第8話
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教室に入ってきたのは深い青髪、鮮やかな青緑色の切れ長の目をした黒衣を纏う男性。彼は左手を黒衣のポケットに入れ、右手には紙の束を持っている。そして彼から半歩下がり、小柄な黒髪で目が隠れている男子生徒が続いた。
「悪い、遅くなった」
黒衣の男性がそう言い、男子生徒の方は無言で頭を下げた。
「先生もルカくんも来るの遅すぎだよー。何してたの?」
イリスが全く気にしてなさそうな笑顔を浮かべて、からかうように言う。先程までの雰囲気は、つゆほども感じられない。
「ああ、途中資料を取りに行ってたんだ」
「それで、遅くなったんですか?」
「いや、その道すがら馬鹿が落ちててな。保健室に運んでたら、こんな時間になっちまったんだ。すまん」
「いえ、それは良いんですけど。シュタルク先生、馬鹿は言い過ぎでは?」
「人通りがそんなない廊下で、倒れてたやつなんて馬鹿で十分だろ。ったく、心臓に悪いから勘弁してくれっての」
そう言い放ったシュタルクに、皆が曖昧な笑みを浮かべた。うん、まあ、そうだけど、という言葉も聞こえる。
「初犯なら、もう少し庇いようがあるけど、もうこれ何回目だよって感じだものねえ。……先生の気持ちもわかるし」
小さくアリシアが零した。その声を拾ったシュタルクはやや困ったような笑みを浮かべ、
「最近は慣れてきて倒れることなかったから、油断したんだろうけどよ。今日は、急に冷え込んだからさ」
「そういや、最近はなかったなあ。長期休暇開けてからじゃ初だっけか」
「何処行けば人がいるかって、わかればある程度防げるもんねえ」
「あんまり、倒れているところなんか見たかねぇんだがな。怖えから」
「先生も怖いんだねえ」
「そりゃ、怖いに決まってんだろ。暴走とは違うからな。お前らの暴走なんかは生きてる証だし、死者なんか出ねえように絶対止めてやるが、アレはなあ」
「……止めてみせるじゃなくて、止めてやるなんだね。」
ぼそりとディオスが言った。いつの間にか腕に抱えたヴィスに、半ば顔を埋めるようにして。
「あ? 当たり前だろう。俺はお前らの担任だぞ。それが俺の仕事だからってのもあるが、第一に教え子守れないでどうするってんだ。どんな無茶したって止めてやるさ」
「先生、たまに格好いいよね」
「うるせえ、先生はいつだって格好いいだろうが」
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「先生、話、それてる」
そう、ラングに指摘されたシュタルクは、
「ああ、悪い」
反射的に謝り、
……あれ、もとはと言えば俺のせいじゃねえぞ。
そう思い、首を傾げたが、結局流すことにした。いちいち気にすることでもないと思い。
「俺が怖いって思うのはいくつか理由があるが、一番なのは生きてるかわからないって点だな」
「わからないんですか? 先生、色んな気配察知するの得意でしょうに」
「ああ、そうだな。わからないってのは語弊があるか。生きていても、それが命に別状がないかわからないからってのが正しいな。あいつが倒れてんのは、体温調節機能がイカれてるからで、俺じゃあどうしようもねえわけだし。……前から頼んでる制服が、届けば解決すんだけど、一向に届く気配がねえからなあ」
「ええっと、あれだよね。王室御用達の仕立て屋ハスミン。そこの暑さも寒さも快適にって謳い文句のやつだよね。確か、魔力を込めた特殊な糸で、魔法陣を組み込んでいるとか。最近は、それの簡易版が出回っているらしいけど、それすら手に入るのが困難らしいね」
「火山や雪山とかに行く冒険者から注文が殺到してるって話だな」
「簡易版とは言え、お手頃な値段とは言い難いのにね」
「よく知ってんな。先生が頼んでるのは簡易版じゃねえけどよ。あれ、もともと製作時間が結構掛かるんだが、今はそれ用の糸が入手しづらいらしくてな、まだ掛かるらしいんだ」
だから、と言葉を重ねた。
「もう少しだけ、気にかけてやっといてくれ。俺はあんまし、あいつに干渉してやれないからな」
「先生も複雑だもんね-、私は干渉されすぎて今にも窒息しちゃう」
