WIP 4/? チュートリアル
桶に涌かしたお湯をいれて、それで体を流すだけという簡素な風呂を終えた。
タスさんが早さにこだわるから簡素にすませたわけではない。この時代、この地方で風呂といえば、このようなものが一般的なのだ。
タスさんはメイド服に着替える。下着は薄いワンピースのような女児用のものといわゆる『かぼちゃぱんつ』と言われるズロワースで、素材の問題だろうか、軽く風通しがいいののだが少しチクチクした。
練兵場に出る。
ぐるりと邸宅を囲む壁と、本邸のあいだにある広いスペースがそれにあたる。
巻き藁が立っていたり的にされすぎて穴だらけの木材が並んでいるせいで、屋敷の雰囲気を無骨なものにしてしまっている場所だ。中は幽霊屋敷、外は戦場跡といった邸宅だ。幽霊話には事欠かなさそうである。
「使いたいのは弩よね?
どんな武器かは知っているかしら?
木材と鉄材、それに丈夫な紐で作られた飛び道具よ。
矢をつがえたらハンドルを回して弦を引き絞って装填するの。
発射は本体下部にあるトリガーを押すことで行なうわ。
使い手の腕力に関係なく、精度の高い矢を遠くまで飛ばせるわ。
ただし、ハンドルを回して弦を引き絞る、という仕様になっているから……
そのせいで連射力がないのが難点ね。
複数持ちができればある程度はカバーできる欠点だと思うわ。
でも、1個1個が別に小さいわけでもないし……
機構が複雑なせいで値段が高いのよね。
だからうちの領土にもあまりないわ。
というか手持ちの多くは父と一緒に東の戦場にあるわね。
長所と欠点からわかるかもしれないけれど……
この武器の用法は、遠距離からの精密射撃ね。
敵の指揮官や騎馬兵を狙うの。
重要人物や速度のある兵が戦線から離脱すれば……
敵軍を混乱させたり勢いを削いだりできるわ。
場合によっては一矢で戦闘を治めてしまうこともある……
弩はそういう武器なのよ」
レクチャーが終わり、実物を渡される。
10歳前後の少女でしかないタスさんが持つと、かなり大きく思える。
上から見れば『个』のようなかたちをしていた。縦棒の部分にトリガーや矢をつがえる場所があり『人』の交わった部分から矢が飛び出す仕掛けだ。
回転しながら飛ぶ矢尻はジャイロ効果によって長い距離までとどく。
最大飛距離は物にもよるがおおよそ100メートルほど。
正確に狙える有効射程はもちろんその半分以下だが、木々に隠れながらならば見張りに気付かれず城の番兵を狙い撃つなどという芸当も可能だ。
「まずは……そうね。
あっちに木の板が立ててあるでしょう?
木炭でうっすら黒い印を付けてあるんだけれど……
見える?
かなり薄いから、目をこらさないと難しわよね。
少しでも目が悪いと見えないでしょう。
父は、あの印が見えない者はそもそも弩兵の資格なしと判断するようね。
……あら、見えるの?
それじゃあ第1関門は突破ね。
じゃあ、その印を目指して撃ってみてくれるかしら?
……とはいえ、最初から当てられなくてもいいからね。
あの印は矢尻と同じ大きさなの。
つまり、ほんのわずかもぶらさず当てないと当たらないのよ。
しかもあちらからこちらまで、100ピエは距離があるわ。
今日初めて弩に触ったばかりで当てられたら奇跡よね」
つまり的まではおおよそ30~35メートルだ。
野球のピッチャーマウンドからバッターまでの距離が18メートルほどと考えれば、かなり遠い。的は人間大のはずが小さく見えた。初心者が狙い通りに矢を飛ばせる距離ではない。
タスさんは弩を持って、まっすぐに的を狙う。
重い。幼女の肉体では真っ直ぐ構えるだけでけっこうな重労働だ。
第1射を放つ。
火薬で飛ばすわけではないので、音は静かだ。
カシュッ、と弦が弾かれ、矢がわずかな風切り音とともに飛んでいく。
一瞬で的まで到達する速度だった。
しかし、矢は大きく狙いを外れて的直下の地面に突き刺さった。
「あら、意外と的の近くまで飛んだわね。
初めてにしては上手よ。
……もう一射やる?
ふふ、悔しいのね。
さっきも言ったけれど、初めてで印には当たらないわ。
あなたぐらいの年齢の子では板に当てるのも難しいと思うわよ?
え? 『次は当てる』って?
……あらあら、負けず嫌いなのね。
わかったわ。
満足するまで付き合ってあげる」
矢が渡される。
手順さえ知っていれば、つがえる方は問題がない。
やはり的に当たらない理由は明白だった。
ステータスの不足だ。
遠くの的に矢を当てるというのは、弩の扱いに熟達している必要がある。矢をまっすぐかまえる腕力、遠くの的を狙う集中力、視力はもちろん体をしっかり支えるために脚力もいるはずだ。
そもそも戦いは大人の仕事である。……年齢的な問題ではなく、肉体的な話だ。二次性徴を終えてもいなさそうなタスさんの肉体では武器を扱うのは少々早い。
しかし、TASは不可能を可能にする。
……厳密に言えば本当の『不可能』は可能にできない。改造コードによってゲームデータを書き換える行為――いわゆる『チート』ならば可能かもしれない。しかしTASはチートではない。
なので、理論上可能なことなことしかできない、という限界はある。
では10歳前後の少女が初めて扱う弩で的に描かれた小さな印を射貫くことは理論上可能か?
