第7話 メイシャとレイナ
ゴードン・レストランで歌うようになって、1週間が経った。
バンドに合わせて、毎晩2回のステージで歌っている。
楽器編成はギター、ピアノ、シンセ、ベース、ドラムと、昔いた2つの世界と変わりはない。
ただ、ピアノはちょっと違う音がして、名前も『カサーマ』と言った。
同じように指で弾くのだが、木琴のような音がする。
このピアノに限らず、ギター、ベース、シンセサイザーなどは、電気ではなく魔法を使い、音を大きくすることが出来る。巻貝の殻のような形をしたもの。ミカン箱ほどの大きさだが、これは狙ったヴォーカルの声だけを拾い、拡大させているようだ。この音量も、歌い手の魔力で加減できる。
ガスはあるのだが、この世界に電気はない。
まぁ、魔法で代用できるので電気というものが発達しなかったのかもしれない。
わたしが歌う時の予約は、1か月先でなければ取れない程になっていた。
有名な店ではあるが、普段は満員にあまりならないのだというのに。
ただ、良いことばかりではなく、いくつかの問題が持ち上がっていた。
私が歌う時、店の外では漏れ聞こえてくる声を聞きたがる聴衆と、警官隊との衝突がしょっちゅう起きている。
高級住宅街の中にあるために、周辺の住民からの苦情が激しいようだった。
漏れ聞こえてくるバンドの音も、文句を言われたようである。
演奏する者も、ノッてくるとどうしても音が大きくなる傾向がある。
知らず識らずのうちに、ステージの後半ではかなり大きくなっていた。
そこで急いでレストランの壁を補強し、防音を行った。
苦情や店の前に集まる人は減ったが、相当な出費だったようだ。
さらには、冒険者などが歌目当てに店に来るようになった。
もともとが貴族相手の店であるため、冒険者は不釣り合いなのだ。
予約が取れなかった貴族から、激しい口調で怒鳴られている様子を見たこともある。
また、わたしが外を歩いていると、あからさまに嫌な顔をしてくる貴族階級の女性もいた。
ゴードンさんはとても良い人で、わたしにはいっさい困ったような素振りを見せない。
私が歌う時には大柄な体を隠すかのように、部屋の隅でニコニコと笑いながら見ている。
愚痴の一つも言われたことがなかった。
「もともと冒険者出身なんだよ、私は」
ゴードンさんからそう聞いたことがある。
貴族出身でないために、このレストランを最初にオープンした時は相当苦労を強いられたようだ。
だが、とことん貴族の好む味を研究し、食材や調理方法などを色々と試行錯誤しながら、他では出せない料理を作り上げた。
冒険者と一言でいっても戦闘で活躍する者だけでなく、道案内として雇われる者やキャンプの設営をする者など色々とあるとのこと。
戦闘も補助で行うが、あくまでメインは戦闘以外。
そしてゴードンさんは同行しつつ料理を行う、ちょうどお抱え料理人のような立場であった。
しかしある時戦闘中に足に大けがを負い、冒険を続けていくことが難しくなり、小さなお弁当屋を始めた。
元来の凝り性であったゴードンさんはただのお弁当では飽き足らず、色々と研究を重ねる。
しかし新しい味の開発に熱心であること、自分の舌に自信があることは間違いなかったが、料理人としての腕前は少しばかり落ちた。
「体がでっかくてね、指なんかこんなに太いから、細かな作業がどうしても苦手で」
手をなでながら、ゴードンさんは笑っていた。
また、冒険者相手などではそこまで味にこだわる必要はなく、行きつく先はどうしても貴族相手になったそうだ。
そうして店を構えてからは料理人を雇い、支配人として経営に専念するようになったという。
ただ、店の経営状況は、実はそこまで良くないようである。
これだけ有名な店なのでそんなことがあるものかと驚いたのだが、料理人に支払う賃金、家賃、食材費がとても高い。
高価な素材を使っていたり、新しい料理の研究にお金がかかったりということもあるが、一番負担なのは家賃だった。
冒険者出身ということで、相場の倍ほど取られているそうである。
ゴードンさんには15歳になる一人娘がいる。
名前はメイシャという。
お金に無頓着な父親にかわり、レストランの資金管理などをやっているしっかり者だ。
とてもかわいい顔立ちをしているのだが、残念ながら服装などにお金をかけられないようで、いつも質素な身なりをしていた。
ただ、本人はそういうことにあまり関心はないようである。
歳が近いせいか、すぐに仲良くなった。
ただ……、わたしは自分の血液型も生年月日もきちんとは知らないのだが。その程度のことでケットちゃんに時間を取らせるのも悪いかなと聞いていない。
ま、でも、メイシャと同じくらいよね、多分。
家賃の話などは彼女から、世間話の一つとして聞いていた。
「どうしたら、あなたみたいに上手く歌えるの?」
彼女との話は様々だったが、歌に関することも多い。
