Ep.4
とある神社(琥珀神社)の境内にあるお屋敷の一室。ここに住んでいる三人の巫女と一匹の狐がこたつの中に足を突っ込みながら寝ていた。季節は春と言えども、朝方の気温はかなり低い。当然そんな中でおちおちと寝ていられるはずもなく、鈴はまだ薄暗い中、目を覚ました。
「う~さむっ...。布団で寝るんだった」
布団を敷く手間とこたつの誘惑に負けそのまま寝てしまったことに少し後悔する。同じ様に二人も寒さで目が覚めているのではないかと思い布団でも持ってこようとした矢先、目の前に広がる光景にその考えを捨てる。
「...そりゃあ、あったかいわな...」
鈴の目に映ったのは有希が琥珀の尻尾を、瑠璃が胴体をがっちりとホールドしていた姿だった。
「... ... ...]
既に目を覚ましたのか、起き上がった鈴に助けを乞うような眼差しを向ける琥珀。しかし鈴はあえてそれを見ないようにしつつ、まだ完全に開いていない目をこすりながら冬の寒さを感じさせる廊下に出た。
琥珀はそもそも助けてもらえるとは思っていなかったようで、おとなしく二人に抱きしめられる。いつか同じ苦しみを与えてやろう、と心に刻むのも忘れない。
「琥珀ーちょっと散歩してくる。二人が起きたら念話よろしく」
襖越しに声をかけてから自室に向かい、どこかワクワクした心持でジャージに着替え、外に出る。普段なら二度寝を敢行しこたつに入ってぬくぬくするが、今日は澄んだ空気にあてられ居ても立ってもいられなかった。
キャンプをした翌日早朝に感じることができる森の独特な香り、普段の生活では感じることができないの匂いが鈴を包む。
「はふぅぅ~いいにお~い」
屋敷の裏手、そこからさらに森へとつながる登山道らしきものに沿って歩く。ふと、昔家族全員で行った最後のキャンプを思い出し感傷に浸るがすぐに興味が道の奥へと向く。
小さな音だが、はっきりと聞こえる。
「水の....音??」
山の中なのであって、聞こえるのは鳥のさえずりと、風で揺れる春の若葉がこすれる音だけだ。水の流れる音を聞き取るのはそう難しいことではない。歩くこと数分。徐々に水の流れる音は近くなっていき、あたりの気温が下がっていくのを感じられる。空はすでに明るくなり、ものの数分で朝日が射すことだろう。
鈴は何かに導かれるようにして歩調を速めていき、やがて森の中にぽっかりと開いた空間に出た。
太陽が顔を出し、跳ね上がる水しぶきを色鮮やかに染める。木々の間から漏れた光が水面を反射して岩壁をキラキラと照らし、より一層幻想的な光景を作り出す。
「うわぁぁぁぁぁぁ...............」
鈴の口から出てくるのは感嘆のため息ばかりだ。目の前に広がるのは落差3メートルほどの滝。特別水量が多いわけでもなく幅もあまり広くないが、滝つぼの周りに形成されている泉のような淀み(よどみ)はそれなりの大きさを誇っており、鈴が歩いてきた道は、その端に作られている木でできた小さな桟橋に続いている。そのわきを幅二メートル、水深がふくらはぎの少し上あたりの沢が流れていく。
「あ... ...」
突然、鈴は靴のまま滝つぼに向かって歩き始める。水温は恐ろしく冷たく、足に鋭い痛みが走る。この時期の水に、なんの対策もしないまま入ることの危険性をよく知る鈴が、そんな行動をとること自体異常なことである。だが今、鈴の瞳には理性が宿っていないような虚ろな状態になっていた。躊躇いを感じさせず、その歩みが衰えることもなく、ただひたすらに滝つぼへ足を進めていく。ふとももに続き、腰あたりまで水に浸かり、服が濡れていくのも気にせず歩みを進めていく。
カウントダウンは、すでに始まっていた。
『暗い...寒い...怖い...』深い深層の真っ暗な世界。暗闇に閉ざされた空間に鈴は漂っていた。朦朧とした意識の中、思い出せるのは幻想的な滝のすぐ脇、滝つぼ付近に漂っていた霞のような物体。それが何なのかははっきりとしない。
『怖い?何が怖い』時折聞こえてくる甘い響きの声が鈴をより一層、恐怖という感情に陥らせる。
「...この場所が...わからないことが...暗い此処が...怖い...!!」
恐怖に飲み込まれながら叫び、体を丸め頭を抱える。暫くするとまた同じ声が響く。
『なら、こっちへおいで...』
そんな声と共に暗闇の向こうに小さな光点が浮かぶ。闇の中に光るそれは、鈴にとって希望の光でしかなかった。あそこへ行かなくちゃ。ここから出られるかもしれない。そんな思いが鈴の足を走らせる。
『さぁ...手を...』
光る光点の正体は真っ白な人の腕だった。まるで手を差し伸べるかのように存在するそれは、鈴にとって安心できる何かがあった。
「もう少しで...ここから出られる....」
必死にその手を掴もうと腕を伸ばす鈴。そして手を触れようとしたとき、
