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第九章:消え行くもの

-1-


思わず泣きそうになるのをぐっとこらえる。


かわいい弟が今にも死にそうな顔をして

こんなたくさんの管につながれ痛々しい姿でベッドに横になっていたら

誰だって!!


気がつくと僕は弟の名前を静かに呼びながらその顔に手をそっと添えていた。


肩をぽんと叩かれる。


「竹人、少し落ち着いて」

そう言いながら僕の腕を軽く引っ張ってベッドから少し離す。


『いいんだよ…君の弟さんと僕が瓜二つだから驚いているんだよね?』


キク=カが微かに微笑んだがそれがあまりにも痛々しすぎて

もう僕には止める事が出来なかった。


涙が溢れる。

次々と頬を伝いしずくがぽたぽたと零れてゆく…。


「前もって話すべきだったかな?」

イネ=ノも少し困惑した顔をする。


「イネ=ノは知ってたの?

や…ホントごめん…でも…これ洒落になってないから…」

思わずその場にしゃがみ込んでしまった。

長いため息が漏れた。

持っていたバイオリンケースが一緒に倒れる。

体に力が入らない。


体が軽く震えているのが分かった。


喉の奥が詰まるような感覚がして上手く呼吸ができない。

息が苦しくてめまいがしてくるほどだ。


でも、今は…。


なんで…、

なんで僕は泣いてるんだ…

今はやめてくれ!

頼む!!

涙、止まってくれ!!


そう祈りながらも涙は次から次へと零れ落ちてゆく。

顔を両手で覆う。


暫く沈黙が続いた。


誰も口を開かない。


ただ遠くで微かに水の流れる音がしていた。


少しずつ呼吸が整っていく。


気がつくと涙も止まっていた。


一度、深く息をはいた。


やがてやっとのことで僕は顔を上げ、そっと立ち上がる。


「すみませんでした。弟と重なって見えてしまったもので…」

だが声はまだ涙声だ。


「いいんだよ。こちらこそちゃんと話すべきだった。」

イネ=ノが僕の背中を優しくさすってくれた。


『竹人…こちらへ…。もう一度顔を見せて』


キク=カの、か細くも弱弱しい声が聞こえる。


なるべく二人に気づかれないようにゆっくりと深呼吸すると

再びベッドの脇に立った。


やはり明人だ…。

髪の色も瞳の色も違うけれど、だけど

この顔は…。


『君もイネ=ノとそっくりだ。』

「え?」

思わず両手で自分の頬を触ると、触り慣れた感触を受けた。


「部屋に入ったとき術は解いたから」

イネ=ノがそういいながら椅子を持ってくると僕に座るように促した。

ありがとうと礼を述べて僕はそこにそっと腰を下ろす。


『早速だけど本題に入ろう。

あまり時間が無いんだ…。』


時間が…ない?

思わず息を飲む。


『君の帰る方法なんだがそれは

次元のひずみの隙間、そこから帰れる。

ただ、いつでもその隙間はあるわけじゃない。

次に現われるのは偶然にも明後日だ。

ただ、これを逃すとあと10年、

君の世界で言うと30年は帰れなくなる。

だから一度きりのチャンスだと思ってほしい。』


運よく明後日その扉が開く。

だが逃すと先が長いということか…。


『場所はイネ=ノが知っているよ。』

イネ=ノがこくりと頷いてみせる。


『予言してあげる。君は、』

そこでキク=カは一度言葉を切り

僕の瞳を真っ直ぐに見つめて見せた。


そして再び口を開く。

『君は幸せになるべきだ』


「え?」


『今のは予言だけではなく僕の望みも入っているんだよ』

にこりと無邪気な笑顔を作って見せたが

あまりにも明人と重なってしまいまた泣きそうになるのをぐっと堪える。


「そうだ、竹人。バイオリンを聞かせてあげてはどうかい」

イネ=ノが提案する。

「あ、そうだ…」

立てかけられたバイオリンケースを見た。


そこでふと疑問がわく。


キク=カは何の病気なのだろうか?


