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海が最後の呼吸を始めたのは、夕暮れ前のことだった。港を取り巻く潮が、まるで巨大な鼓膜のようにゆっくりと上下し、空は血のような朱に染まる。観測データの針は限界値をはるかに超え、内閣官房の連絡網はパニックに近い騒ぎになっていた。そんななか藤吉は、港内の人混みの外れで、吸っていた煙草をビットに押し潰した。宏太と吉村はその横で、無言のまま海面を睨んでいた。賢祐はまだ手に潮の匂いが残っているのを気にしながらも祥子と礼佳を抱いている。祥子は礼佳の後ろから両手を回して抱きかかえるようにしっかり掴んでいた。礼佳は少し震えながらも、不思議と落ち着いているようにも見える。自身が島の拍動に同調しているのがわかるのだろう。
「政府の連中はどう動いとるんじゃ?」
藤吉が吉村に訊ねた。
「車両や何かの装備なども全部この島へ向かっているようです。あれは実証の段階を越えた強行措置ですね」
吉村が立場上入手している情報を元に続けた。
「おそらく内閣府の直轄部隊が今夜中にコアへ到達して、コアの封印装置を仕掛ける算段だと思います」
「封印装置って?それって?何ですか?」
賢祐が吉村に向き直って訪ねた。
「人工的に周波を打ち込んで、島の呼吸を同期させると聞いています」
吉村は3人の前で説明を続けた。
「あれが成功すれば、島を浮かすこともできるし、沈めることもできるそうです。国はそれを制御と呼んでいました」
「そんなこと…。やらせはせん」
藤吉は短く呟いて、海へ視線を戻した。
岸壁近くの臨時テントでは、内閣官房から西条の交代要員として派遣された技術者たちが奔走していた。賢祐はそれを見ながら海から回収された西条のアイ・パッドのことを思い出していた。
「もしかしたら西条さんは、島のコアの何かを実際に見てしまったのかも知れませんね」
「何かって?」
宏太が賢祐を見る。賢祐が黙っていると、藤吉が誰に云うでもなく呻くように呟いた。
「島は古い。村とかが守っとった意味が今になってわかるんじゃ。外の者がどう云おうと、ここはここのやり方で治めなきゃならん」
官房のヘリが二基、低空で島の上空を回りはじめている。吉村が持っている警察無線機から実験開始まで〈サンマル〉との声が聞こえた。島の呼吸は加速する。洞窟の奥底で見えた黒い眼が港の波間に透けるように瞬いた。
「礼佳、ここにいてはだめだ」
賢祐が礼佳の顔を見て祥子に促した。
礼佳はにっと小さな笑みを見せて、その笑顔には既に大人の迷いを超えた決意が宿っていた。
「行くよ…。ママも一緒にね…」
「湯木さん、お願いできますか?もう一度西の岬へ連れていってください」
賢祐は祥子と礼佳を両手で抱きしめた。




