第五章:記憶の涙
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「待ってー!!」
そう叫びながら少年を追いかけた。
少年は人ごみを縫うように走り抜けどんどん先へと進んでいく。
なんとか見失わないように少年の後を続く。
やがて少年は小さな路地のほうに曲がりこんだ。
僕も路地を曲がる。
かなり細い道で、大人一人通り抜けるのがやっとの狭さだ。
そこを少年を追いかけ全力で掛けてゆく。
日が沈んで明かりがないせいか暗くて何度も
少年を見失いそうになる。
細い路地をあちこち曲がりくねって
たどり着いたのは袋小路だった。
あれ…
少年がいない。
なんてことだ…見失ってしまったようだ。
困った…
息を切らせながら焦って辺りを見回すが近くに人らしき気配はない。
どこかで遠くで赤ん坊の泣き声が聞こえた。
お金なんてどうでもいい!
それよりあのバイオリンだけは返してもらわないと!!
別の道か?!
袋小路を背にしてもと来た道を戻ろうとしたところで
誰かに思い切りぶつかり
思わず地面に倒れこむ。
ふわりと明かりが生まれた。
ぶつかった人物がランプに明かりをともしたのだ。
逆光で人物の顔はよく見えなかったが
僕よりも大柄な男性だということはわかった。
「あ…すいません」
慌てて謝る
「出せ!」
いきなり怒鳴られ驚く
「え?」
「さっきの薬湯だ!まだあるんだろ!!出せ!」
そう言って男は手を差し出した。
しかし水筒の中身は女の子に全部飲まれてしまったので空である。
困惑していると男の影の後ろから先ほどの少年が顔を出した。
「あ!バイオリン!!」
思わず叫ぶ。
「これを返してほしければさっきの薬湯を渡せ!」
少年も男に続いてバイオリンを抱えながら大声で怒鳴った。
「…あげたいのはやまやまだけど…もうないんだ。全部飲んでしまって…」
「なんだって!こいつ!!」
大声で怒鳴ると男は突然僕の襟首につかみかかってきた。
「よせよ!アリノミ!」
男の後ろからもう一人、背がひょろっと高い青年が現われた。
次の瞬間襟首をつかんだ手が緩み
僕はまた地面にしりもちをついた。
「この人はきっと話せばわかってくれるよ」
僕の前までくると少しかがんで僕に手を出した。
「乱暴なことをしてごめんなさい。でも僕らの話を聞いてほしくて…。」
差し出された手をとると僕はそっと体を起こして立ち上がった。
「話は聞きます。ですがどうかそのバイオリンを返してはいただけませんか?
とても大切なものなんです。」
少年が大事そうに抱えているバイオリンを見ながら慎重な言葉遣いで言った。
「…わかりました。ジニア!」
ジニアと呼ばれた少年はゆっくりとこちらへ近づくと僕にバイオリンケースを差し出した。
ほっとしてケースを受取る
「ありがとう」
良かった。
これは本当に大切なものだ。
お金には変えられない。
バイオリンケースを肩に引っ掛けた。
「で、話ってなんですか?」
一安心したところで彼らのほうを向き直って言った。
「まずは自己紹介をさせてください。僕はメグサ。」
背の高い青年は自分の胸に軽く手を当てて挨拶した。
「それからこっちが弟のジニア」
バイオリンを盗んだ少年を指差す
「で、こっちが次男のアリノミ。」
ついで大男を指差した。
みんな兄弟だったんだ。
「僕は射川竹人です。」
なんでこんなところで自己紹介をしているのか
今の環境に何かしらの違和感を覚えたがとりあえず自分の名を名乗る。
「え?イカワタケト?珍しい名前だなぁ…」
メグサは僕の名前と苗字をつなげて読んだ。
少々目が慣れてきた。
ランプの光で少年の顔が照らし出される。
すらっとした体系。
服装はやはり他の町民と同じくヨーロッパの民族衣装のようだったが少し薄汚れていた。
少しやせ気味のようだ。顔も少し頬がこけている。
目つきは少々鋭い。
「あなたはカンナの目を治しました。
どうかその力で僕たちを救っていただきたいのです」
軽く頭をさげたのはお辞儀のつもりのようだった。
「カンナ?ああ、さっきの…。
目ってあの紫の瞳の?」
「そうです。
カンナの心は壊れていました。
ですがあなたが飲ませた薬湯でみるみる色を取り戻したんです。」
「え?ちょっと待って。心が壊れるってどういうこと?」
「先日カンナの目の前で両親がケンタウロスに襲われ死にました。」
ケンタウロス?