見たところかなり重病のように思える。

この部屋自体がまるで集中治療室だ。


だが…今は聞かないほうが良いのかもしれない。


ケースからバイオリンを取り出して構えて見せる。


イネ=ノと同じくタイスの瞑想曲を弾こうかと一瞬思ったが、

なぜか弓を持つ手が止まって動かない。


だめだ…。

のどが詰まるようなそんな感覚があってまた呼吸が浅くなる。


「何を弾いてくれるんだい?」

イネ=ノが促した。


「あ…じゃあ…イネ=ノも知らない曲を」


そういって一度深く深呼吸すると

演奏を始めた。


透明な水彩画のように澄んだメロディ。

風をあおぐ小さな花のように、

ゆったりと穏やかにながれてゆく雲のように、

小鳥のさえずり、

きらきらと輝く光の水面、

ざわめく木々の影に映し出された、少年。


真っ直ぐに見つめるその視線の先には何がある?


蝶だ…

蝶がひらひらと踊っている。


空をダンスしてる。



旋律に流れるように描き出されるその光景。


そう、

この曲は…

明人が作曲したものだ。


同じフレーズが繰り返されたかと思うとやがて解けて形を変える波のような、

そんなメロディ。


それに僕が少しアレンジを加えたものだった。


曲名は「水彩画の蝶々」。


いつかこの曲を二人で合奏しよう。

そういいながら喜んでいた明人だったがその夢はまだ叶ってはいなかった。


そう、

まだ夢は叶っていない。


気がつくと演奏はとっくに終わっていて

僕はバイオリンを下ろした格好で突っ立っていた。


イネ=ノに声をかけられるまで僕はずっとそのままの姿勢で止まっていたんだ。


『竹人、有難う。素敵な音色だったね。

こんな素敵な音色を聞いたのは久しぶりだよ』

明人、いやキク=カは優しく微笑む。

だめだ…

この世界に来てずっと張り詰めていたものが

キク=カと会った事によってプツンと音を立てて切れてしまったようだ。


「竹人、悪いけどそちらの椅子にかけていてくれるかい?診察をしたいのでね。」

そういいながら少し離れたところにある椅子に座るよう促される。


バイオリンをケースにしまうとイネ=ノにすすめられた椅子に腰を下ろした。


視界の先は涙でにじんでいる。


イネ=ノはキク=カの手を取り脈を測っているようだった。

こう見ているとイネ=ノが本物の医者のように見える。


少しの間瞳を閉じた。


ゆっくりと浅くなった呼吸を整えることに専念する。


これは、

…あの人は、

明人じゃない。


顔があまりに似すぎていて動揺しているんだ。


そう…

あの光景と重なってみる。


闇の中で連続的なコール音が鳴り響く。


医師や看護士が慌しく部屋の中に出たり入ったりしている。


廊下では

僕が一人その様子を見ながらどうすることも出来ずにただ

佇むばかりだった。


ドアが開いた隙間の一瞬を瞳が捉える。


たくさんの医療機器や配線、点滴チューブに囲まれて

呼吸器をつけた弟が横たわっている。


その傍で真っ青な顔をした母親が明人を慰めていた。


僕は…

どうしたらいい?


ああ…

明人が死んじゃうよ!!


僕には何が出来る?


僕に何が出来る?


ねぇ!

誰か答えて!!


誰か!!


ねぇってば!!



静寂とともに闇に包まれる。


医師も看護士も、母も姿を消し

闇の中に浮かぶベッドには明人が眠っている。


そっとその横に立つと

弟の顔を見た。


真っ青な顔をしている。


「…あき…と?」


そっと名前を呼んでみるが反応はない。


体が動かない。


ただただ、

瞳を閉じた弟の顔を静かに見つめることしか出来なかった。



僕には…何もできない。


このままじゃ…


明人は…!!



………と……


誰かが…


…た…と……


僕の名前を…


「竹人!」


名前を呼ばれはっと我に返る。


「竹人、大丈夫かい?」

僕の名前を呼んだのはイネ=ノだった。


気がつくと先ほどの椅子にもたれかかったまま僕は

眠ってしまったらしい。


体が汗ばんでいるのが分かった。


「大丈夫かい?顔色があまり良くないようだけれど…」


「え?」


転寝して悪夢をみていた?

