5 編集後記。
《アヤメ、さん》
『だから言ったでしょう、殺されない様にするのは得意だって』
《そんな、幽霊じゃないですよね》
『足、触ってみますか。まだ私は清いままですよ、編集さん』
僕は最初、夢か幽霊かと疑い。
そして夢でも良い、幽霊でも良いと。
《アヤメさん、その、旦那さんは》
『あぁ、致し終わってから冷静になるだなんて、ミステリィ作品も担当する編集、じゃないんですか?』
《その、あまりにビックリしたのと、嬉しくてつい》
『まぁまぁ、頑張って推理して下さいよ、編集さん』
そして言われた通り、少しばかり僕は推理する事にした。
けれど彼女の賢さには敵わず、いや懐かしさから、このまま彼女から真相を聞かせて貰う事にした。
《アヤメさんの口から聞かせて下さい》
『もう、仕方無いですね』
最初から、こうするつもりじゃなかった。
届けた手紙は、事が起こる前に送ったモノ。
こんなつもりでは無かったから、アナタが手紙を受け取ると同時に会う筈だった。
けれど、事件が起こり。
《それが、例の》
「そう、少し意外だったわ、まさか殺されそうになるだなんて」
道端で知り合いの男と少し話した程度で、首を締められた。
だから意識を失う前に、直ぐに脱力し死んだと思わせた。
それから暫くして息を吹き返したフリをして、呆けた。
そこからはもう、おぞましい位に優しく、丁寧に扱ってくれた。
私の名に似合うワンピースに日傘、カバンに靴に、それらを着飾らせて彼は見た事も無い笑顔で微笑んだ。
心底ゾッとしてしまったけれど、そこへアナタが本を差し入れて下さった。
そして私は本を利用した。
例の本を暫く読み聞かせられ、とある文字で少し意識を取り戻すフリをした。
死ね、殺す、殺された。
その文字が読み上げられる度に、夫らしき何かを見つめる様にした。
人を殴った事も無いお坊ちゃんには、それだけで十分。
すっかり病み当主の座は剥奪、一方コチラは徐々に回復し、離縁状を出して終わり。
では何故、私がそこまでしたのか。
あんまりに馬鹿な亭主に苛立ったのと、実家への復讐の為。
私は、本当に家が滅ぶ様が見たかった、あのクソ野郎や姉が病む所が見たかった。
そして何より。
アナタの糧になれば、と。
《籍を入れようアヤメさん》
「良いんですかね、2つも家を潰した女ですよ?」
《作家の妻としては上出来過ぎるよ、寧ろ僕がもっと頑張らないとね、アヤメさんに見合う男になれる様に努力しなければ》
「いえ、良いの、あの地獄で優しさをくれたのはアナタだけ。最初、あの男に挨拶よりも前に、水を掛けられたんです」
《あぁ、噂を鵜呑みにしたんだね、なんて愚かなんだろうか》
「しかもアナタに嫉妬して私を襲おうとして失敗、吐いてやったら引いてましたよ、あのクソ野郎」
《僕の教えをちゃんと覚えていてくれたんだね》
「吐くか漏らすかしろ、実に効きました」
《それでも、首を、殺されかけたじゃないか》
「ワザと煽ったんですよ、それこそ使用人も近くに居ましたし、直ぐに助けに来ましたしね」
《不謹慎かも知れないけれど》
「ええ、是非書いて下さい。それにしても怖かったでしょ、あの男」
《ゾクッとしたよ、あの家で君を見た時も。だから、僕も、コレを書き終えたら》
「だと思って急いで戻って来たんですよ、後追いなんて嫌だもの」
《何もかも、お見通しだね》
「いえ、嫉妬されるとは思いませんでしたよ、この顔ですし」
《僕には良く見えるのだけれど》
「はいはい、痘痕も靨、ですね」
《それに、意外と彼も、内面を見ようと努力はしていたのかも知れないよ》
「なら、最初から拒絶せず無難に流せば良かったんですよ。全く、だから滅ぶって言ったのに」
虐げられるだけ、だなんて時代遅れだわ。
女も男も、全身全霊で賢く抗えば、何とかなるモノよ。
「良かったですよ先生、アヤメさんにゾクゾクしちゃいました。コレは惚れるワケですよね、強くて賢く優しいんですから」
《僕は、優しさを書いたつもりは無いんだけれど》
「そうですか?だってコレ、先生のアヤメさんの事ですよね?少し前にお会いしてたんですよ、それで急いで汽車に乗った後も、ご老人に日傘を貸してらした所を見ましたよ、綺麗なワンピースで」
