテレビの報道は、暗い話ばかりで、私は不安だった。その不安を解消するには、絶えず倉田常務と連絡をとり、繋がっていることだった。私は海外の仕事で多忙だという倉田常務にメールを送った。
*バレンタインデー近いですね。
チョコレートを準備してます。
会える日時を連絡してください*
しかし彼は返事をくれなかった。『グリーン商事』の時のような状況になるのではないかと心配になり、執拗にメールした。
*この前のメール、
見てくれたかしら?*
確認のメールを送ったのに倉田常務から、何の連絡も入らなかった。私はイライラし、バレンタインデーのチョコレートを捨ててしまおうかと思った。そんな時、日本語検定1級合格の通知が届いた。私は思わぬ知らせに大喜びした。私は嫌われるかもしれないが、倉田常務に再度、メールを送った。
*良い知らせ。
日本語検定1級に
合格しました*
すると、今まで、返事をくれなかった倉田常務から、祝福とお詫びのメールが入った。
*おめでとう。
努力した甲斐がありましたね。
この間のメール見ました。
決算や輸出の仕事に追われ、
返信が遅れて申し訳ありません。
携帯電話のメールを見るのを忘れ、
メール確認が遅れてしまいました。
愛してます。
おやすみなさい*
でも具体的デートの日時は伝えて来なかった。私は執拗にメールした。
*何時、会えそうですか?
会いたいです*
すると彼は観念したらしく、明日の午後4時半、何時もの所でという返事をして来た。私は花粉症になり、ちょっと辛かったが、翌日、マスクをして、待ち合わせ場所に出かけた。定刻、何時もの場所で合流し、そのまま『リスト』へ行った。ホテルの部屋に入ってから、まずはバレンタインデーチョコを渡し、喜んでもらった。また明日、大学のゼミの送別会に招待されているので、チャイナドレスを着て出席すると話した。すると、彼は目を丸くした。
「愛ちゃんのチャイナドレス姿、是非見たいものだ。魅力いっぱいだろうな」
「今度、入社したら、見せて上げるわ」
私は、そう言って微笑し、日本語検定1級に合格したことを伝え、今度は英語検定にも挑戦するつもりだと、これからの抱負を語った。それを聞いて、倉田常務が私に抱き着いて来た。
「大いに期待しているよ」
彼は、そう言って私のブラウスを脱がしにかかった。私も彼の服を脱がしにかかった。互いに手間がかからなかった。彼のシャツもズボンもパンツも簡単に床に払い落とすことが出来た。私に真裸にされた彼は、その後、私のパンティを脱がせた。そして私たちはベットに上がり、重なり合った。私は彼の優しくて細やかな愛撫を受け、自慢の玲瓏な肉体をくねらせ、彼と繋がると愛欲に燃えた。私は下から彼の腰を抱きかかえ、執拗に快感を求めた。すると彼は、私の腰のリズムに合せ、何度も何度も主砲を子宮に突入させて来た。私は、その攻撃を受け、何度も気を失いそうになり、絶頂に達した。彼は私の為に額に汗を流して努力し、私の裂け目から濃密なドロドロしたものが漏れ出して来るのを目にしてうろたえた。そしてその目は、まるで不思議な幻覚の中で放心して、ついには私と一緒に果てた。私たちは手を握り合ったまま、ベットに並んで眠った。それからしばらくして私たちは目覚めた。私は彼の激しかったことを振り返り、ふと口にしてしまった。
「何で倉田さんは、そんなに強いの?若い時に回数が少なかった人は、年寄になってから強くなると、誰かが言っていたわ。今まで、奥さんとも他の女の人とも余りしてなかったでしょう」
すると彼は笑って答えた。
「そうかもね。私は家庭を一番に考え、大切にして来たから」
それは真実のようだった。私は倉田常務の妻が、どんな人なのか興味が湧いた。夫に浮気をさせなかった妻とはどんな人か。
〇
