第一章
田中陽一は、ハンドルを戻した。長い上り坂を中古の軽自動車が坂道を苦しみに喘ぐように登ってゆく。
車を白いマンションの駐車場に停め、古びたマンションに入ると、エレベーターに乗り、五階のボタンを押した。
唸るような音がして登り始め、年代物のエレベーターの大きなガラス窓から夕日に照らされた海が見えた。
傾いた太陽が、鏡のように静まり返った海に黄昏色の光の筋を落としていた。金色に輝く水平線にタンカーがまるで玩具のように見えた。
チャイムの音がして五階のランプが点灯し、扉が開いた。
五階の通路には、誰もいなかった。田中は、通路を歩くと、飛び込んできた夕日が目を射た。その眩しさに思わず目をそらした。つきあたりで止まる。
五〇八号室。ここが、田中の自宅だ。
鍵を開け中に入り、ドアを閉めた。
ようやく自分だけの世界に戻ってきた気がした。
リビングの白いソファーに、紺色のブレザーの制服を着た女子高生の等身大の人形が座っていた。襟元には赤色の可愛らしいリボンを着けたその人形は、まるで本物の人間のように見えた。そのうなじは艶やかで美しい曲線を帯び、思わず見惚れるほどだ。上品にそろえた膝がその短いチェックのスカートからのぞいている。鼻筋は通り、頬もわずかに紅潮したその少女の人形は、まるでどこかのアイドルのように美しく見えた。長いまつげが閉じられた瞳から除いていた。長い黒髪をふくよかな胸に自然に垂らしていた。知らない者が見れば、本物の女子高生がそこで眠りながら座っているようにしか見えないだろう。
「沙羅……」
田中はそっとそのドールの名を呼んで、髪を撫でると、リビングの横のドアを開けた。
そこにはベッドが一つとタンスがあった。そしてベッドの横の壁にもたれかかるようにして五体の等身大の少女たちが……ある者は白い夏服のセーラー服に身を包み、ある者は黒いビキニを身につけ、ある者は白いエプロンと黒を基調とした古風なメイド服を身に纏い、そしてある者は、三角形のきわどい黒のショーツだけを身に着け、その豊満な胸をはだけて立ったまま……こちらを向いていた。みな、ドールだ。
そして、ベッドの横の小さな机には、リカちゃん人形が、ピンクのナース服を着たまま、こちらを向いて椅子の上に座っていた。つぶらな瞳が愛らしく見える。
田中はベッドに身を投げ出し、壁に並んで立っている少女たちを見た。
一番右が、袖や襟に黒の三本線のある白のセーラー服に身を包んだショートヘアの少女である。艶っぽくふっくらとした胸の上の青いリボンが涼しげだ。名前も付けてある。紗耶香である。短い紺のスカートからは、可愛らしい膝が見えていた。その腰は細く括れてその尻は美しい曲線美を帯びていた。紗耶香は、今にも動き出しそうな感じがした。その可愛らしい膝を見ていると、思わず触れたくなる。そしてその太ももに顔をうずめたくなる。きっと、胸が高まるだろう。
二番目は、肩まで自然な感じで伸ばした茶髪と、焼けた肌に黒いビキニが映える少女である。背は紗耶香と五センチほど違うだけだ。胸はやや紗耶香より小さめだ。絵里と名前を付けてある。見事な曲線を持った腰が、小さな黒いビキニを履いており、見ているだけで興奮しそうになる。ドールだと言わなければ、きっと薄暗い部屋では間違いなく人と見間違いそうになるだろう。黒いビキニからすらりとした細い足が田中の心を刺激する。見ていると思わずビキニを脱がしたくなる。
三番目は、由香里である。首元には白い襟がのぞき、黒のシックなワンピースの上に大きな白のエプロンを着た、シックな感じのメイド服を着用しているが、やや短めの白い縁取りのある黒のスカートからは黒のハイソックスのすらりとした美しい足がのぞいている。
その胸は大きく、上着がはちきれんばかりに見える。腰は括れ、その尻は妖艶な丸みがあった。
その胸元に顔をうずめたらさぞかし気持ちがいいだろう。
四番目は、未祐である。小柄で、黒のショーツだけを身に着けて、こちらを向いている。色白なので黒のショーツがとても似合い、思わず目が釘付けになる。そして長い黒髪が、自然な感じではだけられた豊かな胸の乳輪にかかり、見る者すべてを悩殺してやまない。腰は美しく括れ、黒のショーツに収まったその尻はやはり撫でてやりたくなるほどの美尻だ。
ショーツを剥ぎ取ったら、どんな表情をするのだろうか?
