② 最高だった
②
最高だった。
宝来軒のラーメンは、基本骨ベースのスープなのだが、何の骨でスープを取っているのか不明だった。
おそらく豚や鶏などの複数の骨でダシを取っているのだと思うが。
バランスよくまとめられたスープはスッキリとしているのに濃厚の味で、一旦食すと箸の手は止まらず、いくらでも麺をすすれて、汁は完飲してまうのは必然の行為。どんなご馳走があろうと、このラーメンに勝るものは無いだろうと、真子は確信していた。
大好物の宝来軒のラーメンを食べたなら気持ちは晴れ晴れになるものだが、横にいるギンを見えてしまって、これからどうなるのかと深く考えて、真子の心は曇っていた。
残念ながら大好物を食べたからといって、事象は解消されるものではなかった。
重い足取りのまま、真子は久方ぶり我が家へと帰り着いた。家はマンションの六階。今の時代に有った設備が整っている新しめの建築物である。
美由が玄関ドアを開くと共に、一匹の犬‥キャバリア・キングチャールズ・スパニエル(通称・キャバリア)が跳びかかってきた。
「チクワちゃん、良い子にしていた? 真子ちゃんが帰ってきたわよ」
美由の足元で、はしゃぐ愛犬の頭を撫でてあげる。
白と赤褐色の毛並みが、見た目が練り物食品のチクワを思わせたので名付けられた名前である。座敷犬サイズで、このマンションで飼う事が許されている犬種なのだ。
チクワは尻尾をブンブンと、もう一丁ブンブンと忙しく振り回し、主の帰宅に喜び溢れていたが、真子の方を見ると否や「ワンワン!」と、けたたましく吠え始めたのだ。
人懐っこく、他の人ましてや家族には滅多に吠えないチクワの行為に、真子たちは驚きを隠せなかった。
「ちょ、ちょっと! どうしたのよ、チクワ?」
美由がたしなめるも、チクワは真子に向かって吠えるのを止めない。
『多分、わしのことを気付いているのだろうな』
とギンが、ぽつりと呟いた。
(アンタの事が見えているの?)
『それは解らんが、こやつら獣は人間にはない鋭い感覚を持っている。それでわしの気配に気付いたのだろう。なに珍しいことではい』
猫が何もない所を凝視したり、犬も何もない所を吠えたりする時がある。それは人間が気付かないものを、感じ取っているのだろう。
『‥‥この犬は、いつから飼っているのだ?』
(えーと、確か私が四歳の時かな。チクワはもう十歳になるんだけど‥‥)
『そうか‥‥小さい頃からり付き合いになるんだな。しかし、十歳の割にはキャンキャンと元気だのう』
真子とギンが話している間も、チクワは吠え続けていた。
いっこうに吠え止まないチクワに煩わしく思ったギンは、
『どれ、少し威厳を見せてやるかの』
チクワをギラっと睨んだ。
するとチクワは、先ほどギンが言う鋭い感覚で並々ならぬモノを感じ取ったのか、ピタっと吠えるのを止め、怯えながらその場から逃げ去ると、居間のソファーの下へ隠れてしまった。
『ふん、他愛も無い』
さも当然のように勝ち誇っているギンの頭を、「バシッ!」と強く叩いた。
『な、何をする!』
(何をするじゃないの!)
そういい、真子はギンの首根っこを掴む。
(何、ウチの可愛いチクワを脅しているのよ!)
『うぉ、あ、な、何をする、や、やめ‥‥』
真子はギリギリとギンの首を絞めながら、ギンにも負けない凄みを効かせて睨んだ。
「一体、どうしたのかしら。それと、真子もどうしたの?」
チクワの普段見せない行動や、真子が何もない空間を掴んでいるのを見て、母は首を傾げる。
「な、何でもないよ!」
パッと真子はギンを放し、平静を取り繕う。
「とにかく、今日はもうゆっくりして寝ときなさい」
「う、うん。そうする」
自分の部屋へと向かうとしたが、再び美由が呼び止めた。
「あ、真子。ところで明日の学校は、どうする? 念の為にお休みする?」
今日は日曜日だった。
真子が気を失って倒れたのは水曜日。つまり二日間は学校を休んでいたのだ。
体調は、変な猫が見えるだけで何も問題は無かったので、休む理由は無かった。いや、本来なら休むべきなのだが、美由の心配な表情を見れば、これ以上心配を掛けてはいけないと気遣った。
「大丈夫、大丈夫。平気平気、行くよ! それじゃ、ちょっと寝るからね」
もはや口癖になってしまったように、健全であることを強調する言葉を二度繰り返した。
真子は久しぶりの自分の部屋に入ると、すぐに力無くベッドに倒れこんだ。
やはり自分のベッドは心地良かった。病院のベッドは清潔なのだが清潔過ぎて、敷布団は堅かったのが肌に合わなかった。
ホッと安らぎの息を吐いてから、改めて隣にいる得体も知らないモノを横目で見た。
「で、あんたは本当に一体何なの?」
『言ったろう、電脳生命体だと』
車の中で話した内容のままだったが、
「電脳生命体か‥‥あれ? そもそもなんで私、電脳生命体に聞き覚えが有ったんだっけ? あ、なんだろう。なんか、今、ふとなんか思い出したような‥‥」
真子は起き上がり、机の上に置かれていた自分の電子情報端末機を手に取り、電源を入れるが――
「あれ、起動しない?」
何度も起動ボタンを押すが、電子情報端末機はウンともスンともしなかった。バッテリー切れを疑い、電源ケーブルを差し込んでみたが、状態は変わらず。
「壊れている? なんで‥‥」
真子は動かない電子情報端末機を、じっと見つめていると、
「あっ!」
ふと思い出した。
自分が意識を失った日のことを――




