第1話
オルレーム王立魔法学校1-Θクラスに所属するアス・デウテロスは裏庭で昼休みを過ごすべく、歩いていた。裏庭はΘクラスのある第三校舎まで来なければ行けないので、他生徒が来ることは殆どなく静かに過ごせるから、アスはよく利用している。他生徒がΘクラスに近づかないのは、Θクラスが自分の能力をコントロール出来ずに暴走をおこしてしまうメンバーの集まりだからだ。誰しも好んで旨味のない危険に、身を晒したくはないのだろう。
けれど、今日は違うようだ。入学してから、かれこれ半年ほど利用しているが、人と鉢合わせたのは初めてだな、とアスは息を吐いた。
裏庭に来て最初に気付いたのは、声。そして木の影に座り込んでいるその人をアスは見つけた。声を押し殺して泣く、その人を。
その人のことをアスは知っていた。ルシオラ・エフォート。平民でありながら、国内最難関の魔法学校に主席で合格した凄い人だ。
オルレーム王立魔法学校は身分を問わず、試験に合格さえすれば入学できる。そのため、試験の難易度が他の学校と比べるとかなり高く、平民が主席で合格するのはかなり稀なのだ。
加えて今年は、7つある自然属性の火・水・雷・風・土・光・闇をそれぞれ名乗ることが許されている7貴族の内、風と光、闇を除く4貴族が入学する年で例年以上に難関とされていた。因みに、Θは別枠である。
そんな背景があり、入学式で新入生代表として登壇した彼女への注目度は高かった。緊張や不安だってあっただろうに彼女はそれを感じさせなず、凛としていた。貴族のように、上に立つものとしての教育だって受けていないだろうにと、思ったのを覚えている。
あのとき見た彼女の髪は、腰まであった。根元から薄いピンクで毛先へいくに連れ濃くなり、とても美しかった。それなのに、目の前にいる彼女の髪は肩にかかるくらいの長さで不揃いになり、着ている制服だってボロボロで、ところどころ破けている。そして、手足や頬には傷があり血が滲んでいた。この様子だと服の下にも怪我があるかもしれない。
どうして彼女がそんな格好で、こんな人気のないところで隠れて泣いているのか。そんな疑問がアスの頭に浮かぶが、今はそれを考えている場合ではないだろうと、軽く首を振り雑念を追い払う。
「大丈夫?」
近づいてそっと声を掛ける。
……大丈夫、か。……不適切な言葉だ。
自分でかけた言葉に、アスはそう思った。何処をどう見ても怪我をしており、大丈夫なわけがないのに、と。けれど他の言葉が、見つからなかった。
彼女は声を掛けられて初めて、アスのことに気がついたようで、勢いよく顔を上げ乱暴に流れていた涙を拭う。そして、
「だ、大丈夫よ。放っておいて」
震える声で言った。
……やっぱり、掛ける言葉間違ったよなあ。
己の失敗に息を吐き、アスは手が届かない距離まで詰めて彼女の近くにしゃがみこんだ。
「酷い傷だねえ。ここじゃ手当出来ないから保健室行こう」
「大丈夫、大丈夫だから」
「無理そうなら、僕が連れて行くけど」
「大丈夫って言ってるじゃない。ひ、人の話、聞きなさいよ!」
「僕が大丈夫って聞いたのが悪かったけどさ、そんな泣き声で言ったって説得力ないよ」
「な、によそれ」
「ごめん。そもそも僕は君を放っておくつもりなんてないから、ね」
「自、分から面倒事に、首突っ込むなんて、バカ、じゃない、の」
ひっくひっく、としゃっくりを上げながらそう言う。彼女の目尻からまた溢れたそれが、先ほどとは違う意味であればいいとアスは思った。
「そうかなあ」
「そう、よ。見ないふりが、賢い選択だもの」
苦痛と諦めが混ざったような顔をして彼女は吐き捨てるように言う。見てる方が痛くなるようなそんな顔。
「僕はそうは思わないな。君に何があったのか知らないから、的はずれなのかもしれないけど。まあ、手当が終わったら教えてもらうさ」
「教えることは決定事項なのね」
その後に小さく「酷いわ、横暴よ」と言った彼女は泣き止んで笑っていた。
「ねえ、名前教えてよ。なんて呼べばいいかわからないわ」
「ああ、ごめん。まだ名前言ってなかったな。僕はアス・デウテロス。アスでいいよ」
「アスね、わかったわ。私はルシオラ・エフォートよ。ルシオラで構わないわ」
「うん。じゃあルシオラ、保健室に行こうか。と、その前に僕の上着羽織りなよ。なるべく人通りが少ない道を選ぶけど、人目がないとは限らないからさ」
「……あり、がと」
ルシオラの制服は破けているし泥や埃にまみれていて、あまり人に見られるのは嫌だろうと思いアスは上着を渡した。
……僕が見たことに関しては諦めて欲しいけれど、彼女がどう思っているのかわからないから、まあいい。考えても仕方がないことだ。
「ルシオラ、立てるかい?」
「ええ大丈夫、立てるわ。でも、右足が痛くて歩けそうにないから肩を貸してくれない?」
「ああ、構わないよ。ほら」
「よかった、ありがとう」
「どういたしまして。それじゃあ、行こうか」
「あー、……うん」
「どうかした?」
