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第85話 変わらぬこと

――その日の夜。


 レッスン場から、声が聞こえてきた。

 空いている部屋は自由に使っていいと言っているので不思議ではないのだが、男の子の声が混じって聞こえる。


 たまにグループのバックで踊らせたりすることもあって、練習生といえども知名度はある。そこで、男の子たちが人目を盗んで練習場に忍び込む事件が起きたことがあった。そんなこともあって、山の中に建物を建てて、警備も厳重にしている。


 もちろん、練習生の知り合いの男の子なんかが入って来るような事態になったらスキャンダルものよ。そういうのは、もうコリゴリ。


 慌てて部屋に入る。

 そこには数人の女の子に交じって、マインくんが居た。

 研修期間中だし、とっくに定時で帰っていると思っていたのに。


「なにやってるの?!」


 私の声で、練習生たちの顔が強張った。


「あ、先生。……あ、いえ、社長」


 マイン君がおどおどとした声で言う。


「いいわよ、先生で。社長なんて気持ち悪い。一体、これはどういうこと?」

「僕が無理やり頼んで、歌のレッスンを彼女たちにお願いしていたのです」

「歌のレッスン? あなた歌に興味あるの?」


 そうじゃないとマイン君は言った。もちろん、歌手になりたいとか、そういうことでもないらしい。


「先生がレッスンしているのを見てても、なんだかよくわからなくて。先生がなにを考えているのか、なにを教えようとしているのか、なんであんなに叱るのか、全く理解できなかったんですよ。それで……」


 聞けば、最初に来た日から毎日、遅くまで練習生たちに歌のレッスンを受けていたという。


「ダンスはどうやっても向いてなさそうなんで、歌を」


 ふーん。


「いいわよ。続けて」


 練習生たちは、私に叱られると思ったんでしょうね。あれだけ、他の子を助けてはいけないといつも言っているから。

 黙ったまま、下を向いてじっと動かない。


「どうしたの? マイン君、待ってるわよ。今までのように教えてあげたら?」

「え、あ、はい……」


 私は決して彼女たちがお互いにかばい合うのを、叱っているのではない。もちろん、怒ったりしているわけでもない。

 出来ていないことを、ただ出来ていないと指摘しているだけ。


 しかも、その子「だけ」を叱っているのではない。

 他人が指摘される姿を見て、自分だったらどうするか、自分に直すところはないのかを確認するのに一番わかりやすいから、一番出来ていない子を例にする。

 目の敵にしているのではなく、全員にアドバイスを送っているのだ。


 ぎこちない動きで、練習生たちはマイン君に姿勢を教える。

 そう、私がメイシャに最初に教えたこと。そして、この子たちにも最初に教えること。

 もちろんこの子たちは、既にマスター出来ている。


「どう、マイン君?」

「不思議なんですよね。教えてもらう前と後では、声の出方が変わるんですよね」

「そうね。どうしてかは教えてもらった?」

「あ、いえ。そこまでは……。ただ、とにかく声を出すのが楽しくって」


 こらこら。私は笑いかけながら、わざとらしく練習生たちの頭を軽く叩いた。


「マイン君、赤ん坊の時って、どうやって泣いたか覚えてる?」

「えっ。赤ん坊ですか? えっと」

「冗談よ。そんな時のこと覚えてないわよね、もちろん」


 マイン君は苦笑いをした。


「でも、赤ん坊を見てて気づくことない? すごい大きな声で泣くでしょ?」

「ああ、確かに」

「なのに、なんで身体も大きくなって、筋肉もついてる大人が、あそこまで大きな声が出なくなっちゃうかって、考えたことあるかしら?」


 マイン君は首をひねりながらしばらく考えた後、よくわかりませんと言った。


「それはね、大人になってそこまで大きな声を出す必要がなくなるからなのよ。成長するにつれて、知識や知恵を身につけると同時に、いらないものは捨てていくの。でも、もともと人って、生きていく上で必要なものは、全て持って生まれてくるのよ」

「必要なもの……?」


「そう。たとえ体が大きくなくたって、筋肉がなくたって、大声は出せるの。やがて、色んな知識を吸収したり、ものを考えたり、感動したりって能力も身につけるんだけど、それだって生まれた時に、脳というもので、すでに持っているの」

