第五章01 冬の海へ
「よぉし野郎共!そろそろ引き上げだぁ!」
リーダーらしき男の号令により略奪を中断した男達は蜘蛛の子を散らすように船から離れていく。後に残ったのはこの船本来の乗組員……今は縛られて全く見動きが取れないでいる者達だけだ。
「くっ!皆無事か!?」
「船長!怪我人はいますが……全員無事です!」
「でも積荷は全部持ってかれちまいました……」
「くそっ!海賊め……!」
縛られ体の自由がきかないこの商業船の船長である男は、その芋虫のような恰好のまま、悠々とこの海域から離脱していく海賊船を苦虫を噛み潰したような表情で見送る事しか出来なかった。
「もうすぐノミナミか」
馬車の中で揺られながら、外を見る為備え付きの窓から少し顔を出す。まもなく目的地である町ノミナミへと到着する予定だ。
ノミナミはファルジオン王国西海岸にある港町である。古くから漁業と海運で栄えたこの町はファルジオンの海の玄関口として王国になくてはならない存在だ。最近では海の美しさと広い砂浜を利用して観光、リゾート開発にも力を入れている。夏は観光客で大変賑わう町なのだ。……夏は。
「うわっ寒っ!」
北風に吹かれ馬車から出した顔をすぐに引っ込める。王国から支給された冬用のコートを着ているがそれでもこの時期の寒さは辛い。今季節は冬真っ盛り。この時期ノミナミは夏とは打って変わって観光客なんて殆どいない、ただひたすらに寒く寂しい町へと変わってしまうのだ。一応冬場の名物料理もあるにはあるのだが、これ目当てだけでこの町に冬の間訪れる物好きはそうそういない。今町にいるのは出稼ぎに来た労働者や商人くらいだ……例年ならば。
冬は軒並み閑散としているノミナミだが、今日は少し勝手が違う。船の船員と思しき者達が、忙しそうに町のあらゆる所に装飾を施している。これは数日後に開催されるあるイベントへの準備だ。
「この時期に来るの初めてなんだが……滅茶苦茶寒いな!」
「仕方なかろう。冬の海なぞ私も任務以外では来たくはない」
隣にいるロゼに愚痴を零す。いつもはちょっと露出の高い軽装鎧くらいしか着用してないロゼも支給された厚手のコートを羽織っている。……結構着こなしててちょっと羨ましい。
「それよりちゃんと進行スケジュールは確認したか?あの親父とお前がメインで進めるんだぞ」
「ああそれは大丈夫なんだが……俺あの人ちょっと苦手なんだよなぁ……あー、でもこの時期なら大丈夫かな?」
「うちはどの時期でも苦手やわぁ……」
前に座ってるユキメがウンザリした顔で頭を振る。流石北の雪山育ちだけあってユキメは冬でも服装は特に変わらない。見てるこっちが寒くなりそうだ。
「しっかしこの大事な時期に海賊とはな」
馬車の後ろを王国騎士団の兵士達が列をなして進んでいる。その数ざっと1000人程。最初兵の増員が必要と聞いた時はイベントの為に必要なのかと思ったが、原因が海賊と聞いてこの増員に納得した。
「……そろそろ着きそうだな」
ノミナミの港にある倉庫のような大きな建物の前で馬車は止まった。ここはノミナミにある漁業協同組合会館。ノミナミ漁業協同組合はファルジオンの海を守り、地域水産業の増進を図る事を目的とした協同組織……この会館はその活動を支える心臓部と言っても過言ではない。
馬車から下りると会館の扉が大きな音を立てて盛大に開いた。
「待っていましたぞぉー!!!ゲイル殿ォ!!!!!」
やたらデカい声出しながら中から現れたのは筋骨隆々のチョビ髭のおっさん。このノミナミ漁業協同組合組合長兼ノミナミ市長を務める魚人のマッコイ=ザワさんだ。この寒い中で何故か薄着なのに見た目がすごく暑苦しい。
「お久しぶりです。お元気そうですねマッコイさん」
「はっはっはっ!わしは年中健康そのものですぞゲイル殿!」
変なポージングしながら高らかに笑うおっちゃん。暑苦しい。
「ロゼ殿ユキメ殿もお元気でしたかな!?」
「あーはいなんとか…市長は相変わらず暑苦しいようで」
「駄目やわぁ……おっちゃん暑いわぁ」
ロゼ達の辛辣な言葉にも笑顔でポージングするおっちゃん。この時期どこで焼いたかわからないが日焼けした体はやっぱり暑苦しい。
「おや?いつもいるカイン殿はいないのですかな?」
「あー、あいつはこの時期は……」
リザードマンは基本的に寒さに弱い。流石に冬眠するほどではないが、冬の時期になると活動が鈍くなる。カインもリザードマンの例に漏れずこの時期はかなり弱ってる。もしかしたら俺でも勝てるんじゃないかと思うくらいに。
「ふん!この程度の寒さで……軟弱な奴だ!」
ロゼが意気揚々とダメ出しする。まぁ本人いないから喧嘩にならないし放っておく。
「おっちゃん、それよりも例のブツは完成したのかい?」
「おお!その事もあってお呼びしたんでしたな!HAHAHA!」
笑って誤魔化そうとするおっちゃん。健康な白い歯が光りとても暑苦しい。
「ふむ!では参りましょう!完成された我らの芸術作品の元へと!とぅ!」
やっぱり言葉の言い回しもどこか暑苦しい。このおっちゃんがいる限りノミナミは冬でも寒くなそうだ。
