34.幸子、この場所を守るために
私はヤヨイさんと一緒に、先ほどまでマドカさんが休んでいた部屋へ戻った。
「マドカさん……よかったですね。
ミレイさん、本当にありがとうございました」
「いいえ、私は何もしていないわ」
「そんなことありません! マドカさんも言ってたじゃないですか。
『そんなふうに言ってもらえたの、初めてです』って。ミレイさんが話を──」
私はゆっくりと首を横に振った。
「話を聞くだけなら、誰にでもできるわ。
たしかに、私が話を聞いて、少しアドバイスをしたことで、マドカさんの力になれた部分はあるかもしれない。
でも、それだけじゃ、根本的な解決にはならないの」
「それは……」
ヤヨイさんは気まずそうに視線を落とした。
「ねえ、ヤヨイさん」
「はい」
「今、この施設が抱えている問題や、利用者の人たちが実際にどんなことで困っていて、どんな支援が必要なのか──。
改めて、ちゃんと教えてくれないかしら?」
私はまっすぐにヤヨイさんを見つめながら言った。
緊張しているのか、彼女の喉がごくりと動いたのが見えた。
しばしの沈黙ののち、ヤヨイさんはぐっと顔を上げた。
「……わかりました。
この施設の現状と、利用者の方たちのことをお話しします」
ヤヨイさんはひとつ息を吐いてから、静かに語り始めた。
「まず、見ての通り……この建物自体がかなり老朽化しています。
冬場は隙間風がひどくて、暖房だけでは寒さをしのぎきれません。
夏は逆に、空気がこもってしまって、熱が抜けにくいんです」
「……修繕は難しいの?」
私が尋ねると、ヤヨイさんは苦笑いを浮かべた。
「したくても、予算がまったく足りません。
それに、不景気の影響で、長年支援してくださっていた企業や個人の方々からの支援が打ち切られたり、減額されたりしていて……。
ここ数年で、状況はかなり厳しくなっています」
「……そう」
「利用者の方たちも、ますます厳しい状況に置かれています。
シングルマザーの方が多いですが、中にはご主人がいても、生活費を入れてくれなかったり、精神的に追い詰められて逃げてきた方も少なくありません。
経済的にも苦しくて、ぎりぎりの生活をされている方がほとんどです」
ヤヨイさんの声が、かすかに震えた。
「……ここのお母さんたち、笑っていても、すぐにわかるんです。
どこか怯えていて、自分の存在を小さくしようとしている。
子どもたちも、物音ひとつでびくっとしたり、突然無表情になったりして……
それでも、お母さんと一緒にいたくて、必死で頑張っているんです」
私は黙って、その言葉に耳を傾けた。
「住んでいる家も、本当に劣悪な環境が多くて……
雨漏りのする古いアパートや、壁がカビだらけの部屋。
とても、子どもを安心して育てられるような場所ではありません。
ここに通う時間だけが、子どもたちにとって“安全”でいられる、唯一の場所なんです」
ヤヨイさんは拳をぎゅっと握りしめていた。
その悔しさも、責任感も、言葉以上に伝わってくる。
「だから……私は、この場所を守りたいんです。
ほんの少しでも、お母さんたちが息をつけて、子どもたちが笑っていられる時間をつくるために」
私は静かにうなずいた。
その言葉は、ただの現状報告ではなかった。
それは、ヤヨイさん自身の“覚悟”そのものだった。




