第六章:医者とバイオリン
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「いたか?!」
男の怒鳴る声と共に足音が二階になだれ込む。
そして、僕らの部屋の入り口に兵隊のような格好をした男が一人入ってきた。
「いました!!こちらです!!」
僕らがいる事を確認すると後から来る仲間に大声で知らせる。
一体何事なんだろう。
僕らはただ呆然としてその光景を見守るしかなかった。
やがてその兵隊の後ろから同じ衣装を来た男たちがぞろぞろと部屋の中に流れ込んでくる。
中から特に偉そうな格好をした中年の男が顔を出した。
「おお…探しましたぞ、イネ=ノ様!」
僕らの方を見ながら男は言った。
稲…?
一体誰の事を指しているんだろうと思っている間にも男はこちらへと歩を進めてくる。
するとメグサたちが突然床に土下座しひれ伏した。
え?え??
何?何が起きたの?!
訳がわからずきょろきょろしていると
兵隊の男は僕の前まで来て止まり、
片足を90度折り曲げ、もう片足のすねを床につけるような格好をして頭を下げた。
「よくぞご無事でおられました。イネ=ノ様」
「は?」
思わず聞き返すと男は顔を上げ、いとおしそうに僕の顔を見つめた。
「やはりお噂は真でしたか。イネ=ノ様、記憶を無くされていると言うは
どうやら本当のようでございますね。」
訳がわからない。
この人は一体何を言っているんだろう。
誰が記憶喪失だって?
「さぁ、参りましょう。皆様大変心配しておいでです。」
そう言ってそっと僕の手を引いた。
「え?あ…ちょ…ちょっと待ってください!」
思わず手を振り払う。
「人違いです。僕はそんな名前じゃ…」
言葉が言い終わらないうちに男は立ち上がると僕の肩に手をぎゅっと置いて見せた。
そして僕の瞳を真っ直ぐと見つめた。
「イネ=ノ様、どうか私たちと一緒においでくださいませ。
広場での神技を見ていた者がおります。
記憶がなくともその力が貴方様だという事を証明しております。
現にこの者の病も治してごらんにいれたではありませんか?!」
そう言ってメグサたちと母親を手のひらで示す。
「や…これは…たまたまバイオリンが…」
「わかりました。お話はゆっくり宮殿でお聞きしましょう。
少々お疲れのようだ。
おい!」
そう言って後ろにいた兵隊に合図を送る。
合図を受けた兵隊二人が僕の両肩担ぎ上げ、もう一人がバイオリンと荷物を持った。
「ちょ…ちょっと待って!本当に人違いで…!!メグサ!!」
しかしメグサも、弟たちも、そして母親までもが土下座をしたまま
頭を上げようとしない。
何故だ?!
「メグサ!!メグサってば!!」
叫ぶも兵たち達によって強引に家の外へと運び出されてしまった。
降りてきた階段のほうを見ながら必死にメグサの名前を何度も叫んだが
だれも降りてくる気配はなかった。
不安げに出口を見たところで思わず悲鳴を上げそうになる。
半馬人が何頭もいるではないか。
な…一体なんなんだ…。
しかしそこにいる半馬人は草原であった半馬人と違い
兵隊たちと同じような服を上半身にまとい、背にはマントをかけていた。
同じ半馬人なのに服ひとつで見違えるようだ。
それに目つきもあの血走った獲物をみるような野蛮な目ではなく、
なんとも強く凛々しいアメジスト色の瞳をしていた。
「さぁ、こちらへ。」
前足を折って座った半馬人の背に乗るように兵が手をとって言った。
どうしたものか…
メグサといいこの兵隊といい…
何かと勘違いされてばかりだ。
ここで逃げ出したらどうなるのだろう…。
考えるのも面倒になり僕は兵に従い半馬人の背に乗った。
すると続いて兵も僕の後ろに乗ってきて手綱をつかんだ。
そっと半馬人が立ち上がる。
実際乗ってみるとかなりの高さがありちょっと怖い。
思わず半馬人の肩にしがみついた。
「では参ります。」
兵が言うとそれを合図に半馬人はゆっくりと歩き出した。
他の半馬人や兵士たちも後を続く。
と、次の瞬間ふわりと視界が浮いた。
いや、浮いたのは半馬人の体の方だった。
気がつくとすでに地上から5メートルくらい宙に浮いていた。
町のランプの明かりが足元に見える。
「うわぁっ!!」
思わず叫ぶ。
「大丈夫ですか?」
逆に兵が僕の声に驚いて言った。
「う…浮いてる!!空を飛んでるんですけど!!」
声が震えると、兵は残念そうな口調で言った。
「イネ=ノ様…大変お疲れなのですね。
もうじき宮殿の門前につきます。
それまでどうかご辛抱を」
辛抱を…って。
遊園地のアトラクションみたいなものに乗らされて
平然としてるほうが変だって!!
