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プロローグ

 どちらかというと、私は不幸だと思います。


 約束された衣食住。身体は健康ですし、運が良かったのか有名な大学に入学することさえできました。私よりもっと大変な方々がいる事も、重々承知しています。


 けれど、他の人には説明のつかない、大きな不幸が私の人生にこびりついて離れないのです。


 理由は、はっきりしています。私は、人の嘘が分かるのです。


 超能力、というほど大げさなものではありません。ただ、相手の視線の揺れや、言葉の選び方、無意識に滲む感情の綻びから、言葉が本心かどうかを感じ取れてしまう。それだけのことです。


 私はそれを、「嘘の匂い」と呼んでいました。

 嘘には、匂いがあります。甘かったり、焦げ臭かったり、あるいは胸の奥がざらつくような酷い匂いを伴うこともあります。


 私の名前は、まことと言います。

 正しく、清らかに、真実に生きてほしい。そう願った両親が付けてくれた名前です。 


 幼い頃から私は、「嘘をついてはいけない」「正しいことをしなさい」と教えられて育ちました。その教え自体が間違っているとは、今でも思っていません。

 ただ、その名前と躾は、少しだけ重すぎました。


 嘘の匂いが分かるということは、嘘を見抜くたびに、選択を迫られるということです。問い詰めるのか。暴くのか。それとも、見過ごすのか。


 私は、ほとんどの場合、見過ごすことを選びました。

 友人の見栄。先輩の自己正当化。大人たちの都合のいい約束。嘘を見抜いた回数は、そのまま、嘘を追及せずに飲み込んだ回数でもあります。その度に、胸の奥に小さな棘が刺さるのです。

 きっと、強い人ならば、逃げずに嘘と向き合えるのでしょう。でも私は、そうなれませんでした。


 決定的だったのは、大学受験の日の朝です。

 まだ薄暗い時間帯に家を出る私に、母は玄関で微笑んで言いました。


「まことなら、きっと大丈夫。頑張ってきてね」


 その言葉から、私は嘘の匂いを感じてしまいました。

 母は、信じていなかったのです。私が合格することを。母の言葉は、私を鼓舞するためではなく、自分を騙す自己暗示だったのです。


 その言葉に、私がどの様に答えたかはもう覚えていません。ただ一つだけ、はっきりとしたことがあります。その瞬間、私は理解してしまったのです。この力は、私を幸せにはしない、と。


 だから、私の人生は、どちらかと言えば不幸なのです。


 ———


 夏の午後、私は帰省のために渋谷駅へ向かっていました。

 駅へ向かう人々の流れの中で、幾つもの嘘の匂いが鼻を掠めます。電話をする会社員。自信満々に夢を語る学生。


「ごめんお姉さん。道に迷っちゃったんだけれど、ちょっと質問してもいいすか?」

 

いつの間にか横並びになった男が声をかけてきました。

 焦茶色の肌から漂う、甘い香水の匂いと、嘘の匂い。


 信号が変わると、私は曖昧に笑ってやり過ごし、ホームへと足を進めます。電車が滑り込む音を聞きながら、改めて思いました。


 嘘の匂いが分かることは、特別な力なんかじゃありません。ただ、見なくてもいいものを、見えてしまうだけです。

 匂いに気付いても、何もしない。ただ下を向いてやり過ごすだけ。


 私、篠月まことは、今日も嘘を嗅ぎます。

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