町の女性たちが言っていた草原で会った半馬人のことだろうか。
「心が壊れてカンナは笑うことができなくなっていました。
笑おうとすると心に強い痛みが走る病気です。」
そんな病気始めて聞いた。
と言うか“心に激しい痛み”ってなんだろう。
「ですが、あの薬湯を飲んだ後、みるみるカンナの顔色はよくなり
笑顔を取り戻していました。それに瞳の色も元に戻っていましたし、
どう考えてもあなたの仕業としか思えません。
あなたは医術者ですか?それとも神のお使いの方でしょうか?」
「……」
言葉に詰まった。
僕は医者でも神でも何でもない、ただの中学生だ。
心の中で答える。
ただのカモミールティーを飲ませただけで
病気が治ったといわれても…。
「早速だけど案内したいところがあります。
こちらへ…」
そう言って手のひらを上に向けて路地の奥を指した。
どうやらこの現状では彼らに従ったほうがよさそうだ。
軽く頷くとメグサの高い背を見上げながら後ろに続いた。
その後から先ほどのジニアと呼ばれた少年と大男のアリノミもついてくる。
僕が途中で逃げださないようにしているつもりだろうか。
しかし困ったものだ。
きっと同じような症状の病人のところに連れて行かれ
治せといわれるんだろうが…当然治せる訳がない。
もし治せないと知ったら彼はどうするのだろうか。
ふと、メグサの腰紐に目が行った。
服のしわで少し見にくいがそこから少しだけナイフの柄が飛び出ていたのだ。
一瞬気が遠くなる。
「早く行けよ!」
足が止まりそうになったところをジニアが背中をポンと押して先に進むよう促した。
-2-
細い路地を暫く歩いたところで古びた長屋のような住宅がいくつも続く場所へ出た。
家の作りは玄関のドアがなく家の中は丸見えで、
椅子に座ってこちらの様子を伺っている老人や、赤ん坊を抱っこしている小学生くらいの女の子、
言い合いをしている夫婦などが見えた。
「ここだよ」
長屋の一番奥にある家の玄関前までくるとメグサは足を止めた。
玄関の奥から幼稚園児くらいの小さな男の子が顔を出した。
煤かなにかで顔が真っ黒に汚れている。
「ホクシア、母さんは?」
メグサは男の子に問う。
ホクシアと呼ばれた男の子は僕を見て一瞬驚いたように目を見開いたがすぐさま表情を戻し
メグサの質問に小さなあどけない声で答えた。
「上だよ」
その言葉に納得したようにメグサはこっちだよ、といいながら僕を家の中に迎え入れた。
石造りの暗い部屋だった。
玄関の入り口をくぐると、遠慮深げにお邪魔しますと言いながら
室内をぐるりと見渡した。
ランプの光がなければ何がどこにあるかわからないような状態だったが
オレンジ色の光に照らし出された室内は荒れ放題に散らかっていた。
誰も掃除をしようとしないのだろうか?
やがて室内の狭い廊下をぬけると奥に急な傾斜の狭い階段が現われた。
メグサは一度立ち止まり、振り返って僕の顔をみた。
そして小声で言う。
「あなたに治してもらいたい人がこの上にいます。
私の母です。
私の母もカンナと同じ病気です。それもカンナより重症で今は寝たきりです。」
そこまで言うとメグサは顔だけでなく体もこちらへ向きを変えた。
そしてさらに沈んだ声で言う。
「父を…父をケンタウロスに殺されました。母もそのとき重症を追ったのですが
今は体のほうは完治しています。
ですが…心が戻りません。
どうかあなた様に治していただきたいのです」
様付けで僕を指すと真っ直ぐな鋭い瞳で僕を射る様に強く見据えた。
そこには強い願いと淡い希望がこめられているようにも見えたのだが…しかし…
僕は思い切って決心したように一度軽く息を飲んで答えた。
「もし僕に治せなかったら?」
すると突然メグサは鋭い笑みを浮かべて見せた。
「もちろん、あなたを殺します。」
何故だろう。
何故そんなに嬉しそうな顔をするのだろう。
僕はぞっとせずにはいられなかった。
背筋に悪寒が走る。
「なんで殺されなくちゃいけないんですか?」
と、次の瞬間銀色の光が現われたかと思うと首につめたい感触を受けた。
先ほど腰に挿していたナイフの刃だ。
恐ろしいほど冷たく低い声でメグサは答える。
「カンナを治せたんだ。つべこべ言わずに俺の母親も治せ」
鋭く冷たい瞳になぜかしらの笑みが浮かんでいた。
何故こんなときに笑えるのだろうか。
と、突然僕の左手首をつかんで持ち上げた。
「この指輪をして白を切るのはやめてくださいよ、先生」
先生?
