相談員
(1)
私が通勤に利用している路線バスで、最近起きた痴漢事件の犯人ではないかとの疑いをかけられたのは盆休みが終わってすぐのことだった。
五年前に妻の由紀子を病気で亡くした私は現在一人で暮らしている。大勢が集まれるようにと思って建てた家は、妻が心のおもむくままに配置した昔のまま、家具や調度品、壁の飾りつけからテレビの上の写真たて一つにいたるまで変わらない。
盆休みに地方にいた娘や息子の家族が実家に来て墓参りをすませ、久しぶりに和やかな休日を過ごした私にとって、降ってわいたような痴漢騒ぎは、真冬に布団をはぎとられたような衝撃をもたらすものだった。言い古された表現だが、まさに晴天の霹靂、寝耳に水の出来事としか言いようがなかった。しかもその騒ぎは、問題になっていた通勤バスの中ではなく、私が相談員としてコミュニティセンターで働いていたときに起きた。S市では市在住者から選ばれた有識者十人ほどが交代で市民の相談を受ける窓口になっていた。
盆明けの八月十七日午後一時から四時までの担当だった私が、前もって予約があった二人の相談を終え、ホッと一息ついていたとき、四十がらみの女が窓口を訪れた。私はその人を見たとき、若い時の妻によく似ていたので一瞬だが口を開けたまま言葉が出なかった。こうしたことはこの頃よくあるのだった。群衆の中からも必ず一人か二人の亡き妻に似た人を見つけては気が抜けたようになる。そんなとき、自分はどこかおかしいのだろうかとつい思ってしまう。少し落ち着いてくると、まるで違っていることが多いのだが、この場合もやはりそうだった。
「今日の相談はもう終わったの?」
ぶっきらぼうな言い方だった。ボーッとしている私に女が話しはじめると、その感じが妻とはまるで違っていることに気づいた。タバコか酒で潰したような声を聴いたとき私はすぐに現実に引き戻された。女は顔立ちに似ず、話しかたには品のなさが滲み出ていた。
その女は友人に金を貸したが返してもらえないので何とかならないかという相談をもちかけてきた。どうぞお座りくださいと私が言う前に、女は細い顔に似合わぬ太めの足を組んで腰かけ、事細かにいきさつを説明しはじめた。女の早口を追いかけながら私はメモをとった。
ところが話の途中から、女はハッと何かを思い出したように私を睨みつけた。やがて相談そっちのけで驚くべきことを言いだしたのだ。
「いつも利用しているバスの中で私に痴漢を働いた男におたくはソックリだ」
「いきなり何をおっしゃるのですか?」
私が困惑の表情をしていうと、女は椅子から立ち上がって忌まわしいものでも見るような目つきで私の痩せた背格好や、年齢のわりに皺が多い顔をあらゆる角度から注視した。しまいには私が履いている靴や毛髪の薄くなった部分までを凝視し、
「間違いない。あのときの痴漢はアンタよ。そうに違いない」
女はそう言い張ってきかないのだった。私は大いに当惑し、人聞きの悪いことをいわないで下さいと懇願した。だが女は大きな目を三角に吊り上げ、みるみるヒステリックになっていった。放たれる私への罵声は、ガラス一枚へだてた隣の部屋まで届いているに違いない勢いだった。
「そんな身に覚えがないことを言われても困ります」
私は何度も説明したが、女はいっこうに納得せず、険しい表情で相談室を飛び出したかと思うと、そのことを事務所にいる別の職員にまで話してしまう始末だった。
女が血相を変えて出ていったあと、
「野尻さん、とんだことでしたね」
とセンターの職員たちが同情してくれた。
出されたお茶を苦々しい思いで飲んだあと、私が気持ちを落ち着かせるために外の空気でも吸おうかとセンターの玄関を出ようとしたとき警官がきた。女が知らせたに違いないのだが、そのあと私は、警察からの厳しい事情聴取を受けるという屈辱を余儀なくされた。六十三年間生きてきて、これほど恥ずかしい思いをするのは初めてだった。
話し合いは別室で行われたが、警官が帰ったあと、さっきまでは同情的だったコミュニティセンターに勤めている誰もがどこかよそよそしい態度をとるようになり、その後センターを私が訪れるたびに、水たまりに凍りがはったような緊張した雰囲気があった。何人かがヒソヒソと陰で囁いているのをときおり目にしたが、いつも自分のことを言われているようで生きた心地がしなかった。私は、今回の妙な噂が非常勤で働いている大学に伝わらないものだろうかとハラハラしながら暮らすことになった。