…悪夢…


「もう終わったよ。帰ろう」


顔を上げるとキク=カは先ほどのベッドに横たわったまま

どうやら眠っているようだった。

寝顔まで弟そっくりだ。


ゆっくりと立ち上がるとバイオリンケースを肩に引っ掛けると

キク=カの宮殿を後にした。



帰り道、静かな星空が浮かぶ中、僕はぽつりぽつりと明人の話をはじめた。


「何度も生死の境をさまよっているところを目の当たりにして、

子供のころから弟の死を覚悟した瞬間が何度もある…。


無知だったからちょっとでも弟が発作を起こすとこれで死んでしまうのかも、と

大げさに思ってしまったところもあったけれど…。

最近になって少しだけ症状も落ち着いてきて安心していたんだけど

キク=カに会ったとき、思わず昔の事を思い出してつい動揺して…。」


イネ=ノは黙って話を聞いてくれていた。


「ただ、僕のあんな姿を見せてしまいキク=カには本当に申し訳なかったと思う…」

「それは心配しなくていいよ。キク=カのことだ。それぐらい分かっていたと思う。

だから大丈夫だよ」

歩く僕の肩に手を置いて見せた。


「あの…あそこでは聞けなかったんだけど…

キク=カは何の病気なの?」

肩に乗った手がするりと外される。


「神様でも病気になるんだね」

するとイネ=ノは突然歩を進める足を止めた。

「イネ=ノ?」

数秒黙り込んだ後

ゆっくりとイネ=ノは口を開いた。


「人を殺したんだ」


「え?」


-2-


「今…なんて…」

聞き返さずにはいられない。


「大神の怒りをかい、あのようなことに…」

イネ=ノは下をうつむいてなぜか悔しそうな顔をした。


やはり聞くべきではなかったのだろうか…。


何も言えず僕も黙り込んでしまう。

これ以上詮索しないほうがいい。

僕もあまり体調がよくない。重い話を受け止めるほどの元気は余っていなかった。


「この川の向こうは銀河系の中心なの?」

話題を変えることにした。


突然話をころっと変えたので一瞬イネ=ノは驚いた顔をしたが

またすぐにあの穏やかな笑顔に戻る。


「そうだよ。この先にも宮殿がある。」

「すごいね。じゃあ銀河中に宮殿があってそこにそれぞれ神様がいるんだ。」

「ああ…全員に会った事はないけれど星座や場所によっていろいろと勝手が違っていて

行ってみるととても面白い。

星が全部迷路のような造りをしているところがあってね、

宮殿も迷宮で行くたびに道が変わるからいつも迷ってしまうんだ。」


「面白そう!でも急ぎのときは困るね」

笑いながら再び出口に向かって歩き始めた。


「あとは全てが水の中にある世界とか色々あるよ。

竹人の帰る日がもう少し先だったらいくつか案内できたんだけど…

明後日には帰ってしまうのか…

寂しいよ。」


たしかに…

ここでの3日間は非常に濃厚なものだった。

もう二度と経験する事はないだろう。

この夢もあと2日で終わろうとしている。

終わりが近づいていると感じるとやはり名残惜しくなってしまう。


「僕もだよ」



風の道を通り抜け射手座の宮殿へと舞い戻ったころには

空はすっかり暮れていた。


今日は日がたつのが早く感じる。


僕の部屋につくと

イネ=ノは僕の肩をぽんと叩いて見せた。

「疲れているだろ。少し休むといい。

僕はもう少しだけ仕事が残っているからそれを片付けてくるよ。」


夕食はまた一緒に食べようと言うとイネ=ノはまた姿を消してしまった。


ベッドの上に着替えが置かれいたのでそれに着替える。

「お疲れ様です。キク=カ様の宮殿はいかがでしたでしょうか?」

アキレスがお茶を持って現われた。


「ああ…アキレス。うん、宮殿によってずいぶんと勝手が違うんだね。

うさぎが門番をやっていたのには驚いたよ。」

「うさぎ?」

アキレスが驚いた表情を見せる。

ああ…アキレスは行ったことがないのか?

