第三章04 勇者リザ
「ゲイルはまだ見つからねえのか!」
カインが配下の兵士達に檄を飛ばす。機嫌の悪さを隠そうともしないカインは自分の尻尾を地面へ何度も叩きつける。これは彼が苛立っている時に行う癖だ。
「落下地点周辺をくまなく探しているのですが……」
「川に落ちたという可能性もありますので、川の特に下流を重点的に捜索しているのですがまだ……」
兵士達から挙がる報告はどれも歯切れが悪い。更にカインの苛立ちが強くなっていく。
「そないに怒ってもゲイルはんは見つかりませんえ」
近くの切り株に腰かけているユキメがカインを窘める。ゲイルが橋から落下してから半日近く経過したが、カイン達はゲイルを発見できないでいた。
「この天候じゃ人探すのは中々しんどそうやわ」
そう言うと一面真っ白な渓谷を見廻す。ゲイルが落下してから渓谷の天候はどんどん悪くなっていった。辺りは霧が立ち込めて数歩先も見えない程に視界が悪くなっていた。
「だからって放っておくわけにはいかんだろ!」
「でもなぁ、あんまり根詰め過ぎるとうちらにも二次被害が出てしまうんよ」
「……くそ!」
このまま無理に捜索しても発見が困難な事はカインも重々承知している。だが無駄に経過していく時間がカインを焦らせる。
「 …… 」
いつの間にか現れたモズが何かを呟きながらカインの肩を叩く。
「モズ……すまねえ……何か良いこと言ってくれてるんだろうけど聞き取れねえや……」
「『焦るなカイン、好機は必ず来る』……って言ってるニャ」
モズの横からヒョコっと出てきたミカが解説した。
「……っておめえモズのちっさい声が聞こえるのか!?」
「まぁ~私獣人だし耳は良い方だからニャ~」
頭から飛び出ている大きくてフサフサした耳をピコピコ動かしながら、ミカは自慢げに答える。
「モズの言う通り、ここは霧が晴れるまで待った方がいいと思うニャ」
カインなりに責任を感じて神経を張りつめていたが、モズ達に諭されやっと落ち着く事が出来たようだ。
「……ああそうだな。すまねえなお前ら」
冷静さを取り戻したカインが兵士達に伝令を伝える。
「捜索は一時中断!霧が晴れるまで各自待機!いつでも動けるように体を整えとけよ!」
「はっ!」
走っていく伝令係の姿は霧ですぐ見えなくなる。白い静寂に包まる中、カインは一人呟く。
「……死ぬんじゃねえぞゲイル……今度は俺が飯奢る番なんだからよぉ……!」
「霧か……こりゃ救援来る迄時間かかりそうだな」
俺は一面真っ白な廻りを見渡しながら、隣にいるリザに話しかける。なんとか起き上がった俺は膝枕に内心ドキドキしつつ、とりあえずリザに助けてくれた感謝とどれ位眠っていたかを尋ねた。答えは
『けっこう、かなり、沢山』
……まぁそうなるよな。霧で日が暮れているのかすらわからないしな。
「霧が出てるとダメなのか?」
リザがキョトンとした顔で俺に話しかけてきた。……こいつは事の重大さがわかってないのか。かわってないんだな。おのれ。
「こんな視界の悪い中探し物なんか出来るかい?」
「……私なら出来る!」
「どんな自信だよ」
胸を張りながら自信たっぷりに話すリザに軽い眩暈を覚えながら話を続けた。
「普通は無理だ。ヘタしたら二次被害が出る。大人しく霧が晴れるのを待つしかない」
「そうか。ならしょうがない」
そう言うとリザは壁を背にして蹲る。俺達が今いる所は、絶壁から突き出た人二人分程しかない小さなスペース。橋から落下している俺をリザが掴んでここで着地したらしい。……どんな脚力だよ。
「そういやさ。ちょっと聞きたいんだが」
蹲ってるリザが少し顔を上げる。ちゃんと話は聞いてくれるらしい。
「なんで俺を助けた?お前の敵だぞ」