高所恐怖症ではないがさすがにこれは怖い。
より強く半馬人の肩にしがみつくと僕はなるべく前の景色を見ないように目をぎゅっとつぶって見せた。
-2-
夜の闇の中をどれくらい飛んだのだろうか。
「着きました」
の言葉にはっと我に返る。
意識が飛んでしまっていたらしい。
少し頭がぼんやりする。
ゆっくりと顔を上げると目の前に巨大なギリシャ神殿のような建物がそびえ立っていた。
真っ白い大理石のような石の柱のところどころに美しいガラス細工のランプが点灯している。
「ここは?」
兵の手をとり半馬人の背中からゆっくりと降りた。
「われわれは宮殿の中まで行くことができません。
今迎えのものがこちらに向かっていますのでどうかそれまで
こちらでお待ちください。」
僕を誰かと勘違いした誰かが、僕を迎えに来るらしい。
やはり逃げた方が良いのだろうか。
それとももう一度この兵を説得すべきだろうか。
メグサのときはたまたま奇跡的に上手くいったがそうそう上手い事が続く訳がない。
一度ゆっくりと深呼吸をしてみせる。
「あの…お話したいことが」
「何でしょう。」
目じりのしわをさらに寄せて中年兵士はにこりと微笑んで見せた。
「今更なんですけど、僕は貴方たちが探している人じゃありません。
人違いなんです。僕は記憶喪失でもなんでもないんです。」
「イネ=ノ様…」
すこし悲しげなまなざしで僕をみた。
どうしたら解ってもらえるのだろう。
「何か証拠になるものがあればいいんですけど…あ、そうだ」
こんなものしかないけど、と
スーツの胸ポケットから生徒手帳を取り出して見せた。
「僕の名前は射川竹人といいます。
日本という国から来ました。」
今までの状況から市町村の名前よりも国の名前を挙げたほうが適当だろうと判断した。
それとも惑星の名前を言ったほうがよかっただろうか?
写真つきの学生証のページを広げる。
すると兵士は眉間にしわを寄せて見せた。
「しかし…村人たちの病を治したではありませんか…」
「あれは本当に偶然です。
女の子に飲ませたのは僕の国ではただのお茶にすぎません。
それがたまたま効いたんだと思います。
あと、さっきの子供たちの母親に聴かせたのは音楽療法の一貫にすぎないかもしれません。
これもたまたま効果があったというだけで病気が治ると確信していたわけではないです。」
「そんな…事が…」
兵は首を左右横に小刻みに振りながら受け入れられない現実を眺めるような
困惑した表情を作って見せた。
「さては…」
いきなり口調が強くなる
「さてはお前、イネ=ノ様に化けた外部侵略者の使いだな?!」
突然手を取られると背中の後ろに回され技をかけられた。
「イタタタタタタ!」
思わず声を上げる。
「おい!!侵略者の魔術師を捕らえたぞ!」
周りの兵士たちがざわつく。
「こいつはイネ=ノ様の姿に化け、怪しい魔術で私たちを信用させ
宮殿へ忍び込もうとしていたのだ!!」
ええ?!
なんだそれ!!
周りの兵士と一緒に僕も驚く。
「ちょ…!!違うんです…ちが…イタタタタ!」
僕が喋ろうとするとさらに腕をきつく背中に回された。
「黙れ!おい、こいつを牢へぶち込め!!
それから怪しげな魔力を発するこの道具を焼き払え!!」
「え!?ちょ…バイオリン?!
やめ…イタタ!!」
「うるさい!!」
次の瞬間頭の後ろに激痛が走った。
消え行く意識の中、僕は願うしかなかった。
頼む…
頼むからバイオリンを焼くのはやめて…それは…
本当に…大切な…大切なもの…なんだ…
-3-
寒い…
体が凍えそうだ…。
いや…もう、凍ってしまったのかもしれない。
あまりの寒さに僕はゆっくりと目を覚ました。
目の前には冷たい石畳の床が広がっている。
横になった体をごろりと回し天井を見るとやはりそこにも同じく石で出来たものが広がっていた。
頭の後ろがずきずきと痛む。
ゆっくりと体を起こした瞬間、更なる痛みを後頭部に感じた。
「いったぁ~…」
思わず手で頭の後ろを押さえようとしたとき
初めて両手首が鎖で縛られていることに気がつく。
あれからどれくらい時間がたったのだろう。
目が覚めたら自分の家のベットだったらどんなにラッキーだっただろうか。
今までのことが全部夢だった。
夢落ちだったんだ。
草原も半馬人も紫の瞳の女の子も、病気の母親も、
全部、
全部!