「そう、うさぎ。最初木の彫刻かと思ったら近づいたとたん突然動き出してね、

いやー、本当に驚いたよ」

するとアキレスは突然目を逸らし考え込むようなしぐさをして見せた。


「アキレス?」


「あ、いえ…珍しいなと思って…僕も会ってみたい」

ハハハと笑うとテーブルの上にティーセットを準備してみせた。

ティーポットもティーカップもガラスでできていて

ティーポットの中には何かキラキラと輝く宝石のようなものが

たくさん入っていた。


「今回はこちらの宮殿でよく飲まれているものをお淹れしました。

どうぞお召し上がりください。癒されますよ。」

「ありがとう」

ティーカップからきらきらなお茶が注がれた。

一口、口をつける。


「おいしい!!」


見た目は宝石箱をひっくり返したようなまばゆい液体で

正直味は期待していなかったのだが…

ほんのり甘く、微かに青りんごのような甘酸っぱい香りがする。

僕のその様子を見届けるとにこりと微笑み、

アキレスはごゆっくりといいながら部屋の外へ出て行った。


さて…イネ=ノが帰ってくるまで少し時間がありそうだ。


あ…そうだ

帰る前に宿題でもやっておこうかな。


ずっと置きっぱなしになっていた学生かばんをひっぱりだしてくると

教科書とノートを広げた。


久しぶりの勉強だ。


キク=カやイネ=ノの事を考えると

思わず手が止まりそうになったが軽く頭を振って勉強に神経を集中させた。


どれくらい時間がたっただろう。

もう何時間もたっているような気がする。


気がつくと復習を終え予習もかなり進んでいた。


これ以上は参考書がないと解らないや…。

切りのいいところで手を止め勉強道具をかばんにしまった。


明後日には帰れる…。


もちろん少し寂しいところもあるが正直早く帰りたくて仕方がなかった。


かばんの中に携帯電話を見つけるとそれを取り出す。


開くとやはり時計は止まったままだし電波は圏外のままだ。

しかしメニューや他の機能は普通に使える。

それに一度も充電していないのにバッテリーが減る気配もなかった。


画像ファイルのフォルダを開く。

そこには携帯のカメラで撮影したたくさんの画像が納められている。


庭に咲いた花の写真、

旅行に行ったときに撮った高原の写真、

入学式のとき撮った学園の写真、

ピアノに寄りかかった明人の写真…


カメラのレンズに満面の笑みを向ける明人…。


明人…。


「ああ…本当だ…キク=カにそっくりだね」


突然声が降ってきた。


いつの間にかイネ=ノが後ろに立っていたのだ。


「それはなんだい?」

携帯を指差して不思議そうに小首を傾げて見せた。


「これは携帯電話だよ。

えーっと…これを使って遠く離れた人と会話ができるんだけど

他にもいろいろと機能があって、写真を撮ることも出来るんだ。

こうやって…」

カメラの撮影モードに切り替え

室内を撮ってみせた。


「おお…これは面白い!

視覚的な記憶を焼き付けるようなものかな?」

「う…ん。

まぁ、そんなところかな?」

神様にカメラの機能説明をしている自分がなんだかおかしく感じた。


「あ…入間…アキレスにそっくりさんの写真もあるよ!」

フォルダーの中を検索する。


「おお…本当だ」

イネ=ノも楽しそうに画像に顔を近づけて見入る。

「すごく面白いやつでバイオリンもうまいんだ!

