33.幸子、そっと見守る
お昼寝スペースの前まで来ると、控えめな声が聞こえてきた。
「お母さんは……?」
そっとのぞくと、サチコちゃんが半分眠たそうな顔で、お布団の上にちょこんと座っていた。
スタッフがやさしく声をかけているところだったが、マドカさんの姿を見つけたサチコちゃんは、ぱっと顔を輝かせた。
「お母さんっ!」
その一言に、マドカさんの肩がかすかに揺れる。
そして、ゆっくりとサチコちゃんのもとへ歩み寄った。
「……おはよう、サチコ」
「うん。お母さん、どこ行ってたの?」
まっすぐに見上げてくるサチコちゃんの瞳に、マドカさんは一瞬、言葉を詰まらせた。
けれど、すぐにやわらかな笑みを浮かべて──
「ちょっとだけ、お話をしてたの」
そう言って手を差し出すと、サチコちゃんは笑顔でマドカさんの胸に飛びこんだ。
マドカさんは目を見開き、それから視線を落とす。
小さな身体を、腕の中で確かめるように、そっと抱きしめた。
「お母さん、さっきサチコにひどいこと言っちゃった……怖かったよね?」
サチコちゃんはマドカさんの胸に顔をうずめたまま、こくんとうなずいた。
「……ちょっとだけ、怖かった。お母さん、ごめんなさい……」
小さな手が、マドカさんの服の端をきゅっと握る。
その言葉に、マドカさんの瞳が潤んだ。
何かをこらえるように、サチコちゃんをぎゅっと抱きしめる。
やがて、マドカさんはサチコちゃんをそっと胸から離し、その顔をのぞき込んで言った。
「サチコ……違うよ。さっきのは、お母さんが悪かったの。
お母さんのほうこそ、本当にごめんなさい」
そう言って、深く頭を下げた。
サチコちゃんは驚いたように瞬きをしたあと、目の前のマドカさんの頭をやさしく撫でた。
「うん、だいじょうぶだよ。
お母さん……だいすきっ!」
その言葉に、マドカさんは目を細める。
潤んだ瞳をこらえるように唇を結び、小さく微笑んだ。
その笑顔は、どこかほっとしたようで、どこか泣きたいようでもあった。
「ありがとう、サチコ。
お母さんも、サチコのこと……大好きだよ」
サチコちゃんは、マドカさんの腕の中で満足そうに目を細めた。
……なんだか、まぶたが重くなってきたようだった。
「……サチコ、まだ眠い?」
マドカさんもそれを感じ取ったようで、静かにたずねる。
サチコちゃんは少しだけ考えるように眉をひそめてから、ぽつりと答えた。
「んー……ちょっとだけ。お母さんがそばにいたら、眠れそう」
「そっか。じゃあ、眠れるまで一緒にいるね」
サチコちゃんはこくりと横になった。
マドカさんもその隣にそっと腰を下ろし、小さな手をやさしく包み込む。
部屋の中は、ほかの子どもたちの寝息と、午後の日差しが揺れる静かな空気に包まれていた。
「……さっきね、ミレイお姉ちゃんと読んだ絵本、とってもおもしろかったんだよ」
小さな声でこぼされた言葉。
マドカさんの顔に、一瞬だけ後悔の色が浮かんだ。
「そっか……じゃあ、また読もう。今度は、お母さんが読んであげるね」
その声には、もう迷いがなかった。
今度こそ、まっすぐにサチコちゃんへ届くように。
「うんっ! お母さんに読んでほしい」
サチコちゃんは、とても嬉しそうに笑った。
少し離れた場所からその様子を見ていた私は、
(頑張って絵本読んであげたけど……やっぱりお母さんには敵わないわね)
ちょっぴり寂しいような、でもそれ以上にあたたかい気持ちになって、隣にいたヤヨイさんと目を合わせて笑った。
サチコちゃんは、安心しきったようにまぶたを閉じた。
やがてその呼吸は、静かに、ゆったりとしたリズムを刻み始める。
マドカさんはそっとその額に手を添え、自分の目を閉じた。
小さな寝息に耳を澄ませながら、穏やかに、穏やかに、時間が流れていった。