「これは神宮の指輪でしょ。あんたを殺さなきゃ俺ら全員が皆殺しだ。
だから殺すって言ってるんですよ。わかりましたか?」
もはや興奮して乱暴な言葉と敬語が入り混じっている。
指輪がどうだのと言われても正直こまる。
いつの間にか付いていた、と言っても今の彼には通じないだろう。
正直わけがわからない。
そもそも何で自分がこんなところにいるのかさえ解らないのだ。
ここが映画のセットでない事はわかった。
だがしかし…どうすればいいのかは依然として解らないままだ。
ガラスのような羽の蝶、半馬人、不思議な瞳の色をした民族衣装の町民たち…
針のない時計、小指の指輪……
何かファンタジーの世界にでも紛れ込んでしまったのだろうか…。
どうする?!
従うしかないのか…。
数秒間の中、僕の頭はフル回転していた。
このままではメグサに確実に殺される。
それともこの世界で殺されることによってもとの世界に戻れるのか?
いやしかし、もし、そうでないとすると…。
………。
さぁどうする?どうすればいい?
何が一番正しい?
何が一番正しいんだ?!
「わかりました」
僕は静かに答えた。
「薬湯はもうありませんがこの音色で救えるか試してみます。
これは神より授かった楽器です。
この音色を聞けば誰でも多かれ少なかれ心に癒しを得ることができます。
ただ…」
そこで言葉を切る。
「ただ?」
メグサがイラついたように言葉の先を求める。
「この音色で効果がなかった場合、神の意思に従えという意味になります。」
「どういうことだ」
「僕は神様じゃないから人の運命は決められません。審判を仰ぐ事が出来るというだけです。」
すると突然メグサは床にひざを付いて倒れこんだ。
「なんだって…。
神の審判だって?ケイローン様は母を救ってはくれないというのか?!」
メグサの声はかすかに震えていた。
予想以上だ。
当然これは僕の適当な作り話だったのだが
メグサは真剣に悩みこんでしまっている。
申し訳ない気持もいっぱいだがこちらも命が掛かっている。
指輪の話をしたときメグサは“神宮”という言葉をつかった。
半馬人が存在する世界だ。神さまがいたってなんらおかしくない。
だったら自分が神様の使いという事にすればメグサをうまく言いくるめると思ったのだが
作戦は功を奏したようだった。
「じゃあ行きましょうか」
今度は僕が階上を目で仰ぎメグサを促した。
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細い石造りの階段を上りきるとさらに細い廊下が建物の終わりまで続いていた。
両端には扉のない部屋の入り口がいくつもある。
メグサに続いて僕、ジニア、アリノミ、そして玄関にいたホクシアが続いてやってきた。
やがて一番奥の左手の部屋の前まで来てメグサは足を止めた。
「母さん、起きてる?お医者様を連れてきたよ。」
今まで聴いたことのない明るい声を出すとメグサは僕の手を引っ張り
部屋の中へと案内した。
部屋は思った以上に広かった。
石で出来た薄暗く四角い部屋。10畳くらいはあるんじゃないだろうか。
入り口から真っ直ぐ奥に行ったところに小さな窓とベッドがあった。
窓には小汚いカーテンが乱暴に掛けられていて、
ベッド脇には箱のようなものが置いてありハンドタオルのようなものが山のように
積んであった。
他に家具らしきものは見当たらない。
「母さん、起きてる?」
メグサは僕の手を引きながらゆっくとベッドへ近づきもう一度問う。
ベッドには女性が横たわっていた。
布団は掛かっていない。
灰色のワンピースのようなものをまとい、
天井の一点を真っ直ぐに見開いた瞳で見つめていた。
頭の両端にはハンドタオルが添えてある。
彼女の様子を見て思った。
本当に重症なようだ。
誰が見てもわかる。
恐ろしいほどに真っ黒な瞳はもはや何も見えてないのではないか?