梅の花が散って、あっという間に2月が過ぎ去り3月になった。季節は確実に春に向かっていた。一雨ごとに都会でも草木の緑が目立ち始めた。卒業式が目前に迫っていて、大学での授業は格好だけだった。ゼミの後輩たちが送別会をしてくれるというので、私は細井真理と待ち合わせして会場に向かうことにした。会場はゼミの後輩、八神哲平の父が経営する中華レストラン『八神亭』の一室を借りての送別会だった。そのレストランは代々木にあり、私には近くなので好都合だった。当日、私はチャイナドレスを着て、和服姿の真理と代々木駅で合流し、夕方5時に会場へ行った。『八神亭』の会場では15名程が集まり、全員が集まるのを待っていた。私と真理が一緒に顔を出すと、後輩や仲間たちが一斉に拍手した。同輩の男子、浜口明夫、工藤正雄、小沢直哉、神谷雄太たちは、皆、ネクタイをした背広姿だった。女子は水野良子や細井真理、杉本直美たちの和服姿、中田珠理や真下久美、酒井真紀たちの洋服姿、私のチャイナ服姿、柳英美のチョゴリ姿と多彩で、会場は華やかに盛り上がった。そして川北教授が現れると、ゼミの送別会が始った。後輩の八神哲平リーダーと小泉春香サブリーダーの司会で、送別会は始まった。最初に小泉春香が喋った。
「先輩の皆様。ご卒業、おめでとうございます。只今から川北ゼミの送別会を始めます。まずは八神君から送る言葉をお願いします」
すると八神哲平が挨拶した。部屋の片隅で『八神亭』の従業員が覗いていることなど気にせず、彼は堂々と喋った。
「来年度の『川北ゼミ』のリーダーの八神です。先輩の皆様、卒業おめでとうございます。先輩の皆様とは1年間という短いお付き合いでありましたが、共に学ぶと共に、種々、御指導いただき、とても感謝しております。私たち残された者は、皆様から頂戴した知識や教えを守り、この後に続く後輩たちに、これらの貴重な教え、調査資料などを引き継いで参ります。皆様におかれましては、健康に留意され、『川北ゼミ』の先輩として、それぞれの分野で、大いに活躍して下さい。簡単ではありますが、後輩の代表として御卒業のお祝いと送別の挨拶と致します」
八神哲平の挨拶が終わると、今度は川北教授から、送別の言葉をいただいた。
「諸君。卒業、おめでとう。今日をもって、私のゼミから旅立って行く君たちに心からお喜び申し上げます。2年間、君たちと一緒に学び、とても楽しかったです。私にとっても有意義な2年間でした。でも大学を卒業するからといって、君たちの勉強は終わった訳ではありません。大学を卒業したという安堵感で満足してしまったなら、それは君たち自身をだらしない駄目人間にしてしまうでしょう。今まで、私のゼミで熱心に学んで来たように、君たちには、これからも社会に出て、勉強をし続けて欲しいと願っています。人生は死ぬまで勉強です。見送るこの人たちの先輩として、立派な人になって下さい。人の為、社会の為に必要な人間になって下さい。期待しています。以上」
私たちは川北教授や後輩に励まされ、皆で乾杯し、八神哲平の父親たちが作った美味しい料理をいただいた。先輩、後輩が入り交じり、思い出話や将来の希望を語り合った。まさに和気藹々の宴会となった。送別会の終わりは、浜口明夫が、卒業生を代表して、御礼の挨拶をした。
「今日は卒業する私たちに対し、このように盛大な送別会を開いていただき、川北教授はじめ後輩の皆様に深く感謝申し上げます。S大学に入学した時は4年間という大学生活がとても長いように思われましたが、今にして思えば、予想に反し、とても短い貴重な年月でした。その中でも『川北ゼミ』で過ごした時間はとても貴重なもので、私たちの宝物です。授業中は先輩面をしてばかりで、皆様の期待に添えなかったのではないかと、少々、反省しております。私たちは皆様と過ごした日々を決して忘れません。また今日、頂戴したお言葉を胸に、ゼミの名を誇りに頑張ります。社会の為に、精励致します。本日は誠に有難う御座いました」
浜口明夫の挨拶の後、皆で記念写真を撮った。こうして『川北ゼミ』の送別会は終了した。その帰り、真理が私に言った。
「川北先生、愛ちゃんのこと、心配していたわよ。貴女の就職先、業績不振で、危ないみたいよ」
私は、そう言われて気分を害した。何故、こんな日に、真理は、私の就職先のことなどを言うのか。今更、そんなことを言われても、どうなるものでもない。私は日本に在留していられることになっただけで、有難いのだ。私は、そのことを真理に伝えた。すると真理は納得してくれた。