五番目は、麗香である。紺色の冬物のセーラー服を身に纏い、その白の三本線に彩られた袖からは、細い手首が見えていた。その胸元には、赤いリボンが柔らかく輝いている。胸の微乳さが、若い思春期の少女の肉体を連想させる。紺の制服に包まれた開花する前の桜の蕾のような肉体が、思わず目をひく。見ていると、その禁欲的なセーラー服を脱がしてその若い肉体の発育具合を確認したくなるのだ。
その蕾のような肉体を、自由に支配して自分だけに奉仕させてみたいと思った。
そこまで空想を広げてから、田中はため息をつき、ひとり力なく笑った。
たかが人形に、そこまで空想を広げてしまう自分を嗤った。
もう、三十二になる。こんな歳なのに、結婚はおろか彼女すらいない。いたこともない。派遣社員として市内の食品工場で働く毎日だ。ただラインを流れてくるレトルト食品を籠の中に並べて積んでいくという、無機質で単調な作業を朝から晩までやる毎日で、あっという間に一日が終わってしまう。
休日は、日ごろの疲れがドッと出てきて、何もしたくなくなる。近所に買い物に行くか、近場をドライブするぐらいのものだ。学生時代の友人たちとも卒業以来、会っていないし、職場にも全く友人がいない。たまに付き合いで会社の同僚と飲みに行く程度で、これと言って親しい人もいないし、女性の少ない職場なので、知り合う機会もほとんどないままに、いつの間にか歳を重ねていた。
木目調の天井を眺めながら、田中はドールに夢中になったいきさつを思い出していた。
五年前のある休日の事だ。
秋葉原を散策していたら目に飛び込んできたアダルトグッズの店だけで占められている怪しいビルの最上階にあったメーカー直営のショールームで、人形を見て、その精巧さに感心したのがきっかけだった。もちろん、人形と言っても普通の人形ではない。パートナーのいない寂しい男性向けのいわゆる「愛人形」という部類の人形だ。
田中もそこで実際に見るまでは、ラブトールについて普通のデパートなどにあるマネキンのようなものを想像していたが、実際は全く違った。
ショールームには、ナース服、ブレザー、セーラー服、スーツ、スクール水着、ビキニ、ブルマ、ネグリジェなど様々な服装を身に着けたドールたちがいて、あるものは椅子に座り、あるものは立ったまま、あるものは艶っぽい姿勢を見せながらソファーで足を組んでいる。店員が勧めるので、そのドールたちの皮膚にそっと触れてみると、まるで人間の皮膚のような感触で、巷にあるマネキン人形のそれとはまったく異なっていた。
「お客さま、お気に召しましたか?」
愛想よく声をかけてきた若い男の店員によると、最近のラブドールは、昔よくあった粗悪な「ダッチワイフ」とは全くの別物であり、性的目的ではなく観賞用として購入する客も多いという。中には、一人暮らしの若い女性が、寂しいからと購入するケースもあるらしい。女性がラブドールを購入する気持ちは理解できなかったが、やはり寂しさを紛らわしたいという思いなのだろう。
その後、いろいろ店員にドールについて聞いてみると、最近のラブドールは技術が飛躍的に進歩しており、頭部だけを自由に交換でき顔が飽きたら入れ替える事もできるし、関節なども自由に可動し好きな態勢を取らせることもできるらしい。
また、防水加工もされており、一緒に風呂に入る事も可能なのだそうだ。
もちろん、観賞用だけではなく性的目的にも使用できるようになっている。人工の膣がついており、性的目的に使用した後は取り外して消毒、洗浄できるようになっているそうだ。また膣の内部には、男性を喜ばせる特殊加工がしてあり、付属の専用ゼリーを使用することでより快感が増すようになっている。それに加え電池駆動で膣の保温や締め付けもできるようになっている。
「これね、ハマると本物の女よりずっといいんですよ」
店員も自宅にドールがあるらしく、話を聞くと彼女にも内緒で購入してこっそり楽しんでいるという。最初は性的目的であったそうだが、最近では、部屋にドールがいるだけで寂しさが和らぐのだという。一緒に風呂に入ったり、寝床に引き入れて寝る事もあるが、ただベッドに座らせて眺めているだけでも楽しいのだという。お気に入りのコスチューム……話を聞くと、スクール水着やブレザーやブルマなのだそうだが……をドールに着せたり脱がせたりするのもまた、楽しいのだそうだ。