「確かに、そうですね。あ、でも、おれはあんまり頭が良くないけど」


 そう言ってマイン君は苦笑いした。


「そうじゃないのよ。あなたは、必要がないと思っただけ。経済の勉強だって、そんなに好きじゃなかったんじゃない?」

「あ、面白いと思うこともありましたけど……そうですね。そこまで好きだとは思えませんでした」

「じゃあね、人って誰でもたった一つだけ、平等なものがあるけど、わかる?」


 うーん、たった一つだけ……、と呟きながらマイン君はまた考え込む。そして言った。


「時間ですかね。貴族でも平民でも、たとえ王様だって、同じ時間だけ歳を取ります」


「よくわかったわね。そうよ、時間だけは、誰にとっても平等なもの。そして限られている。死ぬまでの時間は人によって違うけども。その限られた時間の中で、なにを必要とするかは、自分自身が決めることよ」


「自分自身が? そんなこと考えずに来ちゃったけど」


「自分では考えているつもりでなくても、自然と求めるものを欲しがるの。もちろん環境は重要よ。スラム街で生まれたら、なかなかそこから這い出す方法は見つからない。きちんと考えられるだけの能力を生まれつき持っていたとしても、環境によって情報が制限されてしまうから」


「でも、僕はそうじゃない」


「そう。あなたは今まで、無意識のうちにでも、自分が欲しいと思うものを選んできたの。でもね、失くしたものって、取り戻すのはとっても難しいのよ。その一つが、声。赤ん坊の時にあれだけ大きな声が出せたのに、その必要がなくて失っちゃったから、ちゃんと歌おうとする時には思い出させてやらなきゃいけないの。そのうちの一つが、今マイン君がやった姿勢を整えるってことなのよ」


「赤ん坊のころだったり、子供の頃に戻るってことなんですかね」


「そういうこと。夢だったり、他人に希望を与えたいだったりも同じこと。もともと持っていたものを失うから、取り戻すのはとっても苦労することなの。アイドルってね、そういう、みんなが忘れちゃったものを思い出させてくれるものなのよ」


 頭の中には、姉のユリエが言っていたことが頭にあったのかもしれない。


「効率とか考えずに、人間っていう自然の原理に従って、ひとつずつ着実にやり直していかないといけないの。今までと違うことをやろうとするんだから、とても怖いし、厳しいことでもあるけど、その先を信じていれば楽しいことに変わるはずよ」


「効率」という言葉を出した時には、私はなんて意固地なのかしらとも可笑しくなっちゃった。

 でも、私の考えていることは、ずっと変わらぬこと。これがそのまま、ゴードン&カンパニーの歌い手を、ずっと世に送り出してきた信念でもある。


「先生、よくわかりました。……と簡単に言ってしまうと怒られちゃいそうなんですが、なんとなくですが、先生がなにをやろうとしてきたか、わかる気がしました」


 うん。マイン君なら一目見た時から、理解できると思ってたわ。

 そう、実際に歌の練習までやろうと思ったマイン君ならね。


 正しい姿勢で歌うことが、本当に大事なことなのではない。

 正しく、心で理解することが大事なのだ。


 この話は、必ず練習生の最初のレッスンで話す。

 ただ、忙しい日々の中で忘れてしまうことだろう。

 まだトレーニングに追われて忙殺されてしまううちは、頭になくていい。

 悩んで悩んで、もうどうしたらいいか分からなくなった時に思い出してくれればいいと思ってる。そこまで行かないと、腑に落ちないはずだ。


 ただね、その場にいた()たちが、一気にまた成長したのよ……。上級クラスであと一歩、って子たちばっかりだったかも知れないけど。

 いいタイミングで伝えることも大事なんだって、今になって気づかされたわ。

 日々、勉強よねぇ。



 こうして指定されていた期間が過ぎ、研修の一か月が終わった。


 ユリエには結局、きちんと伝えていない。もしまた訊いてきたら「マイン君から話を聞いたら」って言おうかなと思ってた。でも、それもあまり意地悪すぎるだろうからどうしようかなと悩んでたけど、結局、そういう場面にはならなかったのよね。


「ここは夢を作る工場なの。女の子たちの夢、人々の夢。生きとし生ける者の全ての夢。もちろん私の夢でもある。もしあなたたちが、何かに悩み、本当にどうしたらいいかわからなくなったら、またいらっしゃい。私はいつでも歓迎するわ」


 そう言って二人を送り出した。

 二人の耳にはどう聞こえただろうか。


 いつかユリエにも、私の考えていることが、ちゃんと伝わってくれたらいいな。

 いや、伝わってくれると信じている。


 だってメイシャとカズくんの子だもん。


お読みいただき、ありがとうございました!


ブックマークなどなど、まことにありがとうございます。

更新の励みとなっております!


引き続きよろしくお願いいたしますm(__)m

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