〇
私は真理が言っていたことが本当だとすると、就職先が無くなってしまうのではないかと心配になった。不安で睡眠不足になった。私は起床するや倉田常務にメールを送った。
*今日、事務所に行きます。
何時くらいに訪問したら
良いですか?*
すると直ぐに彼から返信が届いた。
*今日、中山社長と昼食をしますので、
神田駅、1時半頃に待合せで
良いですか?*
私は了解の返事を送り、午前中、洗濯と部屋掃除をした。桃園が一緒になって部屋の整理整頓を行ってくれた。昼食は桃園とマーボー豆腐を作って食べ、12時半に外出着に着替え、1時前にマンションを出た。新宿駅から中央線電車に乗ってから倉田常務にメールを入れると、神田駅北口近くの喫茶店『ルノアール』で待つているという。私は神田駅で下車して、『ルノアール』を探し、1時半丁度、『ルノアール』で彼と合流した。その喫茶店で、コーヒーを飲みながら彼から話を聞いた。
「今日、『ジェイ商事』の中山社長に会ったが、君の採用を正式に断られたよ」
「それは分かっていたことだわ」
「結果、君に話しておかなければならないことがあるんだ」
{何?」
私は一瞬、ドキッと不安になった。倉田常務の顔つきが、とても真剣になっていた。彼は上目使いで私を見詰めて言った。
「実は『スマイル・ワークス』では、君を採用出来ないんだ。だから代わりに私の会社で君を採用することにする」
「私の会社?」
私には彼が何を言っているのか、彼の言っていることが全く理解出来なかった。戸惑っている私の気持ちを察して、倉田常務は懇切丁寧に、その経緯を説明してくれた。
「私の会社の名称は『スマイル・ジャパン』だ。現在、妻が社長をしているが、今度、私が社長に就任する。君を採用する為に、私が社長に就任する。君を採用する為に、私が社長になる。今まで秘密にして来たが、現在、『スマイル・ジャパン』には中国や台湾との沢山の商談が来ている。私1人では、こなしきれない。今回、中山社長に提出した台湾製機械の金額は、2億円だ。これらを確実にまとめるとなると、中国語の喋れる君の助けが必要だ。この際、『スマイル・ジャパン』で君を採用し、君と一緒に会社を発展させて行きたい」
私は、びっくりした。倉田常務が別会社を経営していたなんて初耳だった。喫茶店で思わぬ話を、30分ちょっと聞いてから、私たちは『スマイル・ワークス』の事務所へ向かった。彼が喫茶店で話してくれたことを信じて良いのか半信半疑だった。事務所に着くと、倉田常務は給料の事、健康保険の事、雇用保険の事、源泉徴収の事などの説明をしてくれた。またアパレル関係の販売についても、私に意見を求めた。そして諸々、打合せ後、鶯谷のホテル『シャルム』に行き、休憩した。久しぶりの合体に、私は燃えた。私は彼を信じて来て良かったと思った。若い私は彼を迎え入れると、もっともっとと貪欲にせがみ、激しく彼の愛を求めた。軽い気持ちで付き合い始めた時と異なり、何時の間にか、私たちは夢中になり、相手に執着するようになり、深い関係になってしまっていた。倉田常務は私にのめり込み、凄まじい勢いで、私に傾倒した。彼の大きく勃起したものが、私にはたまらなかった。
「好きよ、好きよ。愛してる」
「私もだ。君の為なら何でもやるぞ」
その言葉に、私は彼が完全に私のことを守ってくれると確信した。彼はひたすら愛撫に専念した。ゆっくり、根気よく、時間を掛けて、這うように私の身体の隅々まで、舌で舐め回し、そのツルツルした滑らかなテクニックで、私の体内に潜んでいる女の欲望が引きずり出した。それは私にとって、猥褻で心地良く、プライドを捨てて叫びたい程、想像を遥かに超えた快感だった。私は、その快感に絶叫し、痙攣し、彼を深く激しく引き寄せ、私の底なし沼に吸い込もうとした。私たちはその吸着の快感に没入し、そして一緒に果てた。共に仮死状態になって眠った。やがて街に夕暮れが迫って来た。私たちは『シャルム』を出て、家路についた。鶯谷駅から山手線に乗り、新宿駅で別れた。私は彼と別れてから、彼が私を採用する為、別会社を設立していたことに驚きを感じた。愛とは恐ろしいものだ。私は、そんなにも信頼され、期待されているのでしょうか。私には信じられないことだった。でも、確実に採用してもらえることを確認することが出来て安心した。