答えは『可能』だ。
たとえば大上段に構えた弩を目をつむって振り下ろし、その過程でトリガーを押せば、偶然、矢が的に描かれた印に当たることはありうる。
『偶然』とか『奇跡的に』可能になるならば、TASは本当に成功させる。
それは『乱数調整』と呼ばれるものがあるからだ。
ゲームにはランダム性がある。
RPGで敵を倒した際に得られるアイテム、SLGでユニット同士が戦った場合の被・与ダメージ、ランダムダンジョン制ゲームで生成されるダンジョンマップなど、運勢がからむものは多い。
放った攻撃が命中するか否かもその最たるものだ。
そういったゲーム内でのランダム性は『乱数』というものにより決定されている。
この『乱数』の変化パターン・変化させるための行動を解析して操る行為――ゲーム世界での運命を自分に都合良くねじ曲げることを『乱数調整』と呼ぶのだ。
どうしたら乱数が変化するかを熟知するか、乱数自体を観測することができれば、この乱数調整は可能になる。
そしてタスさんは先ほどムービースキップのためのボタンを探した時に、乱数が見えることを確認済みだった。
乱数調整はチャートと並ぶ2大重要項目の1つである。
つまりTASとは、実機ではとうてい望めない幸運や手腕が前提のチャートを、乱数調整とツールを使った細かいセーブ&ロードによって、傍目にはミスを観測しえないプレイングをすることで実現していくことなのである。
矢をつがえ終えた。
タスさんは的をジッと見据える。
そして、いきなり踊り始めた。
くるくるとメイド服の長いスカートを翻して、無表情のまま踊る。
長い金髪が動きに合わせて舞った。
シャルロットが目をパチクリさせて問いかける。
「……なにをしているの?
え、えっと……『乱数調整』?
……不勉強でごめんなさい。
あなたがなにを言っているのかまったくわからないわ。
それよりも、弩を持ったまま動き回ると危ないわよ……
って、トリガーに指をかけないで!
――ああ、発射した!?
もう、危ないって言ってる――」
言葉が止まる。
シャルロットの視線が、ある一点に釘付けになった。
踊りながら放たれた矢――
それはうなりをあげながら、的に描かれた印を貫いた。
シャルロットが絶句する。
それから、咳払いした。
「ご、ごほん……
えっと……
ぐ、偶然よ?
こんなのは、偶然だからね!?
普通、踊りながら撃って矢が的に命中するなんてありえないのよ!?
それどころか、危ないことなんだからね!?
だから、次はちゃんと止まって――
――ってまた発射した!?
だから動きながら撃つなんて――」
矢は再び的へ吸い込まれる。
先ほど当たった場所のすぐ隣だ。
……弩の矢は鋼鉄製だ。同じ位置に撃ったとしても、先に突き刺さった矢に弾かれ地面に落ちるだけだろう。
高速で飛ぶ矢が命中する瞬間は人間の目だと捉えきれない場合もある。シャルロットに実力を認めさせるためにも、矢には突き刺さっていてもらわないと困るのだ。
「……もしかして、狙ってやっているの?
ううん……『もちろんそう』ですって?
こんなふざけた撃ち方見たことないわ……
でも、狙って当たるんだから、当たる撃ち方なのよね?
……間近に見ても信じられないわ。
ねえ、もしその撃ち方で本当に狙いの場所に飛ばせるなら――
これから示す場所に当ててみせてくれる?
……『簡単だ』って?
じゃあ……あそこはどう?」
シャルロットが新たな的を指さす。
地面に立っている巻き藁だ。剣の特訓などで利用するのだろう、近場には木剣も落ちていた。
距離はおおよそ35から40メートル。
……弩の名手と呼ばれるほどの使い手に要求するような距離だ。
接近戦の練兵場と飛び道具の練兵場は遠い。安全性の観点から離されているのだろう。近場に他に対象物になるようなものなどないとはいえいちいち要求水準が高すぎる。
ともあれ問題はない。
弩は誰が扱おうと飛距離と威力が出るのだ。
幼女の腕力だからといって飛距離が出ないようなことはない。有効射程内であれば相手が飛び回る蠅であろうが『偶然』『奇跡的に』命中させてみせるのがTASである。
踊りながら矢を放つ。
今までよりやや長い時間をかけて、あやまたず矢は目標に命中する。
巻き藁を人間に見立てるならば、胸部中央よりやや左側。……心臓の位置だ。アレが生き物であれば自分が死んだことにすら気付けないであろうほどの、見事な狙撃手としての手腕だった。
「……本当に、狙った場所に飛ばせるのね。
それ、止まって撃つのは無理なの?
うん? なに? 『止まると当たらないだろ!』ですって?
無理なのね……
んー……
結果を出せるなら、経過なんかどうでもいいのだけれど……
すごく腑に落ちないわ。
でも、手腕は本当に見事ね……
あなたは弓の守り神に愛されているのかもしれないわね。
神童というか、天才というか……
とにかく賞賛する言葉が見つからないほどすごいわ」
感嘆したような声だった。
シャルロットの目は神聖なものでも見るかのように細められている。
「それにしても……
踊りながら矢を射る狙撃手……ねえ。
父がよく言っていたことは思い出すわ。
たしか……『戦乱期には特異な才能が生まれる』とか。
あと『特異な才能には使命が課せられる』とも……
あなたぐらいの天才性だと、どんな使命があるのかしらね?
え? 『ネタバレはしない主義』?
……不思議な言葉をよく使うわよね。
ま、まあいいわ。
弩はあなたにあげる。
でも、戦闘訓練だけしていればいいというわけではないわ。
やっぱり戦い一辺倒じゃダメだと思うのよ。
家事とかも教えるから――
終わったら、使用人服から他の服にお着替えしましょうね?
約束よ?」