⑤ どうだい中神君
⑤
時刻は午前二時を過ぎていた。
ここは伊河総合病院。
先日、真子が姿を変えて凶暴化した子供と戦った廊下を、学生服を着た少年が手に電子情報端末機をかざしながら独り歩いていた。
子供が付けた戦いの傷跡は応急処置により目立たなくなっており、看護師や患者たちから上手く誤魔化せているようだった。
引き続き少年は周りを注意深く見渡していると、背後から人の気配を感じ取り、振り返った。
「どうだい中神君、わざわざ出向いて貰ってすまないね。しかもこんな夜分に」
中神という少年に声をかけたのは、医師の木戸だった。
「別に問題ありませんよ。電脳生体士〈カウンセラー〉としての役目なので。それにネットを介して情報のやり取りをすれば、電脳生命体に盗み見られてしまいますから、直接見るように言われてますから」
「不便なものだね。しかし、電脳生体士〈カウンセラー〉が中神くんみたいに若い子がいるんだね」
「これに関しては、あまり年齢は関係ありませんよ」
「そ、そうかい。ところでで何か解ったかい?」
「電脳生命体特有の電磁を感じます。ここで強く電脳化してしまったのでしょう」
中神が持つ電子情報端末機のモニターでも、特殊な電磁波を計測しており僅かながら検知していた。
「まあ、そうなんだろうね」
「それで、電脳化してしまった子供は?」
「患者なら特別病棟に拘束しているが、ちょっと変化があってね」
「変化が、ですか?」
「該当患者の電脳化レベルは3だったんだが、それがレベル2まで下がっているんだよ」
「え? レベル3ってということは狂変に‥‥。しかし、一旦電脳化を発症してしまうと、普通症状は改善されないはずですが?」
「そうだろう。だが、改善している傾向にあるんだよ」
「‥‥何か変わったことがありましたか?」
「電脳化レベル3に達した夜に、ある患者と遭遇して、ちょっと‥‥一騒動がありましてね」
「ある患者と一騒動?」
「まあ‥‥。君と同じ年頃の女の子なんだけど。その子と、この廊下で遭遇して‥‥どうも襲われてしまったんだよ」
「襲われた? それで?」
「暴れた形跡はあったが、女の子に傷つけられた跡は無くて、その後すぐに電脳化患者と一緒に気を失って倒れていたようだよ。女の子の方は覚えが無いと言ってたから、余計な混乱を招かないように、あえて伏せておいたよ」
「‥‥その女子の情報を教えてくれませんか?」
「ああ、解っているよ。詳しくは移動しながら説明するよ。とりあえず、患者の様態を見るのだろう」
中神と木戸は特別病棟へ向かう。厳重なセキュリティゲートを通っていき、ある患者の病室へと辿り着いた。
病室の中央に機械化のベッドが設置されており、寝かされていたのは真子を襲った子供が身体を拘束されているものの、静かに眠っていた。
子供は一週間前にバーチャル症候群を発症して、この病院に入院していた。電脳化の恐れがあり、この特別病棟へ収容されたのである。
「あれは薬で眠らせている訳じゃないんですね?」
「ええ、自分の意思で眠っています。拘束の必要性は無いのですが、念のために」
「そうですか‥‥」
「ところで、現時点でどこまで判明しているんだ? この電脳化は電脳生命体の仕業であるというのは言われているが、そもそも電脳生命体というのは、本当に何なのだ? 早く恒久的な対処策を講じて貰わないと、ウチの看護師たちも生傷が絶えないよ」
「対処策や原因究明については、今も調査を行っていますが‥‥。電脳生命体は、ペア社や政府の公式アナウンスとしては、B言語で作られた人工知能体だということです。かつてC言語などで作られた人工知能は、基本学習機能でしかありませんでしたけど、B言語で作られた人工知能は独自で思考する機能があり、それが電脳生命体という存在が生まれたということです。そいつらが、なぜ、こちらの世界や人間にちょっかいを出してくるのかは、未だ判明していません」
「未だ原因不明か。医者としては一番聞きたくない言葉だ。しかし、噂では千代田佳那の怨念とも言われているが、それは?」
「ただの噂です。電脳化は電脳生命体が絡んでいる以外は不明です」
中神はきっぱりと否定し、木戸はこれ以上問うのは不可だと判断した。
「ところで、この子供に襲われた女性とは?」
「ああ、そうだった」と、木戸は自身の電子情報端末機を手に取り、操作を行う。
「えっと、名前は藤宮真子で、伊河市の中央中学校の生徒さんだ」
「藤宮真子?」
中神の眉がぴくっと反応した。その名前に聞き覚えがあったからだった。
「どうしましたか?」
「いえ、別に‥‥。解りました。その人とは自分の方で様子を見に行きますよ」
そう言い残し、中神はその場を去ったのであった。