WIP 1/? タイマースタート~名前入力
思い返せば思い返すほどブラックな職場だったと思う。
振り分けられる仕事は分量が過剰で納期が短い。
上司は口癖のように『今回だけだから』と言うけれど、一体何回目の『今回』なのか、もう数える気にもならなかった。
ある日。
同僚が仕事中に倒れて病院に運ばれた。
過労らしい。
急激に『過労死』という言葉が現実味を帯びてくる。
机に忍ばせていた辞表を上司に叩きつける勇気がわいてきた。
そして仕事を辞めた。
日中から家のベッドで横になっている。
趣味――趣味はなんだっただろうか?
ああそうだ、たしか、作りかけのものがあったはずだ。
自分のPCに触ろう。
久々に『エミュ』でも起動しようか。たしかまだ『チャート』作りの最中だったはずだ。
時間のかかる作業だ。
今回も『desync』が大量に立ちはだかるだろう。
しかし時間はもういくらでもあるのだった。
まずは眠ろう。
やけに身体がだるくって立ち上がることもできそうにない。
これからは納期もノルマもない。
だから――起きたらきっと、新しい人生を始めよう。
△月×日、男性の死体が発見された。
異臭に気付いた近隣住民による通報によって見つかったこの男性は、東京都○○区在住、元会社員の■■■■さん。
死因は過労とみられ、警察は男性が勤めていた会社が不当な労働時間を男性に課したのではと捜査を進めている。
この件にかんして男性の元上司は「非常に痛ましい事故だと思います。亡くなられた男性に哀悼の意を捧げます」とコメントしているが、労働時間にかんしては返答を避けている。
――起動。
重く閉じていたまぶたを開ける。
周囲の景色はまるで馬小屋だった。
塗り固められた石壁と、そこらに布かれた藁、それに鼻につくかぎなれない悪臭。
あまりに寒い。まるで真冬だ。
今の季節はなんだったかと思い返そうとして、2種類の記憶が頭の中に存在することに気付いた。
混乱のさなか、陰が差す。
見上げれば金髪碧眼の少女が、こちらを見下ろしていた。
「あなたで最後みたいね」
少女が優しい笑顔を浮かべる。
それにしてもずいぶんと気合いの入ったコスプレだった。
鎖帷子の上に鉄板を着込むという本格的な鎧姿。腰には柄に宝石のはまった高そうなロングソードをぶらさげている。
顔立ちはあどけない。10代後半か、あるいはまだ前半なのか。いずれにせよ20代より上には見えなかった。
「……えっと、混乱しているのかしら?
無理もないわね。
今まであなたと一緒にいた子供たちのことは覚えている?」
少女が話しかけているのは自分らしいとようやくわかった。
そして彼女が語っているのは、さっきから頭の中にうずまく、2種類の記憶のうち片方だった。
2種類の記憶はそれぞれまったく違った人物のものに思える。
たしか自分はブラック企業を辞めたばかりのはずだ。
上司に辞表を叩きつけて会社から飛び出した。
久々の……1週間ぐらい寝ていなかった気がする……睡眠をとったところまでは覚えている。
だが、それ以降の記憶がなかった。
そしてもう1つの記憶――
戦争だった。
家々が焼けて、人々が悲鳴を挙げていたことを覚えている。
いかめしい鎧姿の〝大人〟たちが、家を壊し、金品を奪い、人を襲い――
……記憶が途切れる。
しばらくあって、自分はたくさんの『同年代の子供たち』とともにこの小屋に連れてこられた。
そして周りの子供たちが身なりのいい『大人』たちに連れて行かれて……
最後に残ったのが自分だった。
「他の子たちは、それぞれみんな引き取られたわ。
私はあなたを引き取りに来たの。
どうかしら?
……あなたは戦争でひどい目に遭ったから、貴族は嫌いかもしれないけれど……
私としては、あなたを家族として迎えたいと思っているのだけれど」
このシチュエーションに既視感があった。
ブラック企業の社員だったほうの記憶が気付く。
ゲームだ。
ひと昔かふた昔ほど前に流行った、1400年代のヨーロッパをモチーフにした戦略SLG。
4種類のキャラクターから主人公を選んで戦乱期の国家で動乱の人生を過ごす。
悪く言えば使い古された、よく言えば安定した実績を持つストーリーが魅力だ。
自分の手をながめる。
小さな手だ。
指が細く肌は白い。
手首から肘、肩までも枯れ枝を思わせるほどスリムで、とてもじゃないが現代日本で不健康な生活をしていて手に入れられるボディには思えない。
「大丈夫?
ひょっとして記憶が定かじゃないのかしら?