僕よりうまいよ」

「フフフ…アキレスのそっくりさんがバイオリンを構えて弾いているのかと思うと

なんだか不思議な感じだね。

アキレスはあれでいて実は楽器演奏が苦手でね」


やっぱりあべこべなんだ。

こちらの世界と僕の世界、

顔が似ていても性格が一致するとは限らないようだ。


「これはみなとみらいの夜景」

横浜のビル群の夜景写真だ。

「“みなとみらい”?なんと美しい…」

「僕の世界にはこんな高い建物がたくさん建ってるんだよ。

夜景も綺麗でね…イネ=ノにもぜひ生で見せてあげたいくらいだよ…

あ、そうだ。

イネ=ノが僕の世界に行く事は出来ないの?」

「…そうだね…ぜひ行ってみたいとは思うが…

おそらく一度行ったら戻ってこれないかもしれない。

君がこちらの世界にこれたのも奇跡みたいなものなのだろうから…」

イネ=ノは真面目に答えて見せた。


「そもそも次元が違うからね。

宮殿から宮殿に飛ぶのとは訳が違う。

行けるものなら行ってみたいとは思うが…

今回帰り道を見つけられたのもそれこそ奇跡に等しいかもしれない。

キク=カは今回を逃してもあと10年後にまたチャンスが訪れるとは言ったが…

果たしてそんなに簡単なものだろうか…」


正直僕にはわからない話だった。

奇跡を越えて僕はこの世界にやってきた。

自分が心のそこから望んでいたのなら軌跡が起きた!と喜んでいたかもしれないが…。


「おや、この女性は?」


携帯カメラの望遠で撮ったためかなりぼやけているが

ホールでグランドピアノを弾く少女の写真にイネ=ノが反応した。


「あ…これは…僕の母がピアノ教室をやっていて…そこの生徒さん。

天妙寺秋桜ちゃんって言うんだ」

何だろう…その名前を口にして照れている自分がいた。


「テンミョウジコスモス…」

イネ=ノが名前をつぶやいてみせる。


もしや女性の好みは僕と同じなんだろうか?

思わず次の写真に画像を進めた。


「そうだ…竹人に一つ頼みたいことがあるんだけどいいかな?」

「え?なに?」

「明日僕と一緒に来て患者の前でバイオリンを弾いてみてほしいんだ。

村人と同じように心に病を抱えていてね…

残念ながらキク=カは症状が違うから効果が見られなかったけど

もしかしたらと思って」

「いいよ」

快く話を受ける。

「僕なんかのバイオリンで誰かの病気が治るんなら

いくらだって弾いてあげるよ」

「ありがとう」


そこで扉の向こうから上品なノックが聞こえた。

失礼しますといってアキレスが入ってくる。

「食事はいかがしましょう」

「ああ…じゃあ…庭で頂こうか」

「かしこまりました」

軽くお辞儀をして一度アキレスは部屋から出て行った。


「庭で星や花に囲まれての食事も綺麗だよ」

そういいながらイネ=ノはソファからそっと立ち上がると

僕を庭へと案内した。


「そうだ…キク=カからもらった花の種…

もう間に合わないなぁ…」

「ああ…そういえば…」

昨日キク=カからもらったガラスの金平糖のような花の種のことだ。

「持って帰っても大丈夫かな?」

「うーん…どうなんだろうか…」

イネ=ノも首をかしげる。

「持って帰っても環境が違うだろうから育たないかもしれないよ。

それに何かしらの悪影響を及ぼしたら大変だ。

申し訳ないけど持って帰るのはやめておいたほうがいい。」

「そうか…それもそうだね…残念だけど。

じゃあ…今この庭に植えても良いかな?

僕は開花を見届けることが出来ないけれどその代わりを

イネ=ノにお願いしたいな」

「解った。じゃあ…こちら側なんてどうだろう」

軽く芝生よような背の低い草が生えている辺りを指していった。

「よし…じゃあ…」

部屋に戻り昨日もらった巾着を取り出すと

小走りで庭に戻った。

ちょうど近くに落ちていた棒切れで種を撒く穴を作る。

「何をしてるんだい?」

僕のその様子を不思議そうに見守りながらイネ=ノが言う。

「種撒くんだろ?」

「ああ…君の世界ではそうやるのかい?

光花はね、こうするんだよ。」

巾着から種を少し取り出すとそれを

空にばら撒いて見せた。


「え?」


キラキラと光は舞い

まるで雪のように静かに土の上に舞い降りて言った。


土がキラキラと光り輝やき、やがてその輝きが少しずつ増してきたかと思うと

まるで光ファイバーのような芽がひょろりと土から伸び始めたのだ。


「す…すごい!!」


思わず手を叩いて喜んだ。


光ファイバーの管のところどころからガラスのように七色に透き通った葉があちこちにでき

少しずつ膨らみだす。


「まるで…魔法でも見ているかのようだよ…綺麗だなぁ…」

「竹人も撒いてごらん」

そういいながら巾着を僕に手渡したので同じように光の種を空に撒いてみせる。

するとそれはキラキラと雪のように舞い、土に落ちて発芽を始めた。

「明後日くらいには開花するんだろうけどなぁ…葉も綺麗だが

花も本当に綺麗でね…見せて上げられないのが本当に残念だよ」

「いや…これだけでも十分満足だよ!

