甘い話
〈玉蟲の燦爛とする漆器かな 涙次〉
【ⅰ】
* 平凡。【魔】と人間のハーフ。善人面を下げた、自稱無慾の【魔】。
「ニュー・タイプ【魔】」世代で、魔界では食つぱぐれたのか、またぞろ人間界にやつて來た。
方南町のじろさん・澄江さんのマンションに(じろさんのゐない隙を見計らつて)、上り込んでゐる。何事か、澄江さんを掻き口説いてゐるやうだ。
「自由學園」-六三三四制に縛られぬ、新しいタイプの學校。由香梨の友達も、フリースクール中等部を卒業したら、入學豫定な子が澤山ゐる。
じろさん「平凡に會つたよ」-カンテラ「奴さん、何だつて?」-「滿面の笑みを浮かべて、やあ此井先生、と來たもんだ」。平凡は一度、中野區長選挙でじろさんを担ぎ上げて、失敗した經緯がある。
* 当該シリーズ第46話參照。
【ⅲ】
平凡の申し出で、「自由學園」で教鞭を採つて下さい、と云ふのが、澄江さん、いたく氣に入つたやうだつた。安全な仕事。人や【魔】を殺めない仕事...
澄江さんの強い働き掛けを受けて、非常勤でいゝなら、とじろさんサイドワークする事になつた。
そこで「此井功二郎先生を迎へて」と云ふ會。學生一同、學園講堂に集まつた。そこでのじろさんの演説。「自由への闘争」と云ふ題で-
「皆さんこんにちは。初めまして。この度教員として中途採用になつた、此井功二郎と申します。突然ですが、皆さん、加瀬あつしさんの『カメレオン』と云ふ漫画をご存知ですか? あれは所謂ヤンキーの世界を描いたものですが、私たちにとつて、他人事ではない。學校は組織です。組織に苛めは付き物。他人と他人が接するからには、それは当然の事なのです。謂はゞ、苛めとの闘ひが、組織に属する醍醐味と云へませう。だから、皆さんも自由を目指して闘つて慾しい。自由とは、他人に與へられるものではない。自分で勝ち取るものなのであります」
拍手は疎らだつた-
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈靜寂は本当の愛を知つてゐる誰に訊くつて靜寂に訊け 平手みき〉
【ⅳ】
必然として、さうなるのである。個人主義と云ふ名のぬるま湯に浸かつて育つた者たち相手に、官僚の世界で叩き上げた、じろさんの論法が通用するはずがない。
要するに、じろさんの採用に盡力したお蔭を蒙り、學園のより良きポストに就かんとした、平の顔に泥を塗つてやつたのである。『カメレオン』なんて、下品な漫画を- 學園首脳陣の受けが良からう筈がない。
平、赤つ恥を掻かされ、その善人面の下で、じろさんへの憎しみが膨れ上がつた。
【ⅴ】
平は、密かに、じろさんに向けて、使ひ魔「白虎」を放つた。獰猛な、銀毛の虎である。
だが、じろさんは動物の味方。その事は以前散々書いた。「白虎」はじろさんに懐いてしまひ、まるで猫のやうに、じろさんの膝下に寢そべつてゐる。じろさんに或る種の「力」が備はつてゐる事、或ひは氣付いてゐたか-
【ⅴ】
君繪は、澄江さんに(平と云ふ人は、おぢいちやんを利用しやうとしてるだけなのよ)と、云ふ。(そんなもんかねえ。まあ君繪ちやんの云ふ事だから、正しいんだらうねえ)。澄江さんは、じろさんの、契約解除したいと云ふ望みを受け容れた。
【ⅵ】
平、何事も裏目裏目だ。學園の執務室に籠つて、次なる策を練つてゐた。そこにカンテラ、ひよつこり現れた。
「平さん。じろさんは俺たちのもんだよ。あんたには渡さない」-「カンテラさん、何を仰るのです...」飽くまでにやにやと偽善の假面を被つた、平なのである。カンテラ「で、あんた目障りだ、つつー事で」
「わ、わ、私を斬るのか!?」-「斬るんだよ。しええええええいつ!!」。平凡、絶命す。
【ⅶ】
仕事料は、短い採用期間ではあつたが、轉がり込んで來た「學園」の給金から、じろさんが出した。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈黑南風の昔むかしを吹き過ぎし 涙次〉
甘い話にや裏がある。と云ふ典型的なお話、でした。やはり、じろさんにはカンテラ一味の喧嘩番長の坐が似つかはしい、と云う譯で、このエピソオド、お仕舞ひ。