しかし、先にも言ったとおり僕は神様じゃないし医者でもない。
到底彼女の病気を治すなんて無理に決まっている。
メグサはいとおしそうに目を細めベットに横たわる母親を見つめた。
しかしそれに対して返ってくる反応は何もなかった。
少しの間メグサは母親をじっと見つめていた。
その冷たい光景が
僕の胸を締め付けていた。
「じゃあ、初めてください。」
メグサは優しい言葉を僕に掛けたが目つきは相変わらず鋭かった。
「ちょっと失礼。風通しを良くしないと。」
そういいながらカーテンに手を掛け布をめくった。
窓の向こう側は真っ暗だった。
すると…水の流れるような音が聞こえた。
もしや!
「この下は川なんですよ」
メグサが言う。
よっしゃー!!
思わず心の中でガッツポーズをする。
当然病気を治せないのは自分が一番わかっている。
このままでは確実に殺される。
演奏している間に隙をついて逃げるつもりなのだ。
だとしたらこの窓から川に飛び込めばいい。
音からして流れが少し急なような気がしたが
むしろその方が都合が良いのかもしれない。
「じゃあ、演奏の準備をするので少し離れてください。弓が当たると危ないから」
そういいながらメグサを入り口で立っていたジニアたちの方に行くように促した。
一瞬メグサが僕を睨んだが言われるままに入り口のほうへと戻っていく。
よしよし…。
今だろうか?!
今抜け出せば!!
ふとベッドの女性の顔に目が行く。
見開いた真っ黒な瞳から何かが零れ落ちるのが見えた。
「え?」
「心の記憶がこぼれているんです」
「心の記憶?」
「笑顔でいたときの記憶が涙になって零れ落ちて行ってるんです。」
何故だろ、悲しげなメグサの表情を見て胸が苦しくなる。
よく見ると彼女の枕元においてある両脇のタオルがぐっしょりと濡れているではないか…。
これは全部笑顔でいたときの記憶とやらがこぼれた跡なのだろうか…。
ベッド脇の箱にはぐっしょりとぬれたタオルが山積になっている。
そうか…。
これはお母さんの笑顔の記憶がこぼれたものだったんだ。
胸が痛い。
本当にこのまま逃げていいのだろうか。
心拍数が上がる。
心が動揺している。
自分が激しく動揺している事に気がつき息を飲んだ。
逆の立場になって考えてみたら
とてもじゃないけれど心が押しつぶされそうになるだろう。
もし自分の母親がこんな状態になってしまったら?
違う。
これは僕の母親じゃない。
違う。
違う…。
けれど…
けれど……。
胸が痛く息が苦しい。
何が一番正しいんだ?
もう一度自分に問いかける。
何が一番、
自分が後悔しないでいられる道なんだ?
バイオリンケースのベルトをぎゅっと握り締めた。
このバイオリンは何を望んでいる?
何を?
僕は、そっとしゃがみこむとバイオリンケースを床に置き
演奏の準備に取り掛かった。
正直これで治せるなんて思わないけれど
カンナの笑顔を思い出す。
僕が演奏中すごくはしゃいでいて、
最後には笑顔を見せてくれた。
音楽には人の心を癒す力がある…よく母が言っていた言葉だ。
現にそれで心癒され救われた人を僕は知っている。
バイオリンを構えた。
僕は医者じゃないし神様でもない。
けれど、
だから、僕に出来る事なんて限られている。
僕が今できる事は、こんな事くらいしか…。
弓を弦に引っ掛け、演奏を始めた。
マスネ作曲「タイスの瞑想曲」
ゆっくりした穏やかなテンポの曲だ。
昔これを病院に慰問した時弾いた事があった。
ちょうどメグサと同じような頃合の女性がいて
大変心が癒されたと喜んでくれていたのを思い出し
この曲を選曲した。
これが少しでもメグサの母親の耳に、そして心に
ほんの少しでいい、
少しだけでもいいから響いてくれたのなら…
そして、少しでもこの涙を止めることができたのなら…。
気がつくと僕は演奏しながら涙を流していた。
何故だろう。
悲しくも、メグサの母親に対する気持ちが溢れてとまらない。
少しでも、
ほんの少しでもいい、
ほんの少しでもいいから!!