〇
大学生活で、あと残っているのは卒業式だけだった。私は『微笑会』のメンバーに卒業式のことを教えてもらいたくて、急遽、集まってもらうことにした。心地良い春風の吹く日の午後、下北沢の『ピッコロ』に全員が集合した。私はゼミの送別会の時、中田珠理から、卒業式の時は和服にしたらと言われていたので、それを確認した。
「私、ゼミの仲間から、卒業式の時は日本の着物を着て出席するようアドバイスされたけど、どうしたら良いかしら」
「愛ちゃん。卒業式は1度だけだから、この際、和服にチャレンジしてみたら」
「愛ちゃん。きっと似合うわよ」
「そうかしら」
私は渡辺純子の言葉に、その気になった。
「私はもう予約したわ」
「私はこれから」
予約していないのは、『微笑会』のメンバーに加わった浅田美穂と私だけだった。渡辺純子は成人式の時の緑色の振袖を利用し、袴を新調したという。川添可憐は、貸衣装店から紹介された美容院で着付けをすると言いながら、ぼやいた。
「お金がかかるけど、仕方ないわね。昔ながらの女子大生の卒業式のファツションだから」
「学問をおさめた女性教師の服装にあやかって、明治時代から続いている伝統的習慣なんですって」
私は、皆の話を聞いて、大学の卒業式に和服で出席することに決めた。私は真理に訊いた。
「それより何より、何処に頼めば良いの」
「私と同じ所に頼むと良いわ。代々木の美容院だから、愛ちゃんの所から近いわよ」
「じゃあ、連れてって」
「了解」
私は、依頼先が分かり、ホッとした。浅田美穂は、これから、家の近くの美容院に相談してみるという。卒業式の衣装の話の後、私たちは、入社式の服装の話などをした。川添可憐が、入社式には就活の黒のスーツで出席するのが常識だと説明してくれたので、私は一安心した。その後、何時ものように男たちの話になった。純子も可憐も相手と上手く行っているらしく、就職して落ち着いたら結婚する計画だと話した。浅田美穂は高校時代の恋人と付き合っているが、結婚の話をするまで進展していないという説明だった。真理は小沢直哉と上手く行かず、川北教授と、不倫を重ねていると話した。私は工藤正雄からプロポーズに近い言葉を受けたが、まだ思案中だと話した。そんな『ピッコロ』でのお茶会が終わってから、私は細井真理と一緒に、彼女の知り合いの代々木の美容院へ行った。美容院の先生は、真理の中学時代の友人のお姉さんだった。
「真理ちゃん。貸衣装の見本帳を彼女に見せて、どれにするか決めて頂戴」
「ありがとう。愛ちゃん、どれにするか、一緒に見て上げるね」
「真理ちゃんは、どれにしたの?」
「これよ」
真理が予約したのは白地に桜吹雪を描いた振袖と、青の袴だった。見本帳にある振袖は、赤、白、黄、緑、紫、青などの上に花柄を描いた物が多かった。袴は赤、青、紫、黄と、これまた色とりどりだった。私はどれにしようか迷った。仕方なく、菜の花の黄色の振袖と紺の袴、又は梅の花のピンクの振袖と紫の袴にすると、2種類を選び、2、3日中に答えを連絡すると話した。美容院での申し込みを終えてから、私たちは代々木駅前で別れた。私は、それから芳美姉のマンションに行き、琳美の大学合格祝いに出席した。『快風』の謝月亮と陳桃園も出席し、私の就職祝いもしてもらった。私は芳美姉や大山社長に心から感謝の御礼を言った。
〇
私は卒業式の和服の絵柄をどちらにするか迷っていた。どうしたら良いのか悩んだ挙句、倉田常務に相談することにした。朝起きて、直ぐにメールを送った。
*今朝から、卒業式の衣装を選ぶのに
悩んでいます。
今日、会っていただけますか?*
すると倉田常務から驚くべき返信が入った。
*今日は都合が悪いです。
新しく採用しようと考えている上海人と
面接することになっています*
私は、その返信メールを読んで慌てた。そして質問のメールを送った。
*えっ。私だけじゃあないのですか?
会社は不景気で、これ以上の採用は
難しいのではないですか?