「!!」
向こうのほうから腕をつかまれ全身に鳥肌が立つのを感じる。掴まれた腕から感じるのは、ひどく冷たい感情。慌てて腕を振りほどこうとするが、白い腕はびくともしない。次第に力が抜けていく。かろうじて意識はあるものの、すでに全身を気だるさが襲っていた。
その時、首にかけていたスズが鳴った。小さなスズなのにその音は妙に大きく、甲高い。それでいて不快なものを全く感じさせない物だった。それと同時に温かいものが鈴を包み込み思考もクリアになる。響いている余韻に気を取られて気が付かなかったがいつの間にか白い腕からも解放されていた。そして暗闇が消え神々しいまでの白い光で埋め尽くされた。
意識がはっきりし始め、妙な息苦しさを覚える。
「!!!!」
鈴はここで初めて自分が水中にいることに気がついた。慌てて水面に顔を出そうとするが、水の流れがそれをさせない。まるで逃がしはしない、とでもいうように水中に押しとどめる。
視界が歪みながらも水深の浅い所へ移動しようとする。ここでパニックに陥らないかったのはひとえに、鈴の経験があるからこそだろう。しかし一向に体は進まない。水の流れが鈴をより深い場所へ引き込むべく、激しさを増す。
何かがおかしい。
鈴はやっと気が付いた。普通ならここまで巻き込まれる筈はないのだ。規模の大きな滝ならわからなくもない。だが水量もないような、せいぜい落差3メートルほどのもの。滝つぼ周辺から外れてしまえば引き込まれることはまず無い。だが抜け出せない。
その事実が鈴をパニックに陥れていく。
なぜ?どうして?そんな答えも出ない疑問が鈴を支配していく。
ふと自分の足首に違和感を感じた鈴は自らの足に目を向ける。水のせいではっきりとは見えないものの何かが自分の足首を掴んでいるのはわかった。そしてそれは人型の何かにつながっており、それと目が合う。
「ぶふぁ!!」
驚きと焦り、恐怖で肺に残った空気を吐き出してしまう。
それは抵抗が薄くなった鈴をゆっくりと引き寄せ始める。その顔には激しい憎悪を浮かべ、目は白く濁っていた。
その時、一瞬何かが光ったと思うと、白い手が鈴の足を解放する。この機を逃すか、とばかりに朦朧とする意識をたたき起こしながら水面へと向かう。
「ぷふぁあああ!!」
勢いよく顔を出し、新鮮な空気を肺一杯に吸い込み、2.3回大きく息を吸う。体全体に酸素がめぐっていくのを感じられる。水の流れは驚くほど緩やか、いや流れなどない。まるで池や湖のような状態になっていた。
「大丈夫か?鈴」
水面から顔を出した鈴に声を掛けたのは40歳の男性。その正体は金色の毛をもった2メートルほどのもっふもふの生物。今までとは違った怒りの雰囲気を発していて、どこか己の無力さを悔いているような顔をし、水面に立ちながら滝つぼ周辺をにらんでいる。
よくよく見ると、琥珀が立っている付近の水は凪いているが、それ以外の場所は相変わらず大荒れに荒れていた。
「されっ!!!」
琥珀の怒気のこもった言葉は、低く、大きくないにしても息が詰まるかと思った。
滝つぼのあたりに目を向けると、忌々し気にこちらをにらみつけながら、霞が晴れるかのように水に溶けていくモノの姿があった。
やがて付近は穏やかになり、鈴が最初に見た時と同じような幻想的な風景を醸し出した。
「先に岸に上がっていろ。...まさか、ここまで力が落ちていたとは...」
苦々し気にそう促す琥珀に素直に従い、震える手足を懸命に動かしなんとか岸に向かい水から上がる。どれだけ水に浸かっていたのか分からないが、体は驚くほど冷たくなっていた。
ばさりと、琥珀が自らの羽織を鈴に投げ渡す。
慌てて受け取り、お礼を言おうと顔を上げたが、琥珀はすでに鈴の方を向いていない。それどころか、人化を解き、元の狐に戻っていた。
「~~~~~~~~~」
滝周辺に響き渡る音。琥珀が全く聞き取れない言葉を発している。いっそ旋律のようなその音は滝の流れにも負けず鈴の心に染み渡り、鈴を襲っていた恐怖をさらに和らげた。
琥珀が口を閉ざすとその後すぐに滝全体が一瞬淡く光り元の滝へと戻った。用は済んだのか踵を返し呆然としている鈴の元に歩いてくる。太陽の光に照らされた水しぶきをバックに金色の毛並みを輝かせながら水面を歩いてくる光景はとても神々しかった。
「行こう」
琥珀は再び人型になるとそっと鈴の方を抱き立ち上がらせ、未だ震える足を引きずるようにしながら歩く鈴を支えて戻りの道を歩いた。その間、一人と一匹は言葉を口にしなかった。
「あ...琥珀おかえり..って鈴ねぇ!?なんでびしょびしょ!?」
「何やってたの鈴...」
玄関から上がると床がひどいことになるので、土間から上がることになったため、丁度朝食の用意をしていた二人に声を掛けられる。
