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1 記憶を消された男と盗人。

『私を、覚えているかね』


《はい、先輩でらっしゃる刑事の》

『いやいや敬礼は良い、今君と私は警官と患者だ、痛みはどうだね』


《はい、いえ、見ての通り手首が痛いですね》


『それがどうして付いたのか、覚えているかね』


《いえ》

『そうか、今はいつか分かるかね』


《梅雨明け前の、6月の》

『今は8月の初頭だ』


《あの》

『君は少し事件に巻き込まれてな、事が大きく、少しな。暫く療養していてくれ』


《はい》

『じゃあ、まぁ、何か思い出したら。そうだな、新しい手帳だ、使ってくれ』


《はい、ありがとうございます》

『いや、色気の無い見舞いの品だ、気にするな』


《いえ、ありがとうございます、ご迷惑を》

『いや、いや。じゃあ、また』


《はい》


 所轄の若い警官が事件に巻き込まれてしまった。

 私的な事も絡み、今は完全に情報封殺をしている、だが。


《あ、刑事さん》


 声を掛けて来たのは、最近悪評高い女医先生。


『はい、なんでしょう』


《実は、亡くなられた方が出ていまして、今の所は不審死では無いのですが。先程、通報させて頂きまして》


『あぁ、もしかして、お偉いさんですか』

《はい》


『では、ご事情を少しお伺い出来ますかな』

《それが、付き添いをして下さった方が、雑誌社の方で。ソチラをどうにかされた方が宜しいかと》


『あぁ、ご配慮を』

《いえ、面倒は困りますから》


『では警官が到着するまで、少し向こうを足止めしておきますよ』

《はい、では、ご案内致します》


『あぁ、少し待っていて下さい、人を待たせていまして』

《あ、そうなんですね》


『例の者の関係者、でしてね』

《あぁ》


 記憶が無い以上、嫌でも取り戻す事に。

 いや、どちらが良いのか、私には分からんよ。


『君達、面会は許すけども、短時間で頼むよ』

「はい」

『ありがとうございます』


『いやすみませんね女医先生』

《いえ、では、コチラです》




 恋仲だった男の記憶が、消されてしまった。


《君とは、どう言った繋がりなんだ》


『いえ、ただの通りすがりです』


《そうか、すまない》

『いえ、では』


《待ってくれ、名を、礼がしたい》


『気紛れの人助けですから、お気になさらず』

《いや、俺は警官なんだ、そうはいかない》


『では、次にお世話になった時にでも、見逃して下さいな』


《次》

『もし次に会うとしたら、じゃあ、お大事になさって下さい』


 私は盗人、彼は警官。

 一時は恋仲にもなっていたけれど。


「あぁ、アンタもう良いのか」

『はい、安静にして頂くのが1番ですから。では、また』


 また、何て無い。

 噂で彼には婚約者が居ると聞いてしまったし、私は罪人。


 コレで良い、別に処女なんか惜しくも無い。

 コレで良い。




《コレは》

「お前から預かった物だ、と言うか俺は覚えてるな」


《あぁ、だがコレは》

「知らん、お前に預かってくれ、とだけ言われて渡された」


 俺の悪友が渡してきた物は、女物の下着。


《冗談も》

「本当に覚えて無いんだな」


《だとしても、コレは、本気か?》

「渡された俺が言った言葉だな、俺には好いた女が居るって言うのに、事情は聞くなと言って渡して去っていったんだ」


《俺が、コレを》

「あぁ」


《どうかしているな》


「差し当たり、さっきの女のじゃないか」


《さっきの》

「お前は今、微妙な立場だ、俺が何もかも教えるワケにはいかない。コレが日誌や手帳類だ、私用の、捜査の手が入る前に預かっておいた」


 見せられた手帳類には確かに見覚えが有る、だが一時期からの内容には全く覚えが。


《記憶が、抜け落ちているのが明確に分かるな》