断ることは出来ないのですか?*
私は、またもや心配になった。倉田常務が何を考えているのか、さっぱり分からなかった。彼は何時も穏やかで平然としていて、真実を語ってくれない人だった。私が傷つくことが分かっている筈なのに、平気で、こんなメールを送って来た。
*応募相手は能力のある人なので、
採用を検討中です。
それより何より、貴女の在留ビザを
取得して下さい。
在留ビザを取得したら社長である私の妻と
面接してもらいます*
私は、そのメール文を読んで、心穏やかで無かった。就職が決まったといって、浮かれている場合では無かった。倉田常務の奥さんと面談し、不採用になるのではないかという心配が湧き上がった。彼が採用を考えている上海人は、能力のある人だというが、それが本当なら、最終面接で、私は外されるかも知れなかった。私は『スマイル・ジャパン』の社長である彼の奥さんと、まだ会っていなかった。私は一時も早く、女社長に会う必要があった。
*在留ビザは月曜日に受け取りに行きます。
ですから奥様との面接の時間を
早目に決めて下さい。
奥様から採用の許可をいただき
安心したいです*
倉田常務は私のメールを読んで、私が精神的に不安でいると推察したのでしょう、直ぐに奥さんと相談して返信をくれた。
*来週、火曜日、11時半、
新宿の『京王プラザホテル』2階の喫茶店
『樹林』で面接します。
その後、一緒に昼食をして別れます。
社長(妻)は食事後、新宿で買い物をして、
家に帰ります。
私は、食事後、客先に行きます*
私はそのメールを見て了解の返事を送り、一安心した。こうなったら倉田常務を信じるしか方法が無かった。私はホッと一息ついてから、琳美に電話した。そして、昨日、行った代々木の美容院に一緒に行ってもらった。琳美に卒業式衣装の見本帳を見せて、昨日、選んだ2つのうちのどちらが良いか意見を訊いた。すると琳美は、こう答えた。
「愛ちゃんには黄色は似合わないわ。ピンクの梅の花が、お似合いよ」
その琳美の言葉で、私は卒業式の衣装をピンクの振袖と紫の袴に決めた。私は伝統的日本の衣装を着ての卒業式が楽しみでならなかった。大学に合格した琳美と大学の卒業が決まり、就職することになった私は、ルンルン気分で、これからの生活に夢を膨らませた。2人とも仕合せだった。
〇
3月19日、私は朝5時に起床して、早めの朝食を済ませ、予約していた代々木の美容院に行き、卒業式の和服の着付けをしてもらった。私が梅の花のピンクの振袖と紫の袴を着付けしていると、細井真理が、少し遅れてやって来て。桜吹雪の振袖と青の袴を着せてもらった。美容院の先生と2名の助手が、髪の毛アップから、メイク、花かんざし付けまで、とても素敵に着飾ってくれた。私たちは仕度が終わると5万円支払い、ブーツを履き、バックを手に美容院を出た。そこから新宿駅まで、朝の人混みの中を、颯爽と歩いた。美人2人の袴姿に、通勤者たちの視線が集まり、見られているという意識に私たちは気持ち良さを感じた。新宿駅から小田急線の電車に乗り、キャンパスへ行くと、仲間が私たちを待っていた。純子は緑色の振袖に濃緑の袴、それに赤いバック姿。可憐は白地に赤い矢羽根の振袖と紫紺の袴と可愛い茶巾姿。浅田美穂は黒地に椿の花の振袖と白い袴にバック姿。それに私たちが加わると、まるであたりは花園のようだった。背広姿の男子学生の中で、紋付き羽織に黒の袴姿の平林光男は、ちょっとお笑い芸人のようで可笑しかった。10時丁度に、卒業式が講堂で開催された。学長の挨拶から式典は始まった。学長は、こう挨拶した。
「卒業生の皆さん。御卒業おめでとう。皆さんが最高学府での学業を大きな成果をもって終了されましたことに、皆様の勉学を温かく支えて来られました御両親、御家族の皆様と共に、心からお祝い申し上げます。特に留学生の皆様は遠く母国を離れ、言葉、文化、習慣の異なる状況を克服され、見事に卒業され、その努力に深く敬意を表します。またこれまで卒業生に対し、惜しみない愛情をもって支えて下さった御家族、友人、諸先輩、教授職員の皆様に深く感謝申し上げます。本日、卒業される皆様は、当大学で学問と今後の生き方についての基本的な知識を身に付けましたが、今や世界はグローバル化が進み、国家や共同体の一員として生きる事の意味が、改めて問い直されています。そういった中で、皆様は自信を持って自分の存在が、どういう所にあるのか常に考え、グローバルに通用する人材と言われるよう努力して下さい。日本国内だけに留まらず皆様が世界に通用する活躍をされることを願っております。誇り高い我が大学の卒業生として、しなやかに逞しく、このグローバル化した社会で輝いて下さい。皆様の前途に幸多かれとお祈りして、私の挨拶と致します。御卒業、おめでとう」
