孤独を吠える
連載中の小説である「Future Night~moon seeker~」の最新話の制作が行き詰まったので気分転換に短編を書いてみました。
短めですので、気楽に読んでください。
私の暮らすフェリチタという街は海が綺麗に眺められるスポットがあることで有名だ。
街の郊外には小さな草原が広がっており、さらにそこから進むと断崖絶壁の崖が下に続いている。崖の高さは250mほどで、麓に広がる海にクルーズ船がいようとも小さく見えるだろう。
また、台風など滅多に訪れない所に国が位置していることもあり海が荒れるなんてことはそうそうない。けどあくまで頻度が高くないというだけで、3年に一度くらいは台風がくる。
それでも海が大荒れになる日は少ないので”海の輝く街”と、このフェリチタの街を呼んでいる地域も多いらしい。
そんな名称はいささか陳腐な呼ばれだと思われるが、この地で30年近く暮らしているおじさんとしてはこれ以上に無い呼び名だと勝手に思っている。
実際、夕方の風景は絶景だ。太陽のオレンジが静かな海に溶け込み、草原に吹く控えめな風がサバンナのような臨場感を醸し出す。
その風景を独占した時は自分がどのような人間であったのかを忘れられ、まるでシマウマになったのではないかと錯覚するほどに優しい気持ちになれる。
世間では水の透明感の際立つ昼間に観光することが常識とされているが、その時間帯の海は私にとってキラキラし過ぎている。太陽の主張が激しいのだ。
であるからに観光客ではない限り草原を夕暮れ時にさ迷う人はいないため、私はさっき言った草食動物の感覚を味わうために週一程度のペースで通っている。
けれど、今日でそれも最後になるのだ。
この名所は夕方には人がほとんどいない。そのため自殺するにも目撃される可能性が低く、ゆったりと死ぬことができるのだ。崖の真下には大洋が臨む環境。死体は発見されないだろう。
万が一に発見されたとしても、フェリチタ一番の観光名所だ。公表しては街としては都合が悪いだろう。
それに私には親もいなければ配偶者もいない。
死ぬにしてはベストであろう。
時刻は16時。いつも通り事務仕事の雑務を終え、真っ先に郊外へと向かう。
カラフルな建造物が集う街並みは、地味な私には刺激が強すぎる。キャンディのようなしつこい色の住宅街は芸術の街であることを示唆しているのか、この街出身の音楽家、絵描き、彫刻家は多かったりする。
けれど私は芸術に理解が薄い、つまらない人間であるためどうでも良い話ではある。
門をくぐり、騒がしい街を後にすると見慣れた風景が私の五感を支配した。
人の作った文明は飾りがあって変にわざとらしい。それに比べこの地は自然のありのままが残されているから心が変にざわつくこともなく、不安定な気分に怯えることもない。
あるのは粗雑に生えてある雑草やほんの少しの木。
余計なものなど必要ないと言わんばかりに夕焼けの空は自然の理に従うように明々なオレンジに彩り始める。
「あとちょっと───」
私の家は貧乏だった。それでも学校に通うことができただけ幸いであった。むしろそれがこの自殺衝動の原因でもあるから、それを幸福と受けとるのは自分でもどうかと思うが。
クラスメイトのみなは優しかった。故に自身が惨めであると私は嘆いていた。こんな歴然とした格差が世界に存在することに涙を流していた。
どうして自分はこんなにも生活に苦しんでいるのだろうと、生徒の幸せそうな姿を見る度に世界を憎んでいた。いつか今を我慢していれば先の人生は報われたものとなるという僅かばかりの希望すら抱くこともできなかったほどに。
私は悪い子だったのかもしれない。
親が死ぬまでに気の利いた感謝の言葉さえも、言えなかった。
無気力になっていたのだ。
どうせ生きていても意味が無いと今の今でさえ強く思っているのだ。
だから就職前に両親が自己で亡くなったと聞いても悲しまなかったのだろう。
つまらない人生であった。
けれどもう続く明日はない。私の人生はこれにて静かに終わるのだから。
「─────」
これより眼前に広がるは人生最期の光景。
…そうなると2分ほど前までは思っていた。
私が自殺する計画の絶対条件は人がいない時に崖から飛び降りるというもの。
しかし目の前には白のワンピースを着た少女が一人、海を前に筆を握って座っていた。スケッチブックを腹と太ももで挟み、地面に置いてあるパレットで絵を描いているのであろうか?その後ろ姿は素直に美しいと思った。
(…この時間帯に珍しい。)
黄金が揺れるロングヘアーは空の色彩を吸収するように発光し、風が軽く吹く度に大袈裟に揺れる華奢なものだった。サラサラとした髪だった。
年は…、二十歳前後だろうか?伸びた足と背中のバランスからモデル体型であると直感した。
(…こんな美女の前で自殺するなど迷惑になるだろう。)
仕方がない、今日は諦めよう。この時間帯じゃないと死にたくないんだ。
宿へ帰ろうと踵を返す。するとその動作にシンクロするように少女は後ろを振り向いた。
(!?)