だんだんと欲しくなり、値段を聞いてみた。
関節が自由に可動し、保温効果や締め付けのある膣を持つ最高級モデルにいたっては、九十八万円もするという。
値段を聞いて、さすがに買うのは躊躇した。
「無理ですよ、高すぎます」
思わずそう言ってしまった。
「ところがですね、お客さま」
男は意味ありげに笑った。
「当社はただいま、モニタリングを実施しておりまして」
田中の表情を窺うようにそう言った。
「モニタリングとは?」
少し興味が湧いてきた。
「モニタリングとは、お客様のご希望により、特殊なチップを使いまして、お客様のドールのご使用状況を当社に随時送信し、データを収集させていただくことです。ご自宅のWi-Fiで、ネット接続しドールの各関節にかかる圧力の様子、ドールの関節の可動状況、センサーによるドールの温度変化や、また屋内でのドールの位置情報などが含まれます。また、ドール本体にかかる体重などの圧力も記録されて送信されるようになっております」
男は笑顔を絶やさずに説明した。
「そんな事をしたら、ドールを何に使っているか一目瞭然ではないですか。そんな事をする客なんて居るのですか?」
思わずそう言った。そんな馬鹿な事をする客などいないだろうと思ったのだ。日々、ドールに体重をかけて何をやっているのかメーカーに逐一送信されたのではたまらないと思った。
「もちろん、タダとは申しません。お客様のドールの状態や使用状況などのデータを当社で収集させていただく代わりに、破格のお値段でご提供させていただいております」
男は揉み手をするようにそう言った。
「へえ……破格の値段とは?」
一応、聞いておいて損はないだろう。
「はい。この最高級モデルの『沙羅』ですと、本来の希望小売価格は九十八万円、多少お値引きさせていただいても、九十三万円ほどのご提供となっておりますが、お客様にモニタリングに参加していただくことによって、なんと十万円でのご提供が可能となります」
男は刺激的な黒ビキニを身に着けたドールの前で、田中の表情をうかがうような目を向けた。
九十八万円が、十万円? 田中は、その破格の値引きに驚いた。
「え? 十万円で?」
驚きの声が思わず漏れた。
「はい。お値段を大幅値引きさせていただいております。モニタリングは三年間でございまして、三年使用していただければ、追加料金なしでドールはお客様の所有物となりますがいかがでしょうか?」
男は揉み手を続けた。
目の前のドールを見た。
きわどい黒のビキニを身に着けたそのドールは、豊かな黒髪を腰まで伸ばし、どこかのアイドルのような整った顔をしていた。その愛らしい目をこちらに向け、ほっそりとした華奢な体つきにも関わらず、豊満な胸がその禁欲的な黒のビキニの端からみえ、そのほっそりした腰の逆三角形型の黒ビキニがその禁断の地帯を覆い隠していた。その艶めかしさはまるで生身の女優にも負けないぐらいに思えた。そっとドールに手を伸ばしてその太ももに触れてみたが、その肌質はまるで十代の少女のようにきめ細やかな感じがした。
これが、最高級ドール「沙羅」らしい。九十八万円の価値のあるドールが、なんと十万円で手に入るのだ。
思わず心が揺れた。
「うーん、欲しいですけれどね……」
思わず言葉が詰まったのを男は見逃さなかった。
「と、言われますと?」
男は、好条件にすぐに飛びつかない田中が、一体何を考えているのか知りたそうな視線を向けた。
「まあ、確かにいい条件ですが、モニタリングでデータを収集するわけでしょう? もし、そのデータが何らかの理由で流出して第三者に渡ったらどうするのです? 僕が日夜、この人形と何をしているのか世間に知られてしまったら、僕は破滅ですよ」
ドールの使用データが流出し、万が一、職場の人間など身の回りの人に知られてしまったら、しがない派遣社員とは言え、社会的信用は地に堕ちるような気がした。