僕の世界にこんな綺麗な植物ないからね」

そう言っている間にも光花の芽は少しずつ伸び葉を増やし続けている。


光花が無事発芽したのを見届け僕らは食事をはじめた。

アキレスが次々にいろいろな料理を運んでくる。

「ねぇ、よかったらアキレスも一緒にどう?いいよね?」

イネ=ノの顔を見た。

「そうだね。人数が多いほうが賑やかでいい」

「ではお言葉に甘えて…」

円形のテーブルを3人が囲う。


「それでね、入間がその犬に油性ペンでまゆ毛書いちゃってさ!!」

気がつくと食卓は楽しげな笑い声に包まれていた。

話題はもっぱら入間がやらかした事や話した内容など。


「本当にユーモラスな方だ。私とは大違いですね」

そういいながらアキレスはサラダを一口食べる。


「本当だよ。入間がいると本当に笑いが溢れる、というよりも

止まらなくなるんだ。奴と出会ってから僕はいつも笑い転げてばかりだよ!」

大げさに両手を広げてみせる。


「で?その犬はどうなったの」

イネ=ノが笑い混じりに聞く。

「それがね、結局飼うことになったんだけどその犬につけた名前が“ずんだ虫”!」

「アハハハハ!犬に虫って!!」

イネ=ノもアキレスも大爆笑だ。

と、突然イネ=ノの顔が青くなるのがわかった。


見るとイネ=ノの指輪がちかちかと点滅しながら光っている。


イネ=ノは勢いよく椅子から立ち上がるとちょっと失礼!と言って姿を煙のように消してしまった。

あまりに突然のことで僕とアキレスをあんぐり口をあけたままイネ=ノがたった今まで

座っていた席を見つめていた。

「…え?イネ=ノどうしたの?」

やっとのことで僕が口を開く。


「あ…おそらく…患者様の病状が悪化されたか何かだと…」

「え?ああ…そうか…」

指輪はナースコールのような役目も果たしているんだろうか。


「イネ=ノ様の事ですからたぶんご心配ありません。

さぁ、それより食事を続けましょう」

そう言って僕のグラスに飲み物を継ぎ足してくれた。


そういえば言っていた。

タブーは冒せないって。

死人を生き返らせる事はイネ=ノにとってタブーだ。

だから、そうなる前に手を打ってしまえば問題ない。

神様のイネ=ノならそれくらい出来るだろう。

本気を出せば死人を生き返らせることが出来るというのだから…。


「ところで竹人様…」

アキレスが椅子を座りなおして言った。

「今日キク=カ様の宮殿へお出かけになられた時うさぎを見たとおっしゃっておりましたが…」

「うさぎ?ああ…木のね。見たよ。」

「ほかに何か変わった事はありませんでしたか?」

「え?変わったこと…といっても…僕にとってはこの世界の全てがそうだから…

なんで?」

するとアキレスはちょっと困った顔をして目線を僕から逸らして見せた。


「キク=カのこと、アキレスも気になるんだ?」

「え?ああ…はい…勿論です。

もしあのお方に何かあれば12星座は機能を失います。

そうなったらどうなるのかと思うとぞっとして…」


「え?…12星座の機能って?」

初めて聞く話だ。


「イネ=ノ様から聞いていないのですか?」

アキレスは慌てて逆に僕に聞き返した。

「…うん…ここの他にもたくさんの宮殿や神様がいるって話はちらっと聞いたけど…

12星座っていうのは初耳だよ。

それって黄道星座のことだよね?」

黄道星座とは太陽の通り道にそって出る星座のことで

占いなんかでもおなじみのあの12の星座のことだ。


「アポロン様より力を与えられた、銀河の中でも特に力の強い12星座の神々のことです。

総称して12星座守護神と呼ばれております。

その12星座守護神が円を囲むようにして結界を作り、銀河の崩壊を防いでいるのです」

「え?崩壊?」

「星と星の間は闇です。

普段はそれで秩序が保たれていられるのですがそれが大きくなりすぎると光や星を吸い込む

巨大な穴になってしまうのです」

ブラックホールのことだろうか。


「もし12星座の結界が壊れたりしたら…。」


なるほど…一つでもかけると結界がなくなるということか…。


ん?まてよ…


「なぜキク=カがいなくなるの?イネ=ノが治療してくれてるんじゃないの?」

「え?…それは…」

言葉を詰まらせアキレスは下を俯いてしまった。

本気を出せば死人を生き返らせる力を持つイネ=ノにも

治せないような病気なのだろうか?