少女は私の存在を認識すると少し驚いた表情をし、私のまぬけな顔を見つめる。
恥かしい。どうせ死ぬからと使い古した汚いジャケットを着ていたことを悔やんだ。
「こんな時間に人なんて珍しいですね」
そんな私の気持ちを知ってか知らずか少女は小さく微笑んで話しかけてきた。
「本当にそうですね。このくらいの景色が私には調度いいもので、たまに来るんです」
「へーそうなのですか。いえ、つい最近私もこの絶景具合を知りましてね、つい筆を走らせてしまいたくなったんです」
「絵、好きなんですか?」
「ええ。ですから画家を目指しているんです」
少女は照れくさそうに答える。その様子がまた上品なので、金持ちの家のお嬢様なのかと思った。
そんなお嬢さんは頬を夕焼けとは違う、ピンクの色彩に染めて話を続ける。
「私、まだ学生でして家ではパン屋を継ぐように言われているんです。けど、最近、リケル・ルーデンス作の”黄昏時の起床”という絵画を拝見しまして、こんな絵描きになって人々を楽しませることができたら幸せだろうと思ったんです。ねえ、お兄さん?あなたも絵は好きですか?」
「申し訳ない、私は芸術への理解があまりないものでね」
「そう、それは悲しいことだわ。でもね、私もその名画を見るまで芸術というものが何か分かっていなかったの。私、そんな素晴らしい絵を描ける画家になりたいのよ。ねえ、もしよければ私の今描いていた絵を批評してくれないかしら?」
そう言うと少女は一旦地面に置いていたスケッチブックを持ち上げ、トコトコと小走りをして私の元まで持ってきた。
私も芸術が分かれば、また違った人生になったのだろうか?
「どうです、結構頑張ったのですが…」
彼女の手に乗っているスケッチを覗き込む。
───ヒドく歪んだ絵である。
陸地の輪郭がはっきりとしているためまず海が不自然なオレンジになっている。そしてそのオレンジもこれまたヒドイ。明暗を出そうとしているのか、オレンジの所々に黒色が混じってある。けれどおせじにも海には見えない。幼稚園児より少しマシかぐらいの幼稚な出来であった。
「─────」
「やっぱり下手ですよね…」
「いや、そういうほどでも…」
「いや、良いんです。そんなの自覚していましたから…」
少女は空を仰ぐ。もうオレンジだった空は薄暗い夜の始まりを感じさせる色に変わり、月も見え始めていた。
「それでも私は画家になりたいんです、別にパン屋を継ぐのが嫌という訳ではないのですが、やりたいことを積極的に実行しないと人生生きてて楽しくないですから。」
「…、けれど売れない画家にならば両親も心配するでしょう」
「今いまになりたいだなんて思ってませんよ。けど、今のうちにコツコツと努力をしていないと、叶うものも叶わなくなるでしょ?喩え画家になれなくとも、それでも絵を描くことは楽しいですし、それだけで続けている理由は十分だと思うんです。」
「そうですか…、多分もうあなたと会うことはないでしょうが頑張ってください。影ながらに応援します」
「ありがとう、あなた、紳士ね」
そう言い残し、少女は去っていった。
しばらく物思いにふけ、星々が輝き始める頃合いになりようやく後ろを振り向いた。
”当然”少女はもういなかった。
あれからあの子は家に帰って、下手な絵でも描いているのだろうか?