そんなとき、同じ相談員として友人になっていたひとりから、
「人のうわさも七十五日というじゃないか。君の真面目な仕事ぶりは皆が知っているんだ。気にしないで今までどおりの生活を続けることだよ」
という励ましの電話をもらったときは、バス停に人がたくさんいたにもかかわらず、有難くて思わず涙が出たほどだった。
だが七十五日はおろか、わずか二週間ほどで騒ぎはおさまったのだった。警察の私への追及はたち切れになったのだ。私は今後のこともあるので自ら警察に出向いて捜査の進展を知ろうとした。担当の警察官は先日とは打って変わった穏やかな応対ぶりを見せた。
「お宅も大変でしたなあ。でも心配いりません。あの女のいうことは全然あてにならんのです」
「といいますと?」
「いつどこで痴漢の被害にあったのかという事件の具体性に関して、女の供述は全くいいかげんなのです。他に目撃者がいるわけでもありませんしね」
「そうでしたか……」
私がお辞儀をして警察署を出ようとすると、警察官は玄関まで私を見送りながら話を続けた。その女が、かねがね隣人との間でトラブルを引き起こす常習者であることが近所の人々から話で明らかになったことに加え、何かにつけて思い込みの激しい人物として親せき知人からも煙たがられていた女だったというのだ。
私はその日のうちに職場で事情を説明した。突如として降ってわいた私への疑いは払拭されたようだった。
(2)
コミュニティセンターの職員たちは元どおり親切に私に接してくれるようになった。私は久しぶりに安堵の気持ちを味わい、しばらく休んでいた夕方の散歩にでかけた。いつの間にか夏は過ぎ去り、ひんやりとした乾いた風が秋の訪れをつげていた。
私の家からすぐのところにはナナカマドが実を赤くしはじめた並木道が続き、カササギが住みついた公園がある。瀟洒な看護師寮が夕日を受け、白樺に囲まれて建っている。さらに進むと、まもなく石狩川の支流が姿を見せる。河畔には最近できて間もない明るい色調のアパートやマンションが、広い水面に逆さまに映ってゆれている。西側に目を移すと、夕映えの空がポプラの向こうに茜色の縞もようを見せる。私はその美しさに目を奪われた。過ぎ去った日々が、風の音に混じって聴こえる瀬音とともによみがえってくる。
地元の高校で十年間にわたって校長をつとめていた私がS市で市民相談員になるよう依頼されたのは三年前のことだった。そのときすでに妻を亡くしていた私は、正直いって毎日を惰性で生きていた気がする。何をしていても空しく、幸も不幸も分かち合う者がいない寂しさをいやおうなく感じていた。
「ぜひ、あなたのキャリアを市民のために役立ててください」
そんな市担当者からの言葉をもらっても、私は受ける気になれず何度も固辞した。だが担当者はあきらめなかった。
「代わりの人間がいないのです。ぜひ社会奉仕の一環として引き受けてもらえないでしょうか」
私は決定を下すのにひと月以上を要した。他人の人生を左右するアドバイスであれば、たとえそれが軽い注意や進言であるにせよ、大きな責任をともなうことなのだ。それに私は高校退職後に某私立女子大での古典講師の仕事を非常勤で引き受けていたから、そのための資料作りもおろそかにはできないので、相談員としての役目を老後の暇つぶしとして引き受けたということは断じてなかった。
市民相談員としての仕事にはわずかな手当が支給されるが、交通費や参考本などを買うとなくなるような金額で、ほとんどはボランティアのようなものだった。
一日三時間を毎週二回こなす程度だったが、家での下準備がバカにならない。前もって相談内容が書面で知らされる場合も多いので多少の法律知識を得ておくことは必須であり、その地域ならではの事情や条例に即したアドバイスを求められるので細心の注意が必要なのだ。
もちかけられる相談の内容は実に様々だった。真剣な問題から、ときにはペットの扱い方にいたるまで、できれば勘弁してほしいというような話にも耳を傾けるが、やはり多いのは離婚問題や家庭内暴力に関することだった。他にも職場でのイジメやセクハラについても少なくないが、最近とみに増えているのは隣の住人とのトラブルだった。