「琥珀様..あの..いったい何が?勢いよく飛び出して行ったと思ったら鈴がずぶ濡れで帰ってくるとか...」
「説明は後。鈴、とりあえずしっかり暖まってこい。ここは私が拭いておく」
「...うん」
精神的にやられ、元気のない鈴はふらふらとした足取りで風呂場へ向かう。
その後姿を二人は疑問符を浮かべながら見送る。しかし事情を知らない二人にとって優先順位は朝ごはんの支度なので再び朝食の準備を進めていった。
風呂場に着いた鈴はびしょびしょになった服を脱ぎ捨てる。すでに体全体冷え切っており、唇も変色していた。この風呂は常時沸いた状態になっている。瑠璃が琥珀に無理を言って昨日のうちにやってもらったらしい。木でできた浴槽は広く、どこの旅館だよ、という感想が最初に出たのは言うまでもない。
「ふぅ..ふぁ~~~」
体をジーンとした感覚が伝う。その気持ち良さは何にも言い難い。しかし、ほんとに気を抜けたか、と言われれば、答えは否。まだ恐怖は残っている。それにあれはいったい何だったのか、だとか琥珀が何をしたのかなど疑問も絶えない。考えても結局答えが出なかった鈴は諦めて滝つぼでの冷たさや諸々を忘れるためにゆっくりと温まる。結局鈴は、有希が朝食ができたと呼びに来るまでその身を湯船に沈ませていた。
鈴が風呂から出た後、皆口数少ないまま朝食を取り、琥珀に連れられ拝殿に移動してきた。琥珀は、前に三人が並んだ状態で座ったことを確認しおもむろに口を開く。
「今回鈴が行ったあの滝は、黄泉の国との境界だ。今までは私の力で境界を維持してきたんだが...最近は手が回らなくてな」
いつにもなく増して真剣に話す琥珀。三人は口を挟むことなく聞いていた。
黄泉の国とは、わかりやすく言うと死者の国のことだ。琥珀曰く、あの場所はこの世とあの世をつなぐ関所で、鈴が見たあの小さな桟橋は渡し船の船着き場のような役割を持っていたらしい。
「この神社がある山全体にこういった場所がある。たとえばここへ登ってくる途中の階段、二本の木が立っていてその間を縄が張ってあったはずだ」
琥珀の言葉に瑠璃と有希は何それ?、といった顔をしていたが鈴のみ、そういえば、と心当たりがあったような顔をしていた。
「やはり鈴には見えていか。あの縄には人払いの術式が付与されている。人払いとはその名の通り人を払うもの、認識させないようにするものだ。それを鈴は認識できた、だからこそ、あそこに呼び込まれたんだろう」
鈴はいまいち理解できなかったが、琥珀から霊感のようなものが強いからだ、といわれてようやく納得する。
「今後も似たようなことは起こるの?」
おずおずと鈴が質問する。その表情はできれば今後一切関わりたくない、という気持ちをありありと表していた。
「あの滝に限ったことで言えば、しばらくは起こらない、としか言えない。先も言った通り、この山周辺、さらに言えばこの地域全体にもその手の場所は存在している。場当たり的な対処しかしてこなかったつけが回って怖い思いをさせてしまった...先に言っておくべきだったな。すまない」
社の維持管理に必要なリソースまで使っている、手紙に書いてあったことはこういったところで問題を発生させていた。そう説明する琥珀の耳はどことなく力が抜けて見えた。
このようなことが起こった以上、責任を持って三人を早急に帰そうと決意を口にしたところ、返ってきたのは、ため息を添えた前回と全く同じ反応だった。三人としても一度引き受けた以上、協力するつもりでいる。こんこんと琥珀を説き伏せた後、鈴が口を開く。
「まぁ、今回のことはもういいや。いや、前もって説明は欲しかったけど。助けてくれたから...」
そもそも説明される前に勝手にウロチョロしたのは鈴なのでその負い目もありそこまで強くは言えない。それに、助けられたとき琥珀から渡された羽織はとても暖かいものだった。それこそ、不安や恐怖を拭い去ってくれるくらいには。だからこそ、感謝の気持ちが大きいし、現状を何とかする恩返しがしたい。
「じゃあ、当面の目標は琥珀の力の復活、ってことでいいかな?」
有希の言葉に力強くうなずく。それと同時にお風呂で考えていたことを口にする。
「そうだ琥珀。この手のことに対する対処法を教えて?いつ似たようなことが起きるかわからないし」
鈴が言う対処法とはどこにどんな物があってどんな働きをしているかなどの前提知識から実際に綻びを修復する祝詞、さらには怪異に対する処置まで想定していた。
その言葉に他二名は感心するような眼を鈴に向け、具体的にどうするべきか議論を始めた。そんな様子に琥珀は、申し訳ないやら頼もしいやら複雑な感情を持ちつつ、一旦この場を開くことにする。
「その辺りはまた後にして少し休憩だ。以上解散」
琥珀がそう締めくくり、いつにもまして忙しい朝は過ぎて行った。




