表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
松書房、ハイセンス大衆雑誌編集者、林檎君の備忘録。  作者: 中谷 獏天
第1章 松書房、月刊怪奇実話の林檎君。
5/215

5 編集後記。

《アヤメ、さん》

『だから言ったでしょう、殺されない様にするのは得意だって』


《そんな、幽霊じゃないですよね》

『足、触ってみますか。まだ私は清いままですよ、編集さん』


 僕は最初、夢か幽霊かと疑い。

 そして夢でも良い、幽霊でも良いと。


《アヤメさん、その、旦那さんは》

『あぁ、致し終わってから冷静になるだなんて、ミステリィ作品も担当する編集、じゃないんですか?』


《その、あまりにビックリしたのと、嬉しくてつい》

『まぁまぁ、頑張って推理して下さいよ、編集さん』


 そして言われた通り、少しばかり僕は推理する事にした。

 けれど彼女の賢さには敵わず、いや懐かしさから、このまま彼女から真相を聞かせて貰う事にした。


《アヤメさんの口から聞かせて下さい》

『もう、仕方無いですね』




 最初から、こうするつもりじゃなかった。

 届けた手紙は、事が起こる前に送ったモノ。


 こんなつもりでは無かったから、アナタが手紙を受け取ると同時に会う筈だった。

 けれど、事件が起こり。


《それが、例の》

「そう、少し意外だったわ、まさか殺されそうになるだなんて」


 道端で知り合いの男と少し話した程度で、首を締められた。

 だから意識を失う前に、直ぐに脱力し死んだと思わせた。


 それから暫くして息を吹き返したフリをして、呆けた。


 そこからはもう、おぞましい位に優しく、丁寧に扱ってくれた。

 私の名に似合うワンピースに日傘、カバンに靴に、それらを着飾らせて彼は見た事も無い笑顔で微笑んだ。


 心底ゾッとしてしまったけれど、そこへアナタが本を差し入れて下さった。


 そして私は本を利用した。

 例の本を暫く読み聞かせられ、とある文字で少し意識を取り戻すフリをした。


 死ね、殺す、殺された。

 その文字が読み上げられる度に、夫らしき何かを見つめる様にした。


 人を殴った事も無いお坊ちゃんには、それだけで十分。

 すっかり病み当主の座は剥奪、一方コチラは徐々に回復し、離縁状を出して終わり。


 では何故、私がそこまでしたのか。


 あんまりに馬鹿な亭主に苛立ったのと、実家への復讐の為。

 私は、本当に家が滅ぶ様が見たかった、あのクソ野郎や姉が病む所が見たかった。


 そして何より。

 アナタの糧になれば、と。


《籍を入れようアヤメさん》


「良いんですかね、2つも家を潰した女ですよ?」

《作家の妻としては上出来過ぎるよ、寧ろ僕がもっと頑張らないとね、アヤメさんに見合う男になれる様に努力しなければ》


「いえ、良いの、あの地獄で優しさをくれたのはアナタだけ。最初、あの男に挨拶よりも前に、水を掛けられたんです」

《あぁ、噂を鵜呑みにしたんだね、なんて愚かなんだろうか》


「しかもアナタに嫉妬して私を襲おうとして失敗、吐いてやったら引いてましたよ、あのクソ野郎」


《僕の教えをちゃんと覚えていてくれたんだね》

「吐くか漏らすかしろ、実に効きました」


《それでも、首を、殺されかけたじゃないか》

「ワザと煽ったんですよ、それこそ使用人も近くに居ましたし、直ぐに助けに来ましたしね」


《不謹慎かも知れないけれど》

「ええ、是非書いて下さい。それにしても怖かったでしょ、あの男」


《ゾクッとしたよ、あの家で君を見た時も。だから、僕も、コレを書き終えたら》

「だと思って急いで戻って来たんですよ、後追いなんて嫌だもの」


《何もかも、お見通しだね》

「いえ、嫉妬されるとは思いませんでしたよ、この顔ですし」


《僕には良く見えるのだけれど》

「はいはい、痘痕も靨、ですね」


《それに、意外と彼も、内面を見ようと努力はしていたのかも知れないよ》

「なら、最初から拒絶せず無難に流せば良かったんですよ。全く、だから滅ぶって言ったのに」


 虐げられるだけ、だなんて時代遅れだわ。

 女も男も、全身全霊で賢く抗えば、何とかなるモノよ。




「良かったですよ先生、アヤメさんにゾクゾクしちゃいました。コレは惚れるワケですよね、強くて賢く優しいんですから」


《僕は、優しさを書いたつもりは無いんだけれど》

「そうですか?だってコレ、先生のアヤメさんの事ですよね?少し前にお会いしてたんですよ、それで急いで汽車に乗った後も、ご老人に日傘を貸してらした所を見ましたよ、綺麗なワンピースで」