……色々つらいこともあったでしょうし、仕方ないわね。
せめて、名前を教えてくれる?」
知っているフレーズを聞いて、既視感が確信に変わる。
つまり自分は――現代日本の記憶を持つ自分は、守護霊だ。
これから革命の動乱に巻きこまれていくであろう主人公を、主人公であり主人公より俯瞰した視点から見下ろし、指示をする立場になっている。
まさしくプレイヤー的視点で、今、この場に存在している。
そして、自分がなぜこの既視感のある世界にいるのかも、ぼんやりと心当たりがあった。
TASというものがある。
Tool Assisted Superplay、あるいはSpeedrunの略だ。
ツールを用いて細かいセーブ&ロードを繰り返し、実機……手動でやるプレイをこう呼ぶ……ではとうていできないような、奇跡的な幸運に恵まれた超人的なプレイングを行なうことを指す。
競技化もしている。
そちらはゲームの早解きの速度を競うもので、『バグ有り』『100%』『any%』などと様々なレギュレーションが存在する。
自分がやろうとしていたものはいわゆるところのSuperplayだった。
少し前まではTASではなくTool Assisted Playを縮めてTAPなどと呼ばれていた。
こちらはタイムを他の制作者と競わない代わりに、魅せ要素を意識して多く入れる。
ゲーム攻略の様子を動画化し、他者に見せることで『そんなんできるかw』とか『ありえない』などと賞賛を得る目的で作製されるものだ。
自分はこのゲームのTASを作製しようとしていた。
ちなみに『TASを作製する』という表現は、正しくない。
TASというのは動画そのものを指す言葉ではない。動画を作成するにあたりツールを用いてゲームを攻略していく行為を指す言葉だ。
正しくは『TAS動画を作製しようとしていた』という表現になる。
だが、TASというものは一般に広く認知されていない。
なので人によって『TAS』の定義は様々だ。
動画自体のことをそう呼ぶ人もいれば、制作過程をそう呼ぶ人もいる。
一風変わったところでは動画作成者を指して『TASさん』と言う場合もありえた。
そして。
『TASさん』という概念的人物には、様々な噂がつきまとうこともある。
「……ひょっとして戦争のショックで記憶を失っているの?」
心配そうに顔をのぞきこまれる。
慌てて首を横に振る。
鎧姿の少女は安心させるように笑った。
「初対面で緊張しているかもしれないけれど、心配しないで。
貴族によって、戦災孤児の扱いは様々だけれど……
私は、さっきも言ったようにあなたを家族と思って生きていくつもりよ。
ちょうど『妹』がいたらいいだろうと思っていたところだったし――
……ん? なにかしら?」
たずねようとした。
大きな声が出ない。
仕方がないので、少女を手招きして耳打ちした。
「……『兄や父ではなくて、妹であってるのか』って?
妙なことを聞くのね?
あなた、どう見たって幼い女の子じゃない。
少なくとも私より歳上にも、男性にも見えないわ。
鏡を見る?」
手渡されたのは、美しい装飾の手鏡だ。
受け取って自分の顔を見る。
ぼろきれをまとった、金髪の少女の姿があった。
……幼い女の子だ。
瞳は灰色で、この世のすべてに疲れ果てたかのような顔をしている。
『TASさん』にまつわる都市伝説を思い出す。
曰く――『TASさんはロシア人の金髪幼女である』。
イギリス人の引きこもり少女になったり、今は女子高生だよと言われたりと、様々な話が横行しているが、自分の知る一番声の大きい噂は『金髪幼女説』だった。
そして、TASを作製しようとしていたゲームにこんな主人公はいなかったはずだ。
TASを作製予定だったゲームでは、たしかに4人の主人公の中から1人を選べた。
しかし15、6歳の男女がそれぞれ2人ずつであって、今鏡に映っているような10歳かそこらの幼い女の子はいなかったはずだ。
――夢を見ているのだろうか?
TAS動画を作ろうと思って眠った――ブラック企業の社員だったほうの記憶は、そう訴えかけている。
ならば、久々に作ろうと思ったTASへの妄想が、夢にまで現れている?
それにしてはリアルすぎるし。
夢だとしたら、それでもいいと思った。
きっと悪夢ではない。
TASだとしたら、ある意味、納期とノルマはブラック企業以上だけれど。
今さら納期もノルマもない暮らしには戻れそうにもなかった。
先の見えないパソコン画面だけを見る作業より。
金髪幼女を操って戦乱期ヨーロッパ風異世界を駆け抜ける方が楽しいに決まっている。
だから名前は決まっているものを使おうと考えた。
駆け抜ける者にふさわしい、その名は。
「タス」
か細い女の子の声で語る。
今まで人の耳にとどくほどの音声は出なかったのに、名前だけはハッキリと発音できた。
ゲームにおいて主人公はしゃべらない。
その仕様が関係している可能性も考えられる。
鎧姿の少女が微笑む。
「そう、タスちゃんね。
私はシャルロット。西方地区の領主をしているわ。
あなたにはこれから我が家に来てもらって、一緒に暮らしてもらおうと思っているの。
戦争は未だ終わらなくって、世間には明るい話題が少ないけれど……
この出会いが明るいきざしになるといいわね」
手を差し出される。
タスはシャルロットに耳打ちした。
「……なにかしら?
『〝タスちゃん〟ではなく〝タスさん〟と呼ぶべき』?
あ、あなたがそう言うなら、配慮するわ。
では、改めまして……
これからよろしくね、タスさん」
この作品はフィクションであり、実際の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。