近所の犬が糞をしていくのが腹がたってしかたがないのでなんとかしてほしいという相談が去年は何件もあった。他にも例をあげたらきりがないのだが、近所の桜の花びらが散らかって困るだの、無断駐車をなんとかしてもらいたいというのもある。冬に多いのは隣の雪がうちの敷地におちてくるとか、積み上げた雪がこちら側に崩れてきているといったような、当人同士で話し合わなければどうにもならない相談をもちかけてくる。
相談に訪れる人々はどういうわけか女性が圧倒的に多かった。それは宗教団体に加入する人が女性に多いことと共通しているかもしれなかった。私はそのことを不思議に思うことがあった。他の国のことは解らないが、日本においては、自分を含めて、なぜ男性は女性に比べて気軽に自分の抱えている問題を他人に吐露しないのだろうか。寡黙を重んじた昔の武士社会の影響がいまだに尾をひいているのだろうか。考えても正確な理由はわからなかったが、男性が女性に比べて、がいして孤独に弱く、男女の平均寿命に大きな差があるのもどこか関係があるような気がしてならなかった。
窓口を訪れる人々の階層は、一概には言えないが、服装や身に着けている装飾品からして、どちらかといえば所得水準がそれほど高くはない一般庶民が多かったように思われる。資産のある人たちは最初から金に糸目をつけず弁護士を頼むのが通例なのだと先輩格の相談員が話していたが、何年かの経験をとおして実際そのとおりなのだろうと私は思った。
(3)
相談員はもちかけられた事例に関しておおよそのアドバイスを与えるわけだが、重大な問題に関しては、やはり弁護士に相談するようしむける必要がある。市内の二人の弁護士が週に一回ずつ無料相談を受けてくれるので、一部の人たちについては、そのための橋渡しをするのも相談員の役目だった。
離婚に関する相談はなるべく弁護士や家裁にいくことをすすめるが、皆がその気になるわけでなく、どうしてもある種の回答を与えないでは満足しない人もいる。
あるとき二十代の若い婦人が相談にきた。
「別れた夫が約束した養育費を入れてくれないのです。どうしたらいいでしょうか?」
私は答えた。
「口約束だけでは何の効力もないから公証役場にいって公正証書にしてもらうといいですよ」
そうアドバイスをした。
「本来なら離婚前にすべきことですが、今からでも遅くはないと思います」
と私はつけ加えた。
ところが次の週になって窓口に婦人の前夫と称する危ない雰囲気の男が現れ、余計なことを教えるなと、センターの窓ガラスが割れそうなくらいの大声で恫喝されたこともある。
そんなときはホトホトやめたくなるが、ときにはアドバイスに感謝を表して礼を言いにきてくれる人もいるし、ていねいに手紙をくれる人もいる。以下は私が昨年貰った手紙のほんの一例にすぎない。
野尻相談員様
このたびはあなた様のご指導により私は娘との良好な関係を取り戻すことができました。一日の休みもなく孫の世話をまかされていましたが、体力の限界を正直に娘夫婦に打ち明けましたところ、私が恐れていたように娘たちは悪く思うどころか、今まで長い間それに気づかなくて本当に申し訳ないことをした。週の三分の二はしかるべき場所に頼むので週末だけ今までどおり世話を頼めないだろうかと言われました。私は娘夫婦と孫を同時に取り戻すことができたような気がいたします。ひとえにあなた様のおっしゃった通りでございました。厚く御礼申し上げます。
これは市内に住む七十歳の婦人がくれた手紙だった。もうひとつの手紙はサラ金地獄におちいっていた主婦がよこした礼状である。
私は先生のアドバイスによって二十年間の借金地獄から解放されました。言われたとおり町の司法書士を訪ねましたところ私がいま返している高利のお金に関しては返さなくてもいいどころか、払い過ぎた利息が余分に二百万円におよぶことが明らかになりまして、それが返還されたのです。まことにまことに感謝にたえません。
他にも、恨んでいるに違いないと思っていた生き別れた息子に思いきって会いにいき、再会を果たせたことを報告する手紙もあった。そんなとき、相談員をやめようかと思っていた私の心に、言い知れぬ満足感が胸いっぱいに広がってくる。私は目に涙をにじませながら、もう一期やってみようかという気になるのだった。