「ねぇ…キク=カの病気ってなんなの?

かなり重そうにみえたけれど…」


「…心が壊れ消滅する病です」

「え?」

“心が壊れる”という表現については以前イネ=ノから話を聞いている。

肉体が壊れるというのと同じ意味だ。

だが…

「消滅って…つまり…それが死ぬってことなの?」

「心の機能が完全に停止します。消滅したも同然です。

ただ体だけは残っています。

ですから…そうですね、死ぬと言っても心だけが死んで体は生きているような

状態になるでしょうか?」

「それは…脳死?」

つまり植物状態ということだろうか?

「でも…イネ=ノなら治せるんでしょ?」

「いえ…ですから…それは、なんとも難しい病でして…」

なんだかアキレスの歯切れが悪い。


イネ=ノが言っていた。

キク=カは人を殺して大神の怒りに触れた。

それが病気の原因と考えるのなら

間違いなく命を落とすような病気なのだろうか…。


そうか…

キク=カが病魔に冒されて行くのをイネ=ノはみているしかないんだ…。

だから僕がキク=カの話題を振ったとき

あんなに辛そうにしていたんだ…。


「じゃあ…もしキク=カの“心”が完全に崩壊したら、

その結界はどうなるの?」

「ええ…ですからそれが解らなくてとても不安なのです。

完全にキク=カ様がいらっしゃらなくなったというわけでないにせよ

やはり意思があるのとないのとでは全然違います。

ああ…申し訳ありません。このようなお話をしてしまい…」

アキレスは席を立ち上がるとわざとらしく片づけを始めた。


「うさぎ」

「え?」

アキレスの手が止まる。


「うさぎって今回のことと何か関係あるの?」

「………」

「たしか…うさぎ座って星座があったよね。

うろ覚えだけど、うん。あったあった。

それとキク=カが何か関係してるの?」


「あ…いえ。」

アキレスの一度止まった手が再度動き出す。


「余計なご心配をおかけして申し訳ありませんでした。

この事はどうか内密に…。できればイネ=ノ様にも伏せておいて頂きたいのです。

ちょっとした愚痴だと思って聞き流してくだされば嬉しいです」


食器などをすべてトレーに乗せると

アキレスはお辞儀をしてそそくさと部屋を出てってしまった。


自分から話を振っておいて…。


とうに冷め切った紅茶のティーカップに一口くちをつけて

僕はため息をついて見せた。


また謎が一つ増えてしまった…。


-3-


結局あれからイネ=ノが戻ってくることはなかった。

僕は用意されたパジャマに着替えると大きすぎるベッドの真ん中に

転がっていた。


なぜか今夜は寝付けない。


キク=カのことが気になってしまうのだ。


それはやはりキク=カが弟と瓜二つだったからだろうか?


キク=カはこれからどうなってしまうのだろう。

アキレスの言ったとおり植物状態に?


思わずぞっとして息を飲む。


まるで自分の弟がそうなってしまうかのような錯覚を

どうしても捨てきれない。


だってそうだろ…

双子…いや、あまりに似すぎていて本当は同一人物なのでは?と

疑いたくなるほどなのだ。


村で会った少女やメグサのお母さんのようにバイオリンでなんとか

治してあげられたらよかったのに…

結局なんの効果もなかった。

それどころか僕自身がキク=カの目の前であんな混乱した姿を

見せてしまって…申し訳ないどころでは済まされない…。


イネ=ノはなんとかして少しでもキク=カの心の崩壊を止めようとしているらしいが…


もしかすると夕食のとき席をはずしたのはキク=カに何かあったから?