そう、リザは敵である俺を助けた。俺にはその思考がよく分からずにいた。
そんな考えを知ってか知らずか、リザはあっけらかんと答えた。
「お前には美味しい食べ物のお店をいくつも紹介してくれた恩がある。これはその礼だ」
それはお前を倒すためにやってることなんだけど……と喉から出かかって慌ててその言葉を飲み込んだ。
「ま、まぁ恩義に感じてくれてるならいいさ」
あんまり話してるとボロが出そうだったんでこの話をここで終わらせる。
暫く沈黙が続いた後、とんでもなく大きな音がリザから鳴り響いてきた。大気が振動で震える……ような気がした。あまりに驚いて思わず二度見までしてしまった。
「お前……すげえ腹の音出してくれるな!めっちゃビックリしたわ!」
「お腹が鳴るのは自然の摂理だ……シカタガナイコト」
「いや、なんか理知的な言葉で誤魔化そうとしてるが、単に腹減ってるだけだからそれ!」
俺の言葉にリザがちょっと顔を赤らめる。……む、ちょっとカワイイ。
そんな言葉のやり取りをした後、リザは持っている袋から丸い物体をいくつも取り出した。ロジメダイ渓谷の老舗、セントジャスティス堂の饅頭だ。大きな声で『いただきます』と言うと饅頭を頬張り始める。
「ああ、そういやお前買ってたんだよな」
「道すがらいくつか食べてみたがどれも美味しい……買ってよかった」
「それはよかった」
良い笑顔で饅頭を頬張りながら素直に答えるリザに、ついそう答えてしまう。なんだかんだ話のペースはリザに握られている……ような気がしてきた。
「お前も食べるか?」
「……へ?俺に?」
リザが饅頭の一つを俺に差し出してきた。突然の事だったんでちょっと声が上擦ってしまった。恥ずかしい。
「……いただけるなら貰っておこうか」
饅頭を受け取るとすぐに開封して口に入れる。この渓谷を登って少し小腹が空いていたのでリザの提案は正直ありがたかった。
「あー美味いな!疲れた体と頭に甘いものは良い!」
「うん!そうだな!」
俺とリザはお互いウンウン頷き返す。他愛のない話をしながら俺が饅頭一つ食べきると、リザは残りの饅頭全てを食べきっていた。結構な数あったはずなんだけど……。
「美味かった!感動した!」
「俺もアレだがお前も食べた感想のバリエーション少ないよな」
俺の指摘にむすっと頬が膨れるリザだったが、すぐに反論を返してきた。
「美味しいものは美味しいとしか言えない。私はそういう性分だ」
「そうか……そりゃそうだよな」
曇り一つない正直なリザの言葉にちょっと感銘を受けてしまう。そして眩しくもあった。
「お前が少し羨ましいよ」
「?」
不思議そうな顔をするリザ。まぁ当然だよな。
「お前みたいに生きてみたかったなって思っただけだ。……俺は捻くれ者だからな」
「じゃあゲヒルは今どんな生き方をしてるんだ?」
「ゲイルです!」
とりあえず間違いを修正しつつ、リザの質問に答えることにした。
「俺は普段魔王城で事務方の仕事をしてるんだ。本来ならこんな所でお前とこんな風に話してる事はなかったんだけどなぁ……不思議なもんだ」
端から見ると王国の機密事項を喋っているように見えるが、俺のような木端書記官の事など知っても些細な事だ。……そのはず。
自分の家族構成やら何やらを辺り触りのない範囲で話してから、ふと気になることを思い出した。
「そういえばリザは勇者になる前は何してたんだ?」
王国の諜報員が調べてもわからなかった事だ。本人から全て聞けるとは思わないが、手掛かりくらいは話の断片からでも見つけられるはず……!
淡い期待を持ちつつ、大胆にも勇者本人に聞いてみる事にした。
「……」
さっきまで俺の話を上機嫌で聞いていたリザの顔が、少し影を落とした。……いかん、マズイ事を聞いてしまったのか!?