全部が夢だった!……
…………。
そう願いたかった。
だがしかし、まだ悪夢は続いているようだった。
ずっと石の上に横になっていたからだろうか
体がぶるぶると小刻みに震えている。
寒い…。
あたりをゆっくりと見回す。
床も壁も天井も、全てが石だった。
窓はない。
ドアさえも石のようだ。
上のほうに覗き窓があるが背が高すぎて
ドアの反対側の様子を伺うのは無理そうだ。
よじ登ろうにも手をふさがれていてはどうしようもない。
光はそこから微かに漏れているだけで
室内はかなり暗かった。
僕は一体どうなるんだろう。
この流れで行くと大体の予想は付く。
処刑だろうか?
とうとう終わりが来たんだろうか…。
頭は痛くてくらくらするし体は寒くて仕方がない。
水も食事もろくに摂っていないから体はふらふらで弱りきっている。
一体なんだって言うんだろう…。
何故僕はここにいる?
この世界に来てから何度も自分に掛けた問いかけを再び意識の外に投げかけるが
誰も答えてくれるものはいない。
一体…どうしてこうなったんだ…。
思い出せ…
どこでパラレルワールドのトンネルをくぐったのか…。
部活が終わって
裏道から駅に行こうとして、
そこで白人…えと…名前は…羽鳥翼、
そう羽鳥翼に出会ってお茶をもらって…
道を教えられ…。
石像の前で意識が途切れたんだった。
そうか…道を間違えたのが事の始まりだったのだろうか?
いや…そもそもあの道を教えたのは羽鳥翼だ…。
とすると…?
だったらこの夢の中で羽鳥翼が登場してもおかしくないじゃないか。
だが、一向に彼が登場する気配はない。
それとも寸でのところでヒーローのように登場するのだろうか?
そして僕にこう告げるんだ
「これは夢なんだ」と…。
もう訳がわからない…。
本当に、訳がわからない。
「一体なんだっていうんだよ!!」
思い切り叫んで見せた。
本当に…なんだって…。
と、突如ドアからものすごい地響きのする音が響いた。
「おとなしくしろ」
その声とともにゆっくりと開かれるドア。
向こう側から先ほどの中年兵士が現われた。
その後ろにも数人の兵士が立つ。
「悪かった。待たせたね」
にかりと綺麗にならんだ黄色い歯を見せて笑った。
え?
なに?
もしかして助けてくれるの?!
と一瞬期待したものの
彼が手に持っているものをみて愕然とする。
「さぁ、処刑の時間だよ」
手には鎖でできた犬の首輪のようなものを持っていた。
それを僕の首にはめる。
もう、抵抗する力もなかった。
ああ…そうだ。
もうシャットアウトしてもいいんじゃないかと思っていた脳を再度回転させる
「バイオリンはもう燃やしてしまったんですか?」
何も答えてくれない兵士。
あれは本当に大切なバイオリンだった。
あのバイオリンは祖父から貰い受けたものである。
もっと具体的に言うと祖父が父に譲り、
そして父が僕に譲ってくれたもの。
親子3代続く大切なバイオリンだった。
あのバイオリンでどれだけの人を救ったのだろう。
ゆっくりと暗いトンネルのような石の回廊を歩きながら、
僕はつぶやくように語りだした。
「僕の祖父も、父も医者なんです。外科医。
これまでにも多くの人の命を救ってきた。
体以上に傷ついた心には、病院で小さなコンサートを開いて
音楽の音色で癒してた…。
そんな父の姿が僕は大好きだったんです。
疲れた、だなんて言葉は一度も口にした事がない。
どんなに疲れていてもいつも笑顔でにこにこ患者や家族と接してくれた。
だから笑顔の大切さを僕は知っているつもりです。
僕はまだ医者じゃないけれど、
いつか父や祖父みたいな医者になりたい…そう思って今の今まで生きてきたんです。
もちろんあのバイオリンも一緒に…
あのバイオリンと一緒に夢を追いかけたかった…。
…なのに…」
急に頭がかっと熱くなる
「なのに!!」
体を抵抗して見せるがすぐに引っ張られ
首に激痛が走る。
「おとなしくしろ。何を言っても無駄だ。見ろ、あそこがお前の死場だ」
回廊の先にまた石の部屋があり天井にはクレーン車を思わせる滑車のついた
フックのようなものがあった。
首輪の先の鎖をそこに引っ掛けようというのだろう。
「待ってください!」
僕は足を止めて抵抗した。
「いい加減にしろ!」
兵が鎖を思い切り引っ張ったが
首の痛みをこらえなんとか抵抗する。
「お願いです!最後に一つ!一つだけ!!」
駄々っ子のように体をめちゃくちゃに動かして見せた。
あきれ返った目で見ながら兵士はため息をつく。
「なんだ?」
ちょっとほっとする。
「バイオリンはどこですか?もう燃やしてしまったんですか?」
最後の希望をその一言に託す。
兵士は僕を真っ直ぐに見つめていた。
だがしかし何も答えてはくれない。
そうか…燃やされてしまったのか…。
と、また黄色い歯を見せて兵士が笑った。
「そんなにほしければ返してやっても良いぞ。」
「え?」
思わず沈んだ顔を上げた。
「だが私の質問に答えてからだ!」
そういいながら首輪をクレーンに引っ掛けた。
な…
処刑じゃなかったのか?!
