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礼佳が夫婦のベッドで眠っている。賢祐が出張に出てからは、礼佳を子供部屋でひとりにしないことにしている。浅い眠りのたびに、細い指が布団をわずかに握りしめる。呼吸は落ち着いているのに、どこか海の底を夢見ているかのような妙な雰囲気を持っている。祥子自身も執着する重さみたいなものを振り払えないでいた。今朝から耳の奥で潮のざわめきが耳鳴りのように聞こえている。
「帰ってきなさい…」
祥子は息を整えて、寝室の窓を開けた。部屋の中へ入り込む風は、季節に似つかわしくないほど湿っている。ベッド脇のナイトテーブルのうえでスマホが震えた。画面には見覚えのある番号だ。確か島の役場の固定電話だ。慌ててスワイプすると、しばらくノイズだけが聞こえて、その後からかすれた声が届いた。
「戻らんといかん。おまえと小さいのも、ふたりとも」
それで切れた。まるで電波ではなく、風が直接声を運んできたような感覚だった。
今になって改めて思い出す。母明子が亡くなる前に、わざわざ枕元に祥子を呼んで伝えた言葉がある。
《巫女の血脈は潮に還る》
礼佳が生まれた日にも、島の周りで潮流が変わったことを知らせにきた町の長老も、同じ言葉を祥子に呟いた。
礼佳が目を覚ましたようだ。うっすらと汗をかき、枕に頬を押しつけながら、ぼんやりと窓のほうを見る。
「ママ…、海が呼んでるよ…」
「え?」
祥子は息を呑んだ。礼佳の視線はまっすぐに、島の方向を向いている。
「行かなきゃダメなのかな?」
祥子は礼佳の額の汗を拭き取りながら微笑んだ。
「うん…」
礼佳はこくりと頷いた。祥子を見つめる礼佳の目は自分の意志というより、すでに決められたことだと訴えていた。祥子は礼佳を抱きしめる。腕の中の礼佳の体温が潮の満ち引きのように、ゆっくり上下しているように感じた。
「賢祐さん、急いで」
祥子は心の中でそう呟いた。賢祐が島へ向かった理由も、もう地盤調査だけではないと薄々気づいていたが、あの出来事以来、祥子自身、島に戻るつもりなどはなかった。でもいまは帰らなければならない? そう、島にいるあの子を迎えに行くように。礼佳は小さく囁いた。
「ママ、早くしないと、間に合わないよ…」
祥子は礼佳を抱き起して訊ねた。
「な、なにが?何が間に合わないの?」
礼佳はじっと祥子を見つめてから、再び島の方角へ視線を向けた。その瞳の奥に、潮が静かに反転するような気配を感じた。




