第4話
大変遅くなりました。
*
抱きしめている、ルシオラから力が抜ける。彼女は頭をアスの首元に預け、穏やかに呼吸をしていた。良かったと、アスはそう思う。何に対してか、わからないままに、ただ良かったと。そのことに違和感を感じたが、それの正体を見つけようとするよりも早くに、
「アス?」
そうラングの声が掛かった。まるで、何故と問うように。だからアスはその違和感を切り捨てた。
「ああ、うん、少し待って」
アスはそう言いながら、ルシオラを抱き上げる。この体勢で会話を続けるのは些か厳しい。
我関せずと言うように、書類に向き合っているツティンに軽く頭を下げ、ベッドへとルシオラを運ぶ。その時に視界の隅、この校舎から訓練場へと続く道から少し離れたところにある木に、見知った人がぶら下がっているのが見えたけれど、気にしないことにした。
*
「あちゃー、見つかっちゃったかな-?」
木にぶら下がった状態のまま、制服を着た暗い紫髪の青年は呟いた。
「何がだ?」
そう、彼に声を掛けたのは金と言うには色素が薄い髪色の青年だ。”生徒会長 ラクシュ・ルークス”と書かれた腕章をつけている。
「あれー? 生徒会長じゃん。今日は護衛のグローリアと一緒じゃないんだね、珍しい」
「ああ、今日のお昼はイリスとアリシアに誘われたんだと」
「ふーん。だから今日は、2人のテンションが高かったんだ。ってか、珍しいね。こっちの校舎の護衛は彼女が担当だし、何より生徒会長第一なのに。そっちを優先するなんてね。」
「友人のお願いを無下には出来なかったんだろ。……それに、仕事が一段落したからな。というかセイ、お前今日の4時間目の授業サボったのか」
「えー……、どうしてそう思うの?」
「いや、だってお前、グローリアと授業ペアだろ。あいつなら昼の護衛をしないことは、お前に間違いなく言うだろうが」
そうラクシュに指摘されたセイは、ばつが悪そうに眉を寄せた。
「あーうん。そうだよねー。あの子なら間違いなく直前に教えてくれるよねー」
「それで、今日サボった理由は?」
「……なんか今日は闇が深くてさ、授業に影響が出そうで。先生もわかってると思うよ。授業に闇の精霊を呼ぶのはまだ、早いから」
「それならば、セイも生徒会室に来れば良かったのに」
「うん。今、後悔してたとこ-。アスは生徒会室にいたんでしょ? 邪魔になるかもと思わずに俺もそっち行っとけばよかったー。」
「何かに、影響がでたのか?」
「うん……、たぶん増長させちゃったかも」
「はあ、だからいつも言ってるだろうが。そういう時はさっさと俺のとこに来いって」
「だって、光の貴族ルークスの次男は俺と違って生徒会で忙しいだろ」
「いつになったら、それが無駄な気遣いというやつだと気づくのかな闇の貴族オスクロの長男は」
半目で言うラクシュからセイは目を逸らした。それを見たラクシュはこれみよがしにため息をつき、
「わかった。今度から俺が積極的に会いに行くことにするわ」
「ええー!? いいよー、ちゃんと今度から会いに行くから。ラクシュを煩わせたりしないからあ」
「……お前はなんにもわかっていないな」
「わかってる、ちゃんとわかってるよー」
「はあ、うん、もういい。」
「……なんか、投げやりになってない?」
「気のせいだ」
そう言い切るラクシュにセイは納得いかない、というような顔をしていたが、やがて諦めたように笑った。その顔を見たラクシュは言葉を放った。
「で、お前はここで何をしていたんだ」
「えーと、ちょっと様子見。俺にも原因があるからさー」
「ああ、さっきの影響が出たってやつか」
「うん、そう。近くに行くと余計に影響でちゃうから、近寄れなくて」
「詳しい内容を聞いてもいいか?」
「ううん、だーめ。生徒会長は巻き込まれなくていいから」
「あっそ。だがな、どうせ校内外関係なく生徒が起こした問題は、生徒会に来るから遅かれ早かれ知ることになるだろ」
「うん、でもさ、極力巻き込みたくはないじゃん」
「そうかよ。で、俺はそろそろ生徒会室に戻ろうかと思うがお前は?」
「もう少しだけ様子見たら、俺も生徒会室行っていい?」
「構わない。ああ、それと、どうして今日は会長呼びなんだ?」
「気分ー」
「ははっ、なんだそれ」
*
「本気?」
ルシオラをベッドへ運び、ラングと向き合うと、そう問われた。世界を本当に壊す気なのか、と。
「うん、そうだよ。冗談でそんなこと言わない」
それは、きっとラングもわかっているだろう。それでも問わずにはいられなかったのだ。
「どうして?」
「どうして、か。そうだなあ、僕はね彼女に一目惚れしたんだ。それは理由にはならないかい?」
「…………」
「好きな子の願いだ。叶えてあげなくちゃね。それが男ってもんだろう?」
そう茶目っ気たっぷりに言ったアスに対して、ラングは曖昧に微笑んだ。
「……うん。そうだな」
……気付かれただろうな。
