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落ちた衝撃は思ったよりも静かだった。それは落ちたというより沈んだ感じに近かった。重力の向きが途中で幾度も捻じれ、身体の芯が本来とは別の方向に引かれるような、そんな不気味な落下だった。
「中澤君…、生きてるか?」
「ええ、大丈夫です」
賢祐はヘッドセット越しの微かに歪んだ西条の声に応えた。
「浦井君は?大丈夫か?」
「は、はい。何とか…。たぶん問題ないと思います」
浦井の声も上ずって聞こえた。
調査艇内の照明が一度だけ明滅し、薄いオレンジ色の非常灯が灯った。賢祐はゆっくりと頭を上げた。そこは海の中でも、海の底ではなかった。もちろん普通に呼吸もできている。
「ここって?どこかの隙間みたいな…?空間ですか?」
調査艇の正面に広がっていたのは、黒曜石の洞窟を思わせる巨大な空洞だった。海水の抵抗はほとんどなく、そのかわりに濃度の違う流体のようなものが調査艇本体を包んでいるらしい。デッキライトの照度を最大にしても、照らされる範囲はわずか数十メートルだ。しかし、その明かりのなかに信じられない光景が見えた。堆積の年代が入れ替わって、現代の海底と数万年前の海底が隣り合わさっているのだ。それは幾重もの地層が逆転しているとしか思えない形状だ。その中に生物の化石らしきものも混じっているようだが、最近そこに触れられた痕跡がある。何かがそこを通過したように擦れて、押し引き裂かれて、その形状が歪んでいる。浦井が突然叫んだ。
「西条さん!位置情報が完全に壊れています。上も下も取れない。磁場がおかしい!」
西条は驚愕のあまり、さきほどから無反応だ。 計器の針がゆっくりと左右に揺れ、逆回転したあと停止した。
「ここは…、島の内側だな」
西条はぼそっと呟く。
「えっ?まさか?」
賢祐は考え込むような西城の横顔を見たそのとき、調査艇の外流体がふっと揺れた。波紋ではない。呼吸のようなものに感じた。西条が息を呑む。
「これは生体反応だっ!複数の…、いや、違う。ひとつの塊だっ。それがいくつもあるような…」
調査艇の外壁を軽く叩いたような〈コン〉という音がした。固い貝殻が当たったようでもあり、濡れた指を丸めてノックされたようでもある。賢祐はデッキライトが照らしている範囲をガラス越しに凝視した。暗闇が揺れた。それは揺らぎながら形を変え、次第に人影にも見える輪郭を帯び始める。深度が不規則に増減し、視覚が深さを見失っていく。
「けんすけ…」
賢祐を呼ぶ声が聞こえた。しかしそれは呼び声というより、思考の騒めきが直接頭に触れてきたような感触だ。
「いま、誰か中澤君を呼ばなかったか?」
西条の声が震える。賢祐は黙って頷いたが、それは外部からの声ではなく、この内部から響いた。それに応えるように、調査艇の周囲で流体がぐっと押し寄せた。
「まずい、圧がっ!」
浦井が再び叫ぶ。計器の警告音が重なり、調査艇本体が軋んだそのとき、デッキライトの明かりが届いていない暗闇の奥で、大きな瞳のようなものが開いた。それは瞳と呼ぶべきかどうかもわからない。 光の反射ではなく、外光を吸収して内部から発光しているように見える。縦方向にゆっくりと収縮を繰り返し、こちらを認識しようとしている。まるでその瞳が瞬きしているようだ。賢祐は凍りついた。これが島民たちが代々隠し続けてきた核なのか。それとも、礼佳の存在が共鳴した別のものなのか。調査艇本体が大きく揺れている。まるで巨大な潮が巻き戻るように、周囲の流体が一斉に逆流を始めた。
「このままじゃ押しつぶされるっ!」
西条が大声で叫んだ。視界を飲み込み、押し寄せ、捻じれるように黒い波が迫る。その直前、賢祐はもう一度確かに聞いた。
「来ないで…。来てはだめ…」
礼佳?いや祥子の声に似ていたが…。僅かに異なるようだった。