そんなふうに忙しく過ごしていた私だが、そのじつ、毎日は孤独に負けそうになる自分との闘いだった。
私は寝室の壁にかかった亡き妻の若かったころの写真を見つめていると、五年たった今でも、ときどき言い知れぬ寂しさに押しつぶされそうになる。妻が亡くなってから、息子や娘が家を訪ねることは稀になったし、幼いころは煩わしいほどに入りびたっていた孫たちも、成長するにつれて年に数回しか顔を見る機会がないのだった。
定年を迎えてから、考える自由な時間が増えたことは私にとってけっして良いことではなかった。消極的で後ろ向きの考えが次から次へと浮かんでくる。経済的に困っているわけではない私が非常勤講師を引き受け、相談員として忙しくしているのは一人でいることが怖かったからなのだ。沈鬱な空気のもとで自分が自分でなくなるような、生きていくことへの漠然とした不安に埋没してしまいそうな気がしたからだった。
(4)
痴漢騒動からひと月が過ぎた九月の中ごろ、市の担当者がコミュニティセンターにいる私のもとを訪れ、どこか言いにくそうに口を開いた。
「来月からあなたは相談員としての契約が更新されないことになりました」
「来月からというと、もう二週間しかないではありませんか。どうしてこんなに急なのですか? もう予定をたててあるのですよ」
「申し訳ありませんが、話し合いのすえそうなりました」
そう答えた担当者は、さらにとってつけたように、
「相談員の若返りを図りたいという市長の考えを入れたものですから」
といった。私は誇りを傷つけられた気分になり、
「相談が中途半端になっている人も何人かいますし、急に再来週から変わるのはどんなものでしょうか?」
と詰め寄った。担当者は顔色ひとつ変えずに答えた。
「それは大丈夫です。引き継ぎを十分してくだされば問題なかろうと思います」
そういって担当者はチラッと私のうしろにいる誰かに目配せするような目線をおくって去っていった。
相談員としての任期は、それまで半年ごとにほとんど自動的に更新されていたのだ。来月もそのまま相談員の仕事を続けるものと思っていた私は何か釈然としないものを感じた。だが、もともと好きでついた役職でもなかったことを考えると、生活が元に戻るにすぎないのだと自分にいいきかせた。
だが正直にいうと、このたびの上の対応が不審に思えたのが事実だった。その思いは数日ほどあと、私より年配の相談員たちには何ら変更がなかったことを聞くに及んで強まった。相談員の若返りなどという理由は口実にすぎないと思った。
私は気にかかる何人かの相談者がいたが、その中でも先週相談を受けかけた女子大生を思い浮かべた。その人とはこんど続きを話そうということになっていた。その子は窓辺に干してある下着が盗まれることにくわえ、ひんぱんに覗きの被害に遭っているのだといった。警察に届ければ、部屋の中も見られるだろうから、どうしても気がすすまないのだといっていた。
私が連絡先名簿に出ていた携帯電話にかけると、すぐに女子大生の若々しい声がきこえてきた。私はもうすぐ自分が相談員をやめるので中途半端になっていたアドバイスを電話ですませたいというと、女子大生は大げさなほどの感謝を表した。
私はいった。
「あなたの住むアパートはうちの近くなので見てみました。道路沿いは男子学生も頻繁に通りますから、できれば大家さんに事情を説明し、別の部屋に移らせてもらったらどうでしょうか」
「そのことは考えませんでした。でもどうかなあ。アパートには空いている部屋が確かにあるのですが、そんなことで部屋を変えてくれるでしょうか? 私が入るときにあちこちお金をかけて直してくれたのです」
「そうでしたか。でもためしにお願いしてみるといいですよ。大家さんにとっては、あなたに出ていかれるよりいいにきまっていますから」
女子学生は、話してみますといって電話をきった。
一週間後、相談員としての仕事を夕方終えたとき、私は全身から力が抜けるような疲れを感じていた。椅子から立ち上がったときに目の前が暗くなり、貧血が起こったに違いないと頭をかかえて静かにしていた。
少したってから目を開けると、ボーッとした視界の向こうに若い女が立っていた。
「由紀子か」
私は声にならないほど小さくつぶやいた。でもそんなはずはない。知り合ったころの妻がここにいるはずはないのだ。
すると声がした。