そもそも、自宅にラブドールがある事が職場で、バレた時点で間違いなく笑い物になるだろう。
「田中君がダッチワイフを持ってたんだ……よっぽど寂しかったんだね……ククク」
「嫌ね、不潔~」
「キモッ! 最低~」
「そう言うなよ、あいつもモテない男だからな、ハハハ」
そんな陰口を叩きながらクスクス笑う職場の社員や派遣の連中の姿が脳裏に浮かんだ。
それだけは、避けたいと思った。
すると、男は自信たっぷりの笑顔を浮かべ、揉み手をしながら説明し始めた。
「ご心配には及びません。モニタリングで収集される各種データはすべて暗号化されているうえ、使用者が特定できない形で収集され、個体番号も暗号化されており、当社のデータ担当者でも所有者を認識できないようなシステムになっております。いわば、スマホのビッグデータのようなものと思っていただければよろしいかと思われます」
そう言った男は、揉み手を続けている。
男から、「沙羅」に視線を移す。
ドールと言われなければ……まさに生身の女のように見える。その可愛らしい顔立ち、そしてそのすべすべの肌。そして艶やかな黒髪に白い柔肌と細い腰、豊かな胸……「沙羅」を家に持ち帰る事が出来たら、どんなに楽しいだろうか。
その最高級ドールが十万円だ。モニタリングされるのは少し嫌だが、それを差し引いても悪くない気がした。
しばらく考えたが、やはり欲しくなってきた。
「買います」
そう言ってドールを買う事に決めたのだった。
ふと、そんな事を思い出していた。
田中は天井の木目模様から目を移し、ベッドの横にたたずんでいるドールたちに目を移した。
物言わぬドールたちが、こちらを見ていた。
そして目を閉じて、今までの事を思い出した。
――最初にモニタリングで購入したドールは「沙羅」という名前だったが、沙羅は高校三年生の頃、ひそかに好きだったクラスメイトの島崎理沙に実によく似ていた。購入後、自宅に宅配で届いた沙羅は、全裸で段ボール箱に収められていた。手や足、頭部など各種のパーツがバラバラにされた状態で、しかもウイッグもない頭部はまさにサスペンス小説のワンシーンみたいだったが、説明書を読みながら組み立ててみた。まるでバラバラ死体のようなドールが、ちゃんと組み立てて、ウイッグもつけると、ショールームで見たのと同じような黒髪の美少女になったのだ。童貞で今まで女の体を抱いたことのない田中は、その美しさに思わず欲情し、その場で沙羅を犯してしまった。
気がつけば沙羅が自分の放出した精液で汚されていた。
その後、きれいに洗浄して拭き上げ、全裸のままで横たわっている沙羅を見て、沙羅の衣類を買う事に決めたのだった。
買ってしばらくは、沙羅とのセックスに夢中になった。
風呂場で、そしてネットで購入してきたセーラー服を着せてみたり、スクール水着を着せてみたりしてセックスに夢中になったのだ。
しかし、だんだんと飽きてきてしまった。やはり生身の女とは違い、動かないし、ものも言わない。夜、静まり返った部屋でドールとセックスしていると、人形相手に何をしているのだろうか、と虚しさを感じ始めた。とは言え、女に全くアタックできない内向的な田中には、誰かを口説くという事は考えられない行為だった。だから、沙羅に飽きれば、今度は次のドールに手を伸ばすしかなかった。幸い、メーカーのモニタリングは続いており、それによって格安でドールを購入することができた。
そして、気が付けば……部屋にドールが六体にも増えていた。今までの購入金額は六十万を超えた。
また、ドールを買うと、着せる服も買いたくなる。一人暮らしの男なのに、女性用の服を買いに行くことが増えた。きわどい女性用の下着を買う時など、初めの頃はレジに持っていくのも恥ずかしかったが、じきに慣れた。
刺激的な赤のショーツ。黒のきわどいビキニ。艶やかなピンクのブラやパンティ。パステルカラーの上品なショーツ。昭和の頃、十代の少女たちが体育の授業で履いていた紺色のブルマ、そしてメイド服や女子高生の制服、スクール水着やハイレグの競泳水着など、欲しい衣類を店舗やネットなどで買いあさった。衣装代だけで毎月かなりの出費を強いられていた。
