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ドール  作者: 竹取 裕基
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第四章

 翌日の夜。

 いつもと同じような月曜日が過ぎて行った。いつもと同じ時間に目覚ましのアラームで叩き起こされて、慌ただしくトーストとコーヒーを流し込むように食べ、車に乗り込み職場へ向かう。職場で八時三十八分にタイムカードを打刻し、ロッカールームで作業着に着替える。八時五十分まで休憩室の片隅でスマホをいじり、それから作業場へと向かう同僚たちと共に作業場へと向かう。八時五十五分には持ち場につき、そして九時きっかりに、ベルトコンベアが稼働し始める。後は、十二時まで……コンベアに流れてくるレトルト食品をひたすら棚に積んでいく作業が延々と続くのだ。午前と午後に十分ずつ、トイレ休憩がある。その時間だけは、社員が替わりに持ち場に入ってくれるが、それ以外はずっと作業をしていなければならない。どれぐらい時間が経ったことだろうと思って時計を見ても、まだ数分しか過ぎていなかったりする。まるで拷問のような時間だ。永遠にこの単調な作業をしなければならないような錯覚に陥る事もよくあった。気が遠くなるような程に働いて、ようやく時計の針がのろのろと進んで正午になる。ようやく、ベルトコンベアが停止し、持ち場から離れる事ができる。食堂には、既に多くの人たちでごった返している。食券代わりに渡されているICカードを使い、欲しい定食を注文し、トッピングを少しつける。会社が食費の半分を持つ食堂だけあって、市価に比べて非常に安い。例えば、ラーメンとご飯、シュウマイが二個付いたラーメン定食が三八〇円だったりするのだ。給料の締めとなっている毎月十五日締めで計算し、毎月二十五日払いの給料から天引きされるシステムとなっている。コンビニなどで下手に弁当を買うより安いので、多くの人がそこを利用している。

 田中も、仕事は嫌だったが、この昼食だけは楽しみであった。一番好きなメニューは、焼肉定食である。これは、豚肉と玉ねぎなどを炒めた皿にライス、味噌汁、お新香が付いてくる。肉の質も割にいいのか、結構肉汁がたっぷりで美味しいし、焼肉の量も多い。これにライスも希望により大盛りにできるし、味噌汁も美味しいし、お新香を最後に食べれば、やや油っこい物を食べて辟易している胃にも優しいというものだ。もちろん、今日も焼肉定食を注文し、ライスも大盛りにしてもらった。昼食を腹いっぱい食べて、ホッとしたのももつかの間、すぐに午後の仕事の時間はやってくる。午後一時きっかりにコンベアーが動き始め、またあの気の遠くなるような単純作業が続く。ときおり、壁時計の針を見てもほとんど進んでいないのに絶望しそうになる。本当にこの作業をしていると気が狂いそうになってくるのだ。流れてくるレトルトパウチと格闘して頭がおかしくなりかけたと思う頃、ようやく午後のトイレ休憩の時間になる。本当にトイレに行き、ちょっと一息入れる間もなく、すぐにまた生産ラインに入らなければならない。そして、無限に続く拷問のような時間がようやく終わった午後五時にタイムカードを押して、ようやく心と体の自由を取り戻し、車に乗り込む。ハンドルを握ってすぐに強烈な眠気に襲われるので途中のコンビニで少し仮眠しないといけないほどだ。

 今日も、そんな一日だった。レンジで温めたコンビニ弁当を食べて、買ってきた缶ビールを飲みながらナイターを見ていたら、もう夜も九時半を過ぎていた。風呂に入って、出てきてベッドに身体を投げ出して、ベッドサイドに並んでいる人形たちを寝ながら眺めていた。

 あの呪文、本当に効くだろうか?

 そう考える事自体が、馬鹿馬鹿しいのだが、このまま何もせずにただ働いているだけの生活もまた、虚しく馬鹿馬鹿しい生活の積み重ねにしか思えなかった。

 だったら、ダメでもともとだ。試してみるほか、ないだろう。では、どの人形から試してみるべきだろう?

 清楚な女性の魅力のある沙羅か? グラマラスな魅力のある紗耶香か? 刺激的な黒のマイクロビキニに身を包んだ茶髪と焼けた肌の絵里か? 上品で奥ゆかしさを感じさせるシックなメイド服の由香里か? これまた刺激的な黒のショーツだけを身に着けて、長い髪をむき出しの白の乳房に自然にたらしている未祐か? それとも禁欲的なセーラー服に身を包んだ開花する前の桜の蕾を連想させる、発育途上の麗香か? どれにしよう……一瞬考えたが、やはり一番付き合いの長い沙羅にするのが無難だと考えた。

 考えながら苦笑した。

 まさか、こんな子供だましの呪文で(ラブ)人形(ドール)に命を吹き込み、人間にできるとは、本当にどうかしている、と思った。

 でも、そんな事はどうでもいい。あの夢が本当か嘘か、試してみる事にしよう。

 そう思った。

 それに、今日は新月だ。この機会を逃すと、半月ぐらい先にしかチャンスはこない。その頃になると、忙しい日々の中、そんな事はもう忘れてしまうかも知れない。やはり今日やるしかないのだ。

 まず、リビングのカーテンを閉めた。外から誰かに見られるとまずいと思ったのだ。それから、沙羅の隣に座った。長い沙羅の前髪を掻き揚げてその額に触れる。まるで人間の女の子のような肌触りだ。

「ラウムイノタク……ラウムイノタク……」

 呪文を七回繰り返した。沙羅は目を閉じたままで変化はない。次の呪文は「チリヌルヲワカ」だったと思いだした。確かこれを三回唱えるはずだ。

「チリヌルヲワカ……チリヌルヲワカ……」

 この呪文も三回繰り返した。沙羅のその柔らかな額に手を当てながら、様子をうかがう。

 変化はない。

 最後は、また「ラウムイノタク」を三回である。

「ラウムイノタク……ラウムイノタク……ラウムイノタク……」

呪文を唱え終えると、そっとその手を額から離した。

 これで沙羅に本当に命が宿るのだろうか?

 そっと期待しながら見守ってみた。

 しかし、変化はない。

 先ほどの呪文が終わったのに、全く微動もしない。目を開いたり、動いたりするのだろうかと少しは期待していたのだがその様子はない。

 念のため、そのまま五分ぐらい様子を見たが、全く変化がなかった。やはり、沙羅は動かず、単なる(ラブ)人形(ドール)にしか過ぎなかった。

 その様子を見て、ククククと一人で笑ってしまった。

 それはそうだろう。しょせん夢の中に出てきた仙人が教えてくれた呪文にしか過ぎない。それは、単なる自分の願望にしか過ぎないのだろう。夢は、やはり夢にしか過ぎないのだ。自分の願望をたまたま、夢として見たに過ぎないのだ、と思うと少しがっかりするとともに、そんな夢を本気にしてしまった自分自身を嗤いたい気持ちになったのだ。

「ああ、馬鹿馬鹿しい。こんな事をやってしまった」

 ふとそんな独り言が口から出た。

 また沙羅を見てみたが、全く動き出す気配もない。やはりあの夢に出てきた仙人は、たんなる自分の願望が見せた夢にしか過ぎなかったようだ。

 ああ、無駄な時間を使ってしまった。そう思って、もう寝る事にした。



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