「これが……」
組合会館から少し先にある倉庫へやってきた俺達。案内された倉庫内には布で隠された巨大な建築物が配置してある。これこそ俺がノミナミへ来た最大の理由だ。
「そう!これこそ我が町ノミナミの造船技術の粋を集めて建造した最高作品でございますぞー!」
おっちゃんが布を勢いよく引き剝がすと、中から絢爛豪華な装飾が施された一隻の船が姿を現した。
「おお……!なんと美しい……!ファルジオン王国の精神が形になったようだ!」
「よう見てるとなんともめでたい気持ちになるわぁ」
「これはすごいじゃないか!やるなおっちゃん!」
「もっと褒めていただいても構わないのですぞー!」
称賛を受け喜びのポージングをするおっちゃん。暑(以下略)。
「見た目の豪華さもさることながら最新の技術をふんだんに使ったこの船はヘタな戦艦よりも強力なのです!新たに採用した魔術機関技術によって従来の船とは一線を画する船速を出す事が可能になったのですぞー!」
自信満々に解説するおっちゃん。若干早口だ。このままだと延々ずっと船の説明をされかねないので話題を少し逸らす事にする。
「ところで船の名前はもう決まってるのかい?」
「もちろんですぞ!亡き王妃様の名前を拝借させていただきました……その名も『エレナ女王の祝福号』!」
「良い名だ。これで式典も大いに盛り上がるだろう!」
俺達が町に来た目的は、一週間後に行われる王国建国記念式典で寄贈されるこの船の確認と式典スケジュールの進行確認を行う事だ。毎年式典では王国各々の町や村々から寄贈品が送られてくるのだが今回ノミナミから魔王様へ寄贈される品がこの大型船とあって式典そのものをノミナミで開催する事になったのだ。俺が直接町まで来たのはその為だ。式典では船の進水式から、王国から選ばれた使節団をこの船に乗せ隣国であるマチルダまで派遣する手筈となっている。その進行スケジュールから普段王都だけで行われる式典の大部分をノミナミで行う事になる為、ノミナミ市長であるおっちゃんはいつも以上に気合と熱気と筋力が高まっているようだ。
そんな大事な式典の前にこの海賊騒ぎである。警戒するなというのは無理らしからぬ事だ。
「残る問題は海賊という訳か」
「その通りですゲイル殿!その為に魔王様へ警備の増員を申請したのです!」
「わかったから顔近づけないで暑苦しいから!」
おっちゃんの話によると海賊は二週間ほど前から現れたそうだ。襲う船は貨物、漁船と見境がない。警備の船を増やしても、その防衛網をかいくぐり襲われ逃げられるのいたちごっこを繰り返している……というのが現状だ。海賊旗から判明した海賊の名はザトー海賊団。ここより北方の海域で名を馳せている海賊だ。かなりの規模を誇る海賊なのだが、何故北方からこのファルジオン近海にやって来たかはよくわかっていない。
「もしかしたらこの船を狙ってるのやもしれないな」
「そうですロゼ殿!その可能性を考慮してあなた方をお呼びしたのですぞー!」
「ふふん!我らが来たからにはもう安心……ちょ、顔近づけないでよ暑苦しい!」
実力者揃いの魔王軍でも魔法、剣技両方でトップレベルの強さを誇るこの二人が来たのだからもう大丈夫だろう。……勇者並に強い奴なんてそうそういないだろうし。
「じゃあそろそろ今日泊まる宿へ案内してくれないかおっちゃん。馬車とはいえ長旅はちょっと疲れた……」
「おや?今日はこのまま貨物船警備の視察へ行ってもらう予定になってますぞ?」
「え?なにそれ聞いてないんだが……」
そう言った俺の両脇をロゼとユキメがガシッと固める。……マジか。
「さあ行くぞゲイル!海賊なぞ我が剣と魔法で叩き斬ってやろうぞ!」
「いや俺は海賊討伐は全く管轄外だからね……ちょ聞いてる!?」
「まぁまぁまぁまぁええやんか~」
「さぁ!皆で仲良く出発ですぞー!」
「だーかーらー!お前ら俺の話を聞けー!」
必死の抵抗も非難の声も北風吹きすさぶ海の波音に掻き消されてしまった。
「いやぁ良い航海日和ですな!」
隣でマッコイのおっさんが笑顔で話しかけてくる。お昼を過ぎ、快晴で雲一つない青空……なのだが。
「ちょ風強っ!ここ寒すぎるんですけど!」
今いる場所には晴れてようが曇ってようが容赦なく風が吹きすさぶ。当然だよね船の甲板だし!夏ならさぞ清々しい風が心地よい気持ちにさせてくれるのだろうが、冬の北風なんてただ寒くて辛いだけだ。もうね、痛いんです……顔が。
俺達が乗っているのは貨物船を警護する4隻ある船の1隻。今は対象である船を守る為に、貨物船を中心に前後2隻で船を守る陣形を取っている。
「早く船内に戻らせろー!ここにいると死んでしまうー!」
「ふっふふふん!情けけない!こっここのてて程度の寒さににに音を上げるととととは!」
「お前もガチガチ震えてんじゃねーかロゼェ!呂律回ってねーぞ!」
「皆思ってた以上に元気でなによりやわぁ」
今正に凍死しそうな勢いで震えている俺達とは打って変わってユキメは寒さ対策万全である船員達同様全く顔色変えずに船からの景色を堪能している。ちくしょう羨ましいな!