そんな事を、ふと思い出していた。
「ああ、俺、いい歳で、何をやっているんだろう」
天井を眺めながら、ふとそんな独り言が漏れた。
もう三十二歳なのに、未だに風俗すら知らない真性童貞で、ドールに服を着せたり脱がせたりしてセックスの真似事をしているうちに、もうすぐ三十三歳の誕生日が来る。
仕事も、正社員ではなく、不安定な派遣だ。
最近、不景気もあり、人員を減らそうという噂も耳に入ってきた。今、田中がやっている製造ラインの人員も、来年春には、大幅に縮小するという噂だ。正社員なら配置転換されるだけの事だろうが、派遣である田中は、辞めさせられるか別の会社を紹介される事になるだろう。
いずれにせよ、今の職場にはいられないだろう。
派遣とは言え、三年目になるこの職場を追われて、別のところでまた一年生からやり直すのも正直しんどい感じがした。
それに、自分自身の年齢を考えると、そろそろ正社員になりたいものだが、三十三になろうとしている今、なかなか就職も見つかりそうになかった。
「誰かいい人はいないのかい?」
たまに両親から電話があるが、いつもその話題になる。このままでは結婚相手も見つからないだろうと息子の将来を案じての事だろうが、いつも暗い気持ちになる。
職場にも魅力的な女性もいるが、たいていそういう女性は彼氏がいたり、既に結婚している場合が多かった。
まれに魅力的なフリーの女性を見つけたとしても重度の女性恐怖症である田中は、普通に女性と雑談をするという事すらなかなかできなかった。とりわけ若い女性を前にすると、顔から火が出そうなぐらいに赤面し、両足が震えてくるのが解る。喉もカラカラになってくる。
そして、そんな田中を女性たちは、気味悪がって寄って来なかったり、中には露骨に無視する者もいた。昼食時など、女子の社員や派遣社員が固まってランチをしている時の笑い声が、何となく自分を嘲笑っているように感じていたたまれない気持ちになったりすることも珍しくない。
(こんな男など、誰も相手にしてくれないに決まっている)
そう思うと、未来は絶望的に思われた。
あるとき、意を決し、ソープに行ってみた事がある。だが、店の前で黒服が声をかけてきただけで、気恥ずかしさから逃げ出してしまった。
そのくせ、性欲だけは旺盛だ。気がつけば、いつの間にかアダルト物のDVDやBRが自宅の部屋の大半を占領していた。パソコンではアダルトサイトに出入りして、女子高生が醜い中年男に淫らな行為をされている物を見ると、ひどく興奮し一日に数回も自慰を行う事もあった。
生身の女相手には使いもしないローター、使いもしない電動マッサージも何台も部屋に転がっており、ネットでアダルトグッズを購入する事もよくあった。
そんなある日、出会ったドールに田中は夢中になってしまった。それが、「沙羅」だ。沙羅を買った後も次から次へと、ドールの数は増え、今では知らない人が見たら、きっとその不気味さに驚く「人形の館」になっているだろう。
だが、やはり最近、倦怠感を覚え始めている。
確かに沙羅など、ドールたちは素晴らしく精巧に作られており、まるで人間のように見えるドールであるが、人はだんだんとアダルトビデオに飽きるように、ドールにも飽きてくるものだ。
同じようなシチュエーション。同じ体位。同じような「セックス」にだんだんと倦怠感を覚えてくる。しかも、相手は物言わぬ、動かない人形であるから、いくらコスチュームに気を使い、雰囲気を出してみたり自分なりに興奮できるシチュエーションにしても、限界があった。
(ああ、この人形たちが動いてくれたら……動くだけではなく、いろいろな話をしたり、一緒にどこかへ出かけられたら! それだけではなく、人形たちが感情を持ち、まるで彼女のように振舞って、時にはわがままを言ってみたり、時には怒ってみたり、泣いてみたり笑ってみたらどんなに楽しい事だろう……)
そんな空想が脳裏によぎった。
ふと視線をドールたちにやる。
いつものように押し黙ったままで。
それを見て、田中は深いため息をついた。