「ただ、心の赴くままに動け、とだけ言う」


《ココ1ヶ月の記憶が全く無いのに、か》


「事情だけ伝える、お前は監禁されていた」


《監禁》

「それも無いか。無理も無い、お前を好いた女に監禁され、一通りの拷問を受けていた。体の苦痛と心の苦痛、そして薬がお前の記憶を消させたらしい」


《薬とは》

「違法だが依存だ中毒だの心配は必要無い、ただ、お前は休職処分になっている。お前に何の責任が無いにしても、騒動の中心だからな」


《あぁ》

「親には既に連絡して有る、過労、とだけ。お前が事情を説明出来無い以上、俺が受け口になっているが、良いか」


《すまんな、助かる》

「まぁ、俺が探せるだけの品を持ち出しただけだ、まだ他に預けるか隠してるかも知れんな」


《1ヶ月前の事なら、な》


 何故、俺が監禁されたのか。

 全く分からない。




『どうだい、体調は』

《はい、手首以外は何も痛みは有りません》


 若い警官が意識を取り戻し、面会してから1週間が経った。


 手首の傷は抵抗の証。

 発見時は骨が見えてしまっていたらしいが、ココの医者や看護師の腕が良いのか、今はもう抜糸が済んでいるらしい。


『若いと治りが早いんだろうかね、羨ましい限りだよ』

《良く食う、と看護師達に笑われる程ですから》


『あぁ、そいつは失念していた、食い足りなかったか』

《医者の許可を得て出前や、知り合いに持って来て貰っていますので問題有りません》


『そうか、良い物は食えてるか?』

《はい、今日はカツ丼を頂かせて貰いました》


『あー、若いねぇ』


《すみません先輩、まだ記憶が》

『いや、私もこの1週間考えていたんだよ、思い出すべきなのかどうか』


《聞きました、心身共に辛い事が起きた場合、一時的に記憶を失う場合が有る。しかも》

『薬物が使われていた、虚ろにさせる薬、薬酒。だが、それはある種の呪いや民間療法だった。医師が処方する薬酒が有るだろう、そうした品に近い物、君は独自に精製された薬酒を与えられ続けていた。上からも、下からも』


《下から、とは》

『それで、君の記憶が無いのはそれだけでは無い、苦痛を与えられていたんだ』


《この手首、ですから》

『あぁ、君が抵抗したと考えられている』


《あの、犯人は》

『捕まってはいる、共犯も』


《黙秘、ですか》

『あぁ』


 この警官に惚れた女が監禁し、彼を苦しめていた。

 ただ、更に裏が有ったんだが。


 彼が知っていたのかどうか。


《俺は、自力で記憶を》

『いや、立件に際し既に十分な証拠や証言が存在している、無理に記憶を取り戻す必要は無い』


《ですが》

『記憶を失う程の苦痛だ、私はね、このままでも良いのかも知れないと思っている。それは検事局もだ、君は被害者、被害者に不利益を生じさせるべきでは無い』


《ですが俺は警官です》

『そして人間だ、思い出す事に耐えられないからこそ、記憶を失ったままの場合も有るそうだ。体が思い出す事を拒絶するなら、君は生きる為にも、敢えて思い出さないと言う選択肢を取っても構わないんだよ』


 思い出したとて、得になら無いのなら。

 もう立件するには十分に足りているなら。


 だが。


《思い出したいんです》


『どうしてだい』


《好いた女が、居るかも知れないんです》


 あぁ、だから激しく抵抗を。


 だが、だからこそ、それだけ薬を与えられてしまった。

 それだけ、記憶を失う程の苦痛が与えられていた。


『家に、帰ってみるかい』

《はい》


『ただ、今回は一時的にだ、それにお医者先生からの許可も必要だからね』

《はい、宜しくお願いします》


 好いた女に会えたとて、それが良い事なのか悪い事なのか。

 全く、どうしたもんかね。

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