拷問?!
それはそれで嫌だ。
だったらとっとと逝かせてくれたほうがましに決まっている。
そもそも僕は嘘はついてないし侵略者でも魔術師でもない。
叩かれたって何も出てこない。
拷問された末の死?!
最悪じゃないか…。
滑車の反対側の鎖を若い兵士が少し引っ張る。
「グッ!!」
背伸びして立っているのがやっとの高さまで鎖を持ち上げられた。
「さて…」
兵士は部屋の片隅にあった木造の椅子を引っ張り出して座ると
同じく木製の小さな机に肘を付いて見せた。
「私の質問に答えろ。さもなければわかっているだろうな?」
「うぐっ!!ぐぅ…!!」
足が一瞬宙を浮いた。
意識が遠のく。
と、次の瞬間兵士が鎖の手を離し
床に倒れこんだ。
激しく咳き込む。
「まず質問だ。お前はどこから来た」
生徒手帳をめくりながら言った。
いつの間に!
兵士は生徒手帳のページをぺらぺらとめくりながら
僕の言葉を待った。
とりあえず答えられる事は答えた方がよさそうだ。
でないと、首吊りか運悪くすると首の骨を折られるかもしれない。
軽く咳払いをして
頭を起こすと兵士を軽く睨みながら言った。
「日本です。」
「それはお前の国の名前か」
「そうです。」
「ふん、聞いた事もない。でたらめではないだろうな?」
「本当です!」
生徒手帳じゃなくてパスポートでも持っていれば良かったのだろうか?
すると別の兵士が僕の学生かばんを持って現われると
机の上に置き、中身を広げて見せた。
中年兵士は教科書やノートをぱらぱらとめくりなかみを確認する。
「お前は一体何者だ。
この書物はなんだ?
見たこともない呪文のようなものがびっしりと書かれているがこれはなんだ?」
そんな…一度に一気に言われても。
僕も少しムキになって答えた。
「僕は中学生です。
それは教科書とノート。
そこに書かれているのは二次方程式です。」
もうやけだった。
質問には全部素直に答えている。
嘘はついていない。
中年兵士はさらに眉間にしわを寄せた。
「おい!」
その合図に若い兵士が鎖を引っ張った。
「ぐうううっ!!!」
また足が宙を浮く。
やばい…本当に…これ…じゃあ…
意識がふわりと軽くなるのがわかった。
ガシャン!
音を立ててまた床に投げ落とされた。
激しく咳きこむ。
「この期に及んで人をからかうとはいい度胸だな。
意地でもしゃべらないつもりか?」
椅子から離れ僕の前までつかつかと歩いてくると
次の瞬間、僕の頭を思い切り踏みつけた。
「素直に答えれば生かしてやっても良いんだぞ。なぜ本当の事を言わない?」
全部本当のことなのに…
でもヘタに歯向かえば…つぎは…
「そう言えば先ほど、親は医術者だとか言っていたな。
親の名前はなんだ?」
どうせ答えたところで許しなんかあるものか。
わかってはいたが
頭を踏みつける足の圧力が上がったので
しぶしぶ答える
「射川守。」
「イカワマモル?なんだ、その妙な名前は。やはりこの土地のものではないな。
では師匠はだれだ?」
「は?」
師匠?医療技術を教えた人の具体的な名前などしらないし
親の出身校を名乗ったってこの人にとっては答えにならないだろう…
「んん?」
突然中年兵士がひざを付いて僕の手を取った。
僕の指輪を見ている。
「…これは…」
みるみる中年兵士の顔が青くなっていくのが見えた。
僕の頭に乗せていた足をどけると
じりじりと後ずさりを始めた。
今度は一体なんだっていうのだろうか。
「魔術師を捕まえたというのは本当か?」
そこへ誰か一人部屋に入ってきたのが中年兵士の肩越しに見えた。
顔を上げてその人物を確認しようとした。
次の瞬間、僕は叫ばずにはいられなかった
「入間!!」