私は学長の言葉を聞き、涙が出そうになった。式典は1時間半ちょっとで終わった。それから私たちは教室で担任の山田秀彦教授から、卒業証書やアルバムを受け取った。その後、山田教授は私たちに、こう述べた。
「卒業、おめでとう。今日の喜びに溢れた皆さんに、一言、お話しておきます。皆さんは、この大学を卒業出来たことで、自分の目的を達成し、成功したと思ってはなりません。卒業は目的ではありません。単なる人生の1コマ、区切りでしかありません。問題はこれからです。従って皆さんの人生はこれからです。ですから皆さんは本校で学んだことを礎にして、各人、自分の人生の前途を見詰め、それぞれの人生行路に向かって頑張って下さい。期待しています。これでお別れです。また何かあったら、お会いしましょう。以上」
その言葉にクラスのリーダー、佐伯恵一が即応して礼を言った。
「長い間、有難う御座いました」
私たちも有難う御座いましたを反復した。私は、自分のこれからの人生は、山田教授の仰る通りだと思った。何倍もの競争率の中で勝ち抜き、S大学に合格し、卒業出来たことは途中結果であって、最終目的ではない。私の人生は、これから本格的にスタートするのだ。そう思うと、私は明るい未来に向かって、清々しい希望に満ち溢れ、心が躍った。卒業証書を受け取ってから、山田教授を囲み記念写真を撮り、その後、それぞれのグループに分かれた。私たち『微笑会』のメンバーに何人かがついて来た。その10人近くと校庭で記念写真を撮っていると、平林光男や工藤正雄たち男子が追いかけて来て、一緒に記念写真を撮った。それから駅前の喫茶店で1時間程、雑談して解散した。工藤正雄たち男子グループは私たち女子グループの真似をして、『若人会』というのを、その場で結成した。卒業後も皆で時々、会おうと約束したが、果たしてどうなることやら。かくして私の大学生活の4年間は、やっとのこと終了した。
〇
月曜日、私は品川の入国管理事務所に行き、在留ビザを入手した。3年間の就労ビザを手にして、私は感激した。いよいよ本格的に日本での活躍の場が与えられたのかと思うと胸が高鳴った。そして翌日、私は入社する『スマイル・ジャパン』の女社長と面談する為、就活スーツを着て、新宿の『京王プラザホテル』2階の喫茶店『樹林』に、10時半に訪問した。風の冷たい日だった。ホテルに着き、『樹林』の入口に入ろうとすると、倉田常務が現れた。女社長は既に来ていて、中で紅茶を飲んでいるという。私は緊張した。そんな私を倉田常務が、女社長のいる席に案内した。初めて見る女社長は痩せて綺麗で品があった。倉田常務は私を彼女に紹介した。
「こちらが、周さんです」
すると女社長は目を細めて名乗った。
「倉田浩子です。よろしく」
「周愛玲です。よろしくお願いします」
「余り堅苦しくならないで。御座りになって何かお飲みになって下さい」
女社長は優しく話しかけて来た。私は少し楽な気持ちになり、席に着いた。コーヒーを注文し、それをいただきながら、私は彼女から、種々の質問をされた。
「主人とは何処でお知り合いに?」
この質問は予想していた事であるが、ちょっと慌てた。でもこの質問に対しての答えは、あらかじめ倉田常務と前打ち合わせしておいたので、戸惑うことは無かった。
「私が『日輪商事』の通訳のアルバイトをしている時に、『日輪商事』の人たちと一緒に、倉田常務さんと出会いました。大学を卒業したら、『日輪商事』に採用してもらおうと思っていたのですが、採用されず、就職先が無くて・・・」
「日本は不景気で、どこの会社も採用を減らしていて、今年の卒業生は大変だったわよね」
その優しい言葉の中にも、私は彼女の凛とした厳しい空気を感じた。私は女社長と倉田常務に卒業証書とパスポートと再発行印の押された在留ビザを見せた。在留ビザの日付は昨日、もらったばかりのホヤホヤだった。また携帯電話で撮った卒業写真も見せた。ピンクの梅の花を描いた振袖に、紫の袴姿の写真を見て、2人とも感動した。
「まあ、素敵ね」
女社長に合せ、倉田常務も頷いた。女社長は、自分にも、こんな娘が欲しかったと、ポツリと口にした。ほぼ会話が終わったところで、私たちは、1階の和風レストラン『麓屋』に席を移し、そこで昼食をいただいた。日本ソバは苦手であったが、女社長の好みに合せ、我慢した。そこでも女社長は私に親しく話しかけ、私たちは母と娘のように、あれやこれや喋り合った。彼女の笑顔からして、私のことを、気に入ってくれたみたいだった。私と倉田常務の関係など、全く心配していなかった。どう考えても、夫は女にもてる代物では無いと思っているらしかった。彼女は自分が中国生まれであり、現在、中国語の勉強をしているなどと話すと共に、最後に倉田常務のことについて話した。
