シマウマ罪
昨今の国際情勢の流れを受け、ついに日本でもシマウマがシマウマであることに対する刑事罰が制定された。シマウマ罪は日本国内すべてのシマウマに適用され、被告が自らがシマウマでないということを立証できない限り、すべからく北海道の網走刑務所へと収監されることになる。
法律の施行と同時にまずは全国の動物園のシマウマが検挙され、次には個人がペットとして飼育していたシマウマが標的にされた。私が所属する日本シマウマ愛好会の同士たちも愛するシマウマたちと無情にも引き離され、中にはシマウマを故意に匿ったとして犯人蔵匿罪の罪に問われる者も現れた。
「中島さんの家にもそろそろ県警の手が伸び始めるはずです。気をつけてください。お宅のマドカちゃんに……うちの可愛いシュウタロちゃんのような辛い経験をしてほしくありません」
顔なじみの知人が経営するカフェの端っこで、愛好会の初期メンバである飯塚さんは目に涙を浮かべながらそう訴えた。彼女は携帯を取り出し、逮捕される前に撮影したというシュウタロくんとの写真を見せてくれた。中島さんの家の広い庭に設置された厩舎をバックに、中島さんと十歳ほどの娘さんの間に挟まれる形でシマウマのシュウタロくんが映っていた。陽光を反射して毛艶が光り、白と黒の縞模様には幾何学的な美しさがある。四本の脚には隆々とした筋肉がつき、芸術的な曲線を描いている。そして何より、シマウマは本来気性が荒く、人に懐くことは少ないと言われているにもかかわらず、シュウタロくんは中島さん家族に顔や背中を優しく撫でられ、至極穏やかな表情を浮かべていた。この写真を見るだけでも、中島さんとシュウタロくんの間にあった深い深い結び付きを感じずにはいられなかった。
「突然押しかけてきた警察があんまりにも恐ろしくて……彼らがシュウタロくんを連れて行くのを黙って見ていることしかできなかったんです。シュウタロくんがつぶらな瞳で私を見つめてくるのに心が引き裂かれそうでした。愛するシュウタロくんを守ることができなかった私はシマウマ愛好会の会員として失格なんです。だから、このバッジを、愛好会の中で私が一番に尊敬している中島さんに受け取って欲しいんです」
飯塚さんがおもむろにバックの中に手を突っ込み、中からシマウマが描かれたバッジを取り出し、私の前へそっと置いた。バッジは喫茶店の照明の光を反射し、一瞬きらりと瞬いた。
「中島さんはシマウマ愛好会の創立メンバですし、数十年に渡ってシマウマを飼い続けているのでしょう? それに経済的に苦しいときにも決してお金のかかるシマウマを手放すことがなかったと聞いています。そんなシマウマ愛好会の鏡のような中島さんに、私の分も戦ってほしいんです。心から尊敬している中島さんだからこそお願いできるんです。このバッジを受け取ってください!」
飯塚さんの目からほろりとひとしずくの涙が溢れる。私は彼女に胸ポケットに入れていたハンカチを手渡した後で、差し出された飯塚さんのバッジを受け取った。
「飯塚さんの気持ちは絶対に無駄にしません。私は愛好会の幹部ですが、名簿に名前は載せていませんし、何より私のマドカは人里離れた自宅に匿っています。愛好会のメンバとして、警察なんかには絶対にマドカを渡したりはしません」
私と飯塚さんは互いに力強く頷き、固い握手を交わした。それから私たちは別々のタイミングで店を後にした。私はマドカが待つ自宅へと車を走らせながら飯塚さんの言葉を思い出す。シマウマ愛好会としての意地が試されている。私はちらりと飯塚さんから受け取った会員バッジへ視線をやった。仕事も定年を迎え、妻とも離婚して独りぼっちになった今の自分にとって、このシマウマ愛好会だけが自分の居場所だった。自分が築き上げてきた地位を、シマウマ愛好会幹部としてのプライドを、理不尽な法律などに壊されてたまるか。私は自らを鼓舞するように、深く深く息を吐いた。
一時間ほど車を走らせ、人里離れた我が家にたどり着く。帰ったらすぐに、マドカにご飯を食べさせなければならないし、運動のため裏山へと連れて行ってやらなければならない。しかし、車を降り、砂利が敷き詰められた駐車場に足を着いた時、ちょっとした違和感を私は覚えた。見慣れた駐車場。見慣れた風景。気のせいだろうか。私はそう思い直す。そして車のドアを締め、鍵を使って家の玄関を開けようとしたその時だった。私は玄関横に置いていた観葉植物の位置が、今朝より少しだけずれていることに気がついた。ハッと思い直し、私はもう一度駐車場の方へと振り返る。そしてようやくさきほどの違和感の正体に気がつく。私が乗っている外国車とは別のタイヤ痕、少しだけ移動された植木鉢、誰かに強引にかきわけられた生け垣の跡。別れた妻やそれほど仲良くもない子供たちが、この家にわざわざやってくるはずがない。そうだとすると、考えられる可能性は一つしかなかった。
私は慌てて家の中に飛び込んだ。幸いにも家の中には人が入った形跡はない。おそらく警察は下調べに来ただけなのだろう。しかし、下調べが済んだとなれば、次は令状と檻を携えてやってくるということを意味する。私は階段を転げ落ちるように駆け下り、マドカがいる中庭へと走って向かった。地下にある特別な廊下と扉を抜け、外部からは見えないようになっている中庭に置かれた厩舎にたどり着く。敷き詰められた干し草の上に寝そべっていたマドカが白と黒の縞模様の顔をひょっこりとあげ、つぶらで丸い瞳をうるませた。