「……あのね、すごく今更なんだけど保健室じゃなくて別の場所に行かない?」
「理由は?」
「私、行けないから。第1保健室にも第2保健室にも、行けないから。」
その言葉にアスは首を傾げた。
主に第1保健室は貴族の子が、第2保健室は平民の子が使用している。学校は実力主義で貴族も平民も関係ないけれど、それを理解していない人もいるためだ。
先に保健室に訪れた人を手当するのは当たり前である。けれど、平民よりも優先されるのが当然だと思っている貴族の子がそれを良く思わず、過去に騒動を起こした事があり、同じことを起こさないための処置の1つだとアスは先輩から聞いたことがある。
だから、ルシオラが第1保健室に行けないのはわかる。けれど、第2保健室にも行けないと言う理由がわからない。
……行くと都合が悪い、会いたくない人がいる、利用しているところを見られたら困るとかかなあ。まあ、いいや。目的地はどちらでもないから。それに、聞くなら怪我を治療した後でもできる。
「なら、問題ないよ。これから行くのは第3保健室だから」
「第3保健室!? それってΘクラス専用で私たちは使えないわよ!」
「ああ、そう言えば言ってなかったね。僕のクラスはΘだから、大丈夫」
「えっ!?」
「うん? そんなに驚くことかなぁ」
「だって、アス。あなたΘの証つけてないじゃない」
Θの証とは蛇がモチーフに作られた装身具で、同一の物はない。指輪やペンダント、ピアスにネクタイピンなどで、みんなバラバラである。Θクラスは全学年合わせても十人ほどしかいないので、被らないようにするのは難しくないのだ。これらは先生たちがΘクラスの生徒の居場所を把握するための物で、人によっては能力を抑える機能が備わっている。
うっかり、休み時間中に暴走が起きてもすぐに駆けつけれるようにと、能力を抑えるのは暴走の規模を小さくするためだ。合同訓練時にはみんな証が見えるようにし、それとは別に顔を見せないように蛇の模様が入った仮面を付ける。Θであるとわかりやすくするためだ。近くにいると暴走に巻き込まれるかもしれないから、離れていてもらうために。
それ以外の時はだいたい、見えない位置にしている。そうしていないと、変に絡まれることがあるからだ。残念ながら髪留めは隠れる位置でないためクラスがすぐにバレてしまうが。
「ああ、そっか。ごめん、ごめん。普段は見えないようにしてるんだ。でないと、食堂の利用もままならないからね。僕のやつはアンクレットだからズボンで隠してるんだ、後で見せてあげる。だから心配無用だよ。それにルシオラ、第3保健室なら君が会いたくない人は絶対に来ないから」
「……私、会いたくない人がいるなんて言ってないわよ」
「あはは、違ったか。僕なりに予想を立ててみたんだけど」
「違って……なくは、ないけど」
「じゃあ、あってたんだ?」
「別に、良いじゃないどっちでも。そんなことより、早く行きましょ」
ばつが悪そうにルシオラが呟いた。そして話を変えるように、急かす。その様子がおかしくてアスは笑ってしまった。
「なっ、なによう」
「はははっ。なんでもない、気にしないで。ほら、保健室もうすぐ着くから」
歩いている廊下の先の方に、第3保健室と書かれた標識が見えていた。誰ともすれ違うことなく無事に付きそうだ。そもそも第三校舎に用のある一般生徒は殆どいないので、人とすれ違う可能性は低かったけれど。
Θクラスがあるこの校舎は他に理事長室や生徒会室、応接室に資料室、会議室それから第2図書室と準備室などがある。これらの部屋に生徒が来ることは少なく、必然的に生徒が歩いていることは少ないのだ。
だから生徒間の噂に疎く、ルシオラがこんなことになっている原因もよくわからない。
……僕は食堂もあんまり行かないから余計にわからないんだよねえ。平民が主席ってのが大元の理由だとは思うんだけど。違うかもしれないし。
「ねえ、本当に私が入っても平気? Θクラス専用でしょ」
「問題ないよ。別に専用でもないしね」
「そうなの?」
「うん。生徒会の人たちも、たまに利用してるんだ。それに、他クラスの人が願い下げなんじゃないかなぁ。落ちこぼれと同じところ使うのが」
「あ、……ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。僕が勝手に言ったことだし。それに僕らは誰も自分のことが落ちこぼれとは思ってないから。Θクラスはみんな未熟者なんだよ。似たような意味だって思うかもしれないけどさ」
「未熟者……。どうして、そう笑っていられるの?」
「気にしてないから。Θは他のクラスと違って担任が常にいるから、わざわざこっちまで来て嫌がらせする奴もいないしな。生徒会はいい人だし」
「………………」
その声はとても小さくて、アスはルシオラが何を言ったのか聞き取れなかった。けれど、その顔は酷く羨ましげに見えた。そんな様子にアスは何も言えなくて、ルシオラもまた何も言わず、保健室に着くまでの短い間会話が途切れたままになってしまった。