「それだけの元気があるなら海賊なぞ楽勝ですな!」
「海賊出る前に凍え死にそうなんですが……おっちゃんこういう時に暑苦しくしてくれよ!」
港ではあんな鬱陶しかったのに、乗船した途端真面目な顔つきになったマッコイのおっちゃん。いや船乗りとしては当然の対応なんだろうけど……ちょっとくらい暑苦しくてもいいんだよ?
「海賊でもなんでもいいから早く倒して帰らせてくれー!」
俺の願いも空しく予定航路の半分を過ぎても何も起こらなかった。
……問題が起きたのはすっかり日も沈み夜が訪れてからだった。
「……?おい、何か変だぞ!」
見張り台で監視していた乗組員の一人が船長であるおっちゃんに大声で報告する。
「なんだありゃ……雲?」
見張り員の指示した方向を見ると、結構な大きさの雲がこちらへと迫ってきていた。さっきまで海を眺めていたが雲なんてなかったはずなんだが……。
「海も山みたいにすぐ天候が変わりやすいものなのかい?」
「ええ。ですがこんな急には……わしも長年船乗りやっとりますがこんな経験初めてですぞ」
「迂回するか?」
「駄目です!間に合いません!」
操舵を担当している乗組員から諦めの声が発せられる。その言葉の通り、雲はあっという間に俺達が乗ってきた船を含む全ての船を包み込んでいった。
「……真っ白だな」
夕刻までの雲一つない景色とは打って変わって、今は白いカーテンに包まれたかのように霧が船を包み込んでいる。
「ここまでは報告書通りだな」
「ですな……総員戦闘準備!!!急げえ!!!!!」
「「「「「アイアイサー!!!!!」」」」」
おっちゃんが鬼気迫る勢いで号令をかける。流石海の男、ただ暑苦しいだけじゃない。船員達は一糸乱れぬ動きで船を動かし、信号旗によってその号令は他の船へも伝えられる。貨物船を後方へ下げると俺達が乗っている船を先頭に陣が縦一列に組み直される。
ザトー海賊団に襲われた船員達の証言の中に気になる項目があった。船員全員が一律同じ事を報告していたからだ。海賊に襲われる前、決まって白い霧が立ち込めてきたと。
「お次は本命かな?」
「……みたいやねぇ、大当たりやわ」
真っ白な霧の中突如として数隻の船影が姿を現す。薄っすらとだったが見張り員のおかげで海賊旗を確認できた……紛れもないザトー海賊団だ。
「大砲構えぃ!」
おっちゃんの号令と共に辺りに大きな金属音が一斉に鳴り響く。こちらの準備は万全のようだ。このまま大砲の撃ち合いになるか……と思いきや、そのまま長い間何も起こらず膠着状態が続いていく。
「……まだ撃たないの?」
「まだ大砲の有効射程ではありませんので……もう少し接近してからですな」
暑苦しいというよりちょっと恐めの笑顔で答えるおっちゃん。ゆっくりとだが海賊船と距離を詰めていく。勝負は大砲の有効射程まで船が近づいてから……。
「……は?」
そう身構えていた矢先、ザトー海賊団は思いがけない行動をした。大砲を下げ、こちらに向かわず船を180度回転させ逃げ始めたのだ。
「撃ち合うんじゃないのかよ!」
「うーん、おかしいですな……」
「船長!まずいぞ!このままでは逃げられてしまう!」
「ロゼ殿、心・配・御・無・用!この船には式典寄贈船同様、新型の魔術機関技術を使っているのです!すぐに追いついて見せますぞー!」
あ、ちょっと早口になってる……やっぱりこっちの方が素なんだなおっちゃん。そんな事をふと思っていると船は魔術機関特有の機械音を立てながら逃げる海賊を追っていく。この速度なら海賊共に追いつくのは時間の問題……。
船が海賊船に正に追いつこうとする間際、列を組んで追っていた4隻の船のうち3隻目の船が急に停止した。
「なんだ?どうしたセロス号?」
3隻目の船……セロス号の方を振り向くと突然――
ブシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!
大きな水飛沫と共に、巨大な黒い柱が姿を現したのだった。