「早く来い!」
私は壁にかけていたリードを首輪につなぎ、慌ててマドカを外へと連れ出していく。どこへマドカを連れていけばいいのかわからない。それでも、警察に知られた以上この場所に留まることはできない。シマウマ愛好会の古参として、なんとしてもマドカを守り抜かなければならない。そうでなければメンツが立たない。私はマドカを引っ張りながら地下を上がり、廊下を抜け、玄関から外へ出た。しかし、私はそこで立ち止まらざるを得なかった。残酷なことに玄関の扉を開けた目の前に立っていたのは、ガタイのいい三人の警察官たちだった。
「中島忠信さんですね。シマウマを不当に匿った犯人隠匿罪の罪であなたのお宅に捜索差押許可状が出ています」
真ん中に立っていた一人の警察官が一枚の紙切れを私に提示した。私が反射的に扉を閉めようとするのを右脇に立っていた警察官が足で止め、私は彼に強引に身体を引っ張られる。マドカの首輪と繋がれたリードが手から離れる。突然の来訪者にマドカが怯えているのが視界の隅っこに移る。三人目の警官がリードを拾い上げ、慣れた手付きでリードを手繰り寄せた。
「待て!! 金ならいくらでも払う! だから、私の大事なマドカを連れて行かないでくれ!」
私は羽交い締めにされた状態のまま叫んだ。警察官は少しだけきまりが悪そうな表情を浮かべ、「お気持ちはお察ししますが、これは国の法律なので」とつぶやいた。私はもう一度大声で叫び声をあげ、がっくりと項垂れた。しかし、その時、マドカを輸送車へと引っ張っていこうとしていた警官が「木下さん!」と声を発した。
「どうした、高橋?」
「ちょっとこれを見てください」
木下と呼ばれた警察官がマドカの方へと視線を向ける。警察官は私達が見ているのを確認してから、ゆっくりとマドカの首元を服の袖でゴシゴシとこすり始める。私の口から「やめろ!」と言葉が漏れる。袖で擦った部分は見る見るうちに色が薄くなり、終いにはこげ茶色の毛が表面上に顕になった。
「これはシマウマではなく……ロバなのではないでしょうか?」
木下がマドカの元へと近づいていき、自分でも同じようにマドカの首元をこすり、改めて白い模様が上から塗装されたものであることを確認した。そして、少しだけ考え込むようにうーんと唸ってから、私を拘束している警察官に向かって、手を離すように命令した。
「ご無礼を働いてしまい、申し訳ございません。これはシマウマではないため、シマウマ罪は適用されず、よって中島さまもまた無罪ということになります。これは我々側の失態ですね」
木下は淡々とした口調でそう述べると、高橋という男に向かってマドカちゃんを中島さまに返してあげなさいと命令をする。高橋は困惑した表情を浮かべたまま、こっくりとうなづき、マドカのリードを握ったまま私の方へ近づいてくる。一歩づつ。一歩づつ。
「違う……マドカはロバなんかじゃない。マドカはシマウマだ」
リードを手渡そうとしてきた高橋に私はかすれるような声でそう訴えた。木下が高橋と私の間に入り、私を説得し始める。
「いえ、しかし……。これはどうみても縞模様を上から塗っただけのロバですし……」
「そんなわけあるはずがない! 私はシマウマ愛好会の幹部だぞ! あまりにも値段が高くて買えないからと言う理由で、私がロバに色を塗ってシマウマを飼っているとでも言うのか、君たちは!!」
私は怒りに駆られるままそう叫んだ。
「早く! 早くそのシマウマを連れて行け!! そいつはシマウマなんだ。だったら、北海道の網走刑務所にぶちこむのが法律なんだろうが!」
「しかしですね……我々も何の罪もないロバを逮捕することはできなくてですね……」
「私はシマウマ愛好会の創立にも関わった幹部だ。今の名簿に載っていない幹部の名前や住所だって知っている」
その瞬間、警官の目がきらりと光った。そして、もう一度だけマドカの方を振り返ると、芝居がかった声で周りの警察官にも聞こえるような声でつぶやいた。
「そこまで言われるとなんだかシマウマのように見えてきましたね……」
そして、困惑する部下二人に目配せをすると、「このシマウマを逮捕しろ」と指示を下す。高橋ともうひとりの警官が戸惑いながらも指示に従い、そのままマドカを輸送車を停めている駐車場へと連れて行く。
「あの、刑事さん。わかっているとは思うんですが……」
「ああ、もちろんわかってます。このことはくれぐれも内密にしておきます。警察関係者と、特にシマウマ愛好会のメンバーには」
では、また時機を見計らってご自宅にお伺いさせていただきます。そういうと木下は駐車場へと去っていく。私は全身の力が抜け、その場にしゃがみこんだ。しばらくして駐車場から車の発信音が聞こえてきて、隣接する公道へとマドカをのせた輸送車が走っていくのが見えた。私はその輸送車とそれに載せられたマドカの姿を見送った後、頭を抱えたままその場にうずくまる。そして、胸ポケットに入れていたシマウマ愛好会のバッチを取り出した。
「ああ……良かった!」
私はそれだけ声を絞り出すと、そのバッジを強く強く握りしめた。