30話 WIP 30/? 玉座(中編)
女性。
年齢は、若くとも30代後半だろう。もともとは美しい容姿をしていたのだろうが、顔立ちからにじむ苦労や、表情の険しさが、その印象を醜いものにしてしまっている。
身に纏っているのは、赤い、豪華なドレスだ。襟の高さ、膨らんだ肩口、スカートの広がりなどで体を大きく見せているものの、どうしても地の細さが隠せない――スタイルがいいわけではない。やつれている、貧乏そうな印象を見る者に与える、枯れ枝のような矮躯だった。
女性は、腕の中に赤ん坊を抱いていた。
すやすやと眠る、まだ髪の生えそろっていない、かわいらしい赤子だ。
王位継承者、オデットと玉座を争う対立候補――
そう目されていた、しかし実際には何ら王位継承権のない、まだ何もわからないまま利用されてしまった、哀れな子供だった。
オデットが女性を見て妙な顔をする。
「……伯母様、なぜそこに座っておいでなのでしょうか」
一瞬呼称をためらったのは、彼女が本当は伯母でもなんでもないということが、証明されてしまったからだった。
しかし、他に咄嗟に出てくる呼び名もない。
ただそれだけの理由で『伯母様』と呼ばれた女は、玉座の上からオデットをにらみつける。
「あたくしが座っているのではありません。
この子が座っているのです」
示されたのは、腕に抱かれた赤子だった。
オデットが毅然と女性を見つめ返す。
「トリスタン伯父様との面会が叶いました。
あなたも、その子も、伯父様とは何の関係もないという書状を頂いております。
ですからその子に――あなたに玉座に就く資格はございませんわ。
どうぞ、お引き取りを」
玉座の女性は舌打ちをした。
そして、怨嗟の篭もった瞳でオデットをにらみつける。
「……死ねばいいのに。
本当は、本当であれば、私がここにいるはずだったのに。
祖母が身を引かなければ、私だって王族だったはずなのに。
お前の祖父のせいで、私は、街で、生活もままならなくて、辛い思いばかりして。
本当、死ねばいい。
恵まれているお前たちは、みんな、死ねばいい!」
「……なるほど。
あなたのおばあさまが王族であることを捨てたのは、わたくしの祖父の責任ですわね。
祖父がいとこであるあなたのおばあさまを身ごもらせなければ――
あるいは、そういった現在もあったのでしょう。
ですが罪は罪ですわ。
あなたと、あなたを操った宰相も、捕らえられることとなるでしょう」
「私に罪なんてない!
悪いのは、お前の祖父だ!
私の祖母を追い払ってまで対面を維持した今の王家が、悪い!」
「たしかに王家の現状についてどちらが悪いかは、専門家を集めての議論が必要ですわね。
でも――もっと簡単なところで、あなたは罪を犯してしますわ。
赤ん坊を使って嘘をついたでしょう?
嘘つきは、いけないことですわよ?」
にっこりと微笑む。
玉座の女性が顔を真っ赤にし、言葉にならない叫びを上げる。
見かねたように、玉座の陰から出てくる人物がいた。
それは、やつれた男だった。
豪奢な服を着ているが、まるで似合っていない――目は落ちくぼみ、背は曲がり、どこか顔立ちに陰湿な陰があるせいだろう。
玉座に座る女と、玉座の陰から現れた男。
この二人の雰囲気は、こうして並ぶと驚くほどよく似ていた。
陰湿そうな男が口を開く。
「もうよろしいでしょう。
オデット女王陛下とあなたでは、役者が違いましたな」
玉座の女性がなにか言いたげに口をパクパクさせる。
しかし、陰湿そうな男は、右手に持ってる、鷲の金飾りのついた短杖で制した。
「お帰りなさいませ女王陛下。
忠臣ヤニック、ご無事の帰還を心よりお慶び申し上げます」
うやうやしく片膝を着く。
対して、迎えられたオデットの表情は険しい。
「宰相ヤニック。
……覚悟はできたということで、よろしいかしら?」
「覚悟?
これはおかしなことをおっしゃいますな。
覚悟が必要なのは、あなた方の方でしょう」
ヤニックが短杖で玉座を小突く。
コンコン、という音が響き――
あたりの柱の陰から、武装した兵隊が出現した。
タスさんはシャルロットの馬から下りて、周囲に視線を巡らせる。
敵の数は六。
その誰もが青と黒で染め上げられた、見事な鎧を着ていた。
武装も槍、剣、弩と様々で、しかも、同時に二種類の武器を装備していた。
一応、近衛兵に分類されるが――
ゲーム的に言うならば、宰相とあからさまに敵対しないと出てこない、近衛兵の上位種とでも言うべき性能を持ったユニットである。
ルートによってはここに来るまでに何度か戦っている。
しかし、現在はルートがルートなので初見だった。
たった六人。
そう言ってしまえば、もっと多数の敵を相手どったこともあった。
しかし、性能が段違いである――戦略SLGで殴って固いユニットはだいたい厄介なユニットであり、この上位版近衛兵もまた、殴ると固いユニットだった。
攻撃力だって高い。
今のような低レベル進行の場合、運がよければ一発耐えきれるかどうか、というあたりだ。
その相手の一人――一番手近にいる、槍と弩を装備した相手に。
タスさんは、ツカツカと近寄った。
シャルロットが叫ぶ。
「ちょっとタスさん!?」
が、当然、タスさんは無視である。
ツカツカ近寄って。
相手の目の前で止まって。
それから、ジッと相手の顔を見上げた。
しばし、敵と目が合う。
いきなりの空気を無視した行動に、全員の視線も、そこに集まっただろう。
近衛兵とタスさん。
屈強で真面目そうな、三十代半ばといった様子の男性と、金髪幼女が、見つめ合う。
時が止まったかのような、不思議な空気が流れた。
数秒だろうか。十数秒だろうか。
ある意味で子供らしいとさえ言えるタスさんの行動を、しかしシャルロットは信用していた。
今までだって、さんざんわけのわからないことをしてきた。
ならば、今、いかにも『その手に剣があるでしょ。あなたと私は敵対してるでしょ。だから斬ってください』と言わんばかりの行動にだって、きっと、なんらかの結果が伴うものであると――思考より先に、信頼していた。
タスさんはおかしなことをするけれど――
必ず、奇行の先には成功があるのだ。
そういった思いもまた、状況の意味不明さと同様に、シャルロットの動きを鈍らせた原因だっただろう。
その結果。
近衛兵はハッと我に返ったかのように腰元の剣を抜く。
そのまま、一連の動作として、剣をタスさんに向けて振った。
どんな奇跡を起こすのかと、タスさんのこれまでの行動を見てきた仲間たちの前で――
タスさんは、普通に斬られた。
脇腹のあたりから肩口まで、ばっさりと一閃である。
どう見たって助かる斬られ方ではない。
「タスさぁん!?」
シャルロットが叫びながら、馬の腹を蹴る。
それが合図となって、戦いは始まった。
ヤイヌが長弓を射かける。
ネージュがオデットの馬から飛び降りる。
シャルロットの馬が、タスさんの間近まで来て、いななきを上げながら、止まる。
シャルロットは馬から転げるように降りると、血を流しながら倒れたタスさんを抱き上げた。
「タスさん!
しっかりして!
今、薬を――
……え、なんですって?
ごめんなさい、いつもより声が小さくて、さすがに聞こえないわ!
って、それより、しゃべらないで! 治療をするから――」
手際よく薬を――王都でタスさんが高速で買った薬による治療を試みる。
その耳元に――
『しなやす』
そんな、意味のわからない言葉をささやかれたように、シャルロットは思った。