ほかにどれだけの患者を抱えているかも解らないし

憶測でしかないけれど、でも…。


心の中で僕は静かに混乱していた。


本当にこの世界に来てからわからない事だらけだ。

そもそも何故僕はここにいるのだろう。


この世界に来てからの一番最初の問いを掘り起こしてみる。


“何故自分はここにいるのか”


どこかで頭を打って大いなる夢を見ているだけという落ちも、

もしかしたらあるのかもしれない。

ただ、それにしてはリアルすぎる。

風や紅茶、食事の香り、味、走ったり転んだりしたときの感覚は

生々しく体に伝わってきている。


夢落ちという選択肢はもうはずしても良いだろう。


では何故、訳もなくこんなところへ来てしまったのだろうか。

この指輪はなんなんだろう。


神様である証のこの石のついた、イネ=ノとおそろいの指輪。


そして僕はそのイネ=ノと瓜二つ…。


たまたま偶然に訪れた、というよりも意図的に僕はここに連れてこられた、

そう考えたほうがはるかに自然のような気がする。


その具体的理由はわからないが、少なくとも

僕がもといた世界と、このイネ=ノの世界を繋げたものがいる。


僕はずっと気になっていたが先延ばしにしていた問題を頭の奥から引っ張り出した。


僕がもといた世界での記憶は学園の石像の前で途切れている。

そう、半馬人の石像だ。

あまりにも偶然過ぎる。

あそこがパラレルワールドへの入り口だったんだ。

とすると、あそこへ導いたのは紅茶をくれた白人、羽鳥翼だ。

そうだ、あの人だ…。

考えてみれば不自然な事だらけじゃないか…。


そういえば「また会おう」って言ってたような気が…。


そうだ、たしかに言った。

間違いない。


ベッドからはいだし僕は裸足のままベランダに飛び出していた。


静寂を引き裂くように僕は叫んだ。


「羽鳥翼!!どこかで僕をみてるんじゃないのか?!

だったらここから出してよ!!

あなたが僕をここへ連れてきたんでしょ!!」


しかし満天の星空は静かに瞬きながら輝くばかりで

何の変化も起きなかった。


「ねぇってば!!」


いきなり冷たい空気を多量に吸ったからだろうか。

少し肺が痛んだ。


「それは誰だい?」

突然背後で声がして思わず飛び上がりそうになった。


まさか!

羽鳥翼?!


とっさに後ろを振り向く。


「こんな夜更けに外に出て…風邪を引くよ?」

その言葉に僕は思わずため息を付いてしまった。


「イネ=ノ…おかえり」

「ああ…それより、どうしたんだい?」

イネ=ノが不思議そうな表情を作っている。

夜中に一人ベランダで大声を出していたら誰だっていろいろな意味で心配するだろう。


「…大丈夫だよ。…ただ少し疲れてるみたいで…興奮して眠れないんだ」


「なるほど。じゃあ、リラックスできる温かい飲み物でも入れてあげようか?」


イネ=ノがアキレスを呼ぼうとする仕草をしたので僕は慌ててそれを止めた。

「待って…その…それよりイネ=ノ、君とゆっくり話がしたいんだけど」

そっとイネ=ノの腕を軽くつかんで見せる。


少し黙った後イネ=ノはゆっくりと分かったといって頷いて見せた。



二人して庭にでる。

もちろん今度はちゃんと靴を履いて。


満天の星空が照明代わりになっていて

屋外も意外と明るい。

ランプの光も星に数えられるくらい、天井の星の光も強い光度を持っていた。


庭の中に小さな小川が流れていて

きらきらと光の道を作っている。


イネ=ノから借りたコートを肩に引っ掛け

二人してゆっくりその川に沿って歩いた。


やがてガラスのベンチが現われたので

そこに二人腰を下ろし天井の星空を見上げた。

天の川のようなものも見えるが全体的に星が空いっぱいに広がっていて

今にも星が零れ落ちてきそうなほど美しかった。

少し風が冷たい。

「竹人の世界でも星はこんな風に輝いているのかい?」


見るとイネ=ノはなんとも切なそうな横顔で星空を仰いでいた。


「うん。ここまで綺麗じゃないけど、僕の住んでいるところでも

明るい星なら見えるよ。オリオン座とか」


「え?」

イネ=ノが聞き返す。


「オリオン座って…こっちにもあるのかな?

すごく綺麗な形をした星座で…」

と、突然両肩をつかまれる。

気がつくとイネ=ノの真っ直ぐな瞳が僕のすぐ目の前にあった。

アメジストの宝石のように美しい紫色の瞳の中に僕の驚いた表情が映っている。


「………え…」

思わず固まってしまう。

「竹人、…君は…」


イネ=ノは言う。


「君は一体何者なんだ?」


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