間違いなくラングに、それが世界を壊すと約束した理由ではないと。それでも、頷いてくれたのは、アスを慮ってのことだろう。良い友人を持ったと思う。けれど、それでも本当を話すことは出来ないのだ。心配をかけたくないから。
ラングに話したように、一目惚れをしたというのは嘘ではない。入学式の時に、アスは確かに彼女に目を奪われたのだから。けれど、世界を壊すと約束したのは、彼女の叫びに歓喜したから。彼女が本心から世界が嫌いだと言ったから、だからアスはそれに手を貸そうと思ったのだ。
本当に、世界を壊せるなどとは思っていない。けれど、彼女が嫌いだという、この狭い学校を少しぐらいは変えることができると、そう思いたい。
だって、初めてなのだ。自分以外で、こんなにも世界を嫌う人を見たのは。
……僕の嫌いな世界は、きっと壊れることなんてない。だけど、ルシオラが嫌いだと言う世界はきっと、変わる。いや、変えてみせるよ。
だって、ここのトップはとても優柔だ。ただ、一部だけがどうしようもないだけだから。すぐには無理でも、変えることができると、そう信じている。
そうしたらきっと、自分も少しは世界を好きになれるかもしれない。
*
「話は終わったかしら?」
会話が終わるのを見計らってか、さっきまで、我関せずを通していたツティンが言った。
「はい。どうかしたんですか?」
「ええ、少し彼を擁護しておこうかと思ってね」
「擁護ですか」
「さっきエフォートさんが言ってたでしょう? 担任が見て見ぬふりをしたって」
「ああ、はい言ってましたね」
「彼がこっちの校舎にいたってことは、たぶん理事長に呼ばれてたのでしょうね。それもかなり、急な呼び出し」
「どうしてそう思うんですか?」
「あの子にね。防御魔法が掛かってたのよ。それもかなり乱雑な。生徒にバレないように貼るにしても、もっと綺麗で丈夫に彼なら貼れるのに、ね」
「それをルシオラには言わないのですか?」
「言っても仕方のない事よ。だって、そんなことを知ったって何の気休めにもならないでしょう。私たち教師が役に立たないのは事実だもの。それなのに、気にはかけてたのよ、許してやってなんて言えるわけがないじゃない。それに思いをぶつけれる矛先は、あるに越したことはないもの。思いをぶつける先さえ消えてしまったら、人は潰れてしまうわよ」
「ならば、どうして僕たちには言うんですか」
「君らは知ってなきゃいけないでしょ。どうして、私たち教師が守ってあげられないのか、他の誰よりも知っているからこそ。だって君らはΘだもの」
「そうですね……」
教師が生徒を守ってやれない理由を、Θのメンバーは誰よりも知っている。教師は四六時中一人の生徒を見てはやれない。そんなことは当たり前だ。授業中ならば、どうにかできるけれど、休み時間や放課後はどう頑張ったって無理だ。彼らには仕事もあるから。そして、そんなことは一般生徒もわかっている。だからルシオラは言わないことを選択したのだ。
けれど、Θはそれだけではないことを知っている。彼らは学園近くで現れた、魔物の退治もしているのだ。時間が経てば、どこかのギルド員が倒すだろうけれど生徒の安全面を考え、気づいた時に危険を排除しに行く。
それに、この学園は戦闘訓練用の森や小さい島を所有している。普段は国が定期的に見回りをして強ランクの魔物退治を行っているが、使用前には先生方が念入りに探索しているのだ。訓練時は先生方が監視を行っているが、そこの住まう魔物を把握できていないと生徒に命の危険が伴う。そういった場所で行う訓練時は、転移魔法の刻まれたペンダントを生徒たちに持たせてはいる。けれどそれは一定ダメージを吸収し、蓄積量の限界になると壊れて、学園に帰還するための転移魔法陣が発動する仕様で、即死に至る攻撃に対しては意味が無いからだ。生き残る確率を上げる訓練、危機的な状況でも死なせないための訓練であり、万全の体制を取るに越したことはない。
生徒たちの能力はまちまちで彼らが対応できる魔物にも差があり、能力の低い者に合わせると能力の高い者は訓練にならない。もちろん、その逆もまたしかりである。そのため、生徒の能力を把握し、魔物の強さを把握する必要性があるのだ。訓練中に、これ以上は命の危険があるとみなされた場合、危うげ無く介入できるように。
だからその分、教師の目がある場所が減ってしまう。そう言った訓練授業の前は、特に。見回りをしていようとも、圧倒的に生徒の数のほうが多いからカバーしきれないのだ。
「不甲斐ないと言われようが、事実なのよね。どうにかしたいと思っていても、どうにかできていないのが現状だもの。あれこれと上層部も考えてはいるようだけど、教師の増員すらなかなか難しいようでね。だから私たちは当人からの文句を甘んじて受け入れる。それぐらいしかしてあげられないから。それはただの諦めだと言われてもね」
「…………」
「ほら、もうすぐチャイムが鳴るわ。授業に遅れないように、もう行きなさい」
「はい、わかりました」