「野尻さん、先日はお電話ありがとうございました。ひとことお礼を言いたくて……」
「あ、あなたは……」
一週間前に電話で話した女子学生が立っていた。私は少しずれていたメガネをなおし、
「わざわざそのために来たのですか?」
と訊いた。
「ええ、こちらに用事があったものですから。ついでといったらなんですが、私は考えたすえ、野尻先生のいうとおり大家さんに頼んでみることにしました。無理かと思ったらすんなり分かってくれたんですよ。言ってみるものですね。反対側の部屋が空いているので入っていいといわれました」
「それは良かったですね。そこなら前よりは被害にあいにくいでしょう」
「そう思います。あした両親がきてくれて引っ越すんです。父も相談員さんによろしくと申していました」
そういって彼女は大人びた微笑をうかべて帰っていった。
ところが私が相談員の仕事が今日で最後というときに本人が再び訪ねてきた。蒼白い顔をして何かにおびえているように見える。
「どうしたのですか?」
私が訊くと女子大生は弱々しい声で答えた。
「また下着が盗まれたんです。それだけではありません。お風呂場の曇りガラスのわずかな隙間から覗かれたのです。私どうしたらいいのか……」
「顔を見たのですか?」
「いいえ、黒い影しか見えませんでした。アパートの他の住人にきくと、誰もそんなめにあっていないというのです。なぜ自分だけがこんな怖い思いをするのでしょう。犯人はどうして私が部屋を移転したことが分かるのでしょうか」
女子大生は泣きながら訴えるのだった。
「あなたが荷物を出し入れしているのを見られたのかもしれませんね」
と私は答え、洗濯ものを窓の外に干さないよう提案した。彼女は力なく返事をし、肩を落として相談室を出ていった。
私は彼女のうしろ姿を見守りながら壁にかかっている時計を見た。
「あと三十分で終わりだ」
相談員としての私の勤めがまもなく終了するのだ。三年間の記憶がいっきによみがえってきた。やむをえず引き受けた役目ではあったが、多くの経験ができたのもまた事実だった。
私はセンターの職員たちに挨拶をすませ、わずかな荷物をまとめて建物をあとにした。駐車場から赤い西日を受けた蔦の絡まる建物をながめると、それなりの感慨が私の胸をおおった。カエデや桜の木々が季節の変化を告げるように色づきはじめていた。
そのとき私の脳裏に何人かの相談者の顔が浮かんだ。「彼らはその後どうしているだろうか」
どうなったかを見届けてみたいと私は思った。
そうはいっても、あと一時間もすれば暗くなる。私の足は知らず知らずに近くに住んでいる何人かの家に向かっていた。私の心には相談者に対してある種の使命感というか、連帯感というか、とにかく放っておけない気持ちが残っていたのかもしれない。
私は何人かの家やアパートの前に立ってみた。何度か来ているので道はすんなりと思い出された。赤みを帯びた空が暗い紫紺色に変わったころ、私は時計を見つめた。
「もうこんな時間か。あと一軒だけ見届けたら帰ることにしよう」
ひとり言をいいながら私は歩いた。そのあと、また暗い家にたった独りで帰るのかと思うと、ドクドクと胸のあたりに血の淀みを感じ、めまいがした。私はフラフラとした足どりで、いつの間にか数時間前に帰っていった女子大生が住むアパートの前に立っていた。
道路側から部屋を裏に移したのは知っている。私は物干し台が置かれてある細い空間をひっそりと息をひそめ、身を屈めながら歩いた。
まもなく私は裏に面した壁の小さな窓辺に立っていた。風呂場の窓は暗かったが部屋には明かりがともっている。
風を入れるためなのか窓が少し開いていた。
見ると部屋の中に洗濯物が干してあった。外に干すのは危険だと言われて中にぶら下げていたに違いなかった。でもそれは、窓から大人が手をのばすとすぐに届く距離だった。私は吸い寄せられるように音もなく右手を伸ばし、小さな下着を引き抜いて自分のカバンに入れた。
部屋の中からはテレビの音が聞こえてくる。だが、女子大生の姿はなかった。
私は辛抱強く待ち続けた 。
何を待っているのか、自分でも分からなかった。
やがて台所に立つほっそりとした影が見えた。自分を見下ろすと、暗くなった闇夜に私はすっかり溶けていた。そこに身をひそめた私は、夢を見ているかのように誰かの影を追っていた。
了