「うるせぇ、わかったようなこと言ってんじゃねえよ。あと、しばくぞ」
「きゃー、暴力はんたーい」
冗談交じりに、そう言うとイリスが大袈裟に反応し、教室に笑い声が響いた。その様子に自然とシュタルクの口にも笑みが浮かんだ。
……楽しめるってのは良いことだよなあ。
教室に”楽しむ”雰囲気が溢れているのでしみじみと思う。楽しんでるってことは、苦しくないということだ。特にイリスが楽しそうで良かった、と。そう思うのは学校生活で、彼女が一番自由な時間がないからで、自分が彼女の自由をなくさせている原因だからだろう。
イリスは他のメンバーよりも、暴走するきっかけが不安定だし、彼女の暴走を止められる先生も少ない。あまりにも大量の魔力に酔ってしまったり、気絶してしまうからだ。だから暴走を止められる自分が、休み時間中でもすぐに駆けつけれるように、近くで待機してろと言われている。それに対してイリスもわかっているから何も言わないが、常に監視されているに等しい状態では、精神的な疲れを感じているに違いない。
……まあ、1年の頃と比べりゃあ慣れもあって、本気で気にもなってないんだろうけどよ。そのくせ適度に解消させてやらないと、爆発すっからなあ。本当に、どいつもこいつも手のかかる生徒ばかりだ。まったく、……どうしてここ数年、こう厄介なやつが集まってんだろうねえ。
数年前まではΘは5人いれば多い方だった。数学年に渡って、1人もいないこともざらだったわけだ。そして、
……ここまで規格外な奴らはそうそうお目にかかれなかったんだけどなあ。
目の前にいるメンバーに視線を向け、シュタルクは小さく息を吐いた。
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「そう言えば、先生。Θの証で判らないの? 長時間移動してないとか」
ふと、クローフィが言った。そうすれば、すぐ駆けつけれるのでは、と。それを横で聞いたディオスは、
……この馬鹿、また、面倒なことを。
確かにクローフィの質問は自分も気になるが、本来はもうとっくに授業を受けている時間。話が逸れてここに居ない後輩の話題になったがそれも今、一段落したところだ。それをまた、かき乱すことをと思わないでもない。
別にディオスだって授業が待ち遠しいわけじゃない。それに今日この時間に、本来予定されていた授業は、都合により自習に変更されているので、差し障りはないといえる。ただ、問題なのは、
……ヴィスが飽きてるんだよなあ。
この教室が安全だとわかっているので、1人で外に行きたいと意志を送ってきている。そんな彼を宥めるのは何よりも労力を使うのだ。そして、自分はヴィスに甘い。行かせたら、大惨事を引き起こす可能性が高いのをわかっていても、送り出してやりたくなる。今はまだ宥めてはいるものの、結末なんてわかりきっているので、ディオスは目を伏せた。
……ああ、早く終わんねえかな。そんで、クローフィは後で殴る。
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「できなくはないが、あまり意味はない」
「どうして? Θの証って居場所の把握をするためでしょ」
「そうだ。暴走したとき、誰がどこで起こしているか把握するための物。そして他の生徒へに警告だな。だから常に何処にいるか知ろうと思えばできる。まあ、把握できる先生も限られているがな。自分が暴走を止めれる生徒の分しか教えられていねえから、誰の暴走も止めれねえ教師はわからねえってことだ。そして、それは過干渉になるから、普段はしない。それに、長時間移動していないことがわかっても、理由が不透明だからな。まあ、簡単に言えば”知ってどうする”ってとこだ」
「……先生も大変だねー」
「一番問題なのは、教師側に余裕がなさすぎることだがな。能力を抑える機能ありのやつは、休みの日も証を持ち歩くだろ。もちろん、学校の敷地内でしか居場所の把握はできないが、そんなの慰めでも何でもない。校内ならわかっちまうからな。だから、できなくはないし、あまり意味が無いってことだ」
「その説明じゃ、わからないこと結構あるけど」
「それ以上は無理ってことね」
「そうだ。わかったなら、自分の席につけ。授業始めっから」