「主人は定年後、自分で始めた仕事を拡大しようと考えています。主人はどんな苦難にぶつかろうとも、真正面から、苦難に対応し、それを解決するのを楽しみにしている仕事人間です。そんな彼ですから、貴女の入社に期待しています。私には、若い貴女を採用し、教育して、会社を拡大させて行く能力がありません。従って、来月、私は彼に社長職を譲ります。来月、4月から彼のことを社長と呼んで下さい。私の事は、浩子さんと呼んで下さい」
私は、その言葉の清楚さの裏に隠れた彼女の芯の強さを感じ取った。昼食後、私は『京王プラザホテル』の前で、女社長と倉田常務と別れて、マンションに戻った。2人は新宿駅の方へ向かいながら、何か喋り合っていた。私に関することに違いなかった。私には、その内容が気になった。マンションに戻ると、桃園から今日の面接のことを訊かれた。私はスムーズに行ったと答えた。なのに、桃園は首を傾げた。
〇
私は今日の面接の結果が、どうであったか知りたかった。桃園の言葉が気になった。
「女は分からないわよ。表面上は親切に振舞って、その場を過ごしたかも知れないけど、貴女と彼の関係に気づいたかも」
面接の後、女社長は新宿で買い物をして、家に帰り、倉田常務は神田の『ジェイ商事』の中山社長の所へ立ち寄ってから、事務所に行くと言っていたので、私は夕方になる前に、倉田常務に電話した。
「これから事務所へ行っても良いですか?事務所の場所、ちゃんと覚えないと、初出勤の日、遅れると困るから」
「良いよ」
彼は簡単に了解してくれた。私が今まで『スマイル・ワークス』の事務所に行く時は、何時も倉田常務が一緒だったし、時々、タクシーでの移動もあったりしたから、駅から事務所へ歩いて行く道に、全く自信が無かった。私は新宿駅から都営新宿線の地下鉄の電車で馬喰町まで行き、そこから浅草線の電車に乗り、押上まで行って下車した。それからが難しかった。通りすがりの人に住所を示し、行き方を聞きながら、何とか4時半過ぎに、事務所に到着した。『スマイル・ワークス』の事務所に入ると、倉田常務の席の隣りの机に、新しいパソコンがセットされているのが目に入った。私がそのパソコンに見とれていると、倉田常務が言った。
「君に使ってもらう新しいパソコンを買ったんだ」
「わあ、嬉しい」
私は、そのパソコンの前に座って、早速、パソコンを操作してみた。最新式のパソコン機能が搭載されていた。私は希望に胸が膨らんだ。倉田常務は笑って私に言った。
「私は中国の沙漠を緑化する為、95歳になるまで努力し続けて来た鳥取大学の遠山正瑛教授の生きざまに感激し、小さな会社を立ち上げることにしたんだ。あの黄土沙漠に緑の森を蘇らせた農学者のパワーと意気込みは凄い。焦らず、慌てず、諦めず、やればやれるというその信念に、心から感銘を受けた。私が95歳になるまでには、まだ30年もある。そう思えば、私の人生はまだまだだ。やる気という木が心に芽生えたなら、その木の根は地中に向かって伸び、その枝は天空に向かって伸びる。初め小粒な会社でも、やる気があれば、自ずと大きく成長する。やる気がなければ、何もやらないで終わる。やればやったなりの効果が生まれる。私は周囲の疑問反対を無視して、小さな会社なのに、新入社員を採用することを決めた。このことは会社経営にとって相当に苦痛を伴うことであろうが、この新しい種が芽生え、根を張り、枝を伸ばしたなら、思わぬ発展につながる。だから私は君を採用した。人を雇ったら苦労するなどという周囲の不安など、気にならない。前向きに行動するのみだ」
それは今まで私に喋ったこと無ない倉田常務の男らしい言葉だった。彼の言葉に私の希望は更に膨らんだ。こんな小さな会社に何故、そんな希望と情熱が持てるのか?それは不可解な事かも知れないが、夢を描く人間とは一般人に分からぬ不可解な生き物なのだ。それ以上に不可解なのは、私と倉田常務の関係だった。私たちは事務所で30分程、話してから、『シャルム』へと場所を変えた。バスルームから出て、ベットに寝ころび、部屋の天井を見詰め、これまで過ごして来た日々の事を回想した。来日してからのいろいろなことが、走馬灯のように脳裏を流れた。日本語学校、アルバイト、勉学、大学での4年間、倉田常務と重なり合った時間など、総てが、これからの素晴らしい人生の為に用意されていたのかも。これから先、何が待ち構えているか分からないけど、チャンスを逃さず、兎に角、頑張ることだ。この人と一緒に。私は夢を広げ、実現させるのだ。私は興奮し、倉田常務に囁いた。