旋律に僕の想いが重なり織り込まれてゆく。
もし本当に僕が医者だったら、
神様だったら
間違いなく適切に彼女の症状や苦しみを和らげてあげられるのに、
それが僕にはできない。
ただ、こうやって
想いをのせてバイオリンを弾くことしか。
それだけしか、
でも、
それだけでも
それだけでもいい。
それだけでもいいから…!
最後の高音の一音をビブラートさせながらできるだけ長く、
長く引き伸ばして演奏を終えた。
構えたバイオリンをゆっくりと肩からはずし
息を飲んだ。
母親は依然、天井の一点を見つめたままだった。
やはり僕に出来る事なんて
何もなかった?
これで僕の命も終わりなんだろうか。
だが、
最後に人として、僕が出来るせめてもの事をしたのだから
最大の後悔はしなくて済んだかもしれない。
もし、演奏しないで窓から逃げていたら
命は助かったかもしれない。
けれど一生後悔をしていたに違いない。
そう確信したから僕は逃げずバイオリンを弾いたんだ。
もう後悔なんてない。
そっと俯くと
メグサがこちらに駆け寄ってくる音がした。
ああ…
これで終わりか、と思うと次の瞬間にメグサが叫んだ
「母さん!!」
思わず僕は閉じた目を開く。
メグサが母親の枕元に立ちじっと表情を見張っている。
そしてもう一度母さん!と叫んだ。
するとジニアとアリノミもホクシアもメグサとはベットの反対側の枕元に駆け寄り
母親の様子を必死で見守っている。
次の瞬間、かすかに聞き覚えのないか細い声が震えるように聞こえてきたのだ。
え?
思わず僕もメグサの横に立つ。
今までずっと天井の一点を見つめていた母親の視線が
メグサのいるほうへ移動しているのだ。
まさか?!
「お母さん!わかりますか?!」
僕は思わずメグサの母親の顔を覗き込んだ。
するとなんと細く、静かに
微笑んだではないか。
人形のように凍てついていた表情が水に溶けた氷のように
僕に微笑み返したのだ。
「母さん!!」
子供たちは表情を取り戻した母親に抱きついて声を上げて泣きだした。
にこりと微笑んだ母親の瞳は次の瞬間
朝日が光を差したように紫色の宝石のように輝きだしたのだ。
奇跡だ!!
僕も思わずつられて泣き出す。
たった今会ったばかりの人の表情が戻っただけなのに
なんでこんなに嬉しいんだろう。
うん、嬉しい。
嬉しいことじゃないか。
嬉しすぎる!!
四人の子供たちとそれに混じって泣く僕を母親は嬉しそうに
上半身を起こすとその両手で子供たちの肩を抱いた。
母親は静かに言った。
「ありがとう。もう、大丈夫よ」
メグサが泣きじゃくりながら母親を強く抱きしめていった
「母さん!!母さん!!」
僕は少しほっとして
彼らから一歩離れたところに立った。
何が効いたのかはわからない。
本当にバイオリンの音色が効いたのだろうか?
音楽療法?
こんな簡単に?
とにかく彼らのお母さんが無事健康を取り戻したんだ。
良かったじゃないか。
正直自分の命が助かったことよりも断然嬉しかった。
涙を袖でぬぐいメグサがこちらを振り返った
「本当に有難うございました!!」
腰を45度曲げてお辞儀をしてみせた。
他の子供たちも口々に泣きながら礼を言う。
僕は嬉しくて彼らににこりと微笑んで見せた。
と、突然外が騒がしくなったことに気がつく。
次の瞬間、乱暴に複数の人間が階段を上がってくる音が聞こえた。