《それは、紫色かな》

「やっぱり、黒木家の人形にそっくりでしたから、最初は僕が幽霊に会ったんじゃないかともう。あまりに怖くて誰にも言えませんでしたよ、恨まれてるんじゃないかって」


《残念だけれど、彼女は孤児のアヤメ、君が思うアヤメとは違う女性だよ》

「はいはい、そう言う事にしておきます、先生の楽園を壊しても損なだけですから」


 僕は今、刷られたばかりの本を読み終えた所です。

 だってこの原稿、先生は一気に書き上げてそのまま会長に渡しちゃったので、本になるまで読めなかったんですよね。


 そして次に出すのは恋愛物にするそうで、今度は医者について取材してきてくれないか、と。


《すまないね》

「いえいえ、真実が全てでは無いからこそのハイセンス大衆雑誌、月刊怪奇実話なんですから」


《売れ行きは良いそうだけれど、僕も怪談物が書ければね、けどどうにも霊感なるモノが皆無で》

「良いんですよ、人には向き不向きが。あ、もしかして奥様に無いですかね?霊感とか心霊現象なるモノ」


《全く信じていない人だし、人が1番に怖いと思っている人だからね》

「先生と気が合いますねぇ全く惚気ちゃって、お土産はもうお買いになりました?」


《そこで悩んでいてね、特に欲しがる物が無い人で》

「でしたらあのワンピースに似合う帽子はどうでしょう?白や黄色の帽子」


《あぁ、良いね、まさに花そのものになるね》

「行きましょう先生、デパートは人が多いですから」


《助かるよ林檎君》

「いえいえ、作家先生を支えてこその担当ですから」


 佐藤先生は人混みを歩かれるのが非常に苦手でして、しかも相当の方向音痴。

 ですが筆は早いし誤字脱字は殆ど無し、しかも奥様に恵まれてらっしゃる。


 美味しいんですよね、アヤメさんのお料理。


《凄いものだね、婦人用の帽子がこんなに》

「大金持ちになると外商が出入りするそうですけど、本当ですかね?」


《書生の時に見た事が有るけれど、相当の額が動いていると知って眩暈がしたよ》

「でも、だからこそ三代で潰れてしまうんですかね?」


《教育、じゃないかい、某大商家の四代目は本当にしっかりしているらしいじゃないか》

「はいはい見る目が無くてすみませんでした、でもアレは会長に言われて行っただけだと言い訳させて下さいね?」


《ふふふ、アレは古書が良い値で取り引きされ、表紙に出ると死ぬって噂が却ってらしいと僕は思うよ》

「嫌だなぁ、ソレ本当に困ってるんですよ、それとも出てくれます?」


《顔を隠して良いならね》

「お化粧するのはどうです?隈取でも描くとか」


《良いよ、流石に隈取ともなれば原形は殆ど分からないしね》

「あー、僕見た事が無いんですよ、大衆演劇とかも」


《勿体無い、折角都会に居るのだし、しかも若いんだから楽しまないと》

「先生だってまだまだ、あ、取材先に入れてくれたら見れるんだけどなぁ」


《なら、四谷怪談を頼むよ、先駆けて講演するそうだからね》

「まだ諦めていないんですね、怪談物」


《食わせる相手が出来たからね》

「ですねぇ」


 以前の先生は何処か危ういと言うか、張り詰めたり思い詰めた雰囲気が有ったんですが。

 ご結婚なされてからはもう、すっかり。


 もしかして、あの黒木家と花山家の事は全て、実は先生の案じゃ。


《ん?やっぱり四谷怪談は嫌かい?》

「いえ、あ、コレどうです?」


《僕もコレかなと思っていたんだ、うん、コレにするよ》

「お腹が空きましたし、終わったら食べに行きません?」


《林檎君、新婚を引き留めるにはまだまだ、語彙力が足らないね》

「はーい、勉強しておきまーす」


《いつもありがとう、コレで何か食べておいで、出来るなら洋食で》

「はい、取材も、ですね。ありがとうございます」


 優しさも利益も有るから、人は人を大事にするんですよね。


《じゃあ、これで》

「はい、また、お気を付けて」


 そうして僕は佐藤先生を見送った後、浅草の洋食屋でハンバーグなるモノを食べる事に。


『醬油を出せ醬油を!』

《はい、ただいま》


 恰幅と身なりの良い壮年の男性。

 あまり威勢が良いと、当たっちゃいますよ。


『全く、コレだから新しいみ、ぅう』


 ほら。


 いやほらじゃなくて、ココはお医者先生をお呼びして頂かないと。


「誰かお医者先生を!」