「私は……昔の記憶がないんだ」
思ってた以上に重い話だった。
長い夢のような朦朧とした一時から目を覚ますと、少女は全ての記憶を失って剣を片手に森の中佇んでいた。自分の名前すら曖昧になってしまっていた少女は、記憶が全て抜け落ちてしまった脳をフル回転させて『リザ』という自分の名前……だと直感的に感じた単語を捻り出す。その後いくら思い出そうとしてもそれだけしか引き出すことはできなかった。
森から出たリザは、生きる為に唯一の所持品であるその剣を振るうようになる。記憶を失う以前から使っていたのか定かではないが、その剣はリザによく馴染んだ。
ギルドに所属するようになってからすぐ、リザはその力の頭角を現していくことになる。多くの賞金首を倒して名前が売れ始めると、リザはいくつかの王国とも太いパイプを持つまでになっていった。
そうした中その国の一つ、スタンリバー王国で一つの事件が起こる。数千年前に封印されていた魔獣ガトパスが突然、目を覚ましたのだ。スタンリバー国王はすぐに討伐隊を派遣したが一個師団にも匹敵する軍勢を持ってしても魔獣を倒すことは出来なかった。慌てた国王は魔獣に賞金を懸け有志を募った。王国としては軍隊の再編成の為の時間稼ぎ位の認識だったのだが、この有志の中にリザがいたことで魔獣ガトパスはめでたく討伐される事となった。
この功績によりリザは莫大な賞金と『勇者』の二つ名を手に入れることになった。
リザの登場でスタンリバー王国は、長年頭を悩ませている問題の解決に改めて着手する事になる。長い間王国を脅かしている脅威、『魔王』の存在だ。
王国からの『魔王討伐』という任務を承諾したリザは魔王討伐という大義名分の元、ファルジオン王国にやってくることになる。
「……随分とハードな人生だな」
「そう?」
勢いで『お前みたいに生きてみたかった』なんて言ってしまった事を少し後悔したが、本人がそう答えるのでとりあえず保留にしておく。
「それとね、暫く経ってから名前以外で思い出した事があるんだ」
なんとなく察しは付いているがリザの答えを待った。本人から直接聞きたかったのかもしれない。
「『食べ物に感謝する気持ち』記憶を失くしてからずっと生きる為に必死だったせいか、そういう当たり前の事すら私は忘れていた」
リザは袋から饅頭、多分最後の一個であろうそれを取り出すと半分に分けて俺に渡した。
「まだ記憶は完全に戻らないが、こうやって美味しいものを食べていられれば私は問題ない。今の所はね」
「まぁ生きがいは大事だな」
饅頭を頬張りながら俺はリザの力だけでなく、その内面の強さにも感服していた。こいつを倒すのは本当に骨が折れそうだ。
リザと色んな話をしている間に、渓谷にかかっていた霧は殆どなくなっていた。沈みかけている夕日が少し眩しいくらいだ。
「君とのお話は中々楽しかったけど、そろそろお別れだね」
リザが指差した方向を見ると、夕日を背に翼竜に乗ったカイン達が大きな声で俺の名前を叫んでいた。俺はすぐに手を振って答える。
横を見るとすでにリザは出発の準備を整えていた。
「次に会った時はまた敵同士だな」
「私の邪魔をするならそれなりに覚悟しておいてね」
「それは前にも聞いたよ」
「あれ?私は約束は守る……って言うのも?」
「はい。それも聞きました」
「そっかー」
時間としてはおよそ半日もいなかったはずなのに、俺はこの勇者に懐かしささえ感じるようになってしまっていた。
「じゃね。今度また美味しい食べ物作ってくれるお店、教えてね!」
そう言うとリザは、絶壁に近い崖を走って駆け抜けていった。すごい速さだ。
「なんだ、いつでも一人でなら脱出できたんじゃないか……あいつ」
あっという間に見えなくなったリザの背中を、俺は見失っても暫く見続けていた。




