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ドール  作者: 竹取 裕基
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第八章

沙羅が覚醒して、瞬く間に一か月が過ぎた。

 最初はどこかぎこちなかった二人も、今では自然な感じで付き合いができるようになった。

 朝は「おはよう」と、沙羅が優しく起こしてくれる。ダイニングに行くと、テーブルには淹れたてのブルーマウンテン、そしてハムエッグ、サラダ、ゆで卵などが並んでいる。沙羅もだんだんと料理のレパートリーも増えてきた。今ではカレーもチャーハンも焼肉も、野菜炒めもできるようになった。

 普通の女ならば、部屋にある愛人形たちを見れば絶対に処分を迫るか、間違いなくドン引きするに違いないのだが、沙羅はなぜかその事には一言も触れなかったし、田中も沙羅がいる以上、他の人形を愛することは一切しなくなった。もともと人形だった沙羅は、他の愛人形を見て、自分も人形だったことを思い出して、他の人形たちを捨てるように言えないのかも知れない、と田中は思った。派遣の仕事は相変わらずレトルト食品との格闘だったが、沙羅と暮らしを立てていくためなら、何とか我慢できる気がした。それまでは、一刻も早く辞めたくて仕方がなかったが、沙羅がいる、ただそれだけで仕事の苦しみも半減するように思えた。

 だが、田中には一つ悩みがあった。沙羅が『人間』になって以来、一度も抱いたことがなかったのだ。ドールだった時は、気軽に夜に抱いたものだが、いざ人間になってしまうと、どうしても気後れしてしまう。女を抱いた経験のない田中には、どうやって夜の営みを

したらいいのか、解らなかったのである。それに、沙羅も積極的に求めてきたわけではないので、手をつないだり、添い寝する程度で終わってしまっていたのだ。どうしたらいいのだろう、そう思って悩んでいた。


 そんなある日の午後の事である。


 沙羅は、いつものように、マンションの部屋を掃除していた。今日は金曜日だ。田中は出勤したので不在だ。静まり返ったマンションの部屋で、掃除機をかけながら、沙羅はこの前覚えたばかりの唄を口ずさんでいた。通りからは、子供たちがはしゃぎながらかけてゆく足音や、時折通り過ぎる車の音、小鳥たちが囀る音が聞こえてきた。

 田中の部屋をきれいに掃除していた時、机の上に一冊の赤いノートがあるのが目に留まった。

「あら、何かな? これ」

 思わず独り言が出た。

 ノートの表紙をよく見た。小さな字で「夢日記」と書かれている。どうやらこれは、普通の日記ではなくて夢日記のようだ。

 夢の日記なら、別に見ても構わない気がした。

「へえ、夢の日記ね」

 そう言いながら好奇心で最初のページから丹念に読んでみた。

 覗き込んでみると、日付と、見た夢が書かれている。夢の内容は、歩いている時に急に雨が降ってきて傘を差したら傘がヘリコプターのように回りだして、上空を飛んで下界を見下ろしたとか、殺人犯に追いかけられて殺されそうになったとか、荒唐無稽な内容が多く、どこか現実には起きそうにない気がした。

「陽一は、こんな夢を見ているんだ……私の夢とは違う」

 田中の夢は、沙羅の夢に比べて奇想天外で、荒唐無稽なものが多い。それにひきかえ沙羅の夢は、田中と一緒に食事をしていたり、田中と共に話をしていたり、一緒にどこかへ旅行へ行ったりするという、日常的な内容が多かったのだ。

 あるページに目がとまった。読んでみると、田中が崖をよじ登って、高い山の頂上に住む仙人と会い、人形を人間にする呪文を教わった様子が詳しく書かれている。「ラウムイノタク」「チリヌルヲワカ」などと、呪文とその唱え方が書かれていた。

「陽一はこれを使って、私を覚醒させたのね」

 感慨深げに沙羅はそれを見ると、ページを閉じようとしたが、呪文が気になった。テーブルの引き出しを開けて、メモ用紙を取り出すと、呪文を書き写し、唱え方も書き写した。そして、それをそっとポケットに入れた。

 それから、机の上に置いてある小さな人形に目を止めた。看護師の服装に身を包んでいるいじらしい表情の可愛いリカちゃん人形だ。

「可愛いな。私、この子が好き。リカちゃん人形だから名前はリカね……」

 そう思いながら、リカちゃん人形を見る。そのつぶらな瞳をながめた。陽一が会社に行っている間、話し相手がいない。その事で沙羅は最近、さみしさを覚えるようになっていた。

 田中の部屋にはリカちゃんのほかに愛人形があるが、沙羅はこのリカちゃん人形が一番のお気に入りだった。

 傾きかけた日差しを浴びながら、つぶらな瞳で、リカちゃん人形は沙羅を見ていた。



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