 凄く苦しそうですけど、果たして助かるんでしょうか。




《アナタは、お知り合い?》

「いえ、居合わせた客でして、こう言う者です」


 若いのに、出版社勤務。


《あぁ、松書房さんね》

「はい、ですが医学書等は出していないんですが、ご存知でらっしゃいますか」


《アレ、月刊……怪談》


「月刊怪奇実話、ですかね?」

《そうそう、アレに載る幽霊画が好きなのよ私》


「幽鬼先生のファンでらっしゃいますか?」

《と言うか、幽霊画全般ね》


「成程、では先生の絵はどうでしょう?」

《五〇年後が楽しみね、まだまだ生気に満ち溢れているもの》


「成程、参考にさせて頂きます」

《あらごめんなさい脱線したわ、あの患者さんのお知り合いでは無いのよね?》


「はい、お陰でハンバーグを食べ損ないました」

《そう、なら一緒に行きましょう、私も昼を食べ損ねたの》


「あの」

《あぁ、亡くなったから警察案件なのよ、だからアナタをココから引き離したいのも有るわ》


「そこも誤解を解きたいんですが、先ずはハンバーグを食べてから説明させて下さい」

《ふふふ、良いわよ》


 彼の名は林檎 (さとる)

 職業は松書房の社員、仕事内容は主に月刊怪奇実話の担当、だそうで。


「丁度、お医者先生を取材しろって言われてたんですよね」

《あら、どの先生から、かしら》


「それは言えませんよ、次号の楽しみを奪うと会長に怒られますから」

《そう、社員でも会長にお会い出来るのね》


「はい、そこまで大きい会社でも無いですから」

《謙遜なのか分からないわね、出版社に出入りする事も無いのだし》


「遊びに来てみます?それか月刊怪奇実話の表紙になるとか」

《創刊号の噂、知ってらっしゃる?》


「そりゃもう耳に何匹もタコが、ですけど黒木さんは亡くなってませんからね?」

《あらそうなのね、てっきり、私が新聞を見逃したのかと思ってたわ》


「新聞か噂話、ですか、成程」

《あら上手ね、こうやって取材されるなら、悪くは無いわね》


「是非是非、信頼して頂いてこその出版社だ、と会長も言ってらっしゃいますから。コチラ契約書になっております」


 思った以上にしっかりとした内容の契約書、違約金やコチラが違反した際の罰金まで明記されて。


《何処も、こうなのかしら》

「自由を守ると言っておる分際で作家を守らんとは何事だ!と某先生が言ってやったと息巻いてらっしゃいましたので、当たり前、では無いかと」


《それ、塊 六鬼先生でしょう?》

「あ、お知り合いで?」


《少し、ね、コレはもう少し違約金を上げてくれないかしら、患者の守秘義務に関わる事だから》

「すみませんが一律なんです、上流の方に信じて頂けないならお話して頂かなくても構わない、そうした配慮なんだそうです。お金では償えない事も沢山有りますから」


《つまり、後はアナタの信用次第、秘密次第ね》

「実家は遠野なんですよ、岩手の、だから家業は林檎農家で名字も林檎。まだ婚約者も恋人も居ないので、当然童貞です」


《ふふふ、秘密なんて無さそうね》

「そんな事は無いですけど、僕は嘘つきです」


《正直者だって良いたいのね》

「流石、上流の方は違いますね、親に言ったらそうだなで終わりましたもん」


《なら子供の頃から嘘つきだったのね》

「そして正直でも有りました、先生はどうでしたか?」


《正直者よ、ずっと、ね》

「じゃあ、好物は?」


《そうねぇ、饅頭が怖いわ、しかも黒糖饅頭が凄く怖いの》

「後は日本茶ですか?それとも珈琲?」


《そうね、珈琲が怖いわ凄く、両方出されたら酷く怯えてしまうの》

「是非先生には恐怖を克服して頂かないといけませんね、あんなに美味しい物が食べられないだなんて、人生の6割は損してらっしゃいますし」


《結構な割合ね?》

「因みに吹雪饅頭と日本酒だと8割です、合うんですよ甘い物とお酒」


《お酒も甘い物もだなんて、とんだ盗人上戸ね》

「良く言われますけど、納豆に砂糖も大概だと思いません?」


《豆と米と砂糖なら、実質きな粉餅じゃない》

「ならきな粉餅で良いじゃないですか?」


《餅は手間が掛かるもの》

「まぁ、確かに」


《じゃあ、そろそろ病院に戻りましょうか、書類に署名するわ》

「はい、ありがとうございます」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