「私、倉田さんと出会えて仕合せよ。何時までも貴男と一緒にいられたら、どんなに素晴らしいことか。それが私の願いよ」
私は倉田常務の手を強く握り締めた。彼もまた私の手を強く握り返して来た。相手の腕の血流が流れ込んで来るような感覚に陥った。私たちは年齢の差など全く気にせず、もつれ合った。私には自分が分からない。彼に愛されながら身悶え、喘ぎ、攻撃される快感に気を失いそうになった。倉田常務の攻撃の律動がスピードを増し、激しくなると、私は突き上がって来る快感に堪えきれず、大きなオルガスムスに達した。
〇
3月末、工藤正雄から会いたいと連絡が入った。私は彼と会うべきか否か迷った。斉田医師は私に大学生の恋人がいるのではないかと疑っていたが、そんな人はいないと答えて来た。そんなであるから、大学生活を終えたのを機会に、ここらで自分自身、工藤正雄との関係を明確にしておくべきだと思った。正雄とは去年のクリスマスの時と正月にキッスした程度で、肉体関係にまで進展していなかった。だから別れるなら、今の時期か最適かも知れなかった。桃園からは、愛は1人にしぼらなければ駄目よと忠告されているが、私はどうすれば良いのか答えが見つからなかった。結局、会うことを断り切れず、新宿駅東口で彼と待合せした。まずは正月に入ったことのある歌舞伎町の喫茶店『リマ』に行き、彼から今後に関する考えを聞いた。
「今、部屋探しをしているんだ。三軒茶屋のマンションの部屋にしようかと思っている」
「本当に部屋を借りるの?」
「うん」
「でも私、一緒に暮らせないわよ」
私が同棲出来ないと伝えると、正雄は眉根を寄せた。
「何故?」
私のことが信じられないという顔つきだった。彼は顔つきを変え、もう一度、訊き返した。
「何故」
私は、その時、日頃、芳美姉が私に言っている言葉を思い出した。結婚前の同棲など決してしてなりません。私のように失敗すると思うから。もし私がここで芳美姉の忠告に逆らい、正雄が部屋を借りることに同意したなら、彼に拘束されてしまうことになる。彼に人生を賭けて良いのか決めるには、まだ早すぎる気がした。それに斉田医師も部屋の準備を考えているから、正雄と同棲することは回避せねばならなかった。
「私。姉に言われているの。結婚は、する前の時間をかけた努力が必要だって。自分を求めて来る人と、何となくは駄目。ちゃんと結婚の手続きを済ませてから一緒にならないと失敗するからって」
「でも部屋が狭くなって大変だって言っていたじゃあないか。卒業までの我慢だって・・」
「その通りよ。4月から、お給料をもらい、お金を貯めて、それから自分の予算で借りられる部屋を探すわ。同棲なんて考えていないわ」
「そういうことか。俺の早合点だったみたいだな」
「ごめんね」
私は怒りを抑えている正雄に詫びた。彼は苦笑し、話題を変えた。
「ところで細井さんのことだが、小沢の話では、彼女、川北教授と出来ているって言うんだが、本当かな?」
「出来ているって、どういうこと?」
「つまり、男と女の関係だということ」
「当然でしょう。川北先生は男性、真理ちゃんは女性よ」
「そういうことじゃあ無いんだ。つまり、そのう」
正雄は顔を赤らめ、額に汗をにじませ、身体をイライラさせた。そこで私は彼の言おうとしていることが分かった。私は焦った。真理も私も川北教授に身を任せ、男と女の関係を体験済みだった。しかし、正雄に真実を語る訳にはいかない。私は空っとぼけた。
「初耳だわ。そんな話、信じられないわ」
「でも、小沢によれば、細井さんは何かというと川北先生、川北先生って言うらしんだ」
「だからって2人が深い関係にあるとは限らないわ」
「調べてもらえないかな。2人のこと」
「駄目よ。友情にひびが入るから。それに川北先生はゼミの恩師よ。でも分からないわね。男と女のことだから」
正雄は私の言葉に不安そうな顔をした。そんな喫茶店『リマ』での話が終わってから、私たちは日本料理店『心酔』で食事をして、少し、お酒を飲んだ。ほろ酔い気分になったところで、『花園神社』行き、まだ蕾の夜桜を観た。正雄はそれとなく仄暗い境内の片隅に私を誘い、いきなり私を抱きしめた。私は正雄に乞われ、唇を許した。しかし、正雄はそれ以上のことをしなかった。私をホテルに連れ込みたかったのでしょうが、そこまでで止めにした。彼は生真面目すぎて、それ以上前に進む勇気が無かった。私たちは『花園神社』から『伊勢丹』の前を通り、新宿駅南口で、9時前に分かれた。
〈 夢幻の月日⑨に続く 〉