歌うことが好きで、それなりに上手くもある。
メイシャの声は少々ハスキーなところも魅力だが、低音成分が多く、聞いていて心地よくもあり、また自然と心が揺さぶられる声でもある。
いわゆる音程、つまり楽譜に書かれているところの音符のことだが、同じ音程でも様々な声がある。
違う声に聞こえるから、誰が喋っているのかを聞き分けることが出来る。
原因は、一つの音で出来ているのではなく、複数の音が混ざり合って出来ているためだ。
たとえば鉄琴のような音。
とても堅く、クリアで細い音がする。
このような音は、同時に出ている音が少ない。
フルートなどになると、少し多くなる。
さらに、アルトサックスのような音になるともっと増え、また、出そうとしている音程のほかに低音の音も多く鳴る。
人間の声はより複雑で、人によって実に様々な音が同時に出ているのだ。
これは前世で、ボイストレーナーの先生から教わったことである。
わたしはメイシャに、歌う時の姿勢を教えた。
「胸を張るようにし、でも力を抜いて……。
アゴは上げずに……。
首のまわりを楽にして、頭は自由に動くように……。
うん。それでいいわ。
最初はぎこちなく感じるけど、徐々に慣れていくから」
その瞬間、メイシャの歌声は激変した。
心地よい低音成分が増えたのだ。
人間の身体は上手く出来ていて、きちんとした姿勢を取れば誰でも必ず魅力的な声になる。
魔法でもなんでもない。
もともと、そういうように造られているのだ。
高い音は正しく訓練すれば誰でも出るようになるのと同じく、心地よい低音成分もある程度は姿勢を整えることで出すことが出来る。
ただ、やはり持って生まれた身体。
才能というものがあるとするなら、いかに魅力的な低音成分が出せるかがそれにあたる。
こればかりは、生まれつきで決まってしまう。
メイシャはその意味で、才能に恵まれていた。
ゴードンさんが太い指で苦しんだのと逆である。
ただし、これも向き不向きというものがある。
アイドルのような『可愛らしい声』からは、遠ざかってしまう。
メッセージ性の強いロック、あるいはジャズ。
そういうジャンルにはバッチリである。
せがまれるようにして、店が準備を行っている昼間に、メイシャに歌を教えていた。
そんなある日、窓の外から女の子がじっと見ているのに気づいた。
防音のため、ほとんど外に声は聞こえないはずだが、じっと中を見ている。
目が合った。
女の子が目を見張る。「あっ」という声が聞こえてきそうなくらい、驚いた顔だった。
その顔が魅力的だった。わたしは中に入るよう、手ぶりで招く。
「あたし?」というように指で自分を指している。
仕草がどことなく可愛らしい。
わたしは二度ほど大きくうなずいてみせる。
彼女は顔をうつむきがちにレストランのドアに向かっていた。
わたしは鍵を開け、中に招き入れる。
「レイナといいます」
緊張を隠せないようで、声が震えていた。
「レイナちゃん? はじめまして。歌に興味があるの?」
ぱっと花が開くような笑顔でレイナは言った。
「はい!」
声の質からいうと、メイシャとは正反対というか……。
メイシャがお腹から声を出すのに比べて、ノドから出している感じ。
専門的には腹式呼吸と胸式呼吸の違いということなのだが、実に軽い声で、かわいらしいのだ。
よく「歌はお腹から出すものだ」ということが言われるが、必ずしもそれが良いとは限らない。
さらに「売れる声」ということであれば、全く違う。
ボイストレーナーの先生が言っていた。
お腹から声を出す方が、科学的には「声」の魅力が増す。
声というのは不思議なもので、一つの音程を出しているつもりで、たくさんの音程が同時に鳴っている。
腹式呼吸にすると、低音から中音域の音量が大きくなることが多い。
人間というのは不思議なもので、この低音から中音域の音を心地よく感じるのだという。
だから、腹式呼吸を使った方が「声」だけで人を感動させたり、心地よくさせたりしやすくなる。
でも、もし可愛らしい歌だとしたら?
思わず支えの手を出したくなってしまうような女の子の歌なら?
歌声だけではない。
曲だけでもない。
歌詞だけでもない。
踊りだけでもない。
さらに、観客だって歌の一部になる。
そう、アイドルは総合芸術なのだ!
その素養を、この子は持っていると直感的に感じた。
とはいえ、レイナを教えるのは苦労が絶えない。
メロディを覚えられない。
メロディを間違って覚えてしまう。
音程が取れない。
振付もなかなか覚えられない。
踊ると、歌のリズムが崩れる。
決して音痴という程ではないのだが、やはり人前に出るには最低限の技術が必要になる。
どうやらわたしは、レイナに期待しているようだった。
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