そんなことしてもただ時間を浪費するだけなのに。
きっと彼女は絵描きにはなれないだろう。人には得意不得意というものがあるのだから。
それでもあの少女は愚直に自分の理想のために、手を止めることはないだろう。
それが私には羨ましかった。
どうしたらそんなポジティブに生きることができるのだろう。
自分の成し遂げたい目標が、自分では敵わない壁であるのに、それを分かっていてもなおなぜ彼女は夢を見続けることができるのか。
私には夢というものを漠然としたものですら持っていなかった。それは、彼女からしたら悲しいことなんだろう。
私より短い人生経験で、私より生を謳歌しているのだから。夢ある者は夢無くしては生きていけない。
私には無いものを彼女は全て持っている。
”生きたい”という気力を失ったのはいつだっただろうか。
記憶の整理をするも、自殺願望が習慣的になっていたため、起源は推測すらできない。
「───」
そうだ私は死にたかった。生まれてこのかた生きたいと思っていなかった。夢は生の終わりだったのだ。
そうか、ならばコンディションなんてどうでも良かったんだ。今すぐ死ねば、全ての葛藤を己の魂から断つことができるんだから。
───走る。ただ無我夢中に崖へと向かう。
この死への焦がれがじれったい。さっさと消えてしまいたい。
崖までは少しの距離であったが、早々に死にたかったから急いだ。
「…」
断崖絶壁の崖からギリギリの地点で海を眺める。
海が暗い。
正直その海に落ちるのは恐い。底知れない海に沈むのが堪らなく恐ろしい。
でも死んでしまえばそれも過去になり、全てが無に帰る。
死んでしまおう。さっさと飛び降りてしまおう。
「───…!」
けど、体がこわばって飛び降りることができない。
海の闇は「はやくおいで」と誘っているかのように静かに波立っている。
なのに…。
(どうして、行動できないんだ!!)
私は死にたい。子供の頃から死にたかったんだ。それなのにいざ死ぬという状況になると第六感が「死にたくない」と囁き始める。
どうして、どうして…。
「…」
───、分かっていた。自分にはそんな勇気なんてなかったんだ。そもそも本当に心底死を願っているなら子供の頃とうに自殺していた。当時は両親に迷惑だからという理由で我慢していると思っていた。
でもそれは甘えだった。精いっぱい生きることへの恐怖の表れだったんだ。嗚呼、私は死にたいを抱えながら生きていくのが運命なのだと悟らざるを得ない。
半端者だったんだ私は。死にたいならとうの昔に死んでいた。少女など気にせずに崖から飛んでいた。
それなのに、私がまだ死んでいないのは…。
「自分が人間だからだ───」
夜空の下に、一人の獣が立ちすくんでいた。
それはそれは弱い弱い生き物であった。ここがサバンナなら食い殺されているほど無防備なザマであった。
しかしここは文化の街フェリチタ。文化人の住む街だからそんな野蛮な動物はいない。
彼はただ無気力にこれからを生き、何も成し遂げずに死んでゆくのだろう。
彼はカラの人間。半端に異端な男だったのだから。
たまには短編小説を書いてみるのも良いですね。
本編は4時間程度のクオリティですので、たいして語ることはないですが、言っておくことがあるとすれば、「死ねないから生きるしかない」。それだけのコト。
FNの方ですがもうちょい時間がかかると思われますから、もし楽しみにしてくれている人がいれば気長に待っていてくださいね。
ではでは。