《それは、紫色かな》
「やっぱり、黒木家の人形にそっくりでしたから、最初は僕が幽霊に会ったんじゃないかともう。あまりに怖くて誰にも言えませんでしたよ、恨まれてるんじゃないかって」
《残念だけれど、彼女は孤児のアヤメ、君が思うアヤメとは違う女性だよ》
「はいはい、そう言う事にしておきます、先生の楽園を壊しても損なだけですから」
僕は今、刷られたばかりの本を読み終えた所です。
だってこの原稿、先生は一気に書き上げてそのまま会長に渡しちゃったので、本になるまで読めなかったんですよね。
そして次に出すのは恋愛物にするそうで、今度は医者について取材してきてくれないか、と。
《すまないね》
「いえいえ、真実が全てでは無いからこそのハイセンス大衆雑誌、月刊怪奇実話なんですから」
《売れ行きは良いそうだけれど、僕も怪談物が書ければね、けどどうにも霊感なるモノが皆無で》
「良いんですよ、人には向き不向きが。あ、もしかして奥様に無いですかね?霊感とか心霊現象なるモノ」
《全く信じていない人だし、人が1番に怖いと思っている人だからね》
「先生と気が合いますねぇ全く惚気ちゃって、お土産はもうお買いになりました?」
《そこで悩んでいてね、特に欲しがる物が無い人で》
「でしたらあのワンピースに似合う帽子はどうでしょう?白や黄色の帽子」
《あぁ、良いね、まさに花そのものになるね》
「行きましょう先生、デパートは人が多いですから」
《助かるよ林檎君》
「いえいえ、作家先生を支えてこその担当ですから」
佐藤先生は人混みを歩かれるのが非常に苦手でして、しかも相当の方向音痴。
ですが筆は早いし誤字脱字は殆ど無し、しかも奥様に恵まれてらっしゃる。
美味しいんですよね、アヤメさんのお料理。
《凄いものだね、婦人用の帽子がこんなに》
「大金持ちになると外商が出入りするそうですけど、本当ですかね?」
《書生の時に見た事が有るけれど、相当の額が動いていると知って眩暈がしたよ》
「でも、だからこそ三代で潰れてしまうんですかね?」
《教育、じゃないかい、某大商家の四代目は本当にしっかりしているらしいじゃないか》
「はいはい見る目が無くてすみませんでした、でもアレは会長に言われて行っただけだと言い訳させて下さいね?」
《ふふふ、アレは古書が良い値で取り引きされ、表紙に出ると死ぬって噂が却ってらしいと僕は思うよ》
「嫌だなぁ、ソレ本当に困ってるんですよ、それとも出てくれます?」
《顔を隠して良いならね》
「お化粧するのはどうです?隈取でも描くとか」
《良いよ、流石に隈取ともなれば原形は殆ど分からないしね》
「あー、僕見た事が無いんですよ、大衆演劇とかも」
《勿体無い、折角都会に居るのだし、しかも若いんだから楽しまないと》
「先生だってまだまだ、あ、取材先に入れてくれたら見れるんだけどなぁ」
《なら、四谷怪談を頼むよ、先駆けて講演するそうだからね》
「まだ諦めていないんですね、怪談物」
《食わせる相手が出来たからね》
「ですねぇ」
以前の先生は何処か危ういと言うか、張り詰めたり思い詰めた雰囲気が有ったんですが。
ご結婚なされてからはもう、すっかり。
もしかして、あの黒木家と花山家の事は全て、実は先生の案じゃ。
《ん?やっぱり四谷怪談は嫌かい?》
「いえ、あ、コレどうです?」
《僕もコレかなと思っていたんだ、うん、コレにするよ》
「お腹が空きましたし、終わったら食べに行きません?」
《林檎君、新婚を引き留めるにはまだまだ、語彙力が足らないね》
「はーい、勉強しておきまーす」
《いつもありがとう、コレで何か食べておいで、出来るなら洋食で》
「はい、取材も、ですね。ありがとうございます」
優しさも利益も有るから、人は人を大事にするんですよね。
《じゃあ、これで》
「はい、また、お気を付けて」
そうして僕は佐藤先生を見送った後、浅草の洋食屋でハンバーグなるモノを食べる事に。
『醬油を出せ醬油を!』
《はい、ただいま》
恰幅と身なりの良い壮年の男性。
あまり威勢が良いと、当たっちゃいますよ。
『全く、コレだから新しいみ、ぅう』
ほら。
いやほらじゃなくて、ココはお医者先生をお呼びして頂かないと。
「誰かお医者先生を!」
凄く苦しそうですけど、果たして助かるんでしょうか。
《アナタは、お知り合い?》
「いえ、居合わせた客でして、こう言う者です」
若いのに、出版社勤務。
《あぁ、松書房さんね》
「はい、ですが医学書等は出していないんですが、ご存知でらっしゃいますか」
《アレ、月刊……怪談》
「月刊怪奇実話、ですかね?」
《そうそう、アレに載る幽霊画が好きなのよ私》
「幽鬼先生のファンでらっしゃいますか?」
《と言うか、幽霊画全般ね》
「成程、では先生の絵はどうでしょう?」
《五〇年後が楽しみね、まだまだ生気に満ち溢れているもの》
「成程、参考にさせて頂きます」
《あらごめんなさい脱線したわ、あの患者さんのお知り合いでは無いのよね?》
「はい、お陰でハンバーグを食べ損ないました」
《そう、なら一緒に行きましょう、私も昼を食べ損ねたの》
「あの」
《あぁ、亡くなったから警察案件なのよ、だからアナタをココから引き離したいのも有るわ》
「そこも誤解を解きたいんですが、先ずはハンバーグを食べてから説明させて下さい」
《ふふふ、良いわよ》
彼の名は林檎 覚。
職業は松書房の社員、仕事内容は主に月刊怪奇実話の担当、だそうで。
「丁度、お医者先生を取材しろって言われてたんですよね」
《あら、どの先生から、かしら》
「それは言えませんよ、次号の楽しみを奪うと会長に怒られますから」
《そう、社員でも会長にお会い出来るのね》
「はい、そこまで大きい会社でも無いですから」
《謙遜なのか分からないわね、出版社に出入りする事も無いのだし》
「遊びに来てみます?それか月刊怪奇実話の表紙になるとか」
《創刊号の噂、知ってらっしゃる?》
「そりゃもう耳に何匹もタコが、ですけど黒木さんは亡くなってませんからね?」
《あらそうなのね、てっきり、私が新聞を見逃したのかと思ってたわ》
「新聞か噂話、ですか、成程」
《あら上手ね、こうやって取材されるなら、悪くは無いわね》
「是非是非、信頼して頂いてこその出版社だ、と会長も言ってらっしゃいますから。コチラ契約書になっております」
思った以上にしっかりとした内容の契約書、違約金やコチラが違反した際の罰金まで明記されて。
《何処も、こうなのかしら》
「自由を守ると言っておる分際で作家を守らんとは何事だ!と某先生が言ってやったと息巻いてらっしゃいましたので、当たり前、では無いかと」
《それ、塊 六鬼先生でしょう?》
「あ、お知り合いで?」
《少し、ね、コレはもう少し違約金を上げてくれないかしら、患者の守秘義務に関わる事だから》
「すみませんが一律なんです、上流の方に信じて頂けないならお話して頂かなくても構わない、そうした配慮なんだそうです。お金では償えない事も沢山有りますから」
《つまり、後はアナタの信用次第、秘密次第ね》
「実家は遠野なんですよ、岩手の、だから家業は林檎農家で名字も林檎。まだ婚約者も恋人も居ないので、当然童貞です」
《ふふふ、秘密なんて無さそうね》
「そんな事は無いですけど、僕は嘘つきです」
《正直者だって良いたいのね》
「流石、上流の方は違いますね、親に言ったらそうだなで終わりましたもん」
《なら子供の頃から嘘つきだったのね》
「そして正直でも有りました、先生はどうでしたか?」
《正直者よ、ずっと、ね》
「じゃあ、好物は?」
《そうねぇ、饅頭が怖いわ、しかも黒糖饅頭が凄く怖いの》
「後は日本茶ですか?それとも珈琲?」
《そうね、珈琲が怖いわ凄く、両方出されたら酷く怯えてしまうの》
「是非先生には恐怖を克服して頂かないといけませんね、あんなに美味しい物が食べられないだなんて、人生の6割は損してらっしゃいますし」
《結構な割合ね?》
「因みに吹雪饅頭と日本酒だと8割です、合うんですよ甘い物とお酒」
《お酒も甘い物もだなんて、とんだ盗人上戸ね》
「良く言われますけど、納豆に砂糖も大概だと思いません?」
《豆と米と砂糖なら、実質きな粉餅じゃない》
「ならきな粉餅で良いじゃないですか?」
《餅は手間が掛かるもの》
「まぁ、確かに」
《じゃあ、そろそろ病院に戻りましょうか、書類に